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こえしば  作者: YB


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21/21

#21 戦う顔

☆月島月華


 岐阜県大会決勝、大将戦が終わった。

 舞台の照明の熱はまだ冷めない。会場はさざめき、誰も帰ろうとしない。観衆の汗の匂いに不快さを覚える。

 鼻水と涙をたらしたこあらが下唇を噛んで舞台から降りてきた。

 制服の袖をぐしゃぐしゃに握りしめ、でかいお尻をブリブリさせて駆け足でこちらに戻ってくる。

 こあらの顔はまぶたのふちを真っ赤に染めて、涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

「最後までやれたじゃん」

 わたしはその姿を見て、自然とそう投げかけた。こあらが大会でリテイクをもらわず最後まで演じられたのは今回が初めてだった。

 だけど、こあらは一度立ち止まってこちらをにらみつけた。

「うっさい!!!」

 歯をむき出しにして吠えるように、目じりをこすりながら会場の外へ走り去っていった。

 わたしは隣で「あわわ」と佇む紀子の二の腕をギュッとひねる。

「なにあれ! 褒めてあげたのにっ!」

 紀子は「いたたっ‥‥」と情けない声を出しながら、わたしの手首をつかんで制してくる。

「こあらさん、勝てるって思っていたんですよ。決勝の課題アニメ頑張ってましたから」

「一票とれたじゃん! 喜びなさいよ!」

「痛いですって! 決勝の舞台でこえしばを始めて四カ月のこあらさんが一票とれたのはすごいことですよ。お芝居も‥‥まあ、ツッコミどころはありましたけど、今までで一番でした」

「でしょ? それなのになんなのあいつ!」

「月華さん、キレすぎですって!」

 わたしは紀子の首に腕をまわしヘッドロックを決める。

「のぉりぃこぉ~~~っ」

「うぅ! 苦しいぃ‥‥タップ! タップ!」

 紀子が絞め落ちる前に、お姉ちゃん‥‥月島先生がやってきてわたしを羽交い絞めにした。

「やめろ! 暴力に敏感な時代なんだぞ。ネットに晒されたらどうすんだ、ったく」

 わたしは月島先生に体を預けて、ほっぺを膨らませる。

「伊吹山のババアだって思いっきり生徒のことなぐってたじゃん」

 わたしの対戦相手の一人、澤野なんとかは試合が終わってババアからビンタとゲンコツを喰らっていた。わたしはその光景に手を叩いて笑ってしまった。

 先生は「‥‥‥」と沈黙して、わたしの体を手放した。

「見てないから分からないな! ってかよー」

 紀子が二の腕の赤くなった部分をふぅーふぅーしながら、「あ、誤魔化しましたね」と呟く。

 先生はわざとらしく後頭部を掻いて、わたしたちに嘆息を吐き捨てる。

「私はこあらを追いかけるから、あとは好きにしろ。どうせ、言うことなんか聞かないだろ。どっちが行くかは自分らで決めろよ」

 月島先生はそう言って、会場の外へ向かっていった。

 わたしと紀子はお互いの顔を突き合わせる。

「どっちってなに?」

「どっちが悪いか決めろってことじゃないでしょうか? そんなのひゃくぱー月華さんが悪いに決まっていますけど」

「そうそう、わたしがひゃくぱー悪いもんね‥‥‥って、おいっ!」

「さすが月華さん、ノリツッコミまで完璧です!」

「紀子、殺す」

「さすがに天丼はしませんよ、はい」

 会場のスピーカーがノイズを鳴らす。観衆のさざめきが波のように引いて、冷徹な空気が張り詰めた。

 そして、場内にアナウンスが響く。



 ───これより飛騨乃花高校と白真弓商業高校の代表戦を始めます。代表選手は舞台に登壇してください



 アナウンスの声は澄んでいて、場内は再び戦い求め始める。わたしはつい「ははっ」と笑ってしまった。

「あ、こういうことか。紀子、よかったわね。わたしら全国決まったじゃん」

 紀子は小鹿みたいに首を振って「え? え?」と声をもらす。

「で、代表戦どっちが行く?」

 紀子がわたしの両肩に手をついて舞台へと押してくる。

「月華さん、お願いしまーーーーーーすっ!」

 紀子が行っても結果は変わらないと思うけど‥‥‥。まあ、紀子から背中を押されるのは悪い気しない。

「ねえ、紀子。どんな勝ち方して欲しい?」

 わたしは首だけシャフ度(アニメ制作会社シャフトでありがちな首の角度)で振り返って、紀子に問いかける。

 紀子は一呼吸置く間もなく、唾を吐きながらこう叫ぶ。

「絶対的な圧勝でお願いします!」

 わたしは唇を舐めて「了解」と言って舞台へと続く道を歩きだす。

 紀子に頼まれたら、そりゃあ圧勝してあげるしかない。アリーナの景色を視界の端で流しながら、どんな声のお芝居をしてやろうかと考えを張り巡らせる。

 短い階段を上って、舞台に戻ってくる。観衆がピーチクパーチク叫んでいるが気にしない。あいつらはただの鳩ぽっぽ。芝居の邪魔さえしなければなんでもいい。

 対面の階段から伊吹山高校のおかっぱのっぽちゃんの一式なんとかさんが上がってくる、練習試合でわたしから紀子を盗もうとした気に喰わない奴だ。



『ただいまより、代表戦の審査基準を説明します。代表戦は、飛騨乃花高校と白真弓商業高校の二校のみを審査対象とします。五名の審査員によるマスト判定で行い、各審査員はどちらかに必ず一票を投じてください。なお、伊吹山高校の代表者にも課題アニメの構成上、出演していただきますが審査対象には含まれません。審査員の皆様におかれましては、飛騨乃花高校および白真弓商業高校の演技内容のみご採点ください。それでは、代表選手は舞台へご登壇ください』



 アナウンスが説明を終えると、一式なんとかは「足引っ張らないよう尽力いたします」と礼儀正しく会釈した。

 飛騨乃花の大将が「あぁ、よろしく」なんていい子ぶりっこで答える。

 その声を聞いた瞬間、お芝居のアイデアが頭の底から湧き上がってきた。

 二人のやりとりをわたしは鼻で笑い飛ばした。紀子をかどわしたり、こあらを泣かしたり‥‥‥こいつら、絶対に痛い目に合わせてやる。

 怒り、憎しみ、妬みが噛み合うとわたしのスイッチが入る。ここんとこずっと調子がいい。これなら、眠ったまま芝居しても勝てる。

「あ、面白いことおもいついた♪」

 わたしがそう呟くと、やたらボーイッシュな飛騨乃花の大将がこちらを見つめる。

「君に勝つよ」

「‥‥‥いや、無理でしょ」

 虫可が『カッコよかったよ』って言ってくれた。でも、足りない。かわいいとか、好きだよとか、愛してるって言って欲しい。そう言ってもらえるようなお芝居がしたい。

 フツフツと形容しがたい何かが内側から溢れてくる。虫可が見てくれているって思ったら、なんだかすごいお芝居ができそうな気がする(ついでに紀子も)



 いつもみたくマイクテストを飛ばして、わたしは体の昂ぶりに震えるのを感じていた。



 あ、やばい。すごいことやれそう。



 代表戦の課題アニメがスクリーンに流れる。



 わたしは肩の力を抜いて、いつもよりあごを引いた。



 そして‥‥‥マイクめがけて“男の子の声”でお芝居をする。



 マイクに乗った声は想像以上に男の子の声で、わたしは自分を疑ってしまう。わたしってこんな声だせたんだ。



 飛騨乃花の大将も男の子の声で返してくる。



 わたしは「何それ?」って思う。男の子の声はこうやってだすんだぞ、って教えてあげる。



 飛騨乃花の大将から甲高い‥‥‥女の子の声が返ってくる。



「なんだ、出るじゃん。女の子の声」



 堪えきれない笑いに口角が緩む。今ならなんでもできそう!


 

 大好きっ♡



 いや、告白はまだ早いか。紀子に茶化されてしまう。



 とりあえず、全国に行くために気に喰わない奴、みんな殺してしまわないと!



 虫可の『カッコよかったよ』が頭のなかでリフレインする。



 彼が見てくれるなら、もっと‥‥‥もっとっ! わたしは声のお芝居が上手くなれる!





 でも、この痛みはなに‥‥‥?






☆月島琥珀


 下唇から血を垂らしたこあらが涙を光らせながら走っていく。ドタドタと重量感のある足音がアリーナの出口に反響して遠ざかった。

 こあらの泣き顔を見た瞬間、ふっと昔の自分が重なった。

 嫌な記憶9割、良い記憶1割。考えなしに大阪の浪花高校なんかに進学して、頭がおかしくなるぐらいこえしばに打ち込んだ三年間。

 何者にでもなれるような気がして、なんのために声の芝居をやっているのか分からなかったあの頃。

 私もよく泣いていた。こえしばで負けた時、勝った時。芝居が上手くいった時、いかなかった時。ほめられた時、おこられた時。

 こあらと同じような顔して校舎の人気のない場所に隠れていた。

 隠れていると決まって、こえしば部の顧問がやってきて、私の首根っこを潰れるぐらい掴んできてお決まりのフレーズを口にする。

「おいガキ、しばくぞオラァ。アニメは終わっとらんぞ? 勝手にやめてんじゃねえぞ、殺すぞ?」

 当時の浪花高校の顧問の先生は、若いころにマフィア映画の吹き替えで一旗揚げた元声優で、私たち生徒は裏で『マフィア』って呼んでいた。

 マフィアは本当に怖かった。私が大学に通いながら声優になると伝えた時も「やめたら殺すぞ、オラァ」と胸ぐらを掴まれた。

 思い返すと、大人としても、教師としても終わってる人だった。だけど、私がこえしばをやめなかったのは、マフィアが恐くてやめられなかったからだ。



 ───あんな風にできなくても、こあらがやめないように私でもできること



 私は月華と紀子に適当に声をかけて、こあらを追いかけるためアリーナの出口へ駆け足で向かう。

 走りながらスマホを取り出して、指先で画面をなぞる。昨晩、何度も書いては消してを繰り返した文章を、そのまま送信した。

 十年近く連絡を取っていなかった相手に、メールは飛んでいく。アドレスはずっと消せなかった。

 送信済みの文字を見て、ポケットにスマホを押し込む。

 総合体育館を出ると、夕方の熱気がふわりと顔を包んだ。夏の湿った空気が肌にまとわりつく。

 オレンジ色の空が残って茜色に滲んでいた。こあらが向かった先は‥‥‥。

 すぐ近くから金属の破裂音が響いている。どうやら近くで草野球の試合をしているらしい。私は迷うことなく金属バットの音がするほうへ駆け出す。

 フェンスを越えると、総合体育館に隣接する野球グラウンドだった。

 ナイターの照明はまだ点いていない。西日が外野を焼き付けて、金色の砂の粒子が舞っていた。

 外野の観客席で膝を抱えて泣いているこあらを見つける。

 あまりにも分かりやすい行動につい笑ってしまう。アルプス席にこあらは一人だった。

 私は息を整えて、ゆっくりとこあらに近づき、隣に腰をかける。

 担任として、顧問として‥‥‥教師として何かいわなきゃならない。

 私は鼻先を軽くかいて、夕空を見上げた。

「‥‥‥こえしば、楽しくないか?」

 カコンッとファールボールが上がる。一塁手がボールを追いかけるが届かなかった。

 こあらは身動きせず、ダンゴムシのように固まったまま口にする。

「‥‥‥わからん」

「私も最初の一年ぐらい、分かんなかったもんなあ」

「‥‥‥‥」

「練習しても上手くなってるかなんて分かんないし、そのくせまわりの芝居はやたらすごく聞こえて‥‥‥しんどかった」

「‥‥‥‥」

「こあら、こえしばやめたい?」

「‥‥‥‥わからん」

 私はマフィアみたいに脅してこえしばを続けさすことはできないからよ。

「そっか。じゃあ、教えてくれ。なんで続けるんだ?」

 こあらが鼻をすすりながら顔を上げる。ここからだとピッチャーマウンドは随分小さい。

「うちな、やきう好きやねん」

「うん、知ってる」

 授業中でもボールにかじりついてるぐらいだ。野球が嫌いなわけない。

「あんな、股関節ケガしてしもうて思うように動かれへんねん」

「それも知ってる」

「でもな、やきうしたいねん‥‥‥って言うとな、みんな嫌な顔すんねん。リトルリーグの時もな、中学ん時もな、うちががんばるとみんなやな顔すんねん。いらんことすんなって聞こえてくんの。うち、たくさん練習して、勝ちたいだけやった。でもな、みんないやがんねん」

 多感な男子中学生が自分よりも練習する女子が同じ部活にいたらどんだけ惨めな気持ちになるか安易に想像できてしまった。

 私も練習熱心じゃなかったから、なんて答えればいいか分からない。

「‥‥‥ツッキとノッリはちゃうねん。うちが無理矢理やらしてんのに、二人ともめっちゃやきうの練習してくれんの。グチグチ言うくせに、アホみたいにうちよりも練習すんねん。ツッキなんか陸上部よりも走りこむし、ノッリは手の豆潰れるぐらい素振りすんの‥‥‥そんなん、あれやんか。うちも負けてられへんやんか」

 あぁ、そうか。そういうことか。こあらがこえしばを続ける理由。

「うちのワガママでやきうやらしてんねやもん。せやから、うちもな‥‥‥



 ───こえしば、やらなあかんねん



 私はそっとこあらの頭に手を置いた。そして、肩を寄せる。



 ───月華と紀子のためにやるんだな、こえしば



 こあらは嗚咽を漏らして、私に顔を押し付ける。

「言わんといてな‥‥‥二人ともアホやから、すぐいじってくんねん」

「あの二人はネジ外れてるからなあ」

「おん、おかしい」

 そういえば、私にも友達がいた。高校時代、マフィアに怒鳴られて泣いている時、プロになって収録が上手くいかなかった時‥‥‥私の肩に触れて励ましてくれる友達がいつも近くにいた。

 今のこあらの近くに月華と紀子がいるように‥‥‥。

 ポッケからスマホをとりだすと、古い友人から返信が来ていた。

『久しぶり! 全然いいよ!』

 ずっと返信しなかったのに、友達はあの頃と変わらないテンションのままだった。

「なあ、こあら。全国大会までの二週間、お前を知り合いに預けようと思ってるんだ。私は教えるのが下手だからさ、こんなことしか思いつかないんだけど‥‥‥どうかな?」

 鼻をすすったこあらが大きくうなずく。

「うん‥‥‥迷惑かけやんぐらい、こえしば上手くなりたい」

 スタンドの向こうに一番星。こあらが戦う顔して立ち上がる。ほんと、強い子。




☆月島月華


 玄関のとびらを開けるなり、母の声が飛んでくる。

「おかえり! 優勝、おめでとう!」

「‥‥‥当たり前だし」

「白真弓で本当によかったわね」

 なぜか母のテンションはいつもより高くて、正直うざい。

「今日はね、紀子ちゃんのお母さんと、こあらちゃんのお母さんと一緒に応援していたのよ。決勝なんか、三人とも泣いちゃって大変だったんだから」

 靴を脱ぎながら、わたしは適当に答える。

「こあらは一回も勝ってないじゃん」

「こあらちゃんのお母さんはね、『うちの子が野球以外の言葉を話すなんて』って一回戦から泣きっぱなしだったのよ」

「‥‥‥どうでもいいし」

 通学バックを押し付けて、くつ下をぽいと廊下に投げ捨てる。

「あ、そうだ。わたしの部屋の加湿器、二台だけ残してあと捨てといて」

 母が目を見開き素っ頓狂な声をあげる。

「え? 本当にいいの? 二台で足りるの?」

「別に。電話すんのに邪魔だから」

 母が拾ったくつ下をたたみながら、やわらかい表情をする。

「月華、なんか変わった?」

「はあ? うざ」

 わたしの嫌悪感とは反対に、お母さんが困った顔して笑う。

「ふふっ‥‥‥晩ご飯できてるよ」

 無視して母の横を通り過ぎると、スマホが震えた。画面を見る。


『全国大会出場おめでとう。応援に行くね』


 虫可からのメールを読んだ瞬間、胸の奥が熱くなって全部が溢れそうになった。

 わたしは思わずスマホを胸に押し当て、クルクル回転しながらリビングのソファにダイブした。

 まぶたを閉じると虫可の姿が浮かぶ。息遣いも唇の感触も思い出して、ため息がこぼれる。

 虫可がわたしを見てくれる。それだけで、世界が一瞬で輝いてしまう。

「‥‥‥なんて返そう」

 ぽつりと出た声は震えていて、自分でも驚いてしまった。


 こんな時、“わたし”ならなんて返す?


 カッコよく? クールに? 小悪魔みたいに? それともかわいく?


 虫可が見てくれる“わたし”をどう演じたらいいんだろう。


 でも、それって本当の“わたし”なの?


 胸が絞めつけられて息が詰まる。代表戦の舞台で感じた、あの苦しさ。

 “わたし”がわたしじゃなくなるみたい。

 虫可はわたしのことを『カッコよかったよ』って言ってくれた。だから、もっとカッコよくなりたい。

 なのに、カッコいい“わたし”よりも、違うわたしを見てって思ってしまう。そして、ただの月島月華のまま、抱きしめながらほめて欲しい。

「‥‥‥ぁ‥‥‥」

 あれ、声が変だ。いや‥‥‥出せない?

「‥‥‥ぁ‥‥‥っ」

 のどが固まってしまっている。息を吸うたびに、空気が針みたく刺さる。

 どうやって声ってだしてたんだっけ。

 わたしは気が狂いそうになって、逃げるようにソファから立ち上がった。

 呼吸を整え叫ぼうとしても、声がでない!


 ───なにこれ? やだ。やだ。やだ。


 ふぅー、ふぅー、と何度も息を吐き捨てる。

 スマホが震える。

「‥‥‥っ?」

 虫可からの返信? でも、彼の名前すらまともに呼べないっ!!!

 わたしはどうしてしまったの?

 わたしの声はどこにいったの?

 ひゅぅ、ひゅぅと声にならない音だけがのどから漏れる。

 スマホの画面がメールの着信を伝えていた。



件名:月華さんへ


拝啓 初夏の候、蝉の鳴き声が聞こえ始める今日この頃、

貴女におかれましてはご機嫌麗しく、

優勝の余韻にひたっておられることと存じます。


さて、先ほどは県大会。ならびに代表戦、大変お疲れさまでございました。


とはいえ、昨晩のわたしの部屋での傍若な態度や

わたしをヘッドロックして締め落とそうとした件につきましては、

いかがなものかと思います。会社だったら労災申請を検討していた所存です。


こあらさんの件はご心配なく。月島先生が対応したとのことです。

入部して初めて顧問の有用性を感じ嬉しい限りです。


全国大会でも、圧倒的な勝利を御披露ください。

あ、でもヘッドロックは禁止でお願いします。

あと、お泊りも当面は禁止でお願いします。


敬具

白真弓商業高校こえしば部 中田紀子



「丁寧かっ!!!」

 思わず床で飛び跳ねた。

「紀子っ、これじゃこえしば部じゃなくて総務部よっ!!!」

 胸の奥のモヤモヤが一気に吹き飛ぶ。

 言葉が泉みたいに次々あふれてくる。

「ほんとっ、律儀なんだか天然なんだか‥‥っ!」

 と、そこでふと気づいた。

 さっきまで凍りついてたのどに、そっと指を触れる。

「あれ、声‥‥出てる」

 震えもつっかえもない。

 ただ普通に、当たり前みたいに声が出ている。

「なんだ、びっくりして損した」

 ほっと息をついた瞬間、キッチンから母の声。

「月華ー、なに騒いでるの? ご飯できたよー」

「はーい」

 今度はちゃんと、大きくて元気な声が出せた。

 スマホを握り直して、紀子にぽちぽち返信を打つ。


『紀子、全国大会のホテルは一緒の部屋だからね』


 送信した途端、紀子の眉間にしわ寄った顔がありありと浮かんできて、わたしはクスッと笑ってしまう。

「なんかいいことあったの?」

 ダイニングテーブルで母の問い。

 わたしは椅子に座りながら肩をすくめた。

「別に」

 でも、ついスマホをお母さんに向かって突き出して言ってしまう。

「見てよ、これ。紀子のメール。女子高生の文章じゃないでしょ? 総務部の広報かよって感じ」

 母は「ふふっ」と笑って、テーブルに味噌汁を並べた。

 わたしはその横顔をぼんやり眺めながら、ほんの少し前まで声が出せなくなっていたことを、自分でも驚くほどあっさり忘れた。



☆松野こあら


 新橋二丁目のガード下に松野寿司新橋店がある。

 一階はカウンター席、二階は座敷、三階は見習い板前の住み込み寮。

 今は誰も使ってへん寮が、うちの東京の拠点や。

 やきうの遠征ん時から、東京に来たらいつもここに泊まっとった。

 大きなスポーツバッグから中学時代のやきうユニホームを取り出す。ほつれた名前の刺繍を直す予定はあらへん。

 ユニホームに袖を通すと、背筋がシャンと伸びる。同時に胸の奥がチクッて痛んだ。

「‥‥‥こえしばの合間にちょびっと体動かすだけや」

 自分に言い聞かせると、余計にむなしなった。

 こえしばの県大会、うちは一回も勝てんかった。うちだけ、全然あかんかった。

 東京に来たのもこえしばの特訓をするため‥‥‥。

 せやけども、「やきうがしたい」って思う自分がおる。なんや、いけへんことしてるみたいな気持ちになってまう。

 ‥‥‥うちはスポーツバッグにボールとグローブを詰め込んで、階段をおりた。

 厨房に出ると、パッパの弟が魚をさばいとった。 

「お、こあら。練習か? がんばれよ」

「おーん‥‥‥ほな」

 パッパの弟さんに適当な返事をして、新橋二丁目の路地に出た。

 生温いビルの隙間風をうっとおしく思いながら、いくつもの信号を渡る。

 歩道をスーツ姿の人らが流れていった。

 スーツを着て仕事するなんて考えられへん‥‥‥なんて、将来の不安みたいなこと思うようになったのはやきうができなくなってからや。

 やきうさえがんばってれば人生上手くいってたのに。『プロ野球戦力外通告クビを宣告された男達』のドキュメンタリー番組で泣くようになったのも最近のこと。

 日比谷公園の緑が見えてきて、うちは木陰にはいる。

 速足で遊歩道を進む。犬の散歩とすれ違う。ワンワンッ! 犬がうちに吠えるけど気にしいひん。犬はええな、ケガしても犬は犬!

 待ち合わせ場所の大噴水広場にやってくる。

 うちはソワソワしながら周りを見渡した。

 スポーツウェアにサングラスをかけた女の人が近づいてくる。

 うちの視界に映る全ての人間が、その女の人に視線を奪われとった。

 ‥‥‥ただもんやない。うちは息をのみ、いつでも逃げれるように体重を後ろにかける。

「あなたがこあらちゃんね? うふふ、本当に野球が好きなんだね」

 うちの前で未確認生物が立ち止まり、サングラスを外す。

 同じ人間とは思えやんぐらいのきれいな女の人が、うちのことを見つめとった。

「はじめまして。私は雪乃冷菓ゆきのれいか。本名は田中穂香───



 ───アイドル声優やってます



 返事をしようとしてもうまく声がだせへん。そんぐらい、目の前の雪野さんがキラキラしてまぶしかった。

「そんなに緊張しなくていいのに。こあらちゃん、今日から二週間がんばろうね」

 うちはやきうの鬼コーチを前にするように直立して答えた。

「おねしゃーーーーすっ!!!」

「あははっ、琥珀から聞いてた通りおもしろい子だ!」

 日比谷公園の噴水が動き出す。しかし、みんな雪野さんのことを見ていて噴水のことなんて存在しないようやった。

 ‥‥‥これが、プロの声優か。恐るべし。





売れっ子声優、雪野冷菓は僕の短編小説『ストーカーでもいっか』の主人公です。クリックしずらいタイトルですが、声優さんのリアルを描けている(と思い込んでいる)小説ですので、次回更新まで暇な人は読んでみてね♪

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