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こえしば  作者: YB


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20/21

#20 少年の影を踏んで

☆中田紀子


 舞台の上、スポットライトを浴びて、自分の呼吸音しか聞こえませんでした。



 ───中田紀子さんの勝利です



 そうアナウンスされた言葉の意味を理解できないでいました。勝利した中田紀子さんがどこのどなたか存じておりません。

 舞台下に広がる観衆はわたしをじっと見つめて息をのんでいました。まるで、アンビリバボーな出来事が起こったような表情です。

 そんな顔されても‥‥‥わたしはどこにでもいる地味で冴えない普通な女の子です。気の利いた一言なんて出てきません。

「中田さん」

 不意に隣から声がしました。振り返ると、そこには伊吹山高校エースの糸田さんが立っていました。いや、さっきまでこえしばで対戦していたのですから、隣にいるのは当然なんですけど。

 わたしは手汗をスカートで拭いて「はい?」と返事をしました。

 糸田さんはわたしをじっと見つめてきます。

「中田さん、好きな小説は?」

 文脈のまるでない質問にわたしは戸惑いながら答えます。

「えっと‥‥好きというかですね、最近読んで面白かったのは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』です。少し前のですけど」

「うん、わたしも好き。他には?」

「え? 他ですか‥‥えっと、えっと。『嘆きの亡霊は引退したい』とかですかね。わたし、なろうの連載の時からハマっていまして。あっ、アニメも見てます」

「うん、わたしも嘆きの亡霊好き。中田さん、漢検は何級?」

「え? えっと‥‥‥漢検は二級です。わたし、糸田さんの気に障るようなことしてしまいましたか?」

「ううん、わたしは、準二級だから」

「あの、なんかすみません」

 わたしは思いきり頭を下げました。中学三年の時、少しでも声の芝居が上手くなりたくて必死に勉強して取得した漢検二級の資格が一体なんの関係があるんでしょうか?

 気づけば、舞台に立つ飛騨乃花の辻さんも、舞台下の審査員も観衆もわたしたちのやりとりを見守っていました。

「負けた理由が分かった」

 糸田さんはそう言って「フフッ」と小さく笑い続けます。

「わたしには難しいね。中田さん、辻さんも‥‥‥ありがとう。すんごい楽しかった」

 辻さんがブワッと涙をこぼして、「わたしも楽しかった~」と両手で顔を覆い隠しました。

 糸田さんの少しふくらんだ下まぶたがわたしの答えを待っていました。

「あの‥‥ありがとうございました。勉強させていただきました」

「それはこっちのセリフ」



 おぼつかない足取りで舞台の階段を下りて、白真弓商業高校の待機場所に戻ってきました。

 月島琥珀先生はわたしの顔を見るなり「チッ」と舌打ちをしてそっぽを向きます。あれ? わたし、勝ったんですよね?

 琥珀先生の隣の平村部長もうつむいたまま顔をあげません。てっきり、部長は飛び跳ねて喜んでくれると思っていましたので、普通にショックです。

 仕方がなくパイプ椅子に座る月華さんの隣に腰をおろします。

「月華さん、わたし勝ったんですかね‥‥‥?」

 月華さんはわたしにスマホのモニターを見せつけました。

「紀子、見て! 虫可が『カッコよかったよ』だって! わたしの芝居、見てくれていたのっ!」

「わたしってほんとに勝ったんですよね‥‥‥?」

「そんなことより、なんて返信すればいい?」

「え?」

「なにすっとぼけてんのっ! 早く、返信考えて!」

「あぁ、なんか現実に戻ってこれました。とりあえず、水飲んでもいいですか?」

「ダメ。一緒に考えなさい」

「まあ、分かりましたよ、はい」

 月華さんがスマホを突き出してきて、頭がコツンと当たりました。

「‥‥‥わたしの芝居、大丈夫でしたか?」

「別に。いつも通りじゃない」

「そうですか」

「ねえ、紀子‥‥‥虫可に告白してもいいかな?」

「いや、駄目ですよ。いきなり告白って、月華さんガッツキ過ぎですって」

 月華さんがけっこう強めに頭突きをしてきました。

「いたっ!」

「紀子、殺す」

「クレベル・コイケみたいな物騒なこと言わないでください!」

「‥‥‥ポペガー」



☆真田芹奈


 総合体育館の廊下で立ち尽くしていた。あたしは気持ちの整理がつかないままぼーっとしていた。

 ワックスでツルツルの床は、少し足を動かすとスニーカーの底がキュッと鳴ってバカにされてるみたい。舞台のスポットライトなんて、ここからだともう別世界。

 次鋒戦で負けた‥‥‥のはそんなに悔しくない。こえしばが甘くないなんてもう十分、分かってるつもり。

 悔しいのは、負けたことじゃない。月華のことを全然分かっていなかった自分がほんとムカつく。

 あたしは何十‥‥‥何百回と月華の声の芝居を聞いて練習したはずなのに、決勝の月華の芝居を聞いて、あたしはただただ悲しくなった。

 月華と出会ってから今まで、彼女は特別で最強な女の子だと信じていた。でも、違った。決勝の月華はほんの少し、しんどそうに見えた。

 もしかしたら、あたしの勘違いかも知れない。でも、勘違いかどうかすら今のあたしには分からない。あたしが真似した最強の月華は、モノマネなんかじゃあ届かない遠い場所にいる。

 キラキラしたいとか、ドキドキしたいとか‥‥‥そんな理由でこえしばをやっているあたしには、絶対に月華に追いつけない。

 あたしは月華のそばにいることさえできないのだ。

 ふいに、白真弓に入学したばかりの頃を思い出す。

 ドキドキしたくて、キラキラしたくて、こえしば部に入ったのに‥‥‥。

 でも、今のあたしは声のお芝居をすることが恐くてたまらない。

 演じれば演じるほど、あたしは前に進めず、月華との距離はわずかも縮まらない。

 涙をごまかすため顔を上げると、対角線上の先であたしのツレ二人とこあらが決勝の課題アニメの練習をしていた。

 ベリーショートの小柄でがっちりとした体格のこあらは、立ったまま激しく貧乏揺すりをしながら必死に台本を読み上げていた。

 そばで練習光景を見守っていた三年助っ人の八木パイセンが「うんっ! いい感じ!」と両手を叩く。

「こあらちゃん、この感じでやれば最後までやれるよ!」

 こあらは唇をとがらせて「うす」って短く返事をした。

 決勝までの三試合、こあらは全部リテイクによる棄権失格。

 でもそれはサボってたわけじゃない。

 県大会の課題アニメが発表されてから、こあらはずっと決勝しか見ていなかった。白真弓が勝ち進み、決勝の舞台に立つことを信じていた。

 早朝の階段の踊り場で、授業の合間の移動時間の校舎裏で、昼休みの音楽室で、放課後のカエデ並木の下で。

 こあらはずっと決勝の課題アニメの練習をしてた。

 それは、声の芝居を始めて四カ月足らずのこあらが勝つために選んだ生存戦略だった。

 アヒル口のモモと、派手な色メガネのレナと、珍しく制服姿のこあらが三人で円陣を組む。

「さあっ、いくでー!」「おーっ!」

 ついこないだまで、退屈で死にそうな顔していたモモとレナもすっかりと夏の顔をしていた。

 月華と紀子はあたしたちと違う世界の住人って感じだけど、こあらはいつでも近くにいてくれるから、なんだか安心する。

「えーーーっ!」

 突然、八木パイセンが大声を上げた。あたしたちはいっせいにそっちを見る。

 今日大活躍だった地味な八木パイセンがのどを鳴らしてゆっくりと話す。

「中田さん、岐阜県トップの糸田さんに勝ったって‥‥ゆってぃからメール来た!」

 去年の冬、県大会の個人戦決勝、伊吹山高校糸田麻美と羽鳥川高校グレース•ロックベルのこえしばを見て、あたしは辞めようと決めた。それぐらい、糸田さんとグレースさんは“別格”だった。あたしがどれだけ練習しても相手にすらならないぐらいに。

(‥‥‥地区大会でグレースさんに、県大会で糸田さんに勝っちゃう紀子って何者?)

 月華の圧倒的な芝居よりも、紀子の何がすごいのか分からない芝居のほうが不気味に思うのはあたしだけ?

「こあらちゃん、いってらっしゃい」

 八木パイセンがこあらの背中を押す。続いて、モモとレナも背中を押した。

 あたしは自分のほっぺを思いっきり叩いて、「うんっ!」と息を吸った。

「こあら、行こっか。もしかしたら、あたしら全国に行けるかも知んないよ」

 こあらは不敵に笑ってみせる。

「行くだけーっ!」



 こあらの背中を眺めながら、総合体育館のアリーナに戻った。

 会場はざわついていた。あちこちから、『月島月華』と『中田紀子』の名前を呼ぶ声が飛んでいる。

 月華と一番過ごしている紀子がどんな芝居をしたのか。帰ったら配信のアーカイブで見よう。

「こあら、頼むからリテイク失格だけはやめろよ。なんか、そういう空気じゃねえからさ」

 ヤンクミみたいなコハティがあたしらを見つけるなり言った。

「先生、プレッシャーかけちゃ駄目ですよ」

 平村部長がコハティの上着を引っ張る。

「おーん。ほな」

 こあらは鼻で大きく深呼吸をして舞台へと向かっていった。

 落ち着かない様子のコハティと平村部長とは反対に、パイプ椅子に座る月華と紀子は頭が重なるほど近づいてスマホとにらめっこしていた。

「紀子、なんかエロいこと考えてよ」

「いやいや、いきなり女子高生からエロいメールきたら普通に気持ち悪いですって」

「ポペガー!」

「いたっ!」

 全国大会出場を賭けた県大会の決勝の舞台を勝利で終えた一年コンビは、会場のざわめきなんて気にも留めず、いつも通りマイペースに楽しんでいた。

「なんか、やっぱりわたしたちとは違うよね」

 平村部長がぽつりと呟く。その言葉はあたしの胸にも同じように響いていた。

「優乃、芹奈。あいつらのことはほっとけ。それよりこあらを応援してやれ」

 コハティがあたしと部長の腕を引っ張る。月華と紀子から遠ざけるように。

 あたしたちは柄にもなく「はい」とおとなしく返事をして、舞台の先を見つめた。




☆松本渚


 一年の針原がオレの肩を叩く。

「渚先輩、全票勝利であたしら全国っす!」

 鼻で笑い飛ばして「そうだな」と言った。

「後悔しないように‥‥‥ね」

 同級生の叶夢がオレに微笑みかける。

「しないさ。負けるつもりもない」

 オレは黒執事のように腰を折る。

「みんな、行ってくる」

 白いスポットライトが舞台中央に一本だけ伸びている。埃が光に溶けて揺れていた。

 踏み出すと、照明の熱が肌にのしかかる。オレはいつも以上に背筋を伸ばして、舞台につながる階段を上った。

 ステージに立つと、観衆が食い入るようにオレたちを見つめていた。

 白真弓商業高校二勝、伊吹山高校一勝、飛騨乃花高校一勝。

 どこが優勝してもおかしくない状況だった。

『松本渚さん、マイクテストお願いします』

 アナウンスの声に促されて、オレはマイクの前に立った。

「マイクチェック、あー、あー」

 低く、落ち着いた声でそう言って、オレは少し顎を上げた。

 会場の空気がわずかに震える。オレのファンの吐息が漏れる。

 のどの奥で響かせる低音は、オレがオレらしくあるための証明だった。

「聞こえる? オレのこの声が」

 観衆に問いかけるように目を細める。声に滲ませるのは自信ではなく、覚悟の匂い。

 ほんの一拍の沈黙を置きにいく。そして───



「飛騨乃花高校、松本渚。推して参る‥‥‥みんな、応援ありがと」



 オレのマイクを通して会場に広がった声に観衆が悲鳴を上げる。オレは口角をわずかに上げた。

「整った‥‥‥本番、行こうか」

 観衆の湧き上がる熱気とともに照明が一段と明るくなった。

 熱が鼓動の波と重なる。舞台はもうオレのものだ。

 続いて、伊吹山の井上絵里がマイクテストを始める。

「伊吹山高校、井上絵里です。マイクチェック、ワン、ツー」

 井上の声は淡々としていた。揺れも装飾もない、まっすぐで経験に裏付けされた丁寧な声。

「あ、い、う‥‥‥あっ、いっ、うっ! えおー、えおーっ! 決勝戦、よろしくお願いします」

 岐阜県こえしばの常勝、伊吹山高校の部長、井上絵里は余分な色気も挑発的な間も挟まないマイクテストだった。

 オレはつい頬が緩んでしまう。

 ───マイクテストだけで勝てるほど甘くないか

 オレが焚きつけた観衆の熱気がすうっと冷めていくのが分かった。

 マイクテストを終えた井上と視線が交差する。お互い、瞬きはしない。もう勝負は始まっている。

 伊吹山の井上に勝てたら、この夏はもう少しだけ終わらない。

 それが三年のオレらにとってどれだけ重要なことか説明するまでもない。

 オレと井上が静かにバチバチとしていると、突然舞台からおかしな音が響き渡る。


「プルルルルルルルルルッ」


 リップロール?

 それも、超大音量の?

 目をやると、そこには白真弓の一年、松野こあらが眉間にしわを寄せて唇をプルルルッと震わせていた。

 あまりにも真剣な顔してリップロールをしてるもんだから、オレも井上もクスッと吹き出してしまった。


「プルルルルルルル」


 こあらのリップロールはいつまでも鳴り響く。すごい肺活量だな。観衆にも小さな笑みがこぼれる。中には「がんばれー」なんて、歓声まで上がる始末だった。

 オレはこあらを見つめる。

 感じたのは懐かしさ。古い夏の匂いがした。オレがまだ男の子だった頃の記憶がよみがえる。

 小学生だったオレは男の子とばかり遊んでいた。

 声も、走り方も、笑い方も、オレは男の子だった。日が暮れるまで駆け回り、転んでヒザをケガしても泣かなかった。

 男の子たちは誰もオレの女の子扱いしなかった。それが、当たり前だと思っていた。

 とある夏の帰り道。一番、仲良しだった男の子に告白された。

「渚の声、かわいいよな。ボク、渚のこと好きだよ」

 その瞬間、オレの世界は崩壊していった。自分が男の子として見られていなかったことに気づいてしまい、オレは男の子でも女の子でもなくなった。

 中学に入る頃には、仲良しだった男の子たちはみんなオレを避けるようになった。いつまでも、男の子のふりをするオレにどう接していいか分からなかったんだろう。

 自分が分からなくなっていく。当たり前だと思っていた自分と周囲の目が矛盾して噛み合わなくなっていった。

 オレは学校を休みがちになり、部屋からも出るのが億劫だった。

 中学二年になって、新しい担任の先生が家にやってきた。オレは胸が膨らんできて、それどころではなかったから、ドアを開けなかった。



「渚さん、そのまま聞いてください。声のお芝居やってみませんか? あなたのなりたい者になるのは難しいかも知れない。でも、アニメの中だったらそれが叶うかも知れません」



 オレはすがるような気持ちで部屋のドアを開けた。そこにいたのは、メガネをかけた小さな女性教諭だった。

 それから、オレはこえしば部に入部し、声の芝居にのめりこんでいった。

 初めて演じたのはファンタジー世界を冒険する少年の声。ようやくオレはなりたい自分になれた気がした。

 こえしばの練習を続けるうちに、女の子だって演じられるようになった。

 そして、オレは高校に進学して、生まれて初めて心の底からカッコいいと思える女の子と出会った。

 菊池叶夢。誰よりも強くて、誇り高い女の子‥‥‥オレの守りたい人。

 こあらのリップロールが鳴りやんだ。

 会場が笑いに包まれる。こあらが納得いかないように「んごぉ」と息を漏らす。

 オレと井上とこあらがマイクの前に並んだ。しんと静まり返る場内。こあらが落ち着かない様子で首を回す。



 ───課題アニメ『サムライバード』監督・桐原由真

 ネギを背負った鴨サムライたちが一族の誇りを守るため命を賭ける。コメディ調の作画に反して、内容は命を賭けた鴨たちの熱い果たし合い。

 桐原由真監督は本作を皮切りに次々と課題アニメを発表し、今では日本を代表する女性監督の一人である。



 夜風、竹林に渡る笹の葉の音。三羽の影が月光に重なる。

 オレは背筋を伸ばして、三本指の水かきで腐葉土を踏みしめた。

「来たな、千羽、燕次。風の声を聴け! 今夜が最後の夜だ!」

 背筋を伸ばし、あごを上げて、腹の底から低音を響かせる。

 オレは“男の声”でサムライバードのキャラクター『鴨丸』を演じた。

 アニメの中だったら、オレはなりたかった自分になれる。男の子にだってなれるんだ。

 舞台の照明が現実とアニメの境界線を溶かしていく。

 観衆の女の子の視線をひとり占めして、オレは前髪をかきあげ流し目で微笑みかける。

 わぁっ! とソプラノの声が聞こえる。フフッ、子猫ちゃんとか心でつぶやいたりして。

 伊吹山の井上絵里が落ち着いた声でセリフを読み上げる。

「あぁ、ネギ剣を抜いたが最後。その刹那、誰かが空を失い夜闇に呑まれるだろう。それでも抜くのか、鴨丸よ」

 オレの芝居と井上の芝居が会場の宙でぶつかった。

 色気を込めたオレの声と、物怖じしない冷静な井上の声が化学記号では表現できない調和を生み出す。

 これが、全国を賭けた決勝の舞台か‥‥‥楽しい! オレの声を演者も観衆も受け止めてくれる!

 そして、燕次のセリフと同時に混沌はやってくる。舞台の上に雷が落ちたような声が轟響く。

「相変わらず熱いね~、お二人さん! 羽が焦げてんじゃないんご?」

 白真弓のこあらの中性的な声は、マイクの音を割って会場の隅々まで通り抜けていった。

 静寂と緊張‥‥‥一拍置いて、笑い。会場が笑いに包まれる。

 オレと井上が起こした調和は完璧だった。完璧だからこそ、緊張感があった。その緊張感をこあらがぶっ壊していった。

 だから笑いが起きた。オレも釣られて笑ってしまい、隣の井上からもクスクスと笑みが聞こえた。

 つうか、勝手に台詞を改変するな、あははっ!

「誇りってやつは、少々焦げたぐらいじゃ落ちねえさ。引き返すなら今のうちだぜ?」

 オレはタブレットを持っていない左手で鎖骨に触れ、前に乗り出した。まるで、用水路の魚を追いかけて走ったあの頃のように。

「鴨丸に燕次。剣をふるう覚悟はできてると言うんだね?」

 井上も一歩前に踏み出す。浮き沈みのある舞台を乗りこなしてやると言わんばかりの声の芝居だ。

 こあらの鼻息、フンガッ! 観衆が身を乗り出す。何が起きるのか、パルプンテを期待している。

「まあ、いいさっ! 誰が風に味方にしてもらえるかな? 実力は五分。運試しと行こうじゃないかっ!」



 ───夏の匂いが鼻をかすめた



 オレは泣き出しそうになった。悲しくも嬉しくもない。痛くもないし、感動してるわけでもない。

 ただ、あの夏の匂いを思い出して胸が締め付けられてしまう。

「いいぜっ! 誇りを語るなら天に身を任せてみようじゃないか!」

 こえしばを始めて必死に作り上げた男の子の声。舞台に落ちるオレの影も見た目だけなら男の子に見える。

 これがなりたかった自分。男の子でも、女の子でもない、オレだけの“わたし”

 そんな、オレの影に並ぶもうひとつの男の子みたいな松野こあらの影。

 ベリーショートに小柄ながら肉付きの良い体。オレと一緒にグラウンドを駆けた男の子たちの姿が重なった。



 ───まさかこんな場所で懐かしい友達と再会するなんてな



 井上の丁寧かつ冷静な芝居が会場を鎮め、すぐにこあらのなんかとんでもない、めちゃくちゃな芝居が場を沸かす。

 オレは自然とこあらを追いかけしまう。勝ち負けよりも、譲れないものをこあらについていけば見つけられそうな気がする。

 どんどん夏の緑光に向かって走るこあらの背中を追いかけて、たどり着いたのは野球のグラウンドだった。

 そこでこあらは眉間にしわを寄せ、険しい顔して白球を投げていた。

 オレはつい声を漏らしてしまう。



 ───そんなに練習しても男の子には勝てないのに



 こあらが投球をやめて、こちらをにらみつける。



「知らん。行くだけ」



 確かにそう言った気がした。

 男の子になれないと気づいて、学校に行けなくなったオレには到底理解できない気迫だった。

 しかし、こあらはマウンドにひざをついてしまった。あらゆる夏の音がエコーする。

 こあらは何度も立ち上がり白球を投げるが、ボールは地面に吸い込まれてホームベースまで届かない。

 それが、こあらがこの舞台に立つ理由。男の子になれなくて身動きがとれなくったオレがこえしばを始めたように‥‥‥。



鴨丸 (オレ)「恐いよな‥‥‥でもそれって生きてる証拠だろっ!!!」



 なあ、こあら! そう思わないか!

 なりたい者になれなくても!

 必死にもがいて、あがいて、生きていくしかないだろ!



千羽 (井上)「声が震えているぞ、鴨丸。我々に敗れる前に恐怖にのまれるぞ」



 いつの間にか、井上は一歩下がった位置で芝居をしていた。

 正面からぶつかり合うより、後方から作品を支えることに徹したのか。それとも、オレとこあらに華を持たせてくれたのか。



燕次 (こあら)「泥にまみれた羽でも笑ってみせよう! 折れても羽ばたけ! この声で同じ空に戻ってやる! 鴨丸、千羽───」



 ───いざ!



 ───飛べ!



 SE:剣閃の音



 ゆっくりとフェードアウト、閉幕





「今日、引退するなんて少しも考えなかったんだけどなあ‥‥‥」

 隣で呼吸を整える伊吹山の井上がかすかな声でつぶやいた。

 肩で息をしながら、オレは井上の言葉を聞かないふりをした。なんとなく勝敗は分かっている。

 最初はどうなるかと思ったが、オレができる最高の芝居ができた。

 こあらはあまりよく分かっていないような顔して、舞台で足踏みをしていた。

 ふと、胸のつっかえがなくなっていることに気づく。

 男の子たちと遊んでいた記憶を思い出すのは、いつの間にか痛みを伴うものになっていた。

 けれど、こあらと同じ舞台に立って、オレはその思い出を、ようやくありのまま受け入れられるようになった。

 簡単なことだ。男の子に拒まれただけじゃない。オレもまた拒んでしまっていたのだ。

 今なら「渚のこと好きだよ」って言われても「わりー、無理(笑)」って冗談交じりで即答できるはず、きっと、もう大丈夫。

 全国に行っても負ける気がしない。

 飛騨乃花のみんなと全国大会に出て、もっとたくさんの人にオレを知ってもらいたい。こえしばの全国大会で芝居をするオレを見たら、あいつらも驚くだろう。

 MCのアナウンスが場内に響く。



『伊吹山高校井上絵里〇票、飛騨乃花高校松本渚四票、白真弓商業高校松野こあら一票。大将戦は飛騨乃花高校松本渚さんの勝利です』



「っしゃっ!!!」

 オレはこぶしを握りしめ、思い切り叫んだ。場内から喝采が上がる。今日、一番の盛り上がり。会場が崩壊しそうなぐらいの熱狂。

 叶夢を探す。すぐに見つかった。舞台の下でこちらを見守ってくれている叶夢に向かってこぶしを突き出す。

「勝った! 勝ったんだ!」

 一緒に全国に行こう! そしたら、叶夢の絶望も少しは希望に変わるはずだ!

 しかし、叶夢は目を細め、今にも泣きだしてしまいそうな表情でオレを見つめていた。

「え? なんで? 全国に行けるのに‥‥‥なんでそんな顔するの?」

 突き出したこぶしの行き場をなくして、オレは戸惑った。

 こあらが「‥‥‥っ」と血が出るぐらい唇を噛みしめ、走って舞台から降りていった。

 伊吹山の井上が「がんばってね」とだけ口にして、静かに舞台を後にする。

 叶夢の表情の理由はすぐにやってきた。



『伊吹山高校一勝七票獲得、飛騨乃花高校二勝九票獲得、白真弓商業高校二勝九票獲得‥‥‥よって、これより飛騨乃花高校と白真弓商業高校の代表戦を始めます。代表選手は舞台に登壇してください』



 ヒタリ‥‥‥場内が静まり返る。呼吸すら忘れてしまったかのように、息を潜め、決勝の盛り上がりを消し去ってしまう。

 観衆は皆、捕食者に目をつけられた小動物のように息を殺す。

 オレでさえ、嫌な汗が額から滲み、玉になってステージに落ちていった。

 遠く舞台下の叶夢が胸の前で手を組み、祈るように目を閉じている。もうそれしかできないと悟ったように‥‥‥。

 アシメショートの切れ長の一重まぶたの少女が隣のマイクに立つ。

 近くで見ると、ぞっとするほど整った顔をしていた。

 まるで、この世の全てに興味がないような態度で、白真弓の月島月華がボソリとつぶやいた。



「あ、面白いの思いついた♪」



 瞬間、会場に広がった夜空



 満月が華のように咲く



 ステージのスポットライトが月光に変わり



 オレの影がゆっくりと消えていく‥‥‥








少年声を出せる声優さんが減ってきました。最近は人気声優さんのモノマネばかりで退屈です。少年声は才能ですけど、それでもチャレンジしてみるべきです。少年声に限らず、どんな声質でも、とにかくやってみないことには何もはじまりません。え? 声が低くてラノベの主人公なんかやれないって? うるせー、とにかく練習しろ! 文句はやりきってから聞いてあげますよ。

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