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こえしば  作者: YB


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18/21

#18 死神の天使

⭐︎菊池叶夢きくちかなむ


 洗い終わったわたしの顔に髪の毛は生えていなかった。投薬治療を始めてから五年。今となっては見慣れてしまったわたしの顔。

 余命いくばくかの普通の女子高生、これがわたしだ。

 自宅の洗面所の鏡に映る頭皮に反射する光をしばらくじっと見つめる。

 中学二年の冬に病気が見つかってから、投薬治療を続け、髪は抜け落ち、体は細くなった。

 わたしにはもう“こえしば”しか残っていない。高校生にとってなんとなく所属していただけの部活は、短い人生の生きている証になるぐらい巨大な存在だ。わたしにはこえしばぐらいしか、分かりやすい物が残っていなかった。

 鏡の端に置いたプラスチックのケースを開けると、中には子供っぽいショートヘアのカツラが丁寧に収まっていた。触れると、毛先が指にひっかかる。頭にかぶせ、耳のあたりを手先で整える。不自然な質感に思わず苦笑いがこぼれる。滑稽だけど、これが、わたし。


 ───最後かも知れない


 高校三年。わたしは体を誤魔化しながら飛騨乃花ひだのはな高校でこえしばを続けてきた。こえしばの全国大会に出場すること、それがわたしの生きる意味、モチベーションだ。

 だから、わたしはこの大会が終わったら投薬治療はやめると決めている。こえしばが終わってしまったら、もう苦しい治療を乗り越える勇気はない。

 鏡に映るのは、もうすぐ死ぬ女の子、これがわたし。

「渚は許してくれるかな‥‥‥」

 思わず呟いて、湿った手のひらで額の汗を拭った。

 松本渚──同じこえしば部の同級生で、わたしの一番の親友。誰よりスマートで、誰よりカッコいい女の子。わたしの憧れ‥‥‥。

「‥‥‥行こう」

 自分に言い聞かせるように小さな声でつぶやく。先に待っているのは天国か地獄か、それとも無くなるだけか。そんなことはわからない、

 でも、確かなことがひとつだけある。



 ───死に近づくほど、わたしはこえしばで負けなくなった



⭐︎中田紀子


 ───次は浜松、浜松です。お出口は右側です


 電車の車内スピーカーから少しかすれたアナウンスが流れました。

 わたしはそっとまぶたを開けます。ゆっくりと減速をはじめた窓の外には工場の煙突が点々と並んで、その向こう側には灰色の空が広がっていました。

 わたしは目をこすって、浜松? 静岡県の浜松? と呆然と考えました。

「‥‥‥ウエッ!? え? え? 寝過ごした!?」

 わたしは勢いよく立ち上がり、反射的に月華さんとこあらさんを起こそうと手を伸ばしました。

 しかし、隣には全く知らないおばさんが座っていて、「あんた、よう寝とっただら」と声をかけてきました。

 状況が飲み込めないわたしは「す、す、すみませんっ!!!」と叫んで、お出口は右側から飛び込んで、浜松駅のホームに降り立ちました。

 ガラス越しに見える駅前広場の端には大きな浜松の立て看板と、楽器メーカーの広告が並んでいます。

「本当に浜松!?」

 うなぎに関してやたらとプライドが高いあの浜松ですか!?

 潮の匂いを含んだ風が吹きました。磯の香りを嗅いで、ようやく岐阜駅を寝過ごし、そこから一時間以上電車に揺られ、浜松駅のたどり着いたのだと理解しました。

 わたしは真っ白になる頭を必死に働かせて、スマホを取り出しました。

「アラームを設定していたはず‥‥‥あ、スマホの電源が落ちてる」

 わたしが真っ黒になったスマホを見つめていると、昨晩の出来事が思い浮かびます。

 マリオパーティーをやっていてとき、こあらさんが「充電借りるで」とわたしのスマホから勝手に充電ケーブルから抜きました。


「充電終わったら、戻しておいてくださいね」


「おーん」


 あのっ、珍獣野球バカ! いっつも、曖昧な返事してっ!!!

 スマホをコンクリートに叩きつけたい衝動が喉の奥までこみあげますが、すんでのところで思いとどまります。

 物に当たるような女の子にわたしは両親に育てられていません。胸にそっと手をあて、深呼吸をしました。

 頭に血の気が戻ってきます。冷静になれば、県大会にわたしがいようがいまいが関係ありません。どうせ、一回戦敗退です。高校こえしばはそんなに甘い世界ではありません。

 地方から本気で声優になりたい女の子たちが、この日のために勉強や恋愛を犠牲にしてこえしばに打ち込んでくるのです。

 ‥‥‥白球を追いかけているわたしたちとでは、本気度が違います。

 そう自分に言い聞かせると、焦燥感が小さくなっていきました。

 わたしは駅ホームの改札に向かいました。そして、Suicaでピッと精算して改札を一旦抜けてから回れ右をして、再び改札にSuicaをタッチします。お金は足りそうです。

 駅ホームに戻り、岐阜行きの電車を待ちます。



 ───月華さんとだったらもしかしたら‥‥‥



 全国に‥‥‥いえいえ、月華さん一人の力で全国大会に出場できるなんてありえません。月華さんが圧勝して、月華さんの鬼の衣を借りた真田先輩が勝てたとしても、残りは厳しいはずです。

 二勝三敗、もしくは一勝四敗。わたしたち白真弓商業高校はそんなもんです。今日、引退する平村部長には申し訳ないですが、これが事実であります。

 何度だって言いましょう。高校こえしばは甘くありません!

 浜松駅にわたしが乗る電車が滑り込んできました。ドアが開いてわたしは意味もなく、足早に乗り込みました。

 そして、電車が動き出します。日曜日なのに、車内は空いていました。わたしは座席シートに腰を落ち着かせますが、すぐに立ち上がり窓の外を眺めてしまいます。

 ‥‥‥もしかしたら、わたしは勝てたかも知れません。あの月華さんの気まぐれに振り回されて、さんざん一緒に練習したのです。月華さんの無茶振りや、理不尽にも耐えてきました。

 わたしはこえしばをはじめて、初めて上達した‥‥‥ような気がしたのです。

 ブンブンと首を横に振ります。

 ありえない! たった数ヶ月、月華さんと一緒に練習したから上達した? 絶対にそんなことありえません!

 上手い人と練習を共にしただけで、上達するならアニメ業界は売れっ子声優だらけです。下手な若手声優がいるから、売れっ子声優が出てくるのです。

 ちょっと月華さんと一緒にいたからって、上達しただなんて‥‥あぁ、いけません。寝不足で頭が働きません。


 ───今年は無理でも、来年なら‥‥‥?


 月華さんに憧れた超上手い子が白真弓高校のこえしばに入部してきて、しかも三人! それで、わたしもギリギリお情けでレギュラーに選ばれて、全国大会に出場できたら‥‥‥。

 ありえない! 絶対にそんなことありえません! 超上手い子は実績のあるこえしば部のある学校に進学します。白真弓高校なんて無名校に絶対にやってきません。

 自分の都合のいいようにばかり考えてしまうのが、わたしの悪い癖です。月華さんと同じクラスになってから、もしかして声優になれるのではないか? そんな期待ばかりしてしまいます。

 すごいのは月華さんです。わたしは全然です。その他大勢のモブキャラ‥‥‥いいえ、モブにすらなれない養成所に月謝だけ納めて、そのまま何事もなく都内でフリーターを続けている、えっと、つまり、ただのフリーターです。

 夢を見るな、わたし。現実を見ろ。近くにすごい人がいても、わたしは一つもすごくありません。だから、自惚れてはいけません。


 ───もしかしたら、一回戦は勝てたかも知れません。


 わたしは車内の液晶ディスプレイの時間を確認しました。県大会が予定通り進めば、一回戦は終わったタイミングです。もしかしたら、二回戦が開始したかも知れません。

 奇跡的に一回戦、勝っていれば二回戦はシード校との対戦です。月華さんは圧勝するでしょうが、流石に次鋒以降は厳しいでしょう。わたしがいても絶対に勝てません。

 わたしは座席シートに腰を下ろしました。そして、すぐに立ち上がります。それから、座っては立ち上がりを繰り返しました。

 岐阜駅に戻ってきた頃には昼もかなり過ぎていました。白真弓高校は敗退して、みんな帰ってしまった‥‥‥と、思いながらもわたしは岐阜駅の改札にSuicaをピッとすると走り出しました。

 腕を大きく振って、鞄を片腕に抱えながらです。今だけは長い髪が鬱陶しい。しかし、髪の長さだけがわたしを現実に連れ戻してくれます。声優になれないから、わたしは髪すら切れない。そして、髪だけ長いちょっと変な女の子‥‥‥キャラづけ。月華さんやこあらさんに到底追いつけない弱いキャラクター。

 片道一キロを走り抜き、見えてきたのは、岐阜市総合体育館──白いドーム屋根が光を鈍く反射しています。

 入口のドアの前には、大会の横断幕がかかっていました。岐阜県高等学校こえしば大会。

 わたしは息も整えぬまま、通路の壁沿いを歩いていきます。もう、月華さんたち帰ってしまった、きっとそうだ。


 ───月島月華、マジでやべーな


 ───月華の次の演技はまだぁ?


 ───引退したけど、月島月華の芝居だけ見て帰るね。そしたら、諦めつくと思うから


 ───白真弓高校ってこえしば強いの? 体験入学行ってみたいな


 心音が口からはみ出てきます。会場の至るとことから、月華さんの名前が聞こえます。なぜ? どうして? どういうこと?

 わたしは意味が理解できませんでした。寝不足と酸素不足でフラフラしています。

「あ、紀子」

 唐突に聞こえた月華さんの声。反射的にそっちに向くと、白真弓商業高校こえしば部のメンバーがいました。

「おい! 紀子、遅刻すんなよ。決勝、始まるぞ」

 ヤンクミルックの月島先生が叫びました。美人がジャージ上下着ても、逆に目立ってしまいますよ?

 って‥‥‥え? 決勝?

 わたしが戸惑っていると、平村部長の友達の八木さんが近づいてきました。八木さんは夏休み前から、こえしば部の練習を手伝ってくれている元・こえしば部の物静かな女の子です。

「中田さん! よかった〜、さすがに決勝の課題の練習してなかったから。頑張ってね!」

 理解が追いつかないわたしを見かねた月島先生が「八木は全勝だぞ」と言ってきました。

「え? だったらわたしより八木先輩が出たほうが‥‥‥」

「無理だよ〜。ヤギー、三人お芝居やったことないから」

 平村部長がフォローを入れてきます。

「ノッリ、汗拭けや」

 こあらさんが石鹸の匂いがするタオルを差し出してきます。わたしはタオルを受け取り、とりあえず顔を拭きました。

「紀子、遅刻したうえ負けたら‥‥‥殺す」

 月華さんがニヤニヤしながら物騒なことを言いました。ぐぬぬ、遅刻? わたしが遅刻したんですか? いえ、まあしたんですけど。上長酌量の余地を訴えますよ!

 ギャル先輩こと、真田先輩が「あ、うちらの名前呼ばれた。みんな、行くよ」と声を上げました。

 真田先輩の背中に、白真弓高校こえしば部の面々がついていきます。

 通路の照明が足元を照らして、わたしたちの影が重なって揺れます。

 わたしは真っ白な頭のまま、その影を追うようにしてゾンビみたいに歩き出しました。



 ───あれ? 決勝ってなんの課題アニメをやるのでしたっけ? セリフが思い出せない!!!




⭐︎菊池叶夢


 わたしの体はとっくに死んでいる。先鋒が呼ばれると、飛騨乃花こえしば部のみんなが順番に、わたしの背中へそっと手を置いた。

「本当にいなくてもいいのか?」

 わたしよりも頭ひとつ分身長の高い松本渚が、いつもの低い声でたずねる。

「うん、作戦通りいこう。月島月華の演技を見たら、引きづり込まれる。わたしは大丈夫。恐いって感情はとっくに捨てた。それより、一日でも長く‥‥‥一緒にお芝居をしよう」

 渚は悲しそうに目を伏せた。ううん、そんな顔しないで。本当に大丈夫だから。

 わたしはステージへと足を踏み出す。スポットライトの熱が足元から這い上がってくる。

 飛騨乃花のメンバーたちが会場をあとにする。月島月華の芝居に飲まれないために。

 同じよう強豪伊吹山高校のこえしば部も会場の出口へと向かっていった。どうやら考えることは同じらしい。月島月華に勝ちたいなら、その芝居を見なければいい。そうすれば、チームは勝てる。

 ステージの中央。マイクの前に横並びになるのは。伊吹山高校二年澤野美登と、白真弓商業高校一年天才月島月華。

 会場が歓声を上げる。あちこちから『月島月華』の名前が響き渡る。チラリと月華の顔を盗み見る。

 アシメショートの切れ長の眼差し。あぁ、わたしと違ってこの世界のメインヒロインのような顔。思ったよりも怖くない。むしろ、可愛い。気だるそうな立ち姿でさえ、写真におさめたくなってしまう。

 審判MCがマイクテストを促した。澤野がマイクに向かって声を出す。


 ───あれ、この声‥‥‥白真弓の顧問、月島琥珀のモノマネだ


 澤野のマイクチェックは元・声優月島琥珀の演じたマジカルアゲハのモノマネセリフだった。

 わたしたち飛騨乃花高校は決勝で白真弓とあたることを予想していた。だから、顧問である月島琥珀のことも事前に調べ上げていた。元・売れっ子声優が顧問を務めている高校なんて私立の名門ぐらいだ。

 姪っ子の月島月華を育てたのは月島琥珀。わたしたちはそう結論づけた。白真弓で注意すべきは、月華と琥珀の二人の月島。

 月華に動揺を与えたいなら、月島琥珀から攻めればいい。

 マイクテストを終えた澤野が月華に挑発的な視線を送る。わずかでも、彼女の精神を壊すように。

 しかし、マイクテストで名前の呼ばれた月華は何食わぬ顔だった。叔母であり、顧問でもある琥珀のモノマネなどまるで気づかぬように、たった一言だけマイクに声を乗せた。


「マイクテストいらない」


 会場がざわつく。さっきの澤野のモノマネに気づいた観衆がわずかにいたはずだ。しかし、月華のたった一言で、観衆は澤野のことなど忘れてしまい、歓声と拍手を鳴らした。

 澤野が「声の神様、声の神様‥‥‥」とボソボソと祈りを唱えている。

 菊池叶夢きくちかなむ、わたしの名前が呼ばれる。わたしは一歩前へ踏み出し、マイクの前に立つ。


 ───神様なんかいない、いるはずない


「マイクテストはいりません。実力で勝ちます」


 予定ではマイクテストの時間をギリギリ、もしくは少しオーバーするぐらいまで使って、会場の雰囲気を変えるはずだった。しかし、わたしの口からでたのは想定外の一言だった。

 少しでも月華に動揺を与えることができたら‥‥と、思い彼女の横顔を盗み見ても、表情に変化はなかった。クソッ、憎たらしいぐらいカッコいい。

 わたしの死んだ体よ、今だけは少しだけ蘇って、お願い。



 ───課題アニメ『別れの朝』監督沖田和史


 汽車を待つ三人。Aは上京するため汽車を待つ、Bは田舎に残り、Cは将来を決めていない。

 そんな幼馴染の三人が、汽車を待つ間にたわいのない話をする。沖田監督が初めてこえしば課題アニメに採用された出世作。

 目の前のモニターでアニメが始まる。森に囲まれた小さなの無人駅。プラットホームには雪が薄く積もり、吐息が白い。線路の先には濃い霧がかかり、木製のベンチには凍りついた落ち葉が散らばっている。

 Aは落ち着ない様子で寒さに体を震わせる。

 Aを演じる澤野がマイクに向かってセリフを放つ。

「さむっ。春って言ったの誰?」

 その声色は、あえて元・声優月島琥珀の芝居に寄せたモノマネだ。

 会場の空気が微かにざわめく。

「昨日の校長が言ったんでしょ? ハルウララかな、って」

 悲壮感に心臓が捕まれる。Aを見送るBの感情が嫌でも伝わってきてしまう。

 右隣の月華の横顔が見たい。でも、見たら負ける。今は勝負の最中だ。感動なんかするな。勝ちにいくんだ。

 CがAとBにほほ笑みかける。

 Cである死に体のわたしは声の芝居をする。

「東京はどうだろう。ここよりも寒いのかな」


 ───死んだ先はここよりも寒いのか


 わたしは明確に死を思い、芝居にのせる。それがわたしが手にした唯一の武器。

 死は面白い。わたしはもうすぐ死ぬから、より面白い死を芝居で表現できる。

「‥‥そろそろ汽車の到着の時間か」

 Aを演じる澤野の声が震えてひっくり返った。

 神になんか頼るから飲まれてしまったのだ。小手先で月華を挑発して、相手にもされずに自分を見失う。

 わたしも病気じゃなければ澤野のような芝居をやってしまっていたかもしれない。

「まだ来ないでしょ。焦りすぎ」

 Bの二つ目のセリフで、月華は会場を置き去りにしてしまった。

 岐阜の真夏を無視して、会場に山村の冬の風が吹く。アニメのなかに誘われてしまった。

「また喧嘩? あんたたち、ほんと変わらなかったね」

 わたしはかろうじてCのセリフを口にした。大きくはミスっていないはずだ。まだ取り返せる。

 じんわりと指先から自分をなくしていく。わたしの死のイメージはいつも指先からはじまる。

 余計なことは考えない。みんな死ぬのが恐い。でも、わたしは自らの死を身近な玩具のようにして遊ぶことができる。

 初めての体験が起きた。

 Aを演じる澤野の声が聞えなくなったのだ。セリフを飛ばしたわけではない。澤野の芝居は今も続いている。

 ただ、アニメのなかで澤野の存在感が消えてしまった。この瞬間、わたしと月華だけがマイクの前に残された。

 月華が口を開き、声をマイクのせる。

「しなくていいよ。向こうで友達作れよ」

 BがAに対して言ったセリフ。けれど、月華の声はCを演じるわたしに向けられていた。

 それは、わたしを殺すためのものだった。

 月華は早々に澤野を殺したように、次にわたしをやろうとしている。

 他人から殺意を向けられたのは生まれて初めてだ。

「強がり言うなって。最後かも知れないだろ」

 月華の殺意に当てられて、わたしは今までにないぐらい自らの死を具体的なイメージとして思い描いていた。


 殺せるもんなら殺してみろ!


 生死の戦いならわたしの独壇場だ!


「寂しいに決まってるじゃん」

 月華のセリフが会場の音を全て吸収していく。すでに泣いている観衆さえいる。わたしだって泣きそうだ。

 課題アニメはエンタメではない。競技として作られた作品だ。声の芝居を見て楽しむものだ。

 たかだか課題アニメで感動させることなんて‥‥‥あっ、しまった!

 わたしはつい右隣の月華の横顔をのぞきこんでしまった。

 隣に立っていたのは、恐ろしいほど美形な死神だった。真っ黒なマントを羽織り、肩に大鎌を担いでいる。人間の死が大好物な正真正銘の死神だ。

 わたしには月華が死神に見えていた。


 ───この子、死ぬのが恐くないんだ


 だから、わたしの死をお手玉のようにして遊べるんだ。

 月島月華はただ声の芝居が上手いだけの女の子じゃなかった。

 もうとっくに壊れてしまっているんだ、わたし以上に‥‥‥。

 わたしは恐怖で足がすくみそうになる。なんとか踏みとどまって、セリフを読み上げるが、次の月華のセリフがわたしをどん底に叩き落とした。


 B「背中を押してやるよ」


 ハッっとまぶたを開けると、病室だった。そこはわたしが死について考え眠れなくなると、いつも辿りつく場所だった。

 パジャマ姿のわたしはベッドにもたれかかり、窓の外を眺めている。今にも落ちそうな枯れ葉を見つめ、命をつなぐ機材たちに囲まれている。

 この場所でわたしが求めるのは、誰にも迷惑をかけずに死んでいくことだった。

 悲鳴も、悪態も、痛がりもせず‥‥‥どこか満足げな表情で死んでいく。

 わたしの最後の芝居はそうあるべきだ。

 その時が来るまで、恐怖に耐えて、上唇を嚙みながら、わたしはこえしばで教わった芝居を続けるのだ。


 不意に顔を上げる

 

 死神の女の子がいた


 死神は───月華はわたしの喉元に大鎌をつきたてた


 こんな可愛い死神に殺されるなら恐怖さえ幾分、柔らぐだろう


「殺すの?」


 わたしは死神にたずねる。


「そんなことより恋バナしない?」


「え? わたし死ぬんだけど」


「生き死になんか興味ない。あのね、わたしも恋してるんだ」


 あまりにも美しく、あまりにも完璧な死神が、あまりにもおかしなことを言った


「わたしは誰の記憶にも残らないように静かに死にたいだけ」


「うそつき」


 松本渚。

 同級生の部活仲間のカッコいい女の子の名前が勝手に思い浮かんだ。

 なぜ、渚の名が浮かんだのか、自分のことなのに理解できなかった。

 死神がほほ笑みを浮かべて、大鎌を振りかぶる。


「やっぱり、恋してんじゃん」


 月島月華が大鎌を振りぬいて、わたしの首を跳ね飛ばす。

 鮮血が病室の壁を真っ赤に染める。

 意識がステージに戻ってくると、わたしは泣いていた。みっともないぐらい大泣きしていた。

 右隣の月華がわたしを見つめて笑っている。


 ───なにカッコつけてんの? だっさ


 芝居を続ける月華のまなざしがそう言った。

 わたしは目をこする。死に興味のない月華を相手に勝つことなんて不可能だ。わたしには死しかないのに。

 それでも、必死に声の芝居を喉からひねり出す。体を揺らし過ぎて、子供っぽいカツラがステージに落ちてしまう。

 わたしはカツラを拾うため手を伸ばそうとするが、こぶしを握って踏みとどまった。まだ、アニメは終わっていない。

 ここまでして、どうして芝居を続けているのか。どうせ死んでしまったら、意味なんかなくなるのに。


 ───わたしの死にかけの体とは違って魂は闘争を求めていた


 残ってたんだ、闘争心。わたし、勝ちたいんだ。

 どれだけ可能性が低くても、何億分の一の可能性があるなら、わたしは声の芝居を続けて勝ちたいんだ!



 これがわたしっ!!!



 Aを乗せた汽車が西にむかって去っていく


 B「行ってしまったな」


 C「うん、お前はどうすんの?」


 B「僕はここに残るよ。都会に興味ないし」


 C「そっか。らしいな」


 B「お前は?」


 C「決められないなあ‥‥別れの朝、か」


 B「違うよ、これは───




   ───はじまりの朝だ




 課題アニメの終幕と同時に、観衆が立ち上がり、和太鼓のような喝采をあげた。

 わたしは涙なのか、汗なのかわからないものを腕で拭って、隣の月華を見つめた。

 二つ下の女の子は呼吸ひとつ乱れない何食わぬ顔で、ぼそりとつぶやく。

「久しぶりに楽しかった」

 それがわたしに向けられた言葉であると気づくのにさほど時間はかからなかった。

「わたしもっ‥‥お芝居がこんなに楽しいだなんて、さっきまで知らなかった」

 落ち着かない会場が満票で月島月華が勝利したことを告げる。

 わたしに後悔はなかった。勝つことよりも大切なことを月華が教えてくれたから。

「声優になりたいな」

 鳴りやまぬ拍手にまぎれて、そっと夢を口にした。

「なればいいじゃない。そこそこ芝居できんだし」

 月華が簡単に言った。

「月島さん、もしかしてほめてくれてるの?」

「別に。でも、僅差だった。わたし、全然本気だしてないけど」

 わたしの心臓が熱を帯び、ドンッ、ドンッ、と音を鳴らしだす。

 月華がステージに落ちたわたしのカツラを拾って、差し出してくれる。

「そんなことより───」

 わたしはカツラを受け取って、月華の言葉をさえぎってこう口にする。

「恋バナしない? でしょ? うん、いつかお酒でも飲みながら語り合おう。お互いの恋の結末をツマミにして」

 月華は天使のような笑みで小指をたてた。

「約束したから」



 ステージを降りると、渚が待っていた。

「おつかれさま」

 いつもの低い声が少しだけ震えている。

 わたしは彼女の胸のなかに体を預けた。

「少し疲れた。これからもっと疲れると思う。でもわたし──




 ───声の芝居をやめたくないんだ




死を予感させる芝居は魅力的です。不安定な人はぜひ声優を目指してみて。あなたの生きづらさは、声のお芝居の世界では才能と呼ばれます。あ、近寄ってはこないでね、めんどいから。

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