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こえしば  作者: YB


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14/21

#14 夏色スクワット

☆中田紀子


 青いユニホームに囲まれた六畳の和室で、わたしは竜なのかナメクジなのか分からないぬいぐるみを抱いていました。

 麻雀の自動卓を囲む月華さんとこあらさんがスマホとにらめっこを始めてかれこれ一時間が経過します。

 三人麻雀に飽きた月華さんはクレヨンしんちゃんぐらい口角を釣りあげて高速でスマホのフリックを打ち込んでいます。たぶん、柿本監督にメールを送っているのでしょう。見た目、クール系女子の月華さんにこんな顔をさせられるのは監督ぐらいです。

 こあらさんは二点差で負けた中日ドラゴンズの試合が終わって、セリーグの他試合をんごんご言いながら見つめています。昨年、中日ドラゴンズから無償トレードで他球団にいった遊撃手が活躍すると、「戦う顔してるやで」とボソボソつぶやきます。

 わたしは美大予備校の時間まで中途半端になってしまったので、帰宅することは諦めてこあらさんの部屋で時間を潰すことにしました。

 こうして一時間近く、わたしたちは無言で自分たちの時間を過ごしました。気まずさや、変な緊張を感じないのは月華さんとこあらさんの良いところです。

 二人はただ自分のやりたいことをやる人なので、話しかけられるまで待機していれば居心地の良い時間が続きます‥‥‥なんて、思う時点でわたしもかなり二人に毒されてきたのかも知れません。

 美大予備校の時間が近づいてきたので、わたしは立ち上がり二人に口にしました。

「すみません、わたしもうでないといけませんのでこれで失礼します」

 月華さんとこあらさんはスマホを見つめたまま同時にこう返事をします。

「おーん」

「ちょっと月華さん。こあらさんのうつってますよ」

 わたしがそう言うと月華さんはピクリと顔を上げて、こあらさんの肩を殴ります。

「その返事やめて」

「なんでや!」

 月華さんとこあらさんの暴力を伴うやりとりにも慣れてしまいました。わたしは鼻でため息をつきます。

「月華さんアルバイト頑張ってください。こあらさん今日はお邪魔しました。県大会が終わったらまた誘ってください」

 わたしがぺこりと頭を下げると、月華さんが「いや」と続けます。

「毎日、こあらんちで遊ぶわよ。バイト遅刻すると、大将が怒ってくるし」

「わたしを巻き込まないでください!」

 わたしは通学バックを肩にかけて、部屋のふすまに手をかけようとしました。そうしたら、勢いよくふすまが開き、目の前にフランス人形のような可愛らしい女の子が胸を張って立っていました。

「月華! 呼ばれたから来たけど‥‥‥何か用?」

 毛先にロールがかった長いブロンドヘアーにお人形のように潤んだ瞳、小柄な体とは正反対に意思の強さを感じる女の子‥‥‥


「桜森ルナさん!?」


 わたしは大声で目の前の女の子の名前を叫んでしまいました。桜森さんといえば同世代で月華さんにつぐこえしばの実力者です。何かのインタビュー記事で東京の常岩盤高校に進学したと読みました。

「え‥‥はい‥‥桜森ルナですけど‥‥」

 桜森さんは今にも泣きだしてしまいそうに言いました。

 わたしはあわてて何度も頭を下げます。

「す、すみません。驚かすつもりはないんです‥‥‥なんで、桜森さんが突然目の前に現れたか理解できなくてですね」

 桜森さんは常盤岩高校と刺繍されたジャージのズボンを握って歯を喰いしばりました。

「だって‥‥‥だって、月華に呼ばれたからっ」

 わたしは「月華さん!」と声を上げながら自動卓のほうへ振り返りました。

「麻雀に誘ったのって‥‥‥桜森さんのことだったんですか?」

 月華さんはいつもと変わらない整った顔たちで平然と口にします。

「そうだけど‥‥‥あ、バイトの時間だ。大将がうるさいからもう出勤しないと。じゃね」

 月華さんは自動卓から立ち上がり、飄々と何事もなかったようにわたしと桜森さんの横を通り抜けて行きました。

「ちょっと、月華さん!」

 わたしの呼び声が月華さんに届くはずもなく‥‥‥。桜森さんが「え? え?」とこの世の終わりのような顔をしてキョロキョロと首を回します。

 その瞬間、わたしはだいたいの事情は察しました。しかし、わたしは今から美大予備校に行かなくていけません。平凡なサラリーマンの父と、醤油工場に勤めている母が無理して通わせてくれている予備校です。そう簡単にサボっていいわけがありません。

「こあらさん! あとは任せました! 本当にすみません!」

 わたしがそう叫ぶと桜森さんが「え? 行っちゃうの?」と蜘蛛の糸に縋る地獄の亡者のように口にします。

 わたしは後ろ髪を引かれる思いで胸を引き裂かれそうになりますが、行っちゃいます! 本当にごめんなさい! 恨むなら月華さんを恨んでください!



☆桜森ルナ


 木目廊下に佇むわたしの横を目力のある女の子が「すみません、すみません」と念仏のように唱えながら走り抜けていく。

 わたしは状況が上手く飲み込めない。なんで、東京から新幹線で二時間かけてやってきたのに月華はそそくさといなくなってしまったの?

 意味がわからなくて、目の前が涙でぼやけてしまう。部屋に残っているのは青い野球帽をかぶった小柄だけど肉付きの良いボーイッシュな女の子だけだ。

「あの‥‥月華は?」

 わたしは思いきって野球帽の女の子に問いかけた。

「おーん? ツッキはバイトんご」

 女の子はスマホを見つめたまま答えてくれた。

「な、なんで‥‥バイトなんて聞いてないもん‥‥」

 わたしは歯を喰いしばりながら続けた。月華が麻雀に誘ってきたのに!

 野球帽の女の子は「おん?」と疑問符を浮かべながら立ち上がり、わたしに顔を近づけた。

「泣いてんのか?」

「泣いてない」

 女の子は眉間にシワを寄せて、まじまじとわたしの顔をのぞきこんでくる。身長は一緒ぐらいなのに、体はひとまわり大きい。

「あれやん、そんなん嘘やん‥‥泣いてるやんか」

 わたしは涙を拭って女の子に背中を向ける。

「泣いてないもん!」

 鼻をすすりながらそう叫ぶと野球帽の女の子はあたかも当然の摂理であるようにこう口にする。

「泣いたらスクワット百回やで! ほらっ、ささっとやるんご!」

 わたしは「なんでなの!」と声を荒げて振りかえった。

 野球帽の女の子と目が合う。


 ───あ、夏色だ


 わたしは喉をふるわせながらそんなことを思った。

「泣いたらスクワット百回するって決まりやんか」

「そんなの聞いたことないもん! 今日は部活でたくさん走ったらもう動けないの!」

「おーん‥‥‥しゃーなし。んじゃ、わいがスクワット百回やるんご」

 女の子はそう言うと、ためらいなど一切見せずわたしの目の前でスクワットを始めた。

「なんでなの? あなたは泣いてないのに」

「チームメイトができひんねやったら、そりゃ、あれやん。代わりにやったらんとあかんやんか」

「え? わたしの代わりにスクワットやってくれているの?」

「おーん」

 女の子が腰を深く落としたスクワットを黙々とこなしていく。

 わたしはいてもたってもいられなくて、見よう見まねでスクワットをする。

「わたしも半分するからっ」

「ええやん」

 わたしは太ももが痛くて泣きそうになってしまうけど我慢した。わたしが泣いたせいでスクワットをしているのに、また泣いてしまったら永遠とスクワットが続いてしまうのは想像に容易い。

「はぁ、はぁ‥‥あのっ! 名前なんていうの?」

 わたしは痛みをごまかすために女の子に問いかけた。

「こあら」

「こあら? 変な名前ね‥‥‥わたしはっ‥‥‥ルナ!」

「ルッナ、よろしくやで」

「うん、よろしく! こあら!」

 自己紹介をしたらなんだか力が湧いてきて、わたしはスクワット五十回をこなしたの。

「もう立てない」

 わたしはひざから崩れ落ちた。こんなにスクワットしたのは生まれて初めてだ。こあらは特に何事もなかったように麻雀の自動卓の椅子に座り、スマホをポチポチと操作し始める。

 わたしも最後の力を振り絞り、立ち上がってこあらの隣に腰をかけた。

「ねえ、こあら。月華のバイトはいつ終わるの?」

「おーん? バイトなんやからそんな簡単には終わらんよ」

「そっか」

 わたしは足をブラブラさせながら部屋を見渡した。ブルカラーの野球選手のポスターが一面と貼られている不思議な和室だ。

「ここってこあらの部屋なの?」

「せや」

「なんか、女の子ぽくない部屋。こあらは月華と仲良いの?」

「おーん? ただのバッテリーや」

「バッテリーってなに?」

「ピッチャーとキャッチャー」

「‥‥‥なにそれ。こあらはこえしば部じゃないの?」

「おん‥‥‥こえしばっちゃあこえしばんご」

「??? 月華のバイトが終わるまでここにいてもいい?」

「ええよ」

 わたしは緊張が解けるのを実感する。月華からメールが来て、部活を抜け出し、タクシーと新幹線で岐阜県の松野寿司までやってくるまでのあいだ、わたしはずっと不安だった。

 そんな不安や緊張はスクワットをしたことで全部どこかにいってしまった。


 ───もしかして、こあらはわたしを安心させるためにスクワットをしたのかも知れない


 そう思ったら、目の前に座る夏色の女の子が好きになった。

 視界がクリアに広がると、わたしの目がテレビに備えつけられたゲーム機を捉えた。

「ねえ、こあらはゲームするの?」

「おーん」

 わたしはぴょんと立ち上がり、ゲーム機のコントローラーを手にした。

「ゲームしよ! わたし、あまりゲームやったことないの!」

 こあらは「ええやん」と言って、わたしの隣、テレビの前で一緒に座った。

「ぷよぷよとか、テトリスはないの?」

 わたしがそう言うと、こあらはコントローラーをもう一つ取り出して答える。

「パワプロしかないんご」

「ぱわぷろ? ってなんなの?」

「やきう」

「あっ、野球ゲーム! やってみたいの!」

「ええやん、ええやん。やろやろ」

「うんっ!」

 ぱわぷろが起動して、テレビに二頭身のかわいらしいキャラクターが映る。わたしはワクワクしながらテレビに釘付けになった。

「しゃーないな、最強軍団の中日ドラゴンズ使ってええよ」

 こあらがわたしの使用する野球チームを選択してくれる。

「え、いいの? 最強のチームを使っても? わたし、勝っちゃうよ」

「んご。ハンデやるわ。わいはイヤやけど巨人使うわ」

「ふーん、ハンデなんかいらないけど。でも、中日ドラゴンズって大谷翔平がいるチームでしょ? 世界一になったってネットニュースで見たの」

「‥‥‥‥‥‥‥せや。中日ドラゴンズは大谷がおって世界一になったんご」

「やっぱり! 二刀流でしょ? 知ってるんだから!」

「‥‥‥‥‥‥‥せや。でも、大谷はゲームでるの嫌いやから使えやん」

「そうなんだ。でも、世界一のチームでしょ? 大谷がいなくても最強でしょ?」

「せやせや!」

「やった! 早くやろ!」

 こうしてわたしとこあらはパワプロをやった。操作方法を教えてもらいながらわたしは懸命に戦った。

 結果は0−29、わたしの操作する中日ドラゴンズの大敗だ。

「‥‥‥中日ドラゴンズ、全然打ってくれないの。わたしが下手だから?」

 わたしが泣くのを我慢して(泣いたらスクワット)そう言った。

「しゃーない、しゃーない。いつものことや」

 勝ったはずのコアラが険しい顔をして言った。

「いつものこと?」

「‥‥‥‥おーん。負けたんやからスクワット百回やで」

「えっ! むりむり! もう無理! 足、動かないの!」

 わたしが首をめいっぱい横に振ると、こあらがすくっと立ち上がる。

「スマソ。ワイがかわりにやるんご」

 そして、こあらが黙々とスクワットをやり始めた。わたしは胸が痛くなった。わたしがスクワットをしないから、こあらがスクワットをやる羽目になっているのだ。

「わたしも十回やるから、こあらは九十回やって!」

 わたしは震える足で立ち上がり、一生懸命スクワットをやった。

 それから、わたしは最強軍団の中日ドラゴンズを使わせてもらって何度もこあらの金満(過去の栄光)巨人軍に挑んだ。しかし、わたしが下手なせいで最強中日ドラゴンズは一度も勝てなかった。

 わたしが負けるたびに二人でスクワットをして(こあらが九十回、わたしは十回)、夜になる頃にはこあらも疲れたように悲しい顔をしていた。

 わたしが操作する中日ドラゴンズの細川が巨人の畠からホームランを打った瞬間、こあらも全力で喜んでくれた。結局、その一点しか取れなかったけどわたしはパワプロが好きになったの。

 わたしが感覚を無くした足でスクワットを終えると、何食わぬ顔したこあらが唐突に口にする。

「もう時間や」

 わたしはキョトンと口にする。

「え? もう遊べないの?」

「おーん。今から素振りや‥‥‥やきうの」

 こあらが部屋の上座に置かれた金属バットを手に持ち、誇らしげに構えたの!

「かっこいい! わたしも! わたしも素振りやりたいの!」

 わたしがぴょんぴょん飛び跳ねながら言うと、こあらがニヤリと笑みを浮かべる。

「ええやん。素振りやろや!」

「やるやる!」

 そうして、わたしはこあらの後ろを追いかけて松野寿司の近くにある空き地にやってきたの。商店街の一角にある空き地は街灯に照らされて明るかった。喧騒とまでいかない人の声が響く、賑やかな場所だった。

 こあらがバットを構えて、「見ときー」と言って、力みないスイングをする。わたしは一瞬で目を奪われた。パワプロの中日ドラゴンズもこのスイングをしたら絶対に上手く打てるのに!

 そう思わせるぐらいこあらの素振りはカッコよかった。

 こあらがバットの持ち手をわたしに渡してくる。

「とりま、やってみ」

 わたしはバットを握って「はいっ!」って返事をしたの。

 そして、こあらのスイングをイメージしながらバットを振った。

「あかん、全然あかん! なってへんわ!」

 こあらがそう言って、わたしの後ろから腕を回して一緒にバットを振ってくれる。

「こう?」

「ちゃう! こうや!」

「こーう?」

「あかんあかん、こうや!」

「こういうこと?」

「ちゃうやで! ここをこうこうこーう!」

「こうこうこーう!!!」

「せや!」

 わたしはこあらに野球の素振りを教えてもらって、手に力が入らなくなるまでバットを振り続けた。



 グルルルっとお腹の音が夜の空き地に響いて、わたしは朝から何も食べていないことに気づいた。

「‥‥‥お腹すいたの」

 わたしが両手でお腹をおさえて腰を曲げると、こあらがブンブン素振りをしながらこう口にする。

「おーん、ほんならメシにしよや」

 わたしはブルブルと首を横に振った。

「‥‥‥新幹線とタクシーでお金なくなっちゃたの」

 Suicaの残高は五百円を切っている。現金は持っていない。

「えーよえーよ。お金なんか、やきうしたらそりゃあ、腹減るんご」

「え? 奢ってくれるの?」

「おーん? おごらへんよ。飯は家にあるやんか」

 わたしはキョトンとしながら、空き地をあとにするこあらについて行って、松野寿司に戻ったの。

 ガラガラと音の鳴る引き戸を開けて、わたしは「あっ!」って思い出した。

「月華は? 月華はどこにいるの?」

 わたしがそう叫ぶと、近くでテーブルを拭いている丸顔の女性店員さんがすぐ答えてくれる。

「月華ちゃんならさっきお迎えがきて帰ったわよ」

「え? なんで‥‥‥」

 わたしは砂埃のついた高校指定のジャージの裾を握った。視界が潤んできて、肩が震えだす。

「おん? 泣いてんのか?」

 こあらがまじまじと顔をのぞき込んでくる。わたしはもうスクワットするのは本気で嫌だから、ギュッて目をつむって首を振った。

「泣いてないの! 絶対に泣いてないの!」

 わたしの背中をこあらが叩く。

「ええやん、メシにするんご」

 片付けの最中の寿司屋のカウンターテーブルに落ち着くと、すぐにてんこ盛りの寿司が運ばれてきた。

 わたしは唾液の分泌を感じながら、隣のこあらの腕を掴んだ。

「お寿司! もらっていいの?」

「ええよ、ええよ。どーせ、あまり物んご」

 厨房から「うるせえ!」と乱暴な声が聞こえたが、わたしは我慢できずにお寿司に手をつけたの。

 それは、細胞を蘇らせるのに十二分の味だった!

 塩っけの効いたお寿司はわたしの初心毛を逆立たせ、食道から胃に落ちるまでのわずかな瞬間に溶けて吸収された。

 わたしの体が回復していく。嫌なことは今だけ忘れて、わたしはお寿司に舌をうったの!

 ‥‥‥っていうのも束の間。お腹が膨れてくると、わたしは今晩泊まる場所がないことを考えなくてはいけない。

 月華の家に泊まるつもりでいたから、わたしはなんの準備もしてこなかった。着替えもお金も何もない。

 わたしは寿司下駄に乗っかった最後の穴子寿司をほおばり、こあらに聞いてみる。

「こあら、あのね、あのね。わたし、今日ね、泊まる場所がなくて」

 涙を堪えてそう言うと、こあらは「んご」と答えてくれる。

「そんなん、あれやんか。うちに泊まってたらええやんか。ほな、風呂いこか。背中流してや」

「ほんとう?」

「おーん」

 こあらが席を立って、わたしもすぐ追いかけていく。そういえば今日は夏休みの初日。夏色の女の子にこうして巡り会えたことは物語のようだと思ったの。

 わたしはついつい泣きたくなってしまうが、もうスクワットをするのは嫌だったから、同じ背丈のこあらの背中に飛びついて「イヒヒ!」ってごまかしたの。

「やめい!」

「やめないの!」

 だって、泣いているのがバレたらまたスクワットさせられるもの!




全力で芝居をする!なーんてのは声優なら誰でもやってきます。特別なことなんてひとつもありません。特別になりたいなら、どうやって相手を負かすかを考えなくてはいけません。相手ってのは共演者だったり、ディレクターだったりです。マイクの前に立ったらその先には勝ち負けしかないです。

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