#12 海を越えて
☆庵条陽子
ガラガラガラ。教室の引き戸を開ける。早く来たつもりだったのに宇春とグレースはすでに席に座っていた。
「おはよう」
わたしはそう言って、自分の机にカバンをおろす。
「おはよう」「‥‥‥悠久の楔より目覚めたか」
「グレース、普通に話してよ。それめんどくさい」
わたしは席について、なんとなく天井に目をやった。蛍光灯がLEDに変わったのはつい最近のことだ。
「部長、体調は大丈夫なのか?」
ハンサムショートヘアーで目つきの悪い宇春がこっちにやってくる。
「うん、日曜に点滴うってもらったら治った」
「部長の顔、ひどかったもんね。ゾンビ声優として売り出したら、ゾンビの吹き替えの仕事がたくさんもらえたかもね」
グレースもそう言って、クスクス笑いながらこっちにやってくる。
わたしは二人の顔を見て、「ごめん」って言いたくなるけど、二人の顔にも「負けてごめん」って書いてあったから、代わりの言葉を口にする。
「悔しいね」
宇春とグレースは口をへの字にして、眉間にシワを寄せた。
「あの子たち、ずるい」
わたしは二人が泣いてしまわないように搬送先の病院で思っていたことを口にする。
「だって、一年生だよ? まだまだ、時間あるのに‥‥‥わたしたちはこれで終わりなんだから、さ」
「いや、月島月華は無理。あれは、人間じゃない。悪魔とか死神とかそういう種類の生き物。時間とか超越してるから、学年とか関係ない」
宇春が興奮している口ぶりで、手を頻繁に動かしながら言った。
「宇春は月島さんのファンになっちゃったんだよね?」
グレースがからかうように微笑む。
「っつ‥‥‥月島月華はすごい。あんなにカッコイイ声優、憧れないわけがない」
宇春が瞳を爛々と輝かせてている。同じ舞台に立ったからこそ理解できる月島月華の凄みがあったのだろう。
「中田さんは‥‥‥正直、最後まで分からなかったなあ。わたし、めちゃくちゃ絶好調で、すっごい楽しかったの。声の芝居って楽しいなって。わたしは今、無敵なんだって。だから、勝ったって思ってた」
グレースが青い瞳を潤ませながら言った。
「映像見たんでしょ、今はどう思ってるの?」
わたしがそう言うと、グレースは宇春に抱きついてぬいぐるみ代わりにする。
「うーん、分からない。技術も声も演技も負けてないって思ってる。でも、一つだけ‥‥‥中田さんのほうがわたしよりアニメが好きだった」
グレースが宇春の胸に顔を押しつける。
「わたしもアニメが好き! でも、中田さんはもっと好きだった! だから、負けた‥‥‥負けちゃった」
グレースのすすり泣く声が三人しかいない教室に響く。
わたしは‥‥‥
「わたしはこあらさんがこえしばを嫌いになったら申し訳ないって思ってる。こえしばをはじめて十年、過呼吸起こしたのはあれが最初で‥‥‥最後。それに、こあらさんを巻き込んでしまった」
わたしは立ち上がり、二人を抱きしめる。
「負けてごめん‥‥‥本当にごめんね」
わたしが思わず言ってしまうと、グレースが嗚咽を漏らし「わたしも負けたから」と言い、宇春も「負けたのは‥‥‥」と泣いてしまった。
朝早く来てよかった。こうして、みっともなく泣いているわたしたちを誰にも見せたくないから。
☆月島月華
はぁ〜、紀子もこあらも悩みゼロみたいな間抜けな顔して羨ましいわ。
「ちょっと、月華さん。心の声、聞こえてますよ」
「別に。紀子とこあらに聞かれてもどうでもいいし」
昼休み、食堂の隅の席でわたしたちは集まっていた。わたしはこあらの寿司を口に運び、その美味さに悶絶する。
「うっま〜。なにこれ、反則でしょ? 柿本さんと二人きりのデートで行った高級フレンチよりも、こあらんちの寿司のほうが千倍美味しいわ」
わたしはこあらのほっぺをつつきながら言った。
「やめ!」
こあらが手を払いのけてくる。褒めてやってるのに、なんだその態度は。
「いやでも、本当に美味しいです。わざわざ、お寿司を多めに持たせてくれるなんて、こあらさんのご両親にはお礼しないといけません。あ、こあらさん、こちら献上品の卵焼きです」
紀子がマグロを食べ終えると、だし巻き玉子をこあらの弁当のふたに置いた。
「紀子、別に気遣いしなくていいわよ。こあらんちに、余るほど寿司はあるんだから」
「寿司屋に寿司があるのは当たり前なのでは‥‥‥そういう問題ではなくてですね」
「そんなことより‥‥‥はぁ〜、紀子とこあらはいいわね。悩みなんてなさそうで」
わたしは首を横に振って、肩をすくめる。紀子が箸を止めて、レモンでもかじったような顔をする。こあらはいつも通り中日ドラゴンズの二軍戦を見るのに夢中だ。
「‥‥‥月華さん、県大会の課題アニメどれがくると思いますか?」
「はぁ? そんなん、どうでもいいし! 課題アニメの台本なんか適当に全部覚えとけばいいでしょ! それより、わたしは悩んでるの!」
察しの悪い紀子に苛立つ。わたしが悩んでるって言ってるのに、なんでそのことを聞いてくれないのか意味不明である。
「うぅ‥‥‥月華さん、柿本虫可さんとデートしたんですか?」
紀子が心底嫌そうな顔をして尋ねてくる。聞かれた以上は、わたしも答えないと失礼だな、うん。
「デートじゃないし。ただ、ちょっとディナーを食べに、ね。虫可って‥‥‥あ、柿本さんから名前で呼んでって言われたから虫可って呼んでるんだけど。虫可も月華って呼んでくれるし。ってか、紀子! なんで、わたしと虫可が名古屋デートしたこと知ってるのよ!」
わたしは紀子の肩をパンチして言った。紀子は「痛いですよ!」と口にして、わたしにスマホの画面を向けた。
「月華さんが名古屋でコスプレデートしてたってSNSで噂になってますよ」
わたしはスマホの持つ紀子の腕に爪を喰い込ませて、スマホをにらみつけた。
そこには、馬鹿みたいな衣装で写真に映るわたしと虫可の姿があった。
「紀子、これって?」
「爪がっ‥‥‥月華さんは有名人なんですから。こんな目立つ格好で男の人と出歩いたらこうなりますよ」
「この画像どうやって保存するの? うわっ! いっぱいあるじゃん! 柿本さんカッコイイな」
「保存って‥‥‥ご自身でSNSのアカウント作って‥‥あっ! 駄目です! 月華さん、わたしが代わりに保存して後で送りますから!」
わたしは話の分かる紀子に「早く送ってよ!」ともう一回肩パンチをお見舞いした。
その時、真田芹奈が二人のギャル風の女の子を引き連れてやってきた。
「ツッキーの服、ダサくない? それで名古屋はないって〜」
日焼けしたギャルメイクの芹奈の言葉にわたしは苛立ちを覚えるが、写真の自分の衣装が痛いことは百も承知してる‥‥‥虫可の衣装だって、改めて見るとわたしのより『ない』
「違うの! たまたま、私服を全部洗濯してて‥‥‥それで、唯一残ってたのがお姉ちゃんのダッサイアイドル衣装だけだったの! わたしだって、こんな服ありえないって思ってたけど‥‥‥お姉ちゃんの月島先生がこれしか残してなかったんだから‥‥‥しょうがなくって感じでさ」
わたしは顔が熱くなるのと同時にお姉ちゃんに対して憎悪が湧いてきた。よりによって、なんであんなダサいアイドル衣装を残していたんだ!
「へえ、そうなんだ。ツッキー、放課後いろいろ聞かせてね」
芹奈がウィンクをしてわたしの肩を叩く。
「‥‥‥うん、別にたいした話じゃないけど。する、全部する」
わたしが芹奈にそう言うと、紀子が突然叫び声を上げる。
「あのっ! 月華さんは柿本監督と‥‥‥お付き合いしているのでしょうか?」
昼休み、騒々しい食堂の時間が凍りついた。
「はあ!? わたしと虫可が付き合ってるわけないじゃん! 虫可はアニメ監督なの! 付き合う暇ないから‥‥‥でも、キスはしたけど。あ、紀子にならわたしと虫可がキスしてる写真見せてあげてもいいけど」
「ええっ!? 付き合ってないのに、ち、ち、ち、ち‥‥‥チッスしたんですか!?」
紀子が目力のある瞳を大きくかっぴらいて、わたしの腕を引っ張った。
「別に‥‥‥キスぐらい普通でしょ。まあ、虫可もはじめてだったらしいけど」
わたしの目の前で紀子が口をパクパクさせている。
「こらこら〜。ツッキー、こんな人前でキスしたとか言わないの。相手にも失礼になるからね。のりちゃんもこういう話は時と場所をわきまえなさい」
芹奈がわたしたちに肩を組んで言った。
ふと、周囲を見渡すと食堂の隅であるこのテーブルに視線が集まっていた。
「紀子のせいだから」
わたしは紀子をにらみつけて言った。
「うぅ、すみません‥‥‥でも、わたしだって被害者なんです」
紀子は自分の弁当からだし巻き玉子を箸で掴み、わたしの弁当箱のふたに置いた。
「そんなことよりさ!」
芹奈がわたしたちから離れて、後ろにいた女の子二人の隣に立つ。
「こいつら、元こえしば部なんだけど、ちょっと相談があってさ。聞いてあげてくんない?」
わたしと紀子が同時に芹奈のツレに目をやる。日焼けした芹奈とは違う、色白な二人のギャルがモジモジと口を開ける。
「あたしら、こえしば部はやめちゃったんだけど〜」
「でも、やめてから特にやることなくて。なんかつまんなくてさ」
「うんうん、だからね‥‥‥」
わたしの耳元で紀子が「せっかく県大会行けたのに今さら復帰されても」と呟いた。わたしはその言葉を聞いて二人組のギャルに強烈な嫌悪感を覚える。
白ギャルの一人が頭を深く下げて、こう叫ぶ。
「うちらも野球の練習に参加させてください!」
わたしと紀子は同時に「野球!?」と声を上げた。
隣にいたこあらがタブレットを伏せて、足を組んでアゴに手を置き口にする。
「うむ、話を聞くンゴ」
「あたしら、中坊時代ソフトボールやってたんだけど〜。しら高って部活ないじゃん。だから、適当にこえしば部に入ったんだ」
「いきなし声優とか言われてもわかんなくてやめたんだよね。でも、こえしば部が本格的な野球の練習してるの見て、なんつーか、血が滾るっていうの?」
「そうそう! こあらさんのグラブ捌きやばいっす! ソフトとは勝手が違うかもっすけど、あたしらに野球を教えください」
───おねしゃす!
色白ギャルが二人同時に頭を下げる。少ししてこあらが静かに立ち上がった。
そして、ゆっくりと近づき、二人の下半身に触れる。
「‥‥‥あかん、サボったな」
こあらが肩で息を吐いて、頑固親父のような顔をする。
「そこをなんとか!」
「初心にかえってなんでもします!」
二人がすがるようにこあらの腕を掴んだ。こあらは両腕を組んで唇をへの字にする。
「‥‥‥やきうは甘くないんご。きついやで?」
「はいっ! 覚悟のうえっす!」
「あたしら、これ以上太るとマジでやばいんです!」
こあらが二人にこぶしを差し出して、瞳をキラキラと輝かせる。
「合格ばい! 一緒にやきうしようぜ!」
「はいっ!」
二人のギャルもこぶしを差し出した。そして、こぶしとこぶしがぶつかり合う。
「‥‥‥なんなのこの茶番?」
「‥‥‥理解しかねます」
わたしと紀子がそう言い合って唖然としていると、背後から突然、声をかけられた。
「月島さん、のりちゃん。わたしもいいかな?」
振り返ると、声の主はこえしば部、部長の平村優乃だった。優乃は腰を低くして丸顔を申しわけなさそうにする。
「何か?」
わたしがそう問いかけると、優乃は隣にいた真面目そうな女子生徒を紹介する。
「この子も一年生の時にこえしば部だったんだけどやめちゃって。それからも仲良くしてて、県大会に出場するって教えたら、手伝いたいって言ってくれて。ほら、県大会の決勝って三人で演技する『セッション』形式でしょ? 練習相手は一人でも多い方がいいかなって」
女子生徒は前髪で目が見えない明らかに冴えない感じの女の子だった。
「あの‥‥おこがましいと思いますが、配信で月島さんと中田さんの演技を見て何かできないかって思って、いてもたってもいらませんでした。サンドバック代わりにしてください!」
モソモソ声の女子生徒の話を聞いて、わたしはさも当たり前のように口にする。
「だってさ。紀子、どうする?」
「えっ!? いいんじゃないでしょうか‥‥‥(なんでわたしに聞くんですか)」
「紀子がいいって。わたしも紀子もセッション形式はあまりやってないから、ちょうどいいかも」
「(よく先輩にそんな態度で話せますね)」
優乃が「やった」と言って、冴えない感じの女の子とハイタッチをする。
「ヤギー、よろしくね!」
「ゆってぃ、ありがと! 足を引っ張らないように全力でサポートします」
そして、話の流れのまま食堂の隅のテーブルはこえしば部(やきう部)で埋まってしまった。
わたしたちはまとまりのない話題を繰り出しながら、こえしば部(やきう部)の今後の活動について話し合ったのだった。
こんな風に、わたしのまわりに人が集まるのは初めてだった。
生まれて初めて、こえしばをやっていて良かったって思った。
このことは内緒にしよう‥‥‥でも、虫可には話したいな。
☆グレース・ロックベル
昼休み、わたしと庵条と宇春は教室をでた。そのまま何も言わず到着したのは、体育館の外階段の踊り場だった。
ちょうど日影のできた欄干に背中をくっつけて、牧本沙織と立川希美が肩を並べてお弁当を食べていた。
庵条が軽く手をあげ挨拶して、わたしたちも欄干に背中をつけた。そして、それぞれが持ってきた弁当をひざの上で広げる。
寝癖でボサボサ髪の副部長、牧本がのほほんと口にする。
「負けましたなー。あ、こういうの早く言ったほうが気まずい時間が少なく済むと考えてますので、さっそく言ってみました」
七三分け丸メガネの立川が半紙に達筆で書かれた『青春』のふた文字をわたしたちに見せてくる。
「これも青春‥‥わたしは推薦で国立大学に進学する。まだ、具体的な将来は決められないけど、資格いっぱいとって手堅い人生を歩む」
立川が小さな胸の前で手を握り、フンスカと宣言した。
牧本が手を上げて、咳払いしてから口にする。
「わたしは母の勧めで看護大学ですな。手術の助手とかやってみたいです」
「牧本に手術されるとか勘弁だわ」
庵条が鼻で笑って言った。
「わたしは手術しないですよー」
続いて宇春が頭をかいてから口にする。
「わたし、中国に留学しようって思ってんだ。親戚が日本向けのゲームの開発していて、中国の大学に通いながら手伝ってみようかなって考えてる」
宇春は親の都合で日本に引っ越してきて、昔は言葉や文化の違いにかなり苦労したと聞いていた。
そんな、宇春が再び中国に戻って、日本向けの仕事するということがどれだけの意味を持つのかわたしには想像もつかない。
わたしみたいに日本文化に惚れこみ、親の反対を押し切って日本にやってきたわけじゃないのだ。
「素晴らしい信念を貫く覚悟‥‥‥いや、むしろ進化の過程と歓迎するものか」
わたしが称賛を口にすると、みんなから「ノムリッシュ禁止!」と指をさされてしまった。
庵条が「うん、決めた、今決めた!」と自分に言い聞かせるように口にする。
「わたしは東大を目指す。東大現役合格、それぐらいしないと決勝を途中棄権してしまった埋め合わせにならない」
「部長なら問題なしです」
牧本がそう言って、庵条の肩を叩いた。
そして、視線がわたしに集まる。
わたしはよっこいしょっと立ち上がり、腰に手を当て四人の前に立った。
「わたし、グレース・ロックベルはプロの声優になるためにまずは大手声優事務所が運営する養成所に入所することを目指します! 養成所では今まで以上にお芝居の勉強をして、たくさんの人に顔を覚えてもらいます! それで、有名な声優事務所に所属して、セリフの少ないゲームや洋画の吹き替えをしながら着実に実績を積み上げます。最初は仕事もないでしょう。セリフが一つ、二つで終わる役ばかりでしょう。もしかしたら、声優以外の仕事をやることになるかも知れません。でも、どれだけ苦しくても悲しくてもわたしは大丈夫。みんなと一緒に声の芝居をやった日々を思い出したらきっと大丈夫! アニメが好きだって、声の芝居が好きだって、みんなが夢を見させてくれたから何度だってそう言える。いつか、いつになるか分からないけど‥‥‥わたしが演じるアニメのキャラクターがこの国で人気者になったら、みんなに思いきり自慢してあげる!」
目の前がぼやけて見えなくて、わたしは誤魔化すように夏空を仰ぎ望んだ。
青のグラデーションに飛行機雲が伸びていく。
これは、とある少女の物語だ。
スクールから家に帰る決まった時間に、テレビでやっていた海外のアニメ。少女は宿題なんか忘れて、アニメに夢中だった。
アニメが最終回を迎えた時、少女はショックでスクールを休んでしまった。それぐらい、少女にとって海外のアニメは特別な存在だった。
少女は最終回の寂しさを埋めるように、海外のアニメについてがんばって調べた。
アニメは随分古くに日本で作られたものだった。
そのアニメのアニメ監督は、遠い東の異国で伝説として語り継がれている作家だった。
名前は『裏地十五』という。少女が調べた時にはすでに故人であった裏地監督は、日本で『こえしば』なる競技の発起人だった。
それから、少女はのめり込むように日本のアニメを、日本の文化を、日本の言語を、そして『こえしば』について勉強した。
少女は十五歳になって、単身海を越えて日本の田舎にやってきた。
羽鳥川高校で念願のこえしば部に入り、二年の個人戦では全国大会にも出場した。
しかし、全国大会三回戦敗退程度では声優事務所からスカウトされることはない。
少女が声優になるためには、声優養成所というある種、こえしばより厳しい戦場に身を置いて勝ち続けなくてはならない。
海の向こうで夢みた少女の物語はこれで終わり。
こっからは、『わたし』の物語!
さあ、もう一度、海を越えて!
アニメは一人では作れません。このことの本当の意味を知る人はあまりいないです。




