#11 日曜日の舞台裏
☆中田紀子
目が覚めると見飽きた天井でした。わたしは眠りまなこでベッドボードのスマホを手にとり、昨日のこえしば地区予選大会の動画を再生します。寝る前にもさんざん見た動画ですが、起きてからも何十回と見たいもんです。
だって、わたしがあのグレース・ロックベルさんに勝ったんですよ!
昨年の冬、冬季高校こえしば個人大会決勝。羽鳥川高校のグレース・ロックベルさんと伊吹山高校の糸田麻美さんのこえしばは間違いなく伝説でした。会場を沸かせる演技のグレースさんに対して、糸田さんは文学的な深い芝居をします。
噛み合わないと思われていた二人の芝居は、化学反応を起こし、観衆を興奮させました。会場にいたわたしも手に汗を握り、二人のこえしばを口を開けて呆然と見つめていました。
勝敗は糸田さんが四票、グレースさんが三票。糸田さんの僅差の勝利。審査結果を聞いた瞬間、二人が示し合わせていたように手を握りあった光景は忘れられません。
そんなグレースさんにわたしは勝って、県大会出場を決めてしまったのです!
これは、大変なことです。どのぐらい大変かというと、テツ&トモがM1グランプリで優勝してしまうぐらいありえないことです!
スマホに映る昨日のわたしは焦点の合っていないひどい顔をしていました。残念なことに、わたしは昨日の自分の芝居を覚えていません。体調不良で頭がぼーっとして記憶がほとんど残っていないのです。
もし、もしですよ? いや、ありえない話なんですけど。わたしが昨日の芝居をいつでも引き出せるようになったら、もしかしたら、ありえないと思うんですけど‥‥‥声優になれるかも知れません。
そう考えたら、わたしは落ち着かなくなって、すぐに発声練習をしたくなりました。
いくら防音リフォームをした部屋だからといって、大声を出したら家族に怒られてしまいます。
わたしはベッドから起き上がり、日曜日の学校に行くことにしました。
白真弓商業高校の自転車置き場からグラウンドへ向かって歩いていると、まだ朝なのに聞きなれた声が聞こえてきました。
「ファイ! オーッ! ファイ! オーッ!」
グラウンドにいたのは野球ユニホーム姿のこあらさんでした。
こあらさんは一人グラウンドで気合を出し、走り込んでいました。
───本当に野球が好きなんですね
わたしは泣いてしまいそうになりました。どうして、神さまは彼女から野球を奪ってしまったのでしょうか。野球部のない高校に進学したのに、野球がやめられなくてこあらさんは苦しんでいます。
わたしはこえしばが好きです。声優になりたくて、死にたくなるぐらい、声の芝居が好きです。
もし、わたしが声優になれず、いつか声の芝居ができなくなったら‥‥‥。
わたしは恐怖で足がすくんでしまいます。芝居ができなくなっても、こあらさんみたいに日曜日の学校にやってきて一人でこえしばをする根性わたしには‥‥‥きっとありません。
わたしは涙を拭ってから、走り出しました。
「こあらさーん! わたしも付き合わせてくださーい!」
「ノッリ? 今日、部活ないやで」
こあらさんは足を止めて、わたしに言いました。
「大声出したくて来ちゃいました。一緒にファイ! オー! 叫んでいいですか?」
わたしは通学バックを適当に置いて、スポーツブランドのジャージを引っ張りました。馬鹿みたいに長い髪はフードに収納しています。
「ええやん、やろやろ!」
わたしとこあらさんは「ファイ! オー!」叫んで、グラウンドを走り始めました。
そうして三十分ぐらい走っていたら、こあらさんが「なあ、なあ」と話しかけてきました。
「わい、ふざけてはないんよ」
走っているわたしは浅い呼吸を整えながら答えます。
「昨日の大会ですか?」
「せや」
「ええ、分かっていますよ。こあらさんがこえしば部の活動以外もこっそり練習していること。たった三ヶ月ですごく上手くなりました」
わたしはずっと前から気付いました。こあらさんは野球が好きすぎて、野球ばかりやってしまいますが、こえしばもしっかりと上達していました。それは、白真弓高校こえしば部のゆるい練習ではありえない上達速度です。
「アホ、恥ずいわ!」
こあらさんがわたしのお尻を思いきりぶってきました。いたたっ‥‥体育会系はこれだから苦手です。
「わたしは野球のユニホームで舞台にあがったことも悪いなんて思っていません。全国大会に行ったら、制服を改造してコスプレみたいなコスチュームで舞台に上がる学校もあるんですから」
「コスプレちゃうわ! 制服、忘れただけや!」
こあらさんが走るのをやめて、下半身のストレッチをします。わたしも足を止めました。息は絶え絶えです。体力不足が今後の課題です。
「なあ、ノッリ‥‥こえしばってどこがおもろいん?」
グラウンドを三十分以上走ったのに随分と余裕のあるこあらさんが言いました。
わたしは大きく呼吸をしてから答えます。
「こあらさんはアニメを見たことありますか?」
「スラムダンクとラッキーマンは見てたで」
「あ、夏休み子供劇場の再放送ですね。面白かったですか?」
「んご」
「アニメってすごくないですか? 絵が動くんですよ?」
「そんなん、普通やん。アニメやもん」
「絵は普通動かないんですよ、こあらさん。動いている絵に音がついて、音楽が流れるんですよ? すごくないですか?」
「そんなん気にしたことないわ」
「絵の動きに合わせて、声がつくんですよ? すごくないですか?」
「おーん‥‥‥?」
「そんなすごいアニメに自分が少しでも関わらせてもらって、一緒に作れたらすごくないですか?」
こあらさんが金属バットを手にして素振りをはじめます。
「おーん」
わたしも金属バットを手にして素振りをします。走り込みの後は三百回素振りをしなくてはなりません。
「なあ、ノッリ。わいの対戦相手、めっちゃ泣いてたんご」
「羽鳥川高校の庵条さんのことですね。そりゃあ、泣きますよ。夏の最後の大会で、途中までしかお芝居ができなかったんですから」
「あれって、ウチが悪いん?」
「こあらさんは何一つ悪くないです。庵条さんは声の芝居以外のものを舞台に持ち込み過ぎただけです。まあ、ただの自滅ですね。羽鳥川高校って顧問の先生がいないんですよ。だから、部長の庵条さんに負担がかかってしまったんですね、たぶんですけど」
こあらさんは下半身の強さを感じる惚れ惚れするスイングを繰り返しています。
「どうすればよかったんやろな」
わたしはこあらさんのバッティングフォームを真似して、バットを振ります。
「マイクの前に立つ『わたし』まで演じちゃいけないんです。これは、師匠の受け売りなんですけど‥‥声優は声を演じますが、それはアニメの中だけの話です。マイクの前に立つ『わたし』まで役作りしてしまうと、みんな似たり寄ったりの演技になってしまうんですって」
「分からんわ!」
「えっとですね、声優が『声優』を演じてマイクの前に立ってしまうと、それはアニメのキャラクターを『声優』が演じることになってしまうのです。だから、『声優』を演じてはいけないんです。マイクの前に立つのはありのままさらけ出した『わたし』じゃないと‥‥‥」
わたしは慎重に言葉を選び、こう続けます。
───面白くないじゃないですか
こあらさんは素振りをやめて、唇を尖らせて渋い顔を浮かべます。
「その『わたし』ってなんやねん!」
わたしは残り三十回の素振りを続けながら答えます。
「こあらさんは野球の試合で誰かを演じていましたか?」
「演じるわけないやん! こえしばちゃうもん、やきうやもん!」
「じゃあ、ありのままの自分でマウンドに上がっていたってことですよね?」
「せやせや‥‥‥あ、そりゃあ泣きたなるわ。わいも‥‥‥ウチも試合中にケガしてしもうて、途中で降板した時、めっちゃ泣いてもうた」
わたしは素振りを終えて、一息つきました。夏は始まったばかりです。これから、もっと熱くなっていくことでしょう。
「それだけ分かっていれば大丈夫だって、師匠が言っていました」
こあらさんがわたしのジャージを掴みました。そして、夏の妖精はこう口にします。
「なあ、ノッリ。今から、こえしばやろ?」
わたしとこあらさんは飛行機雲が出来て消えるまでのあいだ、ペンキの剥がれたベンチイスでこえしばをやりました。
☆ ☆ ☆
その日の午後、わたしは中学生の頃から通っている美大予備校の講義に参加しました。
わたしは声優になるために、できる限りやれることはやろうと思っています。美大予備校に通っているのは絵を描く難しさ、大変さを学ぶためです。週一回ではありますが、通いはじめてもう三年になります。
わたしは砂埃のついたスポーツジャージを払って、木製の丸いすに腰をかけクロッキー帳を開きました。
体のラインがでるシャツを着た男性モデルがポーズをとります。
わたしは頭身を決めて、鉛筆を走らせました。予備校の教室には十人の生徒がいて、一斉に鉛筆と紙が摩擦する音が響きます。
わたしの隣に座るおしゃべり好きの女の子がヒソヒソと話しかけてきます。
「のりちゃん、のりちゃん。のりちゃんって月島月華と同じ学校なんでしょう?」
唐突に月華さんの名前を呼ばれてわたしはドキッとしました。まさか、美大予備校でも月華さんの名前を聞くとは思ってもいません。
「‥‥‥そうですけど」
女の子は「ヒヒヒッ」と笑いながら、クロッキー帳に大胆で強烈な線を引いていきます。
「SNSで月島月華が話題になってるよ?」
わたしは「えっ!」と声をあげ、つい鉛筆を落としてしまいます。
「‥‥‥月華さんが何かしてしまいましたか?」
わたしは鉛筆を拾いながら、おしゃべり好きな女の子に聞きました。
「なんかね、アニメ監督とコスプレデートしてるみたい!」
「えっ! コスプレデートですか!」
わたしはたまらずタブレットを取り出して、SNSのアカウントを表示させました。そして、検索窓から『月島月華』と入力します。
近くで見たらちょ〜可愛かった!
わたしも月島月華みたいな声優になりたい
#月島月華 #コスプレ
そんなコメントに添付されていたのは、時代遅れのフリフリのついたアイドル衣装姿の月華さんと、アニメに出てくる貴族のような装飾のたくさんついた真っ白なタキシード姿の柿本虫可さんでした。
二人は体を密着させて、映画のワンシーンのような美しさで写真にうつっていました。
「‥‥‥月華さん、昨日の今日で一体何がどうすればこうなるんですか」
わたしは目眩を覚えながら、SNSを下へとスクロールしました。そしたら、一枚や二枚の騒ぎではありません。コスプレをした月華さんと柿本監督の写真が何百件とアップされていました。
「のりちゃん、のりちゃん。月島月華ってすごいね!」
「そりゃあ、月華さんはすごいですよ」
わたしはタブレットを眺めながら、思考の処理が追いつかずそれ以上の言葉が出てきませんでした。
「こら、タブレットをださない」
ヒソヒソとやりとりをしていたわたし達のもとに、美大予備校の岸田楓先生がやってきました。
「す、すみません」
わたしはすぐさまタブレットをカバンに戻して、鉛筆を握りました。
「中田さんにしては珍しいわね。いつもは話しかけられても、適当にあしらっているのに」
隣のおしゃべり好きな女の子が「のりちゃん、のりちゃん?」と冗談混じりで茶々を入れます。
「友達がインターネットのおもちゃにされないか心配で」
わたしは自分でもよく分からないことを言いました。
「ふーん、どうしたの?」
岸田先生がクールな表情で問いかけてきます。
岸田楓先生はハリウッド映画に出てくるような美しい女性です。この教室でも明らかに浮いていて、若い時は読者モデルの経験もあるらしいです。どこか達観した雰囲気を持つ人ですが、美大を目指す生徒には無償で補習をしてくれたりと予備校で一番人気の先生です。
そんな岸田先生に真っ直ぐと見つめられて、「どうしたの?」と聞かれてしまったら嘘なんてつけるはずありません。
「こえしば部で一緒の‥‥‥天才的なお芝居をする女の子が、天才的なアニメ監督の男の子とコスプレデートをして、その写真がSNSにたくさんアップされてるみたいで」
わたしだっておかしなことを口にしてるって自覚してますよ! でも、本当のことなんですから、これ以上説明しようがないじゃないですか!
岸田先生の反応は予想外のものでした。
「アニメ監督? あー、やめておきなさい」
いつもは冷静であまり感情をださない岸田先生が苦い顔をして腕を組みます。
「私の中学時代の知り合いにアニメ監督になった奴がいたけど、ロクな男じゃなかった」
わたしが戸惑っているあいだに隣の女の子が口にします。
「岸田先生とどっちが絵うまかったの〜?」
「‥‥‥ちっ」
岸田先生は眉間にシワを寄せて、舌打ちをしました。
わたしは慌ててクロッキー帳に戻って、なんとか鉛筆を動かしました。
☆ ☆ ☆
翌朝、いつものように早めに登校すると、見計らったように校内放送でわたしの名前が呼ばれました。
わたしは通学カバンを机に置いて、急いで職員室に向かいます。校内放送で名前を呼ばれたことは今まで一度もなかったので、家族の不幸が脳裏をよぎってしまいました。
職員室の引き戸を開けて、わたしは「呼び出された中田です!」と大声で叫びました。
「朝っぱらからうるさいぞ、紀子。まあ、ちょっと来い」
そう言ったのは両側の横髪を乱暴に結んだヤンクミスタイルの月島先生でした。
わたしは緊張しながら月島先生の机の近くに立ちます。
「あの、何かあったんですか?」
わたしは長い髪が収納されたフードパーカーの裾を握りました。
月島先生は「いや」「あの」ともったいつけて、最後はわたしをにらみつけました。
「いいか、紀子‥‥‥アニメ監督はやめとけ!」
「えっ! それ、別の先生からも聞きました」
わたしは言葉の意味が理解できないまま返事をしました。
「その先生は大いに正しい! アニメ監督ってのはな‥‥‥ロクな奴がいない」
「‥‥‥あの、それをなんでわたしに?」
アニメ監督と関係を深めているのはわたしじゃなくて月華さんです。わたしはアニメ監督に知り合いなんていません!
「紀子、アニメ監督には二種類いる」
「‥‥‥はい?」
「監督しかやらない職業アニメ監督と、監督以外の仕事をメインでやってるアニメ監督経験者の二種類だ」
「それが、どうかしたんですか?」
「どっちも声優はやったことない!」
「そんなの当たり前じゃないですか! 監督さんですよ? 声優とは職種が違います!」
月島先生は「ちっ、ちっ、ちっ」と顔の前で人差し指を振りました。この際、言っときますけど月島先生の仕草や態度はいちいち鼻につきます。
「アニメ監督は声優をやったことないくせに‥‥‥自分は芝居のプロフェッショナルだと思い込んでるかのようなリテイクを出してくるんだぞ!」
「‥‥‥それが監督さんの仕事なのでは?」
「紀子は分かってないなー。監督っても、声優に関しては素人も同然。あいつらのリテイクってのは、素人がなんとなく思ったことを口に出してるに過ぎないんだ!」
「素人って‥‥‥アニメ監督さんですよ?」
「だからあ、声の芝居についてはなぁぁぁぁんにも知らないの! そのことをアニメ監督って生物は理解せず、アフレコにやってきて、私ら声優が何週間もかけて役作りした芝居を『演技はしないでください』とか『わざとらしくしないでください』とか『もっと低い声で演技してください』とか平気で注文つけてくる!」
月島先生は職員室に他の先生がいるにも関わらず、机をドンっと叩いてこう続けます。
「そんなんやったらこっちが準備してきたもん、全部台無しになるだろ!」
わたしはドン引きしたことで頭がクリアになってきました。
「先生、アニメ監督がロクでもないことは話半分ですが理解しました。それで、なぜそれをわたしにおっしゃるのでしょうか?」
月島先生はわざとらしいため息をつき、頬づえをついてどこか遠くを見つめました。絵になるぐらい整った顔をしているのが腹立ちます。
「アニメ監督はやめとけ。引退した私が言えるのはそれだけだ。もちろん、同業者もやめとけ」
「それを言うのは、わたしじゃなくて月華さんなのでは?」
わたしはゆっくりと丁寧に誰でも分かる日本語で月島先生に問いました。
「‥‥‥紀子、そういうことだから」
「いや、こえしば部の顧問でもあり、親戚でもある月島先生が月華さんに直接言ってくださいよ! わたしの手にはあまりまくりです」
だって、出回っている写真の月華さんはどれも見たことないぐらい可愛いんですもの。そんな月華さんに『アニメ監督はやめとけ』なんか口が裂けても言えるはずありません。
「こういうのは友達が伝えたほうがいい」
月島先生はハードボイルドにセリフを口にしました。有無を言わせない変な説得力があります。
「って、こんなとこで声優力を使わないでください! 危うく、乗せられるとこでした!」
わたしは自分のほほを軽く叩いて、催眠を振り払います。本気を出した声優の言葉には魔力が宿ります。
わたしと月島先生が互いにゆずらない攻防をしていると、すぐ近くを担任の先生が通りました。わたしは丸眼鏡の温和な顔をしている女性の先生を呼び止めます。
「先生、月華さんの話を聞いてあげてください。きっと、何か深刻な悩みがあります!」
担任の先生は「うふふ」と笑って、わたしにスマホを向けました。
待ち受け画像には月華さんと柿本さんが金色の時計台をバックに体を密着させている写真が使用されていました。
「ごめんなさいね。私、月島さんの推し担なの。だから、そっと見守らせて、お願いね」
「いや、意味が分かりませんけど」
「中田さん、そういうことだから。県大会もこっそり応援してる、頑張って」
わたしの視界の片隅で、月島先生が他人事のように「うん、うん」と大きく頷きました。
二人が月華さんから柿本さんの話を聞くことをわたしに望んでいるのは間違いありません。
え? マジですか?
アニメ監督に限らず、声優の演技を正確に評価できる人はなかなかいません。




