♭フラット ~モード
「ソラシドシソラ。」
なんだかなあと思いながら私は物思いに耽る。
「シソソシドソソラシドソファミレ。」
「シドソシドソソ。」
私は一人でピアノに語り掛ける。
ぼくはこのモード、音階が、自分の故郷、つまり、母の胎内から誕生する時に聞いた音楽だと、今、確信している。一度聞けば忘れない冒険のメロディーだ。しかし、今、それ程、難解な音階、そしてメロディーが、表現できるようになってくると、悩みやこれから払わなければならない労力のこと、そしてこれから続けなくてはならない努力も、思い浮かんでくる。それなりの創造には、それだけのカルマ、そして、責任を負わされることになる。それは、表現者、自らが知っていることだ。ましてやこの手の追体験的メロディーは嫌というほど、その手の問題に突き当たる。まず、このいま完成したメロディーを、聞きたいと思う人間がどれほどいるかということだ。それは、簡単に説明できることではないけれど、音楽好きな人間はいる。しかし、自分が生まれるときの音楽を聴かされるその気分は生まれてきた時だけにしたい、と思う人間は必ずいるだろう。もしくはその人間は、楽器を弾く人間かもしれない、そのメロディーは、自分で奏でていたかった。私の演奏や作曲で聞きたくなかった。という人間もいる。また、その手のメロディーは、時と場所を選ぶ。こんな気分が私を駆け巡る。私の手はスムーズにピアノの鍵盤を滑り、いまだにメロディーを奏でている。そして、こうとも思った。人は生まれてから期待をかけられている、そして、その人間はその期待に応えるべくして努力をし、期待をかけている人に可愛がられる。私はそうだった。だから、いまこうして、ピアノの前に座りこの曲を弾いている。生まれたての手のままに。
私のピアノの技術は、この音階を一度でスラスラ弾けるほどではないけれど、何回か、つっかえながらでも、大抵の音は間違えずに弾くことができたし、メロディーをはっきり聞き取ることができるくらいだった。
だから、母はこの曲に、興味を示し、とても綺麗な曲だと表現してくれた。
ありがたかった。
私は、母の期待に沿えたことで大変満足していたし、もっと、期待に沿えるようにと、こういった。
「このタイプの曲は、人によっても感動が違うからもう弾かないほうがいいかな。」
母はこう答えた。
「平気よ、綺麗な曲だったし。」
私はもう、その感想に対する自分の答えを悟っていた。
このモード音階を使った曲はあまり丁寧にこれ以上追求しないでおこう。もう、普段は弾くことのない、自分の大切なメロディーだ。あまり、意地を張らず、自分と、ふと耳にした者だけ、それは、きっと一瞬なはず、なぜなら、このメロディーを弾いていたのは、今回が二度目だったから。もうこの二度だけの体験でいいんだ。と、私の中で決めていた。一度目のこの曲を演奏したときは、感想がもっと違っていた、感想というよりものすごい感動が押し寄せて、自分がもう一度生まれなおしたくらい新鮮な響きだった。
すがすがしかった。それで、ぼくはさっき、この曲をも一度弾いたんだろう。しかし、結果的に、それは、そういう効果を生まなかった。何か知っているメロディーで聞き覚えがある、そればかりが、残ってしまって、逆に良い効果響きを生み出さないのだ。まるでショートしてしまった、回路のように。
うんざりする。
それが私の感想だった。私はこうまでして、意地を張って音楽に時間を費やしているのはそれなりに理由がある。それは、私が、音楽を仕事としているからだった。これは難解な問題だった。いくら、そういう人間の誕生のような音楽ができても、それは、創造的に素晴らしくても、創れたんだからといって、すべての聴衆に受け入れられるとは限らないからだ。もちろんすべての音楽は、すべての聴衆が受け入れているわけではないけれど、音楽の場合、選択権もなく耳に入ってしまうこともあるわけで、もし私の曲を、耳にした人が、あまり良い印象を持たない曲であることもあるわけで、その限定された私の曲を聞く機会がある場合、そのことを気にするのが、私の仕事である、という責任も負っているので。難しいわけである。その類の音楽を作曲している者にとっては。
私だって飽きることがある。飽きるのだ。あまりに凄いものは。歴史上そうだ。ピアノは、調律さえすれば、あなたが誕生するときのメロディーが奏でられますよ。新しい楽器ですから。という触れ込みの道具だったとしよう。ピアノが。そしてほとんどそのメロディーを弾けるようになるものがいない。そういう時、弾ける人が現れるとする。その弾ける人はきっと私と同じような思いになったに違いない。
そんな素晴らしい技術でも、私はそれを繰り返し聞いたり、弾いたりしたくないものなんだ。その一回目の感動が薄れてしまうからだろう。ましてや、自分の誕生なんて、なかなか、何度もは聞きたくないものだ。生まれた時だけ、もしくは引けたとき一回。その感動でいい。二度目をなぜ弾いてしまったんだとさえ思うのだ。皆そうだろう。皆そうだろう。
だから、私は、ピアノから、しばらく離れる。そういう悩みを背負いたい人は、ピアノをお奨めします。芸術家の道具です。ピアノは。




