5
『さて、皆様方には箱の中から一枚ずつ封筒を取り出していただいたわけですけれど…』
「ええと…ジョロウ、バナ?」
木彫り面のフィニートが説明をしていたその途中で、氷魚が勝手に封蝋を開け、封筒の中から一枚のカードを取り出していた。
『そのカードは失くさないようにしてくださいね。こちらでは責任を負えませんので』
フィニートは、氷魚を横目で眺めながら簡素に警告を行った。
『それでは、他の皆様方も封筒をお開けになってください。中にはカードが入っているはずです』
コイツに従うのは癪でしかないが、ボクたちは諾々とその指示に従った。封筒の中のカードに書かれていたのは、『撫子』という素っ気の無い文字だけだった。
「…………」
撫子というのは、花の名だ。そして、氷魚が口走った言葉は、ジョロウバナだった。詳細は知らないが、花と名がつくのだからそのジョロウバナも花の一種だと推測できる。だとすれば、ボクたちに配られたカードにはそれぞれに花の名が記されている、ということだろうか。
…けど、それに何の意味がある?
「ワタシは…『萩』でした」
小声で、玲が話しかけてきた。その玲に、ボクは撫子のカードをそっと見せる。
「ワタシが萩で宮本さんが撫子…そして、あの人が『オミナエシ』のようですね」
「オミ…ナエシ?」
オウム返しに、玲に問いかけた。
「女郎の花と書いて女郎花と読むのです。あの人は読み方を知らなかったのでしょう」
「まあ、ボクも初耳だったから氷魚と目くそ鼻くそだけど…」
それよりも、先刻から玲が氷魚に対して他人行儀なのが気になった。そのことを問いかけようとしたけれど、先に玲が口を開いた。
「萩に撫子、それに女郎花だとすると…これは、七草のですね」
「七草…春の七草か?」
けど、春の七草には萩だの撫子だの、ましてや女郎花なんて入っていなかったはずだ。
「七草は七草なのですが…春の七草ではなくて秋の七草ですね、これは」
「秋にも七草があるのか…」
春の七草なら草花に疎いボクでも知っていた。一月七日(元々は旧暦)に、芹、なづな、御形、繁縷、仏の座、鈴菜、蘿蔔という七種の野菜を粥にして食べると、その年は病気をしないという言い伝えがある。
江戸時代の…喜多川守貞という人物によって書かれた『守貞謾稿』という風俗史の中には、食べる日の前日にまな板の上に七草を置き、歳徳神の方角を向いて囃子詞を唱えながら七草を七回ずつ、合計で四九回叩くという習わしがあったと記述されていた。
こうした風習をただの迷信だと高を括る輩もいるだろうが、手順を踏んだ風習はそれだけで魔力を帯びた儀式となる。ましてや、年月を経た因習などは蓄積された魔力のふり幅も大きく、けっしてバカにはできない。
というようなことを、師匠であるアノ人から教わっていたボクは、風習やおまじないの本や資料を読み漁っていた時期があった。意外と面白いんだよ、そういう本も。
「ええ、秋にも七草はあるのです。ただ、春の七草とは違い、食したりする習慣がないのでこちらはマイナーですけれど」
玲の声は常に穏やで聞き取りやすい。
そんな玲に、ボクは問いかける。
「秋の七草には、他にどんな花があるんだ?」
「秋の七草というのは万葉集に詠まれた山上憶良の和歌からきているのです。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌の花…という歌です。ただ、この朝貌の花というのは諸説がありまして、そのまま朝顔だという説もありますし、朝顔ではなく槿とも桔梗とも言われていて、最も有力なのが桔梗なのだそうです」
「なるほど、萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔で七草か…そして、この場に集められた魔術師が、例外もいるようだけど、七組か」
偶然の符合のはずがない。この場の七組には、それぞれに七草が振り分けられたはずだ。
…けど、やはりそれに、何の意図がある?
『既に勘付かれておられる方も勘繰られておられる方もいらっしゃるでしょうが…そのカードにそれぞれ書かれているのは、この国でいうところの秋の七草というものです』
木彫り仮面のフィニートが、こちらを向いた…気が、した。
「秋の…七草?」
異邦人であるアンナ・アルバラードは、耳慣れない言葉に小首を傾げていた。
『この国の人間ではない方々には馴染みのないものでしょうけれど、あまり気になさらないでください。その七草は、この儀式における皆様の『真名』となるだけの記号ですので』
「…『真名』、か」
伊達男のテオ・クネリスは、口元を引き締めた。『真名』とは、ボクたち魔術師にとっては特別な意味を持つ。
魔術師は、儀式を行う際に本名とは別の…『真名』と呼ばれる、仮の名を使用する。仮の名で『真名』とは頓知か何かと思われるかもしれないが、この『真名』がなければ魔術師は魔術を行使することができない。というか、己の魔術によって己の身を滅ぼすこととなる。
繰り返しになるが、魔術というのは世界の理を捻じ曲げ、起こりえない事象を引き起こす人為の奇跡だ。
その捻れは儀式が中和してくれるが、世界の理を捻じ曲げるほどの魔力の流れとなるとその量は膨大で、魔術師といえど一人の人間が支えきれるものではない。そもそも、魔力というのは概念の力だ。それを、物理的に一個の存在が支えることは不可能だ。
なので、魔術儀式を行う際には、魔術師はもう一つの自分という『存在』を用意する。といっても、実際に自身の分身を用意するわけではない。必要なのは、儀式の最中に溢れる魔力をプールしておける概念としての『存在』であり、その役割を担ってくれるのが、『真名』だ。そして、この国では、この真名は魔術における力を意味する『マナ』と同じ音を持つ。ただの偶然で言葉遊びの域を出ないが、その偶然が魔術に力を与えることもある。言葉や音というのは、決して軽んじていいものではない。特に、自分の領分を超えた儀式などを行う時には。
「この七草が、儀式におけるボクたちの『真名』…」
ということは、この『真名』が配られた時点で、儀式は秒読み段階に入っている…ということだ。
『この儀式では勝者と敗者を篩にかけると言っていたが、具体的にはどうするのだ?』
青い帽子のヨハン・バルトは、携帯ゲームのディスクを入れ替える片手間で会話に参加してきた。
『このゼペットの秤皿の儀では、皆様には魔力を点数として競っていただくこととなります』
フィニートは慇懃に頭を下げながらも、敬意を微塵も感じさせなかった。
「…魔力を点数として、競う?」
アンナ・アルバラードは、浮遊するガーゴイルを抱き寄せていた。少しだけ、縋りつくように。
『勿論、魔力を多くためた方がこのゼペットの秤皿の勝者となります…そして、やや余談ではありますが、この儀式はこうも呼ばれております』
そこで、フィニートは、意味深に一歩を踏み出した。
『ババ抜け、と』
「…ババ抜き?」
困惑していたのは、陰陽師の氷魚だけではない。周囲からも、困惑や落胆や蔑視などの感情が駄々漏れになっていた。
『ババ抜きではございません。ババ抜けでございます』
フィニートは懇切に訂正したけれど、それでこの場の溜飲が下がるわけはない。疑似生命体に本物の魂を授けるという前例のない儀式が、そんなありふれた名前では拍子抜けもいいところだ。
「…結局その儀式ってのは、ババ抜きと似たり寄ったりってことなんだろ」
ババ抜きの亜種だとすれば、それは魔術儀式ではなく、やはり余興の域を出ない。
ボクは、思わず口を挟んだ。
『いえ、この儀式はババ抜きのように運否天賦に任せたものではありません。もっと任意性の高いルールになっておりますよ。明確に優劣をつける儀式であれば、それだけ魔術的効果も高められますので』
フィニートは、こちらとの温度差などカエルの面に水で意に介さない。
『それでは…端的にではありますが、儀式の説明をさせていただきます』
木彫り面の少年は、淡々とした話術でボクたちを釘付けにする。
当然、その鼻は長い。