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「誰が短絡娘なのですね!」
短絡娘呼ばわりをされたヨーロピアンお姉さんは、招き猫ガーゴイルの頭を短絡的に殴っていた。が、どうやらガーゴイルは硬い材質で作られていたようで、殴ったお姉さんの方が拳を痛めて蹲る。そして、暫しの後。
「ああ、すみませんでしたですね…やや沸騰してしまいましたです。ワタクシは『アンナ・アルバラード』といいますですね」
拳の痛みが引いた後、深紅のドレスを纏うアンナ・アルバラードお姉さんは手短に名乗った。
「そして、この口煩いのが、ガーゴイルの『ラッカー』いいますですね」
『以後、お見知りおきを』
眉毛の太い招き猫は、渋い声だ…ただ、なぜかこの招き猫には妙な親近感を覚えてしまっていた。
『ちなみに私がこの国の招き猫という置物を模して作られているのも、眉が太いのも、アンナがその宮本漆という人物を模して創造した所為なのだ』
「だから、煩いといっておりましたね!」
そうしてまた、ラッカーと名乗ったガーゴイルの頭を手刀で打ち据えたアンナ・アルバラードは、手を痛めて蹲っていた…硬いのなら殴らなければいいのに。
「ラッカーがあの男に似ているのは…ルネサンス期の貴族が、敵対する相手の顔を模したガーゴイルを創っていたのと同じ理由ですね!」
痛めた手をさすりながら、アンナお姉さんは声を張り上げる。
「…残念ですけど、ボクはその宮本漆という人を知りませんね」
ここは、キレイサッパリと他人のふりをするに限る。兄貴が絡む惚れたはれたのいざこざに巻き込まれ、何度ボクが面倒くさい目に遭わされたことか。ただ、居場所を知らないのは本当だ。現在あのモテ兄貴は、無期限で世界を放浪中だからだ。
なぜそんなことをしでかしているのかというと、あのモテ兄貴は、ボクのラビとしての師匠であるアノ人に惚れているからだ…蓼食う虫にもほどがあるだろ。
そして、どこにいるのかも分からない根無し草のアノ人の尻を、兄は血眼で探し回っている。兄貴のモテ補正もアノ人には通用しないようで、目下のところ現在も捜索中のようだ。
「え、でも、さっちゃん。うるちゃんは…」
まだ弱気モードの氷魚が口を挟みかけたが、背中を抓って黙らせた。けど、その後で激昂した氷魚から腹パンを喰らい悶絶した。「オナゴの肉を抓むとはどういう了見だ!」とか「肉じゃない!太ったわけじゃない!今、掴んだのは筋肉だから!」などと、何かを言っていたが悶絶していたボクにはよく聞こえなかった。
そこにまた、あの木彫り仮面の少年…フィニートの声が響いた。
『皆さま、最後のゲストのご到着ですよ』
その声の方角に顔を向けると、痩身で黒衣の…喪服めいたスーツの男が、車椅子を押して入室してきた。車椅子には、透き通るような肌艶を持った女の子が座っていた。いや、人間にしては、妙な違和感があった。
『科学者の『佐藤五月雨』様と、そのロボットである、『佐藤雨月様』です』
ボクたちが箸にも棒にもかからない茶番を演じている間にも、役者は着々と揃いつつあるようだった…けれど、あの女の子がロボット?
「ロボットだと、小僧…」
佐藤五月雨という黒衣の男が、フィニートの胸倉を掴む。
「雨月をロボットなどと呼ぶのは、その口か」
痩躯でありながら、大した労苦もなく男は片腕で木彫り仮面の少年を持ち上げていた。
「ロボットというのは、人間に隷属することしかできぬ木偶のことだ。私の雨月を、そこらの量産品と一緒くたにするな」
「子供を虐めるのはダメだよ!」
氷魚が、黒衣の男とフィニートの合間に割って入ろうとしたが。
『いえいえ。今のは無知な分際で知った口をきいたボクが全面的に悪いですよ』
宙吊りにされたまま、フィニートは顔色一つとして…いや、声色の一つとして変えない。
「…次は、ないぞ」
佐藤五月雨は、ややぞんざいにフィニートを下ろした。
『はい、肝に銘じておきます』
そのぞんざいな扱いにすら、フィニートは顔色を変えない。仮面だからというわけではなく、その気配が均一化されていて、まるで変色していない…木彫り面の少年のその姿に、片手でこの少年を吊り上げた佐藤よりも奇異なものを感じた。
「ところで、そろそろ我々が集められた理由を聞かせてもらえるかな?」
それは、これまでに一度も聞いたことのない声の主だった。やや野太い声質から判断するに、成人男性の声のようだったけれど。
『そうですよね。あまりに暇ですよー。これ以上の暇だと脱いじゃいますよ?』
次に聞こえたのは、その成人男性の隣りにいた若い女性の声だったが…え、脱ぐの?
「おいおい、『ガラティア』、まだ昼間じゃないか。女神の裸身を最も輝かせるのは、静粛な月の光りと相場が決まっているだろう?」
…夜だったらいいのか?
『私の黄金律バディなら、太陽だって家来にできますよ』
そこにいたのは白色人種の男女二人組だ。男は背が高く、肩幅も広く豊かな髭を蓄えている。オーダーメイドらしきその白スーツ姿は、紳士を地でいく風体だった。
対して、ガラティアと呼ばれた女性の方は…下はパンツルックだったけれど、上は素肌にジャケットだけだった。露出度高すぎだろ、という言葉が咽元まで出かかってまた胃の腑に落ちていった。なぜなら、美しかったからだ。陳腐でチープな表現だったけれど、その美しさは浮世離れをしていた。
『これで、七組の皆様方の全てがお揃いになられましたね』
木彫りの面の少年が、周囲を見渡した。それに釣られるように、ボクも視線を巡らせる。部屋の薄暗さや陰気臭さにも慣れてきたからか、人影の確認くらいはできるようになってきた。
「七『組』、か…」
ボクとゴメ子で一組。氷魚で二組。アンナ・アルバラードとラッカーで三組。佐藤五月雨と佐藤雨月で四組。スーツの男と、ガラティアと呼ばれた女性で五組。そして、部屋の隅で携帯ゲームに興じている青い帽子を目深に被った子供…が、一人だけだったようだが、これで六組か。と、なると。
「君を入れて、七組なのか?」
ボクは、フィニートに問いかける。
『いえ、ボクはただの案内人という名の黒子です。あの方は雲隠れされていますね』
「雲隠れ…?」
具体的に尋ねる前に、ホールの片隅で黒色が増した。元々この部屋は薄暗かったけれど、その場所だけが、さらに暗澹と暗くなる。そこから子犬大のネズミと、一人の少女が忽然と姿を見せた。少女は、模範的なセーラー服に、模範的な黒縁眼鏡、そして模範的な三つ編みだった。
…というか。
「あの子…どこかで、会ったような?」
…いや。
「ダレカに、似ているような…?」
ああ、そうか。肌の色は似ていなかったが、面立ちがゴメ子に似ているんだ…待てよ、ゴメ子に似ている?
そこで三つ編みの少女と目が合った。猫科を思わせるその丸い瞳は、やはり、ゴメ子に似ていた。生き写しのように。
「お久し…振りです」
三つ編みの少女から静かな声をかけられた。静かだけれど、その声の浸透圧は高い。
…いや、声とか三つ編みとかいう以前に、この面影は。
「もしかして…『玲』なのか?」
ボクの問いかけに、少女は淡白に頷いた。
「戻れ、『隠形鼠』…」
三つ編みの少女が命じると、宙に浮いていた子犬大のネズミは小さく鳴いて発光し…体の節々が角張っていく。そして、全身のあちこちを角張り終えた後は、その体が内側から外側に開いていき、最後には一枚の和紙になった。
「式紙を使役して姿を隠していたのか…」
インド人もビックリの離れ業だ。
「この程度は、陰陽師にとっては児戯と同じです」
ネズミの姿から戻った和紙は、玲の手が触れた瞬間に、その姿を虚空に消した。
「そこの人でも、できるのではないですか…」
玲は平坦な声で…双子の姉である氷魚に、視線を向けた。
そう、氷魚と玲は、双子の姉妹だ。
けれど、玲は子供の頃、宝持家の本家に引き取られてしまい、その時から、ボクは玲とは会っていなかった。
「お元気でした…ですか?」
妹との久闊を叙す…には、あまりにぎこちない氷魚の声だった。姉の威厳の欠片もない。
「そうですね、元気です…半年後に、祝言を控えているくらいには」
玲の瞳は冷え切っていた…というか。
「祝言って…ボクたちは同い年だから、今年でまだ十七歳だろ?」
それなのに、晩婚化の進むこの現代日本で、十七歳で結婚?
「宝持家の本家が…決めたことです」
玲の声も、瞳と同様に冷え切っていた。
「そんな、政略結婚みたいな…」
「みたいではなく、政略結婚そのものですよ。跡取りのいなかった宝持の本家に、新しい跡取りを残すための…ワタシは、そのための苗床です」
玲の瞳は冷え切りすぎていて、滅入るほどに凍っていた。
『では、皆様もお揃いのようですし、そろそろ本題に入らせていただきますね』
そこで、木彫り面のフィニートが口を開く。
正直それどこではなかったが、フィニートの声は妙にボクたちを引き付ける。
『ここにお集まりの皆様は、それぞれが稀代の魔術師と言っても過言ではありません』
フィニートが口にしたように、この場に集められたのは、魔術師だ。だが、ただの魔術師でもなかったはずだ。
『そのような皆様が、雁首を揃えて一所にいるのです…これはもう、神様さえ愚弄してしまえるのではないでしょうか?』
…神様を愚弄とは、恐れ入る。
『いえ、やはり過言だったですかね』
そこで、フィニートは声のトーンを変えた。嘲るような、音色に変わる。
『皆様は腕っこきの魔術師様ですが、残念なことに魔術師様風情なのですよね。精々、ニセモノの生命を一つ創ることが関の山の』
その声に、この場に集められた魔術師風情が水面下で反応していた。
ラビであるボクはゴーレムのゴメ子に息吹を吹き込んだし、氷魚や玲は陰陽師として生きた折紙である式紙を使役している。それに、あの真っ赤なドレスのアンナ・アルバラードは、動く石像であるガーゴイルを創造していた。そのどれもこれもが、規格外の奇跡ばかりだ。
つまり、この場に集められたのは、疑似とはいえ生命を創作する秘術を持った魔術師たちということだ。当然、ボクたちにはその奇跡を成したという自負があり、フィニートの言葉はその自負を足蹴にするものだった。
「…アナタは、何が言いたいのですか?」
アンナ・アルバラードの口調からは、敵意と呼べるものが明確に滲んでいた。
『とどのつまり、ニセモノの生命からホンモノの生命を創る手立てがあるとすれば、あなた方はソレを欲するのではないでしょうか…ということですよ』
…ニセモノの命から、ホンモノの命を創る?
それこそ、神様の領域でしかない。
『元々、魔術師であるあなた方は、禁断の果実に手を出してしまった後ろ指差され組ですよね。だとすれば、これ以上の何を躊躇する必要があるというのでしょうか?』
「躊躇しているんじゃない…ボクたちは、お前の言葉を吟味しているだけだ」
…確かに、ボクたちが創造した命は仮初のもので、生命体としては極めて不安定だ。
ゴメ子の額には絆創膏が貼られていて、その下にはEmethという文字が刻まれているのだが…その頭文字であるEの文字が消えた時点で、ゴメ子は死んでしまう。Emethという言葉は真理を司るが、methというのは、死を具現する言霊だからだ。その他にも、ゴーレムは様々な制約に雁字搦めになっている。
そして、ゴーレムだけではない。他の魔術師たちが創造する疑似生命体にも、制約なり束縛なりがあるはずだ。そうした制約を守らなければ、疑似生命体は簡単に瓦解してしまう。対して、神様が創造した生き物たちには、そのような呪縛めいた制約は存在しない。
あのフィニートが言うように、ボクたち魔術師が神様の足元にも及ばないことなど、ボクたち自身がよく知っている。
けれど、それはそのまま、あの木彫り仮面の少年に対する猜疑心へと直結された。疑似生命体の創造すら儀式に儀式を重ねてようやく辿り着いた境地だというのに、その疑似生命体を本物の生命体に昇華させることなど、お伽噺以外の何物でもない。
『なるほど、魔術に精通しているあなた方だからこそ懐疑的になる、ということですね』
木彫り面の少年は押す時は押し、引く時は引く。潮騒のように、さり気なく。
『ですが、我々『ピノッキオ機関』は、本来ならば神様の領域であるその聖域に、土足で踏み入ることに成功したのですよ』
人を喰ったように、フィニートは仮面のままで微笑んだ…気が、した。
「本当に…完全な生命体の創造に、成功したというのか?」
白スーツの伊達男も会話に参加してきた。いや、フィニートに引き摺り込まれた。
『ええ。といっても、そのための儀式を確立しただけで、我々はまだその儀式を執り行ってはおりませんでした。いえ、行えませんでした。この儀式を行うには異なる宗派の魔術師が何組かと式紙…あとは、供物が少々、足りませんでしたので』
「式紙が…?」
馴染みのある言葉に、氷魚が反応していた。
『ええ、そのための協力を陰陽師の方々に依頼していたそうですが…そこで行き違いがあり、少しの間、機関と陰陽師の方々との間でちょっとしたいざこざがあったそうです』
フィニートの語るその話は、氷魚が語っていた陰陽師と『ピノッキオ機関』との間にあった小競り合いのことだろうか。
…それに、足りない供物とはなんだ?
「…その儀式に必要な供物っていうのは、何だ?」
小さな悪寒を伴いながら、ボクも口を挟む。
この世界を構成しているのは、数々の理だ。水や風、光や影や引力などがそれぞれの理を持っているからこそ、この世界はこの世界たりえる形を保っていられる。だが、魔術とは、それらの理を捻じ曲げ、本来ならば起こりえないはずの事象を引き起こすための呼び水だ。当然、そうした奇跡を起こすためには相応の代償なり対価なりが必要となる。ロハで奇跡が起こせるほど、この世界は気前がいいわけではない。
先ず前提として、必要となるのは術式が確立された『儀式』だ。
前述したが、魔術師が魔術を行使するということは、この世界の理を捻じ曲げ、多大な負荷をかけるということだ。だが、その負荷を中和してくれるのが儀式だ。儀式がなければ、魔術による負荷は世界とその魔術師本人に跳ね返ってくる。
次に必要となるのが、その儀式の舵を取る魔術師だ。どれだけ緻密な術式が確立されていようと、儀式の先導ができる魔術師がいなければ魔術は行使できない。
そして、最後に必要となるのが、儀式の糧となる供物だ。この供物は、魔術儀式における心臓部とも言える。ただし、ある程度までの儀式ならば、魔術師本人の魔力や生命力を供物として捧げれば事足りる。
しかし、疑似とはいえ、生命体の創造ともなるとその供物は生半可なものではとても足りない。況してや、完全な生命体を創造するというのなら、その供物は…。
『その儀式の供物というのは…皆様が後生大事にされておられる、そちらの『お人形様』たちです』
木彫り面のフィニートは、均一化された声で、告げる。
その声は、ホール内の気圧すら変質させた。
「私のガラティアを生け贄に、完全な生命体を創造する、か…私が首を縦に振ると思っているのかい?」
白スーツの伊達男が、ボクたちの声を代弁した。紳士とはいえない声音ではあったが。
『皆様は、骨の髄まで魔術師のはずですよね。崇高な目的のためには、手段や供物など選ばないはずでしょう?』
木彫りの仮面は、小さく囁く。
「私には、このガラティアがいる…他に必要なものなど、一つもないのだよ」
伊達男は右手で豊かな髭に触れ、左手で素肌ジャケットの女性を抱き寄せていた。
『なるほど、アナタは紛い物のイミテーションで満足できる…ということですね』
「…紛い、物」
伊達男の柳眉が、はっきりと揺れた。いや、コレはあの白スーツの伊達男だけに向けられた挑発ではない。
『まさかとは思いますが、皆様はある程度の成果が得られた時点で満足されてしまったのですか?以前の貪欲さは既に失われてしまったのですか?牙を抜かれた狼ですか?』
知った口で、魔術師たちを相手にフィニートは囀る。
「つまり…あなたは、ワタシたちにどうしろと言うのですか?」
氷魚の双子の妹である玲も、不機嫌さを隠そうとはしていなかった。
『簡単ですよ。とある儀式で、皆様たちには相争っていただきたいのです』
「…ボクたちで、儀式を?」
しかも、相争う?
『ええ、『ゼペットの秤皿』という複合相対儀式です。この儀式で、皆様のお人形のうち、三体にはホンモノの生命が宿ることとなり…四体には、滅んでいただくこととなりますけれど』
木彫りの仮面は、不遜な態度で邪気もなく言い放つ。
当然、その仮面の鼻は長い。