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「…泣いても笑っても、次の第四ピリオドがこの儀式の千秋楽だ」
にも関わらず、ボクはマイナス八点もの魔力負債を抱えていた。
「けど、玲が気付かせてくれた…ボクたちにもまだ、生き残るための抜け道があったことを」
『何をぶつぶつと呟いている。念仏でも唱えているのか?』
揚々と悪態をついたのは青い帽子に青い瞳のヨハン・バルトだ。
「これから念仏を唱えるのは、悪いがそっちだよ」
『…この期に及んで、悪足掻きでもしようというのか?』
「ああ、その通りだよ…けど、ただの悪足掻きじゃない。この盤面を引っ繰り返す、禁じ手の悪足掻きだ」
ボクの言葉に、寂れた円形ホールの温度が少しだけ上がり、少しだけひりつく。
「…といっても、やることはただの『真名』の特定だけど」
現在、『真名』を特定された魔術師は三人いる。そして、『真名』特定の権利を残している魔術師は四人いて、そのうちの一人は、ボクこと宮本悟だ。
『…だが、貴様らも全員の『真名』を把握しているわけではないはずだ』
ヨハン・バルトは、こちらを探るように言葉を投げかける。
「確かに、全員の『真名』は知らない…けど、ボクと玲、それに氷魚の『真名』は知っているし、佐藤五月雨さんは既に『真名』を特定されている」
これで、七つのうちの四つを把握していることになる。
「そして、アンナの『真名』が葛だということも、教えてもらっていた」
教えてもらったというか、半ば脅迫だったけれど。
それでも、これで、五つ。
「つまり、お前とそっちの彫刻魔術師の『真名』が、藤袴か朝顔のどちらかというところまでは絞り込めているんだ」
言葉を重ねるたびに、ホール内の密度が増していく。
『…その二分の一に、賭けようというのか』
シニカルに笑みを浮かべていたヨハン・バルトではあるが、その瞳は笑っていない。
「ああ、賭けるさ…ただし、ボクじゃなくて玲が、だけど」
『…なに?』
帽子の少年は、怪訝な表情を浮べた。
「あちらのテオ・クネリスさんの『真名』を、特定させていただきます」
三つ編み陰陽師の玲は、静かに宣言した。
『…………』
だが、進行役であるはずの木彫り面のフィニートは、うんともすんとも言わなかった。
いや、儀式の後半あたりから明らかに口数が減っている。
「ワタシは…『真名』の特定をすると言いましたが」
『いえ、あの…もう最後ですし、少し慎重になられた方が、よろしいのではないですか?』
フィニートの言葉は、色違いの端切れのようにちぐはぐだった。
「慎重にと言われましても、もう最終ピリオドですよ」
『ですが…玲様はこのまま何もしなくても、生き残れるはずではないですか』
「…あちらのテオ・クネリスさんの『真名』は、藤袴です」
フィニートに焦れたのか、玲は駆け足で彫刻魔術師の『真名』特定に踏み切った。
「…ここが分水嶺だ」
これで、ボクたちの運命が決まる。
ホール内の誰もが、固唾を呑んだ。だが、予兆は感じていたはずだ。これだけの大見得を切ったのだから、それが間違いのはずはない、と。
けれど、煤けた洋館に不釣合いな電光の掲示板には、『不正解』の文字が大写しになる。
さらに、『宝持玲 マイナス八』という玲の最終結果が続けて浮かんだ。
『意気込んでいたくせにその程度か…運にも見放されたようだな』
その静寂の中、ヨハン・バルトは鼻でせせら笑う。
…けれど、笑いたいのは、寧ろこちらだった。
「いや、これでいい…今の特定が当たっていた場合は、その時点でボクたちのゲーム・オーバーが確定していた」
『…貴様ら、一体なにを考えている?』
ヨハン・バルトの面持ちが、緩やかに強張った。
「負けることでしか拾えない勝ちも、あるってことだ」
強張ったヨハン・バルトの分だけ、ボクの表情が緩む。
玲が特定を外したことで、ヨハン・バルト、テオ・クネリスの『真名』がそれぞれ藤袴、朝顔と判明し、全員の現状が浮き彫りになった。
1. テオ・クネリス 朝顔 プラス二 未特定 未『離脱』
1. ヨハン・バルト 藤袴 プラス二 未特定 未『離脱』
3. アンナ・アルバラード 葛 マイナス二 未特定 未『離脱』
5. 佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み 強制『離脱』
5. 宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み 強制『離脱』
7. 宮本悟 尾花 マイナス八 特定失敗 『離脱』
7. 宝持玲 撫子 マイナス八 特定済み 強制『離脱』
これで、玲は第二セットで得ていた四点分の魔力が裏返った。
「『真名』の特定に失敗するということは、『真名』を特定されることと同じだ」
相手ではなく自分が『真名』を晒し、魔力がマイナスになるのだから。
そして、これで玲もボクと同じくマイナス八点分の魔力負債を抱えこんだ。
「けど、これこそがボクたちに必要な下拵えだったんだ…」
「なにやら、含みを持たせた御託を並べているようだけど…君たちは最下位じゃないか」
テオ・クネリスが、溜め息混じりにボクたちを眺めていた。
「確かに、今のボクたちは最下位だ…けど、だからこそ見える地平もあるんだよ」
わざと気障な言い回しをした。
「…なら、これからどうするつもりなのだ?」
唯一の科学者である佐藤五月雨も、ボクたちの動向に気をかける。
「そんなに大層なことをするつもりはないよ…ただ、ボクと氷魚の二人で、あのヨハン・バルトとテオ・クネリスの『真名』を特定するだけのことだ」
ボクは、そこでゴメ子を抱き上げた。ゴメ子のぬくもりを、ほんの少しも取りこぼさないように包み込みながら。
『わしらの、『真名』を…』
ホムンクルスの少年は、表情から色を消す。
「ああ、さっきも言ったけど、玲が特定に踏み切る前から、既にヨハン・バルトたち二人の『真名』は二分の一にまで絞り込めていたんだ」
藤袴か朝顔か、というところまで。
「で、さっき玲はテオ・クネリスの『真名』特定には失敗したけど…」
「…消去法で、『真名』は判明したということか」
佐藤五月雨は、車椅子の少女を気にかけながらも脳裏で算盤を弾く。
「そう、ヨハン・バルトの『真名』は藤袴で…テオ・クネリスの『真名』は朝顔だ」
ボクは、あの二人の『真名』を断定した。
「そして、ここでヨハンたち二人の『真名』を特定したとしたら…順位はこう変動する」
1. アンナ・アルバラード 葛 マイナス二 未特定 未『離脱』
3. 宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み 『離脱』
3. 佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み 『離脱』
5. 宮本悟 尾花 マイナス八 特定済み 『離脱』
5. 宝持玲 撫子 マイナス八 特定済み 『離脱』
7. テオ・クネリス 朝顔 マイナス十 特定済み 『離脱』
7. ヨハン・バルト 藤袴 マイナス十 特定済み 『離脱』
「ヨハン・バルトもテオ・クネリスも、第一セットは『真名』を特定され、マイナス四ポイントで終えていた」
いや、あの二人だけでなく、第一セットでは佐藤五月雨を除く全員が『真名』を特定された。
「そして、あの二人はこの第二セットでは第三ピリオドまでの『予約』を行い、六ポイントの魔力を先取りしていた…だから、ここでボクと氷魚に『真名』の特定をされれば、ヨハン・バルトとテオ・クネリスはマイナス十ポイントの魔力負債を抱えることになるんだ」
ただし、これは最終的なリザルトではない。
「待て…」
佐藤五月雨が、俄かに血相を変える。どうやら、あの黒衣の科学者は気付いたようだ。
「貴様とあの三つ編み女学生が小童どもの『真名』を特定した場合…俺たち全員が共倒れになるはずだ」
「…それは、どういうことなのですね」
アンナ・アルバラードも、佐藤五月雨の言葉に気色ばむ。
「今、あの小僧は言っていたはずだ…この第二セットでは、ドレスの貴様とホムンクルスの坊主、伊達男の三人が第三ピリオドまでの『予約』を行っていた…と」
佐藤五月雨は、やや俯き加減で言葉を紡ぐ。
「ということは、この三人はまだ、この最終ピリオドで『離脱』をしていないということでもある…」
「そう…ですね」
アンナ・アルバラードは、小さく認めた。
「ならば、ここでホムンクルスの坊主と伊達男の二人が『真名』を特定された場合…この第二セットでの生き残りが、ドレスの貴様だけになる、ということだ」
佐藤五月雨の言葉には、少しずつ重みが加味される。
『…つまりは、アンナに『破裂』のペナルティが適用されることになるのか』
ガーゴイルのラッカーが、佐藤五月雨の言葉を先読みした。
「そう、『破裂』のペナルティに抵触したアンナさんはこの第二セットで獲得していた魔力を全て失い…そして、ボクたち全員が仲良く共倒れになる」
結論を口にしたのは、ボクだった。
1. 宝持氷魚 女郎花 マイナス四 『離脱』
1. 佐藤五月雨 萩 マイナス四 『離脱』
3. 宮本悟 尾花 マイナス八 『離脱』
3. 宝持玲 撫子 マイナス八 『離脱』
3. アンナ・アルバラード 葛 マイナス八 『離脱』
5. テオ・クネリス 朝顔 マイナス十 『離脱』
5. ヨハン・バルト 藤袴 マイナス十 『離脱』
「三位以内に、五組の魔術師が犇めくことになるからだ」
三位以内に五組以上の魔術師が入ってしまった場合は魂のバランスが崩壊し、この儀式に参加した全員の疑似生命体が魂を失うことになる。
「貴様の自暴自棄に、全員を巻き込むつもりか…」
佐藤五月雨が、静かに声を荒げる。
「けど、佐藤五月雨さん…アンタ次第で、この結末を変えることはできるんだ」
これは、提案などではない。ただの、下手に出ただけの脅迫だ。
「…俺に、何をさせるつもりだ?」
「難しいことじゃないよ。ボクと氷魚がヨハン・バルトとテオ・クネリスの『真名』を特定するのと『同時に』…アンタには、アンナ・アルバラードの『真名』を特定してもらうだけだ」
「三人同時に『真名』の特定…?」
佐藤五月雨のその声は、そこで少しだけ上擦った。
「ルール上は、禁止されてなかったはずだ」
「…だが、それに何の意味がある?」
佐藤五月雨が、への字口で眉を顰めた。
「意味ならあるよ…七組で仲良く全滅というこの結末を、変えられるんだ」
そこで、軽く微笑んでみた。さぞかし、性悪に映ったことだろうけれど。
「ボク、氷魚、佐藤さんの三人でヨハン・バルト、テオ・クネリス、アンナ・アルバラードの特定を同時に行えば、あの三人は同時に強制『離脱』だ…ということは、最後の一人となる『破裂』のペナルティを誰も受けなくなる」
そして、アンナ・アルバラードが『破裂』のペナルティを受けないからこそ、最終的なリザルトはこう変動する。
1.宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み
1.佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み
3.宮本悟 尾花 マイナス八 特定済み
3.宝持玲 撫子 マイナス八 特定失敗
5.テオ・クネリス 朝顔 マイナス十 特定済み
5.ヨハン・バルト 藤袴 マイナス十 特定済み
7.アンナ・アルバラード 葛 マイナス十四 特定済み
アンナ・アルバラードが最下位となり、氷魚と佐藤五月雨が同着の一位で、ボクと玲が三位に滑り込む。
「…最終的に、この儀式で三位以内に入るのが俺たち四組となるわけか」
念入りに、佐藤五月雨は結果を吟味する。
「佐藤さんが協力してくれればこうなるし、してくれないのなら、七組が揃ってあの世行きだ…当然、そちらのお嬢さんも含めてね」
ボクは、車椅子の少女を不躾に指差した。
「娘を…雨月を、人質に取るつもりか」
佐藤五月雨は、剝き出しの敵意を隠そうともしなかった。
「平たく言えばそういうことだよ…アンタの協力を得るためには、この状況に持ち込むしかなかったんだ」
全滅という状況をちらつかせなければ、あの科学者を動かすことはできなかった。
そして、動いてもらわなければ、ゴメ子は守りきれなかった。
「そのためには、あの三つ編み女学生が『真名』の特定に失敗する必要があった、というわけか…」
佐藤五月雨がボクを見る視線は、親の仇を見るソレでしかなかった。
「そうだよ…綱渡りもいいところだったけど」
先ほどの玲の『真名』特定が成功して『しまった』場合、ヨハン・バルトたちの『真名』を特定したとしても、リザルトはこうなっていた。
一位 宝持玲 撫子 零 未特定 『離脱』
三位 宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み 『離脱』
三位 佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み 『離脱』
五位 アンナ・アルバラード 葛 マイナス八 未特定 『離脱』
五位 宮本悟 尾花 マイナス八 特定済み 『離脱』
七位 テオ・クネリス 朝顔 マイナス十 特定済み 『離脱』
七位 ヨハン・バルト 藤袴 マイナス十 特定済み 『離脱』
「その場合、上位三位に入るのは玲と氷魚…そして、佐藤さんの三人だ」
当然、これでは佐藤五月雨の助力は得られなかったはずで、ゴメ子はこの儀式を生き残ることはできなかった。
「…この結末を回避するためには、アンタを巻き込むしかなかったんだ」
いや、巻き込んだのは佐藤五月雨だけではない。
氷魚や玲も、十二分に巻き込んでいる。
…この借りは、ちょっとやそっとでは返せそうにない。
「というわけで、そっちには悪いけど…」
そこで、ヨハン・バルトに視線を向けた…これで、この儀式も閉幕だ。
『…………』
ホムンクルスの少年は、薄く微笑んで…そこで、軽く両手を上げた。
「…まさか、まだ、なにか奥の手があるのか?」
『いいや、この期に及んで打つ手などない。お手上げというやつだ』
「…………」
あのヨハン・バルトは、魔術師ではなく疑似生命体であるホムンクルスだ。この儀式での敗北は、自己の消滅に直結する。
…そして、ボクが絡め取ったのは、ヨハン・バルトだけではない。
建築魔術師アンナ・アルバラードは、招き猫ガーゴイルのラッカーを喪う。
彫刻魔術師テオ・クネリスは、最愛のカノジョを、これで二度にわたって喪う。
「…………」
「…………」
アンナ・アルバラードもテオ・クネリスも、裏漉しされた絶望に包まれていた。
「…そろそろ、『真名』の特定をさせてもらおうか」
決意を口にしなければ、臆病風に吹かれてしまいそうだった。
これからボクは、疑似とはいえ三つの命を刈り取る行為に出る。
…いや、疑似などでは、ない。
「ゴメ子たちの命とボクたちの命に…本物だとか偽物だとか、そんな垣根はない」
それでもボクは、ここで立ち止まるわけには、いかなかった。
『…………』
進行役である木彫り面のフィニートは、言葉を発しなかった。これまではずっと、シニカルに無駄口を叩いていたというのに。
「…『真名』を特定すると、言ったんだが」
もう一度、特定という言葉を繰り返した。
『できません…』
…フィニートは、ボクの言葉を突っ撥ねた。
「できないはずは…ない、だろ」
何を、言っているんだ…。
『…できません』
もう一度、空疎に突っ撥ねた。先ほどまでの人を喰った道化の面影など、どこにもない。
これでは、駄々をこねたただの子供だ。
「ルール上は…何の問題ないはずだ」
『兎に角、できないのですよ…』
頑なに、フィニートは『できない』の一点張りだ。
その視線の先にいたのは、ヨハン・バルトだった。
「まさか…守ろうと、しているのか?」
木彫り面の少年が、あのホムンクルスの少年を?
「…どうして、お前がヨハン・バルトに肩入れするんだ」
そこで、ふと、益体もない仮説が脳裏に浮かんだ。
あまりにも荒唐無稽だったけれど、それでも、無視はできなかった。
「この儀式の最中に、幾つかの違和感を感じることは、あった…微かにだけど、引っかかることは、あったんだ」
ただ、この儀式で生き残ることばかりに集中し、それらを棚上げにしてしまっていた。
「今さらだけど、気が付いた…最初の第一セットで、ボクの『真名』が特定されることは、『なかった』はずなんだ」
なのに、ボクの『真名』は特定された。
特定され、魔力値をマイナスにされた。
「…けど、そういう、ことだったのか」
だからこそ、ボクの『真名』は特定されてしまった。
「随分と、面の皮が厚いじゃないか…」
この、ピノッキオ機関ってところは。




