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何もかもが鈍く、空虚だった。
視界に映る全てのモノが、濁った水面のように揺れていた。
ダレカがいて、ナニカがあったようだけれど、ここがドコカすら識別できなかった。
このまま、消えてしまいそうだった。
「…………」
…いや、このままいけば、遠からず消えてしまうのは、ゴメ子だ。
ボクの『真名』が尾花だと、ヨハン・バルトに特定をされた。
「…………」
ゴメ子とは、ずっと一緒だった。
雨の日も風の日も。健やかなる時も病める時も。
ずっと、ゴメ子はボクの半身でいてくれた。
…それが、こんな儀式で、唐突に、消える?
『お……様!』
ゴメ子…だろうか。
ボクの目の前には、陽炎のように揺れる小さな女の子がいた。
そう、疑似生命体とはいえ、ゴメ子は、小さな女の子だ。
…ボクが創造をしてしまった、一人の小さな女の子なんだ。
身の程も弁えず、魔術師たちはそれぞれの都合だけで、命の創造に着手し続けている。
それは失ったものの補填であったり、見え透いた名誉のためであったり、名ばかりの探究心からくるものだけれど。
…身に覚えのないそのツケを支払わされるのは、身勝手に産み落とされた命たちだ。
そのことを、あのヨハン・バルトというホムンクルスの少年は体現していた。
望まぬ命を与えられ、あまつさえ死ぬことさえ許されなかった、と。
いや、身に憶えのないツケを支払わされるのは、ゴメ子も同じだ。
…それも、この儀式が終わる、その時に。
『おヌ…様』
まだ、ゴメ子は幻影のように揺らめいていた。
これから、消えてしまうからか。
これから消えてしまうから、もうその姿を保つことも、できなくなってしまったのか。
『いつまでも泣いてたって…仕方ないかや!』
ゴメ子に言われるまで、自分がどれだけ無様な有り様だったのか気付かなかった。
ボクの頬を、涙が流れ続けていた。
「ゴメ子、けど…ご、めん」
謝罪の言葉すら、まともに出てこなかった。様々な感情が同時に起爆し、コントロールすらままならない。
…コレが、喪うということか。
『おヌシ様…しっかりするかや!』
ゴメ子が活を入れてくれたが、それでもボクは枯れた糸瓜のように項垂れ、涙だけを垂れ流していた。そこにはマスターの威厳など欠片もなく、闇の住人たる魔術師の誇りも尊厳も、なにもかもが剥がれ落ちていた。いや、ボクなんて鍍金で塗り固められただけの、張りぼての魔術師だったんだ。
『仕方ないかやねぇ…痛いの痛いの、飛んで行けーかや!』
霞む視界の中、ゴメ子が近づいてきた。
さらに、近づいてきて。ボクの唇に、ナニカが触れた。
…ぷにっと。
「ゴメ…子?」
ボクの唇に触れていたのは、ゴメ子の唇だった。
ただただ柔らかく、月並みな感想しか抱けないほど、それは柔らかかった。
『初めての『ちゅう』は、うす塩味かやね』
ゴメ子の微笑みで、ようやくボクの視界が晴れてきた。
…ここは、ボクたちに宛がわれたあのコテージだ。
どうやって戻ってきたのか、その記憶も殆んどなかったけれど。
『ソレガシ様のマスターは、これしきのことでへこたれたりしないかや』
「け、ど…ボクは、ゴメ子に、マスターなんて、呼ばれる資格は、ない」
どの面を下げて、これまでボクはゴメ子のマスターだと口にしていたのだろうか。
「ボクはずっと、ゴメ子を苦しめて、きたんだ…生殺しの拷問を、続けていたんだ」
ゴメ子を苦しめている自覚は、あった。けど、ボクが思っていたよりも、ゴメ子はずっと重い磔刑に課せられていたんだ。皮肉にも、そのことをボクに気付かせたのは、あの青い帽子の少年だ。
『確かに、ソレガシ様はいつか動けなくなってしまう発条式のお人形かや…やっぱりそれは、ちょっと怖いかやね』
…誰だって、その発条が止まってしまうことは、怖い。
しかも、ゴメ子の発条は、ボクたち人間よりも、ずっと不安定だ。
『それに、おヌシ様がいなくなった後もソレガシ様だけが動き続けたりするのは…一人ぼっちになっちゃうことは、もっと怖いかや』
その声には、ゴメ子の本心が縫い込まれていた。
『…それでも、ソレガシ様を創ってくれたことを恨んだことだけは、ないかや』
ゴメ子は、その小さな体をボクに預けてきた。
「でも…」
ゴメ子を創造した頃のボクは、そこまで深く掘り下げて考えたわけではなかった。ただ、いなくなった玲の代わりに、氷魚を励ませればいいと浅薄な人助けがしたかっただけだ。
『このセカイには、たくさんのイノチがあるかや…』
ゴメ子の声には、賛美歌めいた小さな抑揚がついていた。
『けど、中には可哀相なイノチもたくさんあるかや…卵が割れずに孵化のできない鳥さんや、土から芽の出ないお花もあって、お母さんのお腹の中で死んでしまう子犬もいるかや』
「…確かに、命は平等じゃない」
与えられるモノと奪われるモノが、この世界の中では混在している。与えられるモノと奪われるモノでは住む世界そのものが違うというのに、それでも一緒くたにされて、背中合わせで生きている。
…それだけでも不平等だというのに、ゴメ子は与えられなかった上で、奪われるモノとしてこの世界に生を受けた。
『そういう可哀相な子たちと比べたら…ソレガシ様は、罰が当たるくらい恵まれていたんだかや』
そんなはずはないのに、それでもゴメ子は屈託なく微笑む。
…いや、ゴメ子の唇の端や、指の先は小さく、揺れていた。
『だって、ソレガシ様の傍にはずっと、おヌシ様が、いてくれて…だから、ソレガシ様がここで、消えても』
ゴメ子の声に、嗚咽が、混じり始めた。
それはとても痛切で、真冬の寒波より身を刻む。
「ゴメ、子…」
『ごめ、なさい、かや…泣かないって、決めてた、かやが』
ゴメ子は、さっき自分で吐露していた。
いつか、自分の存在が消えてしまうことが、怖いと。
その『いつか』は、もう秒読み段階にまで差し迫ってしまった。
『やっぱり、こわい、かやぁ…』
それだけの恐怖を、抑えきれるはずが、なかったんだ。
…ゴメ子の、こんな小さな体の中に。
『まだ、消えたくない、かや…死ぬのは、いやだかやぁ』
堰を切って、ゴメ子の感情が溢れ出す。
「ゴメ、子…」
ボクは、小さなゴーレムを…小さなゴメ子を抱き寄せることしか、できなかった。
ゴメ子に安らぎを与えることも、ゴメ子に纏わりつく不安を取り除くことも…何も、できなかった。
『まだまだ、ずっと…おヌシ様といっ、しょにいたい、かやぁ』
ゴメ子は、ボクの胸に顔を押し付け、声を押し殺して泣いていた。
…これまでもずっと自分を押し殺していたのに、さらにまだ押し殺して、泣いていた。
だから、ボクはそこで、一つの決断を下した。
「…この儀式そのものを、壊してしまおう」
決断をすると同時に、その言葉を搾り出した。
『…………ぇ?』
ボクの言葉を聞き、ゴメ子が泣き腫らした顔を上げる。
「この儀式そのものを、潰してしまうんだよ…」
そもそも、こんな儀式のせいでゴメ子が泣いているんだ。
…だとすれば、間違っているのは儀式の方だ。
「そのようなことをすれば、貴方自身にもどのような皺寄せが出るか分からないですよ」
それまでボクとゴメ子の声しか聞こえなかったコテージの中、ボクたちとは毛色の違う声が発せられた。
「いえ、貴方だけではありません。ワタシたちにもどのようなとばっちりがくるか、知れたものではありません」
沈着な玲の声が、逸るボクを諫める。
…けど、良識や常識なんかで止まれるか。
「知ってるよ…始めてしまった魔術儀式を、途中で止めてしまうことの危険性は」
儀式を始めた段階で、魔力の蓄積は始まっている。途中で儀式を止めてしまうということは、その蓄積された魔力が行き場を失くすというコトだ。
「それでも、ボクはこの儀式を潰す…行き場を失くした魔力が暴発したところで、知ったことじゃない」
自滅の可能性があることも、織り込み済みだ。
「自暴自棄になってしまっては、視野が狭くなってしまいますよ」
小さな子供を諭すように、玲はゆっくりと言葉をつなぎ合わせる。
「ボクは落ち着いているよ…落ち着いて、それでもこれしかないと判断したんだ」
「その判断をしている時点で、貴方は冷静ではないのです」
「そんなことは…ない」
本当は、理解していた。
今のボクは、ゴメ子を失う恐怖で脳髄が熱暴走を起こしている、と。
「この儀式を潰したりしなくても、ワタシたちは生き残れるではないですか」
玲はそこで、背後からボクの背中を叩いた。肩叩きの要領で、とんとんとん、と。
そのリズムに合わせたように、玲の言葉が、混濁していたボクの脳裏の隙間に、すとんと落ちた。
「ボクたちは、生き残れる…?」
…それは、可能、なのか?
…ゴメ子は、助かるのか?
「いや、無理だ…」
ヨハン・バルトに『真名』を特定されたことで、今のボクはマイナス八点もの魔力負債を抱えていた。
ヨハン・バルトたちの『真名』が特定できたとしても、順位はこのようにしかならない。
1.宝持玲 撫子 零 未特定
2.宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み
2.佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み
5.宮本悟 尾花 マイナス八 特定済み
5.アンナ・アルバラード 葛 マイナス八 『破裂』 予定
7.テオ・クネリス 朝顔or藤袴 マイナス十 特定 予定
7.ヨハン・バルト 朝顔or藤袴 マイナス十 特定 予定
「…このケースでさえ、ボクは五位にしか喰い込めない」
どう足掻いても、三位圏内には届かない。
「大丈夫ですよ、ワタシも『真名』を特定されればいいのです」
玲の言葉に、ボクは耳を疑った。
「玲も、『真名』を特定される…?」
ボク同様に『真名』の特定をされれば、玲もマイナス八ポイントの魔力負債を抱えることになる。
「そうなったら、相対的にボクの順位も繰り上がることになる、けど…」
1.宝持氷魚 女郎花 マイナス四 特定済み
1.佐藤五月雨 萩 マイナス四 特定済み
3.宮本悟 尾花 マイナス八 特定済み
3.アンナ・アルバラード 葛 マイナス八 『』 予定
3.宝持玲 撫子 マイナス八 特定 予定
6.テオ・クネリス 朝顔or藤袴 マイナス十 特定 予定
6.ヨハン・バルト 朝顔or藤袴 マイナス十 特定 予定
「…いや、駄目だ」
一位がマイナス四ポイントの氷魚と佐藤五月雨になり、三位にはボク、玲、アンナ・アルバラードの三人がマイナス八ポイントの魔力で横並びになるが…。
「それだと、三位以内に五組の魔術師が入ることになる…そうなった場合は、魔力の均衡が崩れて七組全てが全滅だ」
せめて、アンナ・アルバラードの『真名』も特定できれば、このリザルトも変わるのだけれど…。
「…それが、できない」
次は最終となる第四ピリオドだが、『離脱』をしていないのはアンナ・アルバラード、ヨハン・バルト、テオ・クネリスの三人だけだ(この三人は第三ピリオドまでの『予約』を行っていた)。
ボクと氷魚、それに玲の三人は『真名』の特定権を残しているが、ヨハン・バルトたち全員の『真名』を特定することは、できない。
この三人のうち、二人の『真名』を特定した時点で、最後の一人となったその魔術師が『破裂』のペナルティを受けてこの儀式は終了するからだ。
「…三人のうちの二人しか特定ができないなら、『真名』の特定はヨハン・バルトとテオ・クネリスが優先だ」
あの二人の方が、アンナ・アルバラードよりも獲得魔力が高いからだ。
しかし、ヨハン・バルトとテオ・クネリスの『真名』を特定した場合、先ほどの予想リザルト通りに三位以内に五組の魔術師が入ることになる…。
「…かといって、アンナ・アルバラードを優先して『真名』を特定しても、ボクは三位以内には入れない」
その場合は、ヨハン・バルトとテオ・クネリスのどちらかが『破裂』のペナルティを受けることになるが…どちらが『破裂』を受けても、獲得魔力でボクは勝てないからだ。
「八方塞、か…」
どこにも、逃げ場などない。
虚ろに視線を漂わせたけれど、そこに答えなどあるはずもなかった。
…けれど、そこには玲がいた。
この儀式で生き残れると言った宝持玲が、そこにはいた。
「そう、か…アンナ・アルバラードを、最後の一人にしなければいいのか」
そこで、ようやく見えた。いや、玲が見せてくれたんだ。
確かに、ボクたちが生き残る糸口は、存在する。
「これなら、いける…突破口としては、十分だ」
このふざけた宴の幕を、無傷で下ろすことが、できる。
この筋書き通りに、いくのなら。だが。




