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レイヤードリチュアル  作者: 榊 謳歌


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「…………」


 …いや、まだだ。まだ、完全に息の根を止められたわけじゃない。

 この儀式において、『真名』特定の権利は一セットにつき一度しか行使できない。


 現在、向こうサイドで特定権を残しているのは、佐藤五月雨とヨハン・バルトの二人だけだ。テオ・クネリスは先ほど氷魚の『真名』を特定しているし、アンナ・アルバラードは第一ピリオドで佐藤五月雨の『真名』を特定している。


 …つまり、佐藤五月雨が『真名』の特定に失敗をした場合、ボクか玲のどちらかが首の皮一枚で生き残れる、ということだ。


「…ボクか玲のどちらか、か」


 この儀式で玲が式紙を失えば、婚約の件も破談になるのではなかったか?

 だとすれば、ここで玲に貧乏くじを引いてもらうことになっても、気に病むことはないのではないか?


『痛い…かや』

「あ、ごめん…ゴメ子」


 思わず、ゴメ子の手を握る指先に、不要な力を入れてしまった。


「俺は…」


 それまで沈黙を保っていた佐藤五月雨が、口を開いた…が、どちらにしろ、あの科学者がボクたちの『真名』の特定にしくじることを祈ることしか、できなかった。


「俺は…どちらの『真名』も、特定は、しない」


 佐藤五月雨は、選択自体を、放棄した。


『どういうことだ、科学者…』


 ヨハン・バルトが、俄かに気色ばむ。


「ここで、あの小僧と小娘の二人を脱落させたとして…その後はどうなる?それで喜ぶのはお前と白スーツ…それに、あの赤いドレスの小娘だけではないのか?」


 佐藤五月雨は、こちらを一瞥することもなく、車椅子の少女を眺めていた。

 …ここでボクと玲が揃って特定された場合、戦況はこうなるはずだった。


ヨハン・バルト    プラス二  

テオ・クネリス    プラス二  

アンナ・アルバラード マイナス二 

佐藤五月雨      マイナス四 

宝持氷魚       マイナス四 

宝持玲        マイナス八 

宮本悟        マイナス八


 同着でトップとなるのは、第一セットをマイナス四ポイントで折り返し、第二セットで六ポイントの魔力を得ていたヨハン・バルトとテオ・クネリスの二人だ。

 そして、第一セットをマイナス八ポイントで折り返し、第二セットで六ポイントの魔力を得ているアンナ・アルバラードが三位に食い込んでくる。

 となれば、上位三位以内に入るのはこの三人となり、あの佐藤五月雨が報われることはない。


『こちら側に手は貸さない…ということか?』


 ヨハン・バルトは、年不相応に凄味のある視線を佐藤五月雨に向ける。


「噛み付かれると分かっていて、むざむざ手を出す馬鹿もおるまい」


 佐藤五月雨は、『真名』を特定されているにもかかわらず、まだ儀式を諦めていない。

 …いや、最初から諦められるようなら、反魂に手を出すような愚は冒さないか。

 今更ではあるが、あの黒衣の科学者とボクたち魔術師では、立ち居地が微妙に異なる。

 ボクたち魔術師は、それぞれの秘術を駆使してパートナーを創造することに成功した。

 ただし、その魂魄(こんぱく)は仮初のもので、きわめて不安定だ。


 だが、不安定とはいえ、新しく創造した魂魄ではある。

 対して、あの佐藤五月雨が行おうとしているのは、反魂だ。それは、死者の魂を黄泉路から呼び戻そうとする、魔術師ですら尻込みをする禁忌だ。


『そうまでして、その娘を取り戻したいのか…』


 …ヨハン・バルトの青い瞳が、僅かに鈍色(にびいろ)の光を宿していた。


『古今東西において、死者の魂の呼び戻しに成功した例などない…(すべか)らく、それらの試みは徒労に終わってきた』


 酷な言い方ではあるが、このヨハン・バルトの言葉は正しい。神話や伝承の中には死んだ人間が帰ってくる逸話も残されてはいるが、言ってしまえば、それらは人の妄想が産んだ夢物語だ。どころか、夢物語であるはずの伝承の中ですら、魂の呼び戻しの是非を問う展開は多い。この国を創造したイザナギとイザナミの夫婦神ですら、その顛末は明るいものではなかった。


『死者の再生など、そもそも不可能なのだ…一度でも死亡した時点で、その者の魂は肉体から隔離され、二度と舞い戻ることはない』


 ヨハン・バルトが言うように、死者を蘇らせることが不可能というのは、現代魔術師の共通認識だった。過去から現在に至るまで、昼夜を問わず、寝食も惜しまず、数多の魔術師たちが死者の蘇生に従事してきた。


 それでも、ただの一人も死者の復活に成功した魔術師はいない。

 なので、いつからか魔術師たちは自然とこう考えるようになった。

 死者を黄泉路から帰還させることなど、そもそも不可能なのではないか、と。

 生命を蘇らせることが不可能なら、擬似生命体の研究にこそ没頭するべきではないか、と。

 こうして、現代の魔術師たちは疑似生命体の研究を重ねるようになった。


『諦めろ…それが、その娘のためでもある』


 ヨハン・バルトは、正義を翳す断罪者の口調だった。

「…知って、いる」


 佐藤五月雨は、重い口を開いた。錆び付いた扉が、軋みながら開くように。


「理解しては、いる。俺には、魔術的な素養がないことも…死者の魂とは、死んでしまった時点で別の次元にでも飛散してしまうということも」


 痛みや苦味、ありとあらゆる苦痛の感情が、そこでは撹拌(かくはん)されていた。


「それでも…能無しだと蔑まれようと、鬼畜だと後ろ指を差されようとも」


 佐藤五月雨はの言の葉を紡ぐ。無痛の痛みを、引き摺りながら。


「それでも、死んだ子供に一目でも逢いたいと願い、狂うのが…親というものだ」


 それは、心の底からの叫びであり願いであり、そして、呪いだった。


『薄汚い御託を並べるな…』


 黒衣の科学者に真っ向から対峙をするのは、青い帽子で青い瞳の少年だ。


『お前ら魔術師の身勝手な願いがどれだけの悲痛を産むか…考えたことがあるのか?』


 …お前ら魔術師?

 そこで、ヨハン・バルトは奇異な言葉を口にした。


『万に一つの奇跡が起こり、仮にその娘をこの世に呼び戻せたとしても、それはもうお前の知る娘ではない。別の魂が宿った、別の生き物だ。いや、生物としての体を成しているのならまだいい。最悪のケースでは魂と体が釣り合わず、肉体が崩壊したまま生かされることになる…貴様の先祖と、同じ轍を踏むつもりか』


 言い伝えによると、西行法師は高野山での修行中、あまりの人恋しさに人骨から人間を創造しようとしたのだそうだが、それは失敗に終わった。いや、ただの失敗ならばまだよかったのだろうが…その人骨は、心を持たないバケモノとしてこの世に生を受けてしまった。

 …そして、西行法師は、あまりの恐ろしさにその場から逃げ出した。


『それがどれほど罪作りなことか、分別のある大人が理解できないはずはないだろうが…況してや、貴様には魔術的素養がない。できることといえば、魔術師の猿真似が関の山だ』


 ヨハン・バルトの断罪は、尚も続く。


「私も、言ったはずだ…その程度のお為ごかしで止まれるほど、親の情念は軽いものではない、と」


 ヨハン・バルトとと佐藤五月雨の言葉は水と油で、平行線上で火花を散らす。


『お前らは、いつもそうだ…自分の思いの丈だけを、わしらにぶつけてくる。その重荷を全て、わしらに背負わせる』


 ヨハン・バルトの瞳は、様々な感情により、曇っていた。


『ならば、聞かせてやろう…その親の情念とやらの所為で、何百年このわしが生きる破目になったのか、を』


 何百年…?

 生きる羽目になったのか、を…?


『耳の穴をかっぽじってよく聞けよ。わしはこれまで、四百年以上は…生きている』


 ヨハン・バルトの言葉には、積年の呪詛が込められていた。

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