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「あちらのお嬢さんの『真名』を、特定させてもらおうか」
彫刻魔術師テオ・クネリスは、そのお嬢さんを…宝持氷魚を、指差していた。
「…どうして」
疑問が、口をついて出た。
どうして、氷魚、なんだ?
なぜ、この伊達男はボクが出した指令書の通りに、アンナ・アルバラードを狙わない?
「おや、少年…私が彼女を脱落させることがそんなにおかしいかな?」
「いや、おかしくは、ない…」
できる限りの平静を、装う。それに、ここで鼓動を乱す必要はない。氷魚は、この第二セットでは最初からババを引いて『離脱』をしていた。『真名』を特定されたとしても魔力がマイナスになることはない。
寧ろ、特定に失敗した場合はテオ・クネリスが『真名』を晒すことになり、魔力がマイナスになる。そうなれば、残るヨハン・バルトの『真名』の特定も容易になる。どちらに転んでも、こちらがイニシアチブを手放す展開にはならない…はずだが、なんだ、この胸騒ぎは。
『それではお聞かせください。宝持氷魚さまの『真名』を』
木彫り面のフィニートは、軽妙な声で告げる。
「あちらのかわいらしいお嬢さんの『真名』は…女郎花、だ」
確信という支柱に支えられたテオ・クネリスの声には、微塵の揺らぎもなかった。
『宝持氷魚 女郎花 零』
電光の掲示板には、当然その結果が表示される。
『テオ様の特定は成功のようですが…どうやら、あのお姉さまは第二セットの最初から『離脱』をされていたようですね、獲得した魔力がゼロになっておられます』
驚いた、という空々しい態度で、フィニートは初心に振舞う。
『ということは…第一セットをマイナス四ポイントの魔力で終了された氷魚様は、既にマイナス四ポイントでこの儀式にピリオドを打たれておられた、ということですね』
フィニートの言葉通り、この儀式における氷魚の魔力値は、既に確定していた。
『宝持氷魚 マイナス四ポイント』
電光の掲示板にも、氷魚の最終リザルトが表示される。
「…まさか、この第二セットで一ポイントの魔力も得ていないとは思わなかったよ」
さしもの伊達男も、肩透かしを喰うこの展開までは読めていなかったようだ。
けれど、疑問は沸く。
どうして、あのテオ・クネリスは氷魚の『真名』を特定できたのか、と。
どうして、あのテオ・クネリスはアンナではなく氷魚の『真名』を特定したのか、と。
ボクが用意したテオ・クネリス宛の指令書には、アンナ・アルバラードの『真名』を特定すれば五ポイントの追加魔力を得られると、記していたはずだったのに。
「私の行動が解せない…という面持ちをしているようだね、少年」
テオ・クネリスは、どこか見透かした口調だった。
「…氷魚の『真名』が特定できた種明かしくらいは、してくれるんだろ?」
「そんなに大層なカラクリじゃないよ。私が彼女の『真名』を知ったのはね、私たち六人で『真名』を提出し合ったあの時だ」
「あの時…第二セットが始まる前、佐藤五月雨の『真名』を炙り出した、あの時か」
それは、ボクが仕掛けた罠だった。
「あれは少年の呼びかけで集まったけれど…あそこで網を張っていたのは、君だけじゃなかったんだ」
「アンタも…あの時、ナニカ仕掛けてたってのか?」
「ああ、コレを使ったんだよ…」
テオ・クネリスは、懐からビニール袋を取り出した。袋の中には色の薄い粉末が入っていて、その袋を愛でるように触れていた。
「なんだよ、それは…」
「これはね、墓石を削ったものだよ」
「はか…いし?」
この場にそぐわない言葉に、思わず言葉が途切れそうになる。
「ああ、『彼女』が眠っている墓石を、一年ほど泣きながら丹念に刻み、私はこのガラティアを創造した」
「墓石から、疑似生命を創造したのか…」
…人のことは言えないが、魔術師というのはドイツもコイツも業が深い。
「そうだよ。そして、コレはその墓石を削った時に出た粉末だ」
テオ・クネリスはそう言った後、その粉末をそっと懐にしまった。
「…で、その粉末をどう使えば、氷魚の『真名』が特定できたっていうんだ?」
「私たちは、あの佐藤という科学者の『真名』を特定するために、一つの箱の中に他の六人全員の『真名』を入れたよね」
「ああ…」
ボクは、テオ・クネリスの言葉に頷く。
「あの時、箱に『真名』が書かれたカードを入れていった順番を…少年は記憶しているかな?」
「…最初に箱に入れたのは、氷魚だったはずだ」
第一セットでボクたちを裏切った氷魚があの案に乗るのなら、他の魔術師たちも同調し易いと判断したからだ。
「そう。そして、その次に『真名』を入れたのが私だった…その時、最初に箱の中に入っていた彼女のカードに、ちょっとした目印をつけたんだよ」
人差し指を使い、テオ・クネリスはやや気障な仕草で空中にバツ印をつけた。
「で、あの箱から『真名』のカードを取り出して読み上げたのも、私だったけど…その目印で、彼女の『真名』が女郎花だと知ったんだよ」
確かに、『真名』の読み上げをしたのはこのテオ・クネリスだった。
「その目印が、コレだ…いや、目印というほど目立つものではないけれど」
テオ・クネリスは、墓石を削ったというあの色の薄い粉末を、再び取り出した。
「…つまり、カードを取り出す時にその粉末が付着していたのが、氷魚の『真名』が記されたカードだったってことか」
ボクは、その粉末を凝視した。殆んど色もなく、色褪せたただの粉にしか見えなかった。
「ああ、手触りも薄いし、この粉には私しか気付かないんじゃないかな」
再び、テオ・クネリスは粉末の袋を撫でて…いや、愛でていた。
「意外に女々しいんだな、アンタ…」
…その粉末は、最愛の人どころか、その墓石を削ったただの残滓だというのに。
「まったくその通りだよ…気持ちの悪いヤツだろう?」
己を卑下しながらも、けれど、テオ・クネリスの表情は誇らしい。
「でも、コレはガラティアが生まれた証でもあるんだ。そして、後生大事にその墓石の欠片を持ち歩いていたお陰で、私はあちらのお嬢さんの『真名』を特定できた」
テオ・クネリスは、そこで氷魚に視線を向けた。
「…けど、残念だったな。氷魚がこの第二セットで一ポイントの魔力も得ていなくて」
正直、最初はこのテオ・クネリスの小細工に肝を冷やした。けど、面食らったのは最初だけだ。冷やした胆のついでに思考も冷やしてみれば、こちらに実害がないことは明白だった。寧ろ、あの伊達男が一度しかない特定権を使用したことが無為だったのだから、アドバンテージを得たくらいだ。
『残念、か…そんなことはないぞ』
そこに、不穏な一言が投じられた。
それは、テオ・クネリスの声ではない。
『何しろ、これでロリコン兄さんのグループは、仲良く全滅だからだ』
不吉な声の先にいたのは、青い帽子の少年…ヨハン・バルトだった。




