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レイヤードリチュアル  作者: 榊 謳歌


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「破れかぶれでとち狂ったか?」


 藪から棒にアンナ・アルバラードから『真名』を特定すると宣言された佐藤五月雨だが、呆れ顔で嘆息をするだけだった。

 いや、アンナなどそっちのけで、車椅子に座る無言の少女に気を配っていた。この儀式に勝ち抜けば、あの少女の魂は冥府から帰ってくる。黒衣の科学者の脳裏に浮かぶのは、その少女との邂逅だけだ。そして、それはもう夢物語ではない距離にまで肉薄している。

 足元に巣食う波状の悪意に、この科学者は気付きもしないけれど。


「んふふう、ピエロに成り下がるのはあなたの方ですね。もはや、まな板の上の鯉というやつです」


 珍しく、慣用句を間違えないアンナだった。


「勝算でもあるのか?」


 アンナの強気の姿勢にも、佐藤五月雨は鼻白い視線を向けていた。


「勿論ですね。アナタの『真名』は、ばっちり把握しているのですよ。さて、どれだけ魔力がマイナスになりますですかね。四ポイントですか?それとも六ポイントですかね?」

「稚拙なハッタリだ、できるものか」


 佐藤五月雨は、視線でアンナの言葉を迎え撃つ。


『おやおや、第二セット早々に『真名』の特定ですか』


 佐藤五月雨とアンナの鞘当てが一段落したところで、フィニートが口を挟んだ。


『けれど、宜しいのですか?『やっぱり止めた』とはまいりませんよ、アンナ様』

「かまいませんね。後悔は先に目立たず、ですねー」


 …確かに後悔は先には目立たないが。


『それでは、アンナ様…佐藤五月雨様の『真名』は、何でございましょうか』


 いささか茶化した空気が流れていたが、フィニートの言葉により周囲の空気が引き締まる。

 …ここが、この儀式の正念場だった。


「あの辛気臭い科学者の『真名』は…」


 アンナ・アルバラードの瞳に、魔術師特有の細かい光りが灯る。


「あの科学者の『真名』は…『萩』ですねっ!」


 掲げた指を、アンナは振り下ろした。

 正解か。不正解か。


 アンナの答えが正解なら、あの黒衣の科学者は、この第二セットで稼いだ全ての魔力をマイナスに変えられ、強制的に『離脱』させられる。


 アンナの答えが不正解なら、あの赤いドレスの魔術師が自分の『真名』を晒すことになり、第二セットで得た全ての魔力が反転し、強制『離脱』となる。


 既に第一セットでマイナス八点という膨大な魔力を失っているアンナは、この第二セットでも大きく『予約』を行っているはずで、この特定を外せば、もはやリカバリはできなくなる。それでも、赤いドレスの魔術師は不敵に笑っていた。


 ただ、第一ピリオドという初っ端から『真名』を特定する必要性は、実はない。第二、第三ピリオドまで待てばそれだけ『真名』の目星もつけやすくなるし、そもそも、アンナには何のメリットもない。あの佐藤五月雨の『真名』を特定できたとしても。


 それでも、アンナ・アルバラードにはこの段階で佐藤五月雨の『真名』を特定しなければならない理由が…というか、他の魔術師たちに先を越されたくない理由があった。

 …それが、ボクの仕掛けだと、彼女は知らないけれど。


『佐藤五月雨 萩 四点』


 ホールの壁に設置された電光のモニターには、その結果が大写しになっていた。そこから、耳が痛いほどの静けさが広がる。


「…おっしゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 だが、その静けさを、乙女とはかけ離れた赤い咆哮が蹴散らした。


『喜ぶのはまだ早いのではないか…というか、淑女の欠片もないぞ、アンナ』


 保護者ポジションである招き猫ガーゴイルのラッカーから、アンナは窘められていた。


「いいのですねー。勝てば乾杯なのですね」


 …祝勝会か。


『それでは、ルールに則り、佐藤五月雨様はこの第二セットから強制『離脱』…いえ、今はもう第二セットですので、これが佐藤様の最終結果となりますね』


 フィニートの言葉通り、電光の掲示板には佐藤五月雨の最終結果が表示されていた。


『佐藤五月雨 萩 マイナス四点』


 強制『離脱』となった佐藤五月雨には、もはや、これ以上の魔力獲得の手立てはない。つまりは、この儀式での脱落が、ほぼ確実になったということだ。


「馬鹿、な…なぜ、私の『真名』が特定など、された」


 黒衣の科学者である佐藤五月雨はその瞳から光りを失い、車椅子の少女に、よろめく。


「私の、娘が…少し、あと、少しで、あの笑みが、帰って来るはずだった、というのに」


 佐藤五月雨が描いた未来は、引き裂かれ、その落差に打ちひしがれる。


「なぜ、私の『真名』を特定した…いや、特定できた」


 佐藤五月雨の声は口惜しさに満ち、枯渇寸前だった。


「簡単ですね。(きじ)も鳴かずば撃たれまい、というヤツですね」

「…そんな戯言で、茶を濁すな」

「だから、そのままの意味なのですね。あなたは悪目立ちをしすぎたのですよ、ワタクシたち全員に呉越郷愁を選択させるほどに」


 真っ赤なドレスを翻し、アンナ・アルバラードは色んな意味で絶好調だ。


「まさか、貴様ら、全員で…」


 そこで、佐藤五月雨の表情が変わる。どうやら、気がついたようだ。


「ええ、あなたのご想像の通りですね」


 アンナ・アルバラードは、返り咲いた笑みで微笑む。


「あなた以外の全員で、『真名』を出し合ったのですね」


 あの黒衣の科学者を除く六人の『真名』が判明すれば、消去法で佐藤五月雨の『真名』を特定することができる。

 要するに、魔術師たちが寄って集って科学者に落とし穴を掘ったというだけのことで、種を明かせば、この程度の安い手品だということだ。


「馬鹿な…『真名』を見せ合うなど、そんなことをすれば、お前らにとっても自殺行為だろうが」


 佐藤五月雨が顔色を変えるのも無理はない。他の魔術師に自身の『真名』を知られるということは、生殺与奪の権利を握られるということだからだ。


「ボクたちだって、そこまで一枚岩じゃない」


 そこで、ボクが出しゃばった。


「ただ、箱を一つ用意しただけだよ」

「…箱?」


 開いた空箱のように、佐藤五月雨は口を開けた。


「ああ、外からは中身が見えない箱に穴を開けて…その中に、アンタを除く六人の魔術師で『真名』のカードを入れたんだ。四つ折りにして、回りには見えないようにしてから」


 発案は、ボクだった。


「そして、六人全員が入れた後、箱から『真名』を順番に取り出して読み上げればいい。そうすれば、誰がどの『真名』の持ち主かは分からないまま、あんたの『真名』だけが特定できるって寸法だ」

「…小賢しい手を」


 般若を絵に描いたような面持ちの、佐藤五月雨だった。


「まあ、すんなりとはいかなかったけど…」


 第一セットで、あれだけのすったもんだがあった後だから無理もない。だから、ボクは最初に、氷魚に箱の中に『真名』を入れてもらった。第一セットで玲を裏切った氷魚がボクの提案に乗るのなら、他の連中も同調しやすいと踏んでのことだ。

 そして、氷魚が応じてくれたお陰でテオ・クネリスやアンナ・アルバラードも続き、最終的には六人全員の『真名』がその箱の中に投じられた。


 あとは、箱から取り出した『真名』を順番に読み上げていき、佐藤五月雨の『真名』を炙り出すだけだった…のだが、実はこの段階で、イレギュラーが起こっていた。


 箱から取り出された『真名』を読み上げる役を買って出たのはテオ・クネリスで、最初は順調だった。尾花、藤袴、女郎花…と、テオ・クネリスが『真名』が読み上げていったのだが、二つほど、読み上げられなかった『真名』があった。


 一つは、萩で。

 そして、もう一つは、桔梗だ。


 六人で六枚の『真名』を出し合ったはずなのに、読まれなかった『真名』が二つもあった。一つなら、何の問題もなかった。それがあの科学者が引いた『真名』だからだ。


 だが、箱に入れられた『真名』が五枚しかなかったというわけでもなかった。

 箱に入れられていた『真名』はきちんと六枚あったのに、読み上げられなかった『真名』は二つもあった。


 …種明かしをすると、足りない萩と桔梗の代わりに、新たに『朝顔』という『真名』が混じっていた、ということだった。


 当然、ボクたちの中には動揺が広がった。全員で協力しようと言った舌の根も乾かないうちに、ダレカが自身の『真名』を朝顔などと偽ったのではないか、と。

 けど、ここで場を鎮めるために動いてくれたのは、玲だった。


 この『朝顔』というのは、秋の七草の元ネタとなった山上憶良の中で詠まれていた、と。

 そして、この和歌で詠まれていた朝貌というのは、そのまま朝顔だという説もあるが、桔梗という説もある、と。


 だから、第二セットでは、この朝顔が桔梗の代わりに使われているのではないか、と。

 玲の解説は整然としていたし、箱から取り出した朝顔の『真名』も、微弱な魔力を帯びていたのでおそらくは本物だった。

 ただ、それでも完全にその場が収まったわけではなかった。第一セットであれだけの鍔迫り合いを演じたボクたちが、おいそれと他人を信用できるはずなどなかったからだ。


 だが、アンナ・アルバラードが佐藤五月雨の『真名』を特定すると名乗り出たことで、やや尻切れトンボではあったけれど、その場はなんとか収束した。

 そして、公言通りに、アンナは佐藤五月雨の『真名』を萩だと特定することにも成功した。


 多少のイレギュラーはあったけれど、ここでアンナ・アルバラードが佐藤五月雨を脱落させてくれたお陰で、ボクの筋書きは狂わずにすんだ。

 そして、ボクが施した仕掛けは、この程度の玉突き事故で終わりでは、なかった。

 ここから先は、さらに底意地の悪い落とし穴が、大口を開けて待っていた。

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