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宝持氷魚 マイナス四点
宝持玲 マイナス四点
宮本悟 マイナス四点
アンナ・アルバラード マイナス八点
ヨハン・バルト マイナス四点
テオ・クネリス マイナス四点
佐藤五月雨 零点
…結局、折り返し地点である第一セット終了時での魔力の浮き沈みは、こうなった。
いや、浮いた者などただの一人もいない。点数の上ではトップの佐藤五月雨でさえ獲得した魔力はゼロで、他の全員が漏れなく沈んだだけだ。それでも、現時点でこの儀式の勝者に最も近しいのは、あの黒衣の科学者だった。
『おヌシ…様』
ゴメ子は、不安の入り混じる声でボクの胸に顔を埋めた。
「ゴメ子…」
その小さな頭を、ボクは恐る恐る抱きかかえた。静寂で微弱な空気が、揺り篭となってボクたち包み込む…とは、問屋が卸さなかった。
「白々しい傷の舐め合いなら、他所でやってもらえますか?」
淡白な口調でボクたちの世界に横槍を入れたのは、三つ編み陰陽師の宝持玲だ。
「…ここ、ボクたちのコテージなんだけど」
現在は、次の第二セットが始まるまでのインターバルだった。第一セット終了と同時に第二セットでの『真名』を引き直し、ボクとゴメ子はここに戻ってきたのだが、玲も当たり前のようにここに居座っている。
ただ、ここには玲の姉である氷魚の姿はない。それこそ、当たり前のように。
「なんですか、姉に裏切られた傷心の乙女を、一人で戦渦の海原に放り出すのですか?」
「傷心の乙女にしては、紅茶の飲み方から図太いくらいの余裕が感じられるんだけど…」
勝手知ったると言わんばかりに、玲は伸び伸びと寛いでいた。
「まあ、傷ついているというのは口先だけですからね。あの姉が手の平を返してワタシを裏切ることなど、最初から予定調和でしたから」
玲が心の扉を閉ざした音が、どこか遠くで聞こえた気がした。
「けど、玲…」
「…ワタシが宝持家の本家に引き取られた経緯を、宮本さんは知っていますか?」
唐突に、玲はその話題を振ってきた。
「確か…本家に跡取りが生まれなくて、それで玲に白羽の矢が立ったんだろ?」
「それでは…どうしてその白羽の矢がワタシに突き立てられたのかは、ご存知ないのですか?」
…起伏のなかった玲の声の中に、僅かな仄暗さが感じられた。
「いや、細かいところは、ボクも知らない…」
けれど、この話題が玲の傷跡に触れるということだけは、分かった。
「幼い頃、ワタシとあの姉とで勝負をして…勝った方が本家に引き取られることになったのです」
「…そこで、玲が勝ったのか」
「いえ、ワタシが勝ったわけではありません…あの人が、故意に負けただけです」
その玲の声からは、黒いナニカが滲んでいた。
「…氷魚が、八百長で負けて本家行きから逃げたってことか?」
「そうですよ…」
小さい頃の玲は、人一倍さびしがり屋だった。きっと、本家の方でも独りぼっちで辛い思いをしてきたはずだ。だからこそ、血を分けた双子の姉を見る玲の瞳も、自然と険しかったのか。沈痛な静けさだけが、周囲に張り詰める。
『…そんなこと、ないかや』
痛みすら伴う静けさを掻き分けたのは、ゴメ子だった。
「ありますよ…ワタシがいない方が、あの人にとっては都合がよかったのです」
ゴメ子の言葉に、玲が微かに気色ばむ。
『そんなことはないかや…玲姉様がいなくなって、氷魚もさみしかったはずかや』
ゴメ子は、無垢な瞳のまま一歩も引かない。
『そうじゃないと…ソレガシ様が生まれてくることは、なかったはずなんだかや』
そこに触れるのか、ゴメ子…。
ゴメ子は、気付いていたようだ。自分が、どうして生まれたのかを…。
「…どういう、ことですか?」
玲が、僅かに表情を変えた。
『ソレガシ様が、玲姉様の代用品として創られた…ということ、かや』
ゴメ子の声からは、小さな痛みが見え隠れしていた。
『玲姉様がいなくなってから、氷魚はずっと寂しかったはずかや。だからこそ、うちのアルジ様はソレガシ様を創ったんだかや…ううん、創ることができたんだかや』
「…………」
玲は沈黙を選び、ゴメ子の言葉が白か黒かを判断していた。
『玲姉様だって分かっているはずかや。魔術師の血統でもないうちのアルジ様が、異形のイノチを創ったことが、どれだけの偉業かを』
「…ゴメ子のイノチは、異形なんかじゃない」
そのイノチもタマシイも、ちゃんとしたカタチを持ったものだ。
『けど、ホントなら…子供だったアルジ様にはソレガシ様を創ることなんて、できないはずだったかや』
「そう、でしょうね…疑似生命の創造は高等儀式です。本来なら、気が遠くなるほど何世代にも渡って魔術書に耽溺し、魔術儀式の匂いをその身に刷り込ませることで、ようやく疑似生命創造の儀式の、模糊としたイメージを掴むことができるようになるのですから」
そこで少しだけ、玲はゴメ子から目を逸らした。
『それでもアルジ様がソレガシ様を創ることができたのは、氷魚が手伝ってくれたからかや…ううん、氷魚が玲姉様を求める心がたくさんだったから、姉様の代用品としてソレガシ様がこの世に生まれたんだかや』
ゴメ子は、滔々と語る。自分が、玲の代用品としてこの世に生み落とされた、と。
…だが、ゴメ子自身が、そのことに気付いていたのか。
確かに、ゴメ子を創ろうとしたのは、玲がいなくなって気落ちしていた氷魚のためだ。だから、ゴメ子の面立ちは幼い頃の玲と瓜二つとなっている。
それでも、ゴメ子は決して玲の代用品というわけではない。
ボクの魂の片割れを分けて創造した、ボクの大事な半身だ。そのことを伝えたくて、ボクはゴメ子を抱く腕に緩やかに力を込めた。ゴメ子も、ソレを察したようにボクの胸に顔を埋める。
「…………」
玲は沈黙し、軽く瞳を閉じた。
けど、初めてゴメ子を見た時から、玲も直感していたはずだ。このゴメ子は、幼い頃の玲の生き写しだと。そして、おそらくはその理由にも。
『勿論、玲姉様の方が、氷魚よりもさみしい思いをしたはずかやが…』
そこで、ゴメ子はボクの腕から抜け出て玲の元に歩み寄り、普段から肌身離さないはずのウサギのウサ子を、玲に手渡す。玲は、腫れ物にでも触れるような緩慢さで、手渡されたウサ子に触れた。
「宝持家の本家に行く時、ワタシは何も持って行くことが、許されませんでした…勿論、一番のお友達だったこの子もです」
元々、ウサ子は玲が蝶よ花よと大事にしていた人形だ。どうして置いて行ったのかと不思議には思っていたが、連れて行くことすら許されなかったのか。
「差し出がましいことかも、しれないけど…」
ここで、ボクが口を挟んだ。
「氷魚はああ見えて本番に弱いところがあるから、二人が勝負をしたその時も手を抜いたとかじゃなくて、何か失敗したんじゃないか?」
「…仮に、そうだとしても」
ウサ子を抱いたまま、玲は少しだけ拗ねたように口を開く。
「さっきの第一セットでは、あの姉はワタシの『真名』を特定して、ワタシの魔力をマイナスに落としました…あの造反は、一体どういう了見だったのでしょうか」
玲の言葉の端々は、まだ不可視の棘で覆われたままだ。
「多分、だけど…玲は、本家の決めた相手と結婚させられることになってるんだろ?」
ボクは、虚空を眺めながら呟く。玲の結婚という事実から、目を背けるように。
「そうですね…ワタシの本意では、ありませんけど」
不本意を隠そうともせず、玲は頷いた。
「勿論、それは陰陽師の血筋を残すための政略結婚だろうけど…もし、この儀式に玲が負けた場合、玲はどうなる?」
「ワタシが負ければ…虎の子の式紙を失い、三流以下の陰陽師に成り下がるでしょうね」
この儀式で賭けているのは、それぞれのパートナーの魂だ。そして、現代陰陽師のステータスは、式紙の器量で決まると言っても過言ではない。ならば、それを失うということは。
「だったら…言葉は悪いけど、その婚約者にとって玲の価値はなくなるわけだよな」
「…ワタシがこの儀式で負ければ、婚約が破談になると?」
「可能性は低くないはずだと思う…」
科学全盛のこのご時世にも関わらず、魔術という遺物にしがみ付いている石頭の連中なら、平気ので婚約破棄もありえる。
「その破談を見越して…あの姉が裏切ったと?」
「不器用なやり方だけど、氷魚なりに慣れない悪役を演じたんだ。多分、アイツは最初からそう考えていたはずだ」
「…ですが、それを証明することはできないはずですよね」
溜め息混じりに、玲は否定した。無理もないか。本家に送られた遺恨が、一朝一夕で簡単に拭えるはずはない。
でも、ボクも考えなしで言い出したわけではない。
「いや、そのための証明なら、次の第二セットでしてやるよ」
この姉妹の溝を、少しでも埋めるために。
「ついでに…トップで胡坐をかいているあの科学者にも、少しは煮え湯を呑んでもらおうか」
このままあの科学者の後塵を拝むだけで終わるつもりも、更々ない。
「…何か、手があるのですか?」
玲が、キョトンと瞳を丸くしていた。幼い頃の、無垢な瞳を彷彿とさせながら。
「ああ、二つほどあるよ…そして、その一つが、コレだ」
ポケットから、黒い封筒を取り出した。
黒い封筒は、赤い封蝋で封をされていた。
当然のように、その封蝋には鼻の長い木彫り人形の印璽が、施されている。
未だに、開封されていないままで。




