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「僕は、彼女の『真名』を特定するよ」
「アタ、シ…?」
テオ・クネリスは宝持氷魚を指差した。
「言っておくけれど、三分の一の確率に賭けた下手な鉄砲ではないよ」
テオ・クネリスの毅然とした態度から、その言葉が誇張ではないと理解できる…。
…しかし、どうやって?
『では、早速お願いいたしますね』
「ああ…あのマドモアゼルの『真名』は、女郎花だ」
テオ・クネリスは、躊躇うこともなく特定をした。
電光の掲示板にも、『宝持玲 女郎花 四点』という結果が大写しとなる。
「…………」
氷魚は、蒼白になっていた。ボクの袖を抓む、その指先まで。
『おヌシさま…あれ、これ、は?』
ゴメ子も、片言の言葉すら失っている。
この場の全員が、無音だった。
『おめでとうございます、テオさま』
場が静まれば静まるほど、木彫り面のフィニートは異様さを浮き彫りにする。
『ですが、なぜテオさまは宝持さまの『真名』が女郎花だと分かったのですか?』
「最初に『真名』を引いた時、あのマドモアゼルは口にしてしまっていたはずだ…『ジョロウバナ』と」
『なるほど、『オミナエシ』はそのまま読めば『ジョロウバナ』ですからね。お見事です』
フィニートは、どこか空々しい喜色を浮かべて拍手を打っていた。
「…………」
氷魚は表情を曇らせ、憔悴していた。
『では、これで『真名』を特定された魔術師さまはアンナさま、ヨハンさま、テオさま、そして宝持氷魚さまの四名となりましたね』
フィニートは、周囲を見渡しながら現状を確認する。
四人もの魔術師が、第三ピリオドが始まる前に『真名』を特定された。
正直、『真名』を特定される魔術師が出ること自体が想定外だった。
…にもかかわらず、四人もの魔術師がその『真名』を特定されてしまった。
「だ…だったら、アタシも、特定ってのを、する」
耳を疑う台詞を口にしたのは、宝持氷魚だった。
だが、勇ましいその言葉とは裏腹に、その声はか細く震えている。
「うん、特定、する…しないと、いけないんだ。アタシは、お姉ちゃんなんだ」
「おい、氷魚…何を、言ってるんだ?」
敵と呼べる魔術師は、もう残っていない…と、いうのに。
『それでは、さっそく特定をお願いしますよ、宝持氷魚さま』
耳聡く聞きつけた木彫り面の少年が、氷魚を面白おかしく急かす。
「おい、氷魚!」
声を荒げたが、氷魚にボクの声は届かない。
「アタシは…アタシは、あの子の『真名』を、特定する」
そこで、氷魚は…血を分けた双子の妹である宝持玲を、震える指で指差した。
『なるほどなるほど、姉妹水入らずの内ゲバというわけですね』
「あの子の持ってる『真名』は…あの子の『真名』はね、萩だ、よ」
氷魚は少しだけ二の足を踏みつつも、実妹である宝持玲の『真名』を特定した。
「氷魚…?」
…なんだ、これは?
なぜ、氷魚が玲の『真名』を特定する?
血を分けた姉と妹だろ?
『宝持玲 萩 四点』
当然、掲示板には無慈悲な結果だけが晒される。
「おい、氷魚…」
手遅れにもほどがあるけれど、それでも氷魚に呼びかけた。
「…………」
氷魚は瞳に涙を溜めていた…痛みに耐えている面持ちにしか、見えなかった。
「玲…」
次に、ボクは宝持玲に視線を向けた。
「…………」
玲は、呼吸や鼓動すらどこかに置き去りにしてしまったように、静謐だった。
『いやいや、波乱尽くめでしたね…このピリオドは』
フィニートが、小さく息を吐いていた。
「なら…俺も、一枚噛ませてもらおうか」
黒衣の科学者は、車椅子をホールの中央に移動させた…というか、今、何と言った?
「どういう…ことだよ」
ここで、この科学者が出て来ることの意味が分からないほど、ボクも愚鈍ではない。
「なに、ちょっとした気紛れで、『真名』の特定とやらをしてみようと思っただけだ」
佐藤五月雨は平坦な声をしていた…。
これから、他人の人生を左右しようというのに。
「…ちょっとした気紛れ程度なら、部外者は口を挟まないで欲しいんだが」
氷魚と玲は魔力を反転させられたが…現在のトップは、このボクだ。
『佐藤さまは、部外者などではありませんよ。佐藤さまは科学者であり、魔術師でも在らせられるのですから』
フィニートの声が、やけに遠くから聞こえた。
「科学者であり、魔術師…?」
…けど、あの佐藤五月雨は、ずっと傍観のスタンスを崩さなかった。
『といっても、魔術師としてはまだまだひよっこですね。佐藤さまが魔術に傾倒し始めたのは、二年前にご息女を亡くされてからなのですから』
「…まさか」
ボクは、そこで黒服の科学者が押していた車椅子に…いや、車椅子に座る『彼女』に視線を向けた。
『そのまさかですね。そこで車椅子に座っておられるのが、そのご息女…を模した木偶ですね』
木彫り仮面のフィニートは、淡々と語る。
『外観はシリコンなどで形成されていて、その中身も機械仕掛けで作られているようですよ。ほら、最近はそういうアンドロイドもちらほらお目見えしているではないですか』
ただ、とフィニートは付け加える。
『あのご息女がそうしたアンドロイドと一線を画している点は、亡くなられたご息女の骨や臓器を、魔術儀式により練り込んでいるところですね』
木彫りの面の少年は、黒衣の科学者の代わりに鼻高々だった。元々、ではあるが。
『人造生命というよりは…死者の再組成に近いということか』
青い帽子のヨハン・バルトが、黒の科学者とその娘を青い瞳で見据えていた。
『その通りです。海外の魔術師の方々には馴染みはないでしょうけれど、この国でも死者の骨から人間を再蘇生しようとした魔術師がいたのです。ただ、その方は歌人としてはやり手だったようですけれど、魔術師としては半端者だった故に失敗していますけれどね』
「…西行法師、か」
小耳に挟んだ程度には、ボクも聞いたことがある。比叡山での修行による寂しさに耐えかね、西行法師は人骨を集めて人間を創ろうとした。だが、そこから生まれたのは、ただの怪物だった。
『そうです、未熟者の西行法師です。松島の『西行戻しの松』、秩父の『西行戻り橋』、日光の『西行戻り石』、甲駿街道の『西行峠』…等々の、全国各地に童子にやり込められて来た道をすごすご戻るという、『西行戻し』の逸話がありますね』
フィニートが語るように、西行法師のエピソードにはそうした未熟さが付き纏う。
『そして、あの方…佐藤五月雨さまは、その西行法師の家系に連なるお方なのです。当然、その未熟さも先祖譲りといったところですけれど…なにせ、魔術儀式を施したとはいえ、そちらのご息女はうんともすんとも言わないお人形なのですから』
明け透けに、木彫り面の少年は未熟と言い切った。
「理論の上では、雨月はまた、立ち上がるはずだった…また、微笑んでくれる、はずだった」
血の滲む、佐藤五月雨の声だった。
『そういうのを、机上の空論というのですよね』
「五月蝿いぞ、道化…この儀式で勝ち抜けば、雨月には魂が宿るのだろうが」
『ええ、そのためのゼペットの秤皿の儀式ですね』
「ならば、問題はない…そこの小僧の『真名』とやらを、特定すればいいだけのことだ」
佐藤五月雨の指先が鎌首を擡げ、ボクを捕える。
「…ここまでは、狸寝入りだったってことか」
あの黒衣の科学者は、魔術儀式には関わらないという不干渉を貫いていた。そして、その姿勢に虚偽は感じられなかった。初っ端の第一ピリオドからババを引き、『離脱』をしていたからだ。
「…この儀式で勝つ意思があったのなら、最低でも第二ピリオドぐらいまでは『予約』をして、ある程度の魔力は確保をしておきたかったはずだ」
だが、定石ともいえる一手を、あの科学者は打たなかった。だからこそ、無害だと高を括っていた。
「ゲーム理論というのを、知っているか?」
佐藤五月雨は、唐突に口にした。
「掻い摘めば、自身の利益というものは他者の行動によって変動し、自身の行動により他者の利益が変動する、という理論だ…要するに、相手の取る行動によって、こちらが打つ最善の一手が変わるということだ。そして、こうした多人数が参加する試合形式ならば、徒党を組む者たちは必ず出て来る。さらには、そこで裏切る連中も、だ」
「…アンタは、ボクたちがそのドミノ倒しを起こすことまで織り込み済みだったのか?」
「当然だ。裏切りにより『真名』を特定される魔術師が幾人かは出て来るはずで、特定をされた魔術師が増えるということは、『真名』の特定が容易になるということでもある。そうなれば、さらに『真名』の特定に踏み切る連中も現れる…ということだ」
佐藤五月雨が語るように、第二ピリオドが終わった後から『真名』の特定は加速した。
最初は、アンナ・アルバラードがヨハン・バルトに裏切られ、その『真名』を特定された。
次は、アンナ・アルバラードが、その報復にヨハン・バルトの『真名』を特定し返した。
ボクもその流れに便乗し、ヨハン・バルトの仲間だったテオ・クネリスの『真名』を特定したが、テオ・クネリスも氷魚の『真名』を特定し…その氷魚が、双子の妹である玲の『真名』を特定した。
「こうした足の引き摺り合いとなる状況下では、いかに魔力を稼ぐかということよりも、いかに他の連中に目を付けられないかということに留意しなければならなかったのだよ、本来ならば」
黒衣の科学者は、そこで、初めて口角を上げた。
「…ボクたちが共食いを始めるこの青写真を、アンタは最初から描いていたということか」
興味のない素振りを、したままで。
「無論だ…では、いくぞ」
佐藤五月雨は、慈悲のない宣告をした。
…当然、ボクの『真名』が撫子であることもこの科学者に特定され、この第一セットでの生き残りは誰もいなくなった。
これで、この第一セットは、七人の魔術師全員が最終ピリオドに到達する前に脱落、または離脱するという結果に終わってしまった。
この第一セットの覇者は、最も魔力を稼いだ者ではなく、最も稼がなかった者だったという、皮肉な顛末を迎えて。
そして、煮え切らない倦怠感を引き摺ったまま、第二セットを迎えることとなる。




