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「あの帽子の坊やの『共犯者』…それは、アナタだったのですね」
アンナ・アルバラードが凛々しく指差した先にいたのは、白いスーツの伊達男だ。
「…………」
伊達男…テオ・クネリスは、たっぷりと蓄えた顎鬚をニヒルにさすっていた。
「あの小童がワタクシに見せた桔梗の『真名』…本来アレは、アナタのものだったはずですね。となると、ワタクシがあの小童の『真名』を桔梗だと断定した場合、ただの空振りで終わったはずなのです」
「…さて、どうだろうね」
テオ・クネリスは、火の粉の降り注ぐ修羅場でも動転はしない。
「すっとぼけられるのも今のうちだけなのですね。こちらには、確証もあるのですから」
真っ赤なドレスのアンナ・アルバラードは、豊満な胸を反らして微笑んでいた…緊迫した場面で言うことではないし、言ったら氷魚とかに殴られるだろうけど、この人の胸は、氷魚や玲の三倍はボリューミーだった。
「先ず、あの帽子の小童にワタクシ以外の相棒がいると確信したのは、あの小童がワタクシの『真名』を特定したのが第二ピリオドの終了後だったからなのでしたね」
音もなく、アンナ劇場の幕が上がる。
「坊やがワタクシの『真名』を特定するだけなら、第一ピリオドが終わった後でもよかったはずなのです。お互いの『真名』を見せ合ったのは、第一ピリオドが始まる前のインターバルの時だったのですから」
確かに、それならばその時点で十分だった。
『ですが…『真名』の特定が第二ピリオド終了時に行われたことが、どうして、ヨハン様に別の共犯者がいるという説につながるのですか?』
木彫り面のフィニートが、アンナさんに思考の筋道を問う。
「あの性悪の小童は疑っていたのですね。自分と同じように、ワタクシにも別の協力者がいたのではないかと…自分と同じように、他の魔術師の『真名』を見せたのではないか、と」
策を弄していたからこそ、その逆の可能性を否定しなかった、ということか。
『なるほど…その場合は、逆にヨハン様の方が特定に失敗してしまうということですね』
「そして、その疑惑を消し去るため、小童は第二ピリオドまで息を潜めていたのですね」
アンナさんは、帽子の少年と白スーツの伊達男の間で報復の視線を往復させていた。
『ですが…第二ピリオドの終了まで待つことで、どう状況が変わったのでしょうか?』
「まあ、退屈な理屈ですね。全ての魔術師の動向を、第二ピリオドが終わった時点であの小童は知ることができたということなのです。そして、そこで理解したのですね。この絶世の美女たるワタクシには他の仲間はいない、と…やはり、美女とは孤独なものだ、と」
…この人は、ちょいちょい余分な自賛を挟んでくる。
『とはいえ、第二ピリオド終了時で他の全員の動きを探り終えることは、不可能ではないですか?たとえ、ヨハン様とテオ様が手を組んでいらしたとしても』
そこでフィニートが不思議がるのも、無理もない。
他の魔術師の動向が探れる『調査』が行えるのは、一ピリオドにつき一度だけだ。となると、あのヨハン・バルトとテオ・クネリスが手を組んでいたとしても、二つのピリオドで調べられる魔術師の数は、四組だけだ。この儀式の参加者は、七組いるというのに。
「いえ、二人いれば十分だったのですね。先ず、第一ピリオドでは最初の脱落者…いえ、自ら『離脱』をした人がいたのですから」
アンナさんの言葉を聞き、全員の視線が、そこで黒衣の科学者に向けられた。
「あの佐藤という科学者は、最初の第一ピリオドから『離脱』をしていましたね」
そのことは、尾花を『調査』した氷魚が確認済みだ。
「つまり、これが一人目、ということなのですね。そして、あの坊やにもう一人の共犯者がいたとすると、それが二人目…そして、坊や自身を含めると、数は三人となりますね」
『それはつまり…ヨハンさまたちが把握できている『真名』の数、ということですか?』
フィニートが、状況整理のために問いかける。
「その通りなのですね。つまり、あの坊やたちがその動向を調べなければならない魔術師の数が、七から三を引いた数…四だったということになるのですね」
真っ赤なドレスのアンナ・アルバラードは、白魚のような指で、指折り数えていた。
『確かに、二人いれば第二ピリオドでその残り四人の魔術師さまたち全ての動向を把握することは可能ですけれど…一体それが、どういう意味を持つのでしょうか?』
「それもまた、簡潔な理屈なのですね。その四人の中の一人はワタクシだったのですけれど、そのワタクシは、あの帽子の坊やに同盟を持ちかけられた時、こう唆されていました…『『破裂』という罰則を受けるのは最後の一人となった魔術師だけだから、二人で全ピリオドの『予約』をしておけば、その罰則に触れることはない』と」
『…なるほど、それは儀式の盲点をついておりますね』
フィニートが感嘆の声を漏らしていた。
どこまで本音かは分からないが。
「つまり…その四人の魔術師の中で、愚かにも全てのピリオドで『予約』をしていた間抜けが一人だけならば、その駄馬はこのワタクシであり、そのワタクシにはあの小童以外の協力者はいない、という理屈になるのですね」
『なるほどなるほど…だからこそ、ヨハンさまは、アンナさまの『真名』が藤袴だと断定できたのですね』
木彫り仮面の少年は、そこで二度ほど頷いた。
「ええ…ですが、第二ピリオドでワタクシの『真名』を特定したことは、小童の勇み足でもありましたね。第二ピリオドなどでワタクシの『真名』を特定したということは、裏を返せば、あの坊やにはもう一人の協力者がいると、暗に告白しているようなものだからですから」
そこで、アンナさんは絶世の美女にあるまじき笑みを浮かべていた。
「そして、そのことが分かれば、逆にその二人を|ひもづる式に追い詰めることもできるということですね。くっふっふっふ」
惜しい、正解は芋蔓だ。
『ですが、その二人の『真名』をどうやって特定するというのですか?』
フィニートは、テンポよく問いかける。
「簡単ですね、消去法というヤツです」
『消去法…ですか』
「桔梗の『真名』を持つのは、既に『離脱』をしたあの黒服の科学者と判明されていますし、ワタクシの『真名』も尾花だと、ワタクシは知っていますですね」
『ということは…七組のうち、アンナ様は二組の『真名』を把握していた、ということですね』
木彫り面のフィニートは、適切な補足を入れていた。
「そして、ワタクシはあのちんちくりんの三人組に接触していました」
アンナさんはこちらに視線を向けたが…言うに事欠いてそれか。
「そこで、ワタクシはあの三人の『真名』を教えてもらったのですよ」
そう、先ほどのインターバルで、ボクたちはアンナに『真名』を教えた。
『確かに、それなら把握できる『真名』の数が二つから一気に五つになりますけれど…よく聞きだせましたね』
「絶世の美女であるワタクシからすれば、色仕掛けはもはや魔術レベルですからね」
「…いや、ボクが釣られたみたいな言い方は止めろよ」
「ワタクシの太腿をちらつかせただけで、子犬のように尻尾を振っていましたからね」
「なかっただろ、そんな事実!」
なぜか、ゴメ子には腕を噛まれていたし、氷魚には脇腹を小刻みに殴られていた。さらには、玲にも地味に足を踏まれている。
「それに、ボクたちの『真名』を教えたといっても、誰がどの『真名』を持っているのかまでは教えていない」
ボクたち三人の『真名』が、撫子、女郎花、萩のどれかということは伝えたけれど。
「ですが、これでワタクシが把握した『真名』は五つとなり…把握していない『真名』は桔梗と葛の二
つとなりました」
アンナ・アルバラードの張りのある声が、いつの間にか円形のホールを席巻していた。
『そういえば、ヨハンさまがアンナさまにお見せしたという『真名』は、確か…』
「桔梗でしたね…けれど、先ほどの説明通り、あの帽子の坊やが素直に自分の『真名』を見せたはずはありません」
『ということは、消去法でいくのなら…』
「ええ、あの坊やの『真名』は、その桔梗ではない方…」
凪いだ湖面のように、ホールの中からは余剰の雑音が消えた。
「つまりは、葛となるはずなのですね」
アンナの声に導かれ、ホールにいた全員が、青い帽子の少年に目を釘付けにする。
『では、アンナさまはヨハンさまの『真名』を葛と特定する…ということで、よろしいでしょうか?』
静謐な空気のせいだろうか、フィニートも神妙に言葉をつなぐ。
「…ええ、かまいませんね」
アンナ・アルバラードの表情にも、誇張ではない緊張が見られた。
『では、あちらをご覧ください…』
言われるまでもなく、ボクたち全員はホールに掲げられた電光の掲示板に注意を向けていた。
特定の成否は、あの掲示板で知らされる。
…いや、あの青い帽子の少年だけが、素知らぬ顔でそこから瞳を反らしていた。
そして、結果は表された。
可もなく、不可もなく。
『ヨハン・バルト 葛 四点』
無音の落雷だった。誰も、声を上げるものはいない。
「…まあ、当然の結果ですけれどね」
余裕綽々のコメントとは裏腹に、アンナさんは拳を握りこんでいた。
『…まさか、最も騙しやすそうな駄犬に手を噛まれるとはな』
苦々しい表情を浮かべていたのは、当然、あのヨハン・バルトだ。
けれど、フィナーレには、まだ早い。
「ここまでお膳立てが整ったんだ…次は、ボクがその傷口に塩を塗り込ませてもらうよ」
ここからの幕は、ボクが引き継ぐからだ。




