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レイヤードリチュアル  作者: 榊 謳歌


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『本当に…他の魔術師さまの『真名』の特定を、されるのですね?』


 木彫り面のフィニートは、嗜虐(しぎゃく)の入り混じる声をしていた。


『ああ、『真名』を特定された魔術師はそのセットで獲得していた魔力がマイナスとなり、強制的に『離脱』をさせられるのだったな?』


 ヨハン・バルトが、(つぶさ)に確認を取る。


『そうです、まさに踏んだり蹴ったりですね。ただし、特定に失敗した場合はアナタの魔力がマイナスとなり、強制的に『離脱』となりますよ?穴二つというやつですね』

『御託など要らん。間違えるはずなどないからだ』


 ヨハン・バルトは、猛禽の青い瞳でフィニートを見据えていた。


『では、ヨハン様はどの『真名』の魔術師様を特定なさるのですか?』

『藤袴だ』


 ボクたちが口を挟む間もなく、ヨハン・バルトは端的に標的を告げた。


「藤袴…あの欲張り魔術師か」


 その魔術師は、いきなり第一ピリオドから第四ピリオドまでの『予約』を行っていた。つまり、ここで『真名』の特定をされた場合、ソイツは八点分もの魔力負債を抱えることになる。


 …けど、『真名』の特定など、そもそもできるものなのか?


『なるほど、余程の確信があるようですね…もしよろしければご説明いただけますか?』


 フィニートはその理屈の催促をしたが。


『わざわざ説明する気などない。藤袴の魔術師は、あのアンナとかいう痴女じゃ』


 味気ないほどあっさりと、ヨハン・バルトは藤袴の魔術師がアンナ・アルバラードだと断定した。

 そして、変化が起こる。

 ホールに掲げられたあの電光の掲示板に、大写しになる。

 

『アンナ・アルバラード 藤袴 八点』


 と。


「…………」


 …というのが、先ほどの第二ピリオド終了後の顛末だった。

 そして、現在。

 第三ピリオドが始まる前の、貴重なインターバルなのだけれど。


「誰が痴女ですか、あの陰気どチビー!」


 真っ赤なドレスのアンナ・アルバラードは、絵に描いたような荒れ模様だった。しかも、ボクとゴメ子にがわれたコテージの中で我が物顔だ。コテージの中にはボクとゴメ子、氷魚と玲もいたが、口を開いていたのはアンナ・アルバラードだけだ。


『少しは落ち着いたらどうだ、淑女の品格などどこにもないぞ』


 と、妙に落ち着き払う招き猫ガーゴイルのラッカーに諭されていた。


「ですが、あの帽子の小童…堪忍袋の緒が細切れになりましたねー!」


 憤懣やるかたない、といったアンナ・アルバラードだった。


「けど…どうして、アンナさんはあの子にに『真名』がバレたの?」


 氷魚が、恐る恐る問いかける。


「ついでに、貴女が全ピリオドで『予約』をしていた理由も、聞かせてもらえるかな」


 氷魚に便乗して、ボクも疑問を投げかけた。


「この儀式で『破裂』とかいうペナルティに触れるのは、自分が最後の一人となった場合だけなのでしたですよね…ということは、抜け道があったのですね」


 アンナ・アルバラードは、突っ伏すようにソファに座り込んでいた。


「ああ、そうか…」


 そこで、思い至った。


「最後の一人になった時に『破裂』のペナルティに触れるということは、二人以上で最後まで残っていれば『破裂』は回避できるのか」


 たとえ、最終の第四ラウンドまで『離脱』をしていなかったとしても。


「そうなのですね…あの小童は、そう言ってワタクシに同盟を持ちかけてきたのですね」

「ですが…貴女以外に全てのピリオドで『予約』をしていた魔術師はいませんでしたよ」


 玲の言うとおりだった。ボクたちは三人がかりで全ての魔術師の動向を『調査』したが、第一から第四ピリオドまで『予約』をしていたのは、目の前のこの魔女だけだ。


「それは、本当なのでしたかね…」

「ええ、あの科学者と貴女以外は、全員が第二ピリオドまでの『予約』でした」


 三つ編みの玲は、そこで眼鏡を直す仕草をした。


「ということは、最初からあの子供はワタクシを蹴落とすつもりだったのですね…この儀式で手を組もうと持ちかけられて、その証明に、互いの『真名』を見せ合ったのですが」


 アンナ・アルバラードの背中は、子供のように小さくなっていた。

 けど、これであのヨハン・バルトがアンナ・アルバラードの『真名』を知っていた理由は理解できた…けど。


「…お互いに『真名』を見せ合っていたなら、貴女もあのヨハン・バルトの『真名』を知っていたんじゃないのか?」


 だとすれば、『真名』を特定されたあの時点で、報復に出そうなものだが…単細胞な、この人なら。


「その件に関してはなんというか…なんだか嫌な予感がしたのですよね。牛の知らせというやつでしょうかね」

「…惜しい、正解は牛ではなく虫です」


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


「けど、言われてみれば確かに妙か…」


 互いに『真名』を見せ合ったのなら、アンナさんを裏切れば竹箆(しっぺ)返しを喰うことくらい、あのヨハン・バルトなら予期できたはずだ。他の魔術師の『真名』を特定する権利は、一セットに一度だけではあるが、全員に与えられている。そして、その権利は『真名』を特定されたとしても失われることはない。

 …それなのに、あの少年は背信してアンナさんの『真名』を特定した。


「ああ、もうもやもやしますねえ…ラッカー!」


 と、そこでアンナさんはコテージに設置されていた冷蔵庫からミネラル・ウォーターのボトルを取り出し、それを招き猫ガーゴイルの背中に…注いだ?


『やるのだな?』

「あたりきしゃりきでーす!」


 ガーゴイルとその主にしか分からないの遣り取りの後、アンナは小声で何かを呟いていた。何らかの詠唱のようだったけれど、ラテン語のようで聞き取れない。


『ふむ、整ったぞ、アンナ…』

「では、出してくださいね!」


 アンナの言葉を聞き、ラッカーはその口から…水を、出した。

 そして、その水をアンナさんは手で受け、自らの口に運ぶ。おそらくは、魔術儀式なのだろうけれど…。


『…何をやっているのかや?』


 ゴメ子が問いかけてくるが、ガーゴイルの絡む魔術儀式には素養がなく答えられない。そうしているうちに、アンナさんは咽を鳴らして水を飲み干した。


「…………」


 瞳を閉じ、口元から水滴を滴らせる赤いドレスの魔術師は、幾重にも妖艶さを纏っていた。いや、纏っていたのは妖艶さだけではない。アンナ・アルバラードという魔術師を台風の目にして、微弱な魔力の風が逆巻き始めた…と思った瞬間には、微風から暴風へと変貌していた。

 唐突な突風に、ボクたちは面食らうだけだ。ただ…誰のものとは敢えて言及しないけれど、黒タイツの上から穿かれた(下ではなく上から穿いていた)子猫柄のパンツは、れっきとした眼福(がんぷく)だったけれど。


「さあ、真の真打の登場ですね」


 アンナさんは、仁王立ちで胸を反らしていたが…。

「…雰囲気が、変わった?」


 いや、彼女を取り巻く魔力の質が変わったのか。


「今のワタクシは、頭脳覚醒バージョンなのですね」

「覚醒…儀式による覚醒ということですか?」


 玲も、アンナさんのパラレルともいえる変化に気付いていたようだ。


「ええ、普段は眠っている部位の脳細胞を、騙し騙しではありますが残さず叩き起こしました。当然、情報処理能力も格段に飛躍しておりますですね」


 確かに、今のアンナさんからはある種の凄味が感じられる。


「この覚醒状態になったからには、あんなひねた小童の毒牙にはかかりませんですね」

「もしかして…さっき飲んでいたあの水が、その覚醒の引き金なのですか?」


 玲が、さらに問いかける。


「そうですね…皆さんは、ガーゴイルについてどれくらい知っていますですか?」

「家を守ってくれる魔除け…みたいなものじゃないんですか?」


 そこで、ボクも会話に参加した。


「勿論、魔除けとしての防波堤の役割りもありますね。なので、ガーゴイルを創造する私たちは、建築魔術師でもあるのでした。けれど、ガーゴイルというのは、そもそもは雨樋(あまどい)でもあったのですね」

「…あまどい?」


 玲は、ちょっとした戸惑いを見せていた。


「当然、ただの雨樋でもありませんですね。何しろ、ガーゴイルは雨水を聖水に変えることもできるのですから」

「建築魔術…それに、聖水ですか」


 三つ編み眼鏡の陰陽師は、異教の秘術に感心していた。


「ええ、聖水ですね。大体は教会の備品を清めるのに使われたりするのですけれど…」

「腕の立つ魔術師ならば、自身に能力を付与することもできる、ということですか…」


 玲は、そこでアンナさんの台詞を先読みした。


「でも、この儀式では魔術を使っちゃいけないんじゃなかったっけ…?」


 氷魚は、フィニートの説明を思い返したようだ。


「いや、他の魔術師に対しては魔術を使うなと言っていただけだよ。儀式に参加する他の魔術師に不用意な圧力をかければ、ぶつかり合った魔力が儀式にどんな影響を与えるか分からないから」


 そこで、ボクが注釈を挟んだ。

 けど、そもそも複数の…それも同胞でもない魔術師たちが同じ儀式を行うこと自体が、本来ならばありえない。しかも、その上で勝者や敗者を篩い分ける儀式など、聞いたことがなかった。


『私は、最初からエンチャントしろと念を押していたというのに…こうして『第一閃』だけでも開いていれば、いきなり八ポイントもの魔力がマイナスになることもなかったはずだ』


 ガーゴイルのラッカーは、もはや使い魔というよりはお目付け役だった。


「仕方がないでしょう…このエンチャントには代償も付きまとうのですからね」

「代償というと、魔術的な儀式代償なのですか?」


 玲が問いかけたように、魔術儀式にはの代償が付きまとう。


「え、ええ、そうですね…まあ、似たりまったりというか二束三文というか」


 なぜか、お茶を濁した物言いのアンナさん。ただ、二束三文は兎も角、似たりよったりは誤用だったけれど。


『聖水で自身を強化すると、簡単に言えば太るのだよ』


 その疑問は、ラッカーが解決してくれた。


「違います!太るのではありません!ちょっと太りやすくなるだけなのですね!」


 鉄火の勢いで、アンナさんは否定してした。


「それも、ほんのちょびっと…ほんのちょびっと体脂肪が増えるだけなのです!でも、しょうがないじゃないですか!全身の細胞に無理強いさせてしまうわけですから、その反動で体が栄養を異様に吸収してしまうことくらい、しかたがないことではないですか!その結果、一キロや二キロの目方が増えてしまうのはしょうがないことではないですか!」

『以前エンチャントした時は、五、六キロは増えたはずだったが』


 どうやらサバを読んでいたようだ。


「まさか、そこまで破滅と紙一重の儀式代償があったなんて…」

「…なんて恐ろしい魔術儀式なの」


 玲と氷魚の表情は、そこで蒼白になっていた…いや、そんなに怖いか?


『そこまで嫌がるのであればエンチャントしなければよかったではないか。もはや、我々は八点分もの魔力的負債を抱えているのだ。ここからの挽回は、奇跡にも等しいぞ』


 招き猫ガーゴイルのラッカーは、どこか上の空のようにも見えた。


「…ここでワタクシが負けてしまえば、犠牲となるのはアナタなのですよ、ラッカー」


 それは、この『ゼペットの秤皿』という儀の大前提だ。

 勝てば本物の魂を得て。負ければ仮初の魂を失う。


『魔術師同士の骨肉の争いというものは、古来からそういうものではないか』


 渋味のある声で…いや、やや感情の枯渇した声で、ラッカーは呟く。


『けど、それでも…』


 ラッカーの呟きに反応したのは、ゴメ子だった。


『それでも…さみしいかや』


 …そこで発せられたのは、ゴメ子の痛みそのものだ。


『いなくなるのは、さみしいかや…いなくなったら、みんなみんな、さみしいんだかや』


 …思いの丈を、ゴメ子は手探りで綴る。


『だが、ゴーレムの少女よ、我々は魔術で創られた仮初の生命体だ。元々、いつ消えるともしれない存在ではな…』

『だからこわいんだかやあっ!』


 …水を打ったように、そこで静まり返った。


『いつ消えるか分からないなんて、そんなの知ってるかや!ソレガシさまたちは、いつ割れたっておかしくないシャボン玉かやっ!だから…だからこわいんだかやぁ!』


 ゴメ子は、ボクの胸に顔を埋めて、泣いていた。

 いつか、自分が動かなくなるのかもしれない、と。

 その振り子は、いつ止まってもおかしくはない、と。

 ゴメ子は、今までずっと、その理不尽に怯えていた。

 ここにきて、ゴメ子はその理不尽に耐え切れなくなったのかもしれない。

 …そして、そこまでゴメ子を追い詰めているその原罪を生んだのは、ボクのエゴだ。


「…………」


 言葉が出なかった。ボクこそが、この非難の矢面に立たなければならないというのに。


「女の子を泣かすなど、紳士の風上にもおけませんね」


 アンナさんの言葉は、本来ならボクに向けられるべき叱責(しっせき)だった。


『面目次第もない…ゴーレムのお嬢さん、私の戯言など忘れてくれ』


 アンナさんに諭され、ラッカーは平謝りだ。

 …本当に謝意を見せなければならないのは、ボクだというのに。


『何なら、私はお嬢さんが勝つための捨て石になってもかまわないよ』


 …それは、ガーゴイルのラッカーにとっては最大の詫びだ。


『駄目…かや』


 涙声のままではあったけれど、ゴメ子は首を縦には振らなかった。


『それは、駄目かや…ソレガシ様だって、欲に目が眩んでこれに参加したんだかや』


 …ゴメ子が、欲に目が眩んだ?


『ソレガシ様も、アルジ様と同じに…人間になりたかったんだ、かや』


 ゴメ子は、願っていたのか。

 ホンモノのタマシイをここで得て。

 ボクと同じに、人間になりたくて。

 …その願いを、ゴメ子はずっと小さな胸の奥に隠していた。

 その何倍も大きな痛みと、共に。


『だから…手を抜いたりしては、駄目かや』

『お嬢さんは、自分の魂が消えるかもしれないと恐れながらも、馴染みでもない私を気遣えるのだね』


 ガーゴイルのラッカーは、渋味のある視線をゴメ子に向けていた。


「確かに、猫の手も借りたいこの真剣勝負に手抜きはいけませんね…ですが、猫の手程度の貸し借りならば、それはアリなのでしょうね」


 赤いドレスのアンナ・アルバラードは、そこで、したたかな猫目の笑みを浮かべていた。

 …それは、何らかの悪巧みをしているにゃんこの顔だった。

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