幕間 決戦の日
※幕間という名の本編です。
シルヴェスタ王国第1騎士団副団長、メルセデス・グレイ視点です。
「まだ確実とは言えないけど、アシュレイちゃんはチロル・クラートの私邸に潜伏している可能性が高いと思う」
僕から齎された報告に、部下たちに緊張が走ったのが分かった。
アシュレイちゃんなんか放っておいてもいいと思っていたんだけど、これは厄介な事になってしまったなぁ……?
騎士団から追い出されたアシュレイちゃんの行方が分からなくなったので、念のために騎士団の警備記録を洗い直してみたところ、ちょうどアシュレイちゃんが街に向かっていると思われるタイミングで城を出た1人の人物が浮かび上がった。
その人物の名はチロル・クラート。
シルヴェスタ王国1の大商会イーグルハート商会の会長にして、世界中の女性から崇拝されている少女だった。
「厄介、ですね……! まさか歴代最高の聖女と名高いチロル・クラートに保護されてしまうとは……!」
「本当だよねぇ……」
憤る部下に素で同意してしまう。
チロル・クラート嬢本人の影響力もさることながら、彼女は清廉潔白を絵に描いた様な存在として語られる事が多く、アシュレイちゃんからの報告を受けて義憤に駆られる可能性は決して低くない。
アシュレイちゃんが痴情の縺れということになっている騒動の顛末を人に説明するとは思えないけど、『全ての女性の味方』なんて2つ名を持つ少女に縋りたくなってしまっても不思議じゃないだろう。
「どうやらチロル嬢はディアナ殿下とプライベートで親交があるみたいでね。それで騎士団への連絡が少し遅れてしまったみたいなんだ。まぁ……仮に報告を受けていたとしても、アシュレイちゃんの退団日をズラしたかと言われたら微妙だけど」
化粧っけのない馬鹿真面目な女騎士であるアシュレイちゃんが、イーグルハート商会の会長と接点なんてあるはずがない。
恐らく事前にこの情報を知っていたとしても、僕は判断を変えなかっただろうなぁ……。
「チロル嬢の私邸の情報は既に押さえてある。というか調べるまでもなく、彼女の情報は多くの女性に筒抜けだったよ」
情報収集の為に何人かの女性にチロル嬢の話題を振ってみたところ、知りたいことからどうでもいい情報までありとあらゆる情報が集まってきた。
彼女の私邸はここノルドの郊外に建っており、大富豪のはずなのに貴族街ではなく一般市民が暮らす住宅街に近い場所に住んでいるらしい。
限られた人間にしか立ち入りを許されていないその屋敷には少数の侍女が住み込みで暮らしていて、護衛や警備を雇っている様子は無いらしかった。
「大富豪の身でなんとも無用心な気もするけど、彼女を悪し様に語る人って会ったことが無いからね。本当に敵が少ない人物なんだろう。侍女たちにある程度の武術の心得があるらしいとの話もある。商人が身を守るには充分な戦力なんだろうね」
「……ボス? 何故そのような情報を共有するのですか? ……まさか」
「そのまさかだ。警備の少ないチロル嬢の屋敷に押し入り、チロル嬢を含む全ての人間の口を封じるよ」
事はもうアシュレイちゃんだけの話に留まらない。
単細胞のアシュレイちゃんならまさか僕自身が奴隷売買に手を染めているとは考えないだろうけれど、国際的な商人であるチロル嬢なら話は変わってくるだろう。
少し前にチロル嬢は、シルヴェスタ王国で違法に売り払われた奴隷の少女を他国で保護して連れ戻したという記録も残っていた。
清濁併せ持つ商人の目線でアシュレイちゃんの報告を聞いたとき、失踪した女性騎士の行方に疑問を持っても不思議じゃないからね。
「正気ですかボス……!? 国1番の商人を襲撃し、亡き者にするなど出来るはずが……!」
「出来る。僕より腕の立つ奴が1商人の護衛なんかしているわけがないからね。私邸で働く侍女たちも殆ど若い娘らしいから、多少戦えたとしても僕なら一瞬で切り捨てられるはずだ」
部下が逡巡するのも無理はない。徹底的にリスクを避けろと口をすっぱく諭してきたのは僕自身だからね。
だけど単細胞のアシュレイちゃんと、義憤に駆られた商人の少女が手を取り合っただけでもどうなるか読めないのに、チロル嬢がディアナ殿下と知り合いというのは看過出来ない。
今までは馬鹿兄貴のおかげで僕に注目が集まることはなかったけど、流石に第1王女殿下に疑いの目を向けられれば今まで通りに活動するのは難しくなる。
だからここはリスクを取ってでも、ディアナ殿下に僕の名前が伝わるのを阻止しなければいけない状況だ。
「僕だってこんなことはしたくないけど、他に方法が無いんだ。今この瞬間にも、アシュレイちゃんからディアナ殿下に話が伝わる可能性がある。僕たちに残された時間は多くないんだよ。覚悟を決めろ」
チロル嬢に恨みはない。だが状況が彼女を見過すわけにはいかなくなってしまったんだ。
イーグルハートの商品で美しく磨かれた女性達は価値が跳ね上がるから、恨みどころかチロル嬢には感謝しかない。
感謝しかないが、自分の安全には代えられない。
「出来ればやりたくないけど、僕も直接参加するよ。商人の護衛程度ならお前らだけでも排除出来るだろうけど、今あの屋敷には王国騎士のアシュレイちゃんが居るからね。流石にアシュレイちゃんの相手をお前らがするのは難しいだろ」
馬鹿兄貴と波長が合うだけあって、アシュレイちゃんは真面目に剣の腕を磨き、王国騎士に相応しい実力を手にしているからね。
人を襲う事が目的の浅い戦闘技術でアシュレイちゃんを圧倒するのは不可能だ。
「心優しい副団長は、アシュレイちゃんの退団に心を痛めてしまったとか、適当言って休みを取る事にするよ。アリバイは無くなっちゃうけど、あの馬鹿が庇ってくれるはずだから大丈夫だ」
「本気……なんですね? アシュレイの口を封じる目的で、本気でチロル・クラートを亡き者に……」
「他にいいアイディアがあるなら随時受け付けてるよ。タイムリミットは今夜の襲撃決行までね。期待してるよ。それじゃ直ぐに準備を進めろ」
「……っ」
有無を言わせぬ僕の命令に、これ以上の議論は無駄だと判断したのだろう。
ゴクリと息を飲んだ部下は諦めたように首を振り、そして部下たちに指示を飛ばし始めた。
「はぁ~……。こうならないように、今まで万全の態勢を整えてきたつもりだったのにさぁ……」
仕方ないと分かっていても、自分が襲撃に参加するリスクを思うとため息が止まらない。
用意周到に警戒に警戒を重ねてここまでやってきたっていうのに、結局自分の手を汚さざるを得ないなんてなんだか負けた気分だよ……。
アシュレイちゃんがあまりにも単細胞過ぎて、思わず気が緩んじゃったのかもしれない。今後は気をつけなきゃな。
「ああ……。あんなことがあったばかりだしな。傷の療養も兼ねて数日くらいゆっくり休め」
適当に考えた理由をそのまま伝えると、疑う素振りも無くすんなりと僕の休みを受け入れる馬鹿兄貴。
親父に似て最高に単細胞のこの男のおかげで僕の安全は保証されていたっていうのに、思わぬところから綻びが生じたものだよ、まったく……。
「結局休んでごめん兄さん。ただ大きな任務を終えたばかりのタイミングだったのは不幸中の幸いかな。兄さんの苦手な書類仕事は殆ど済ませてあるからね」
「馬鹿野郎。休むんだから仕事のことは忘れていいんだよ。こんな時まで俺に気を使わなくていいんだ」
「兄さんに書類仕事を残しておくと、かえって気が休まらないだけの話だよ。最低でも2回は見直してね?」
「うるさい、とっとと行っちまえ! 余計な事を考えず、心と体を整えて来いってんだ!」
これから市民の家の襲撃を計画している僕を、心から案じて送り出す第1騎士団長か。
ククク……。出来の悪い演劇でも、ここまで酷い脚本はそうそう無いんじゃないかなぁ?
僕に繋がる要素は可能な限り騎士団寮に置いていく。
本当は愛剣を持っていきたいところだけれど、襲撃という大ギャンブルの前には僅かなリスクでも徹底的に排除しておきたい。
手に馴染まない剣を振るうことだってリスクと言えばリスクだけど、アシュレイちゃん程度の腕なら素手でだって制圧できるからね。
この程度のリスクは実力で捻じ伏せてみせるさ。
「……本当に決行するのですね。大丈夫、なのでしょうか……」
アジトに到着し襲撃の準備を進める僕に、部下が緊張した面持ちで確認してくる。
覚悟は決まっているようだけど、それでも想定されるリスクが大きくて出来れば決行したくないってことかな。僕も同じ気持ちだよ。
「こちらの状況は昨日話した通りだけど? チロル嬢とアシュレイちゃんを排除せずに僕らが安全に過ごす方法、思いついたんなら教えて欲しいな?」
「……申し訳ありません。ひと晩中考えましたが、私も決行するしかないとは思っております」
「結論が出ているなら迷うんじゃあないよ。僕たちにはもう退路が無い、仮に逃げ出しても王国騎士団副団長の僕は有名人過ぎて直ぐに足がつくだろう。僕無しで逃げ切れるほどお前らは有能じゃないしね」
「……っ。心得て……おります……」
「騎士団の教えだけど、戦うからには不退転の覚悟で望まなければいけないよ。今夜の襲撃が成功しなければ僕達の未来は閉ざされてしまうのだから」
結局のところ、正義を掲げようが悪事を働こうが、全てを手に入れるのは勝者でしかない。
正義は必ず勝つ? 神様は常に正しい行いを見守っている? 馬鹿馬鹿しすぎる。
産まれた時から叩き込まれたグレイ騎士爵家の教えを鼻で笑いながら、夜が更け世界が寝静まるのをひっそりと待った。
「そろそろだ。行くよ」
黒いバンダナで頭部を隠し、黒いマスクで鼻元まで顔を隠す。
夜に紛れて体格を隠す為に黒く大きなローブを纏い、実力で選んだ10名ほどの部下と共にアジトを飛び出した。
馬や馬車で移動したら目立ってしまうので走っているけど、襲撃予定の屋敷まではそれなりに距離がある。
普段から全身鎧を着こんで走りこんでいる僕には問題ない距離だけど、部下には少し辛そうだな。配慮してやる余裕なんてないけど。
「お待ちしておりました。屋敷に動きは無く、灯りが消えて数時間が経過しております」
「聞いたね? ここで息を整えたら直ぐに突入するよ」
見張りからの報告を受けて、直ぐに決行を決断する。
もしも屋敷に動きがあれば決行を中断することも考えたけど、こちらの動きが気取られた心配は無さそうだ。まっ、昨日の今日だしね。
「打ち合わせ通り、襲撃後は屋敷の中を適当に荒らして直ぐに撤収だ。遅れた者は見捨てるから。捕まる前に毒を呷れ。いいな?」
「「「はっ」」」
チロル嬢は大富豪なので、ここはベタに物取りの犯行を装う事にする。
彼女はあまり贅沢をしないことで有名らしく、私邸にもさほど金目のものは置いていないという話だけれど、犯罪者に理屈は通じないんだ。
むしろ価値あるものが少ないなら、持ち去った後に適当に打ち捨てても不審には思われないだろう。
「……改めて見ると、なんて襲撃しやすい立地なんだろうね? これで今まで無事だっていう方が信じられないけど、まぁこちらとしては好都合だ。息は整ったかい?」
「……いつでも大丈夫です」
「正面に見張りも居ないから、正面の門を堂々と上ろうか。僕と一緒に6人来い。後の人数で屋敷の周囲を警戒。1人も逃がすな」
「はっ」
「今回の目的は商品の確保じゃない。これは僕達の存続に関わる1戦だ。アシュレイちゃんも他の家人も見つけ次第殺せ。変な欲目を出さずに確実に完遂するよ」
「……はっ!」
素早く指示を出し終えて、そのまま屋敷に走り寄る。
都合よくも今日は新月の夜で、遠目から僕達の姿を確認することは出来ないだろう。
手早く門をよじ登り、敷地内に侵入する。
暗くて分かりづらいけど、確かにあまり価値のありそうなもの見当たらないかな?
「急ぐよ。近所の家とはある程度の距離が離れてるけど、時間をかければ何が起こるか分からないからね。幸い広い屋敷ではないし、2手に別れて虱潰しに……」
「曲者めぇっ! よりにもよってこの屋敷を襲うとはいい度胸だぁーーーっ!!」
新月の闇夜に響き渡る、聞き覚えのある馬鹿でかい声。
勢い良く開け放たれた屋敷のドアからこちらに向かって、アシュレイちゃんが全力で切りかかってきたようだ。
「……馬鹿にはついていけないなぁ」
アシュレイちゃんが息を殺して潜んでいても気付く自信はあったけど、だからってこんなに距離のある段階で真正面から切りかかってるくるなんて馬鹿としか思えない。
王国騎士として腕に自信があるのだろうけれど、こっちの人数だって分からない状態で単騎で打って出るなんて騎士としても失格でしょ?
自分が1人と切り結んでいる間に、後ろで不安そうに寄り添っている少女達が他の誰かに襲われる可能性とか考慮出来ないんだろうなぁ。
「せいっ! ……なにっ!?」
アシュレイちゃんの全力の袈裟切りを躱し、後ろの部下たちに小さく頷く。
それだけで部下たちは僕とアシュレイちゃんから距離を取り、屋敷に向かう素振りをわざと見せつける。
「くっ……! 人数が……! このままではまずっ……うわぁっ!?」
アシュレイちゃんの気が逸れた一瞬を狙って彼女の首元に1撃を放つも、大きく飛びずさったアシュレイちゃんに躱されてしまう。
腐っても王国騎士か。やはり部下に相手させるわけにはいかないね。
「目の前の相手に集中してっ! アシュレイさんがやられたら後がないんですっ! 周囲に気を使う前に目の前の相手を圧倒してください!」
……へぇ。冷静な状況判断だね。彼女がチロル・クラート嬢なのかな?
下手に自分たちを庇われても、最大戦力であるアシュレイちゃんが居なくなっては状況を打開できなくなる。
だから自分たちの身の安全よりも僕の制圧を優先しろだなんて、年若い少女に言えることじゃないよ。
「わ、分かっている! 分かってはいるが……! くそぉっ……! メルセデスーーーッ!!」
悔しそうに僕の斬撃を必死に防ぐアシュレイちゃん。
だけど彼女の声に応えるようなつまらない真似はしないよ。このままなすすべなく死んでいってね?
このままでも決着は時間の問題だろうけど、僕の名前を大声で叫ばれるのは流石に迷惑だからもうちょっと揺さぶろうか。
部下たちに目配せをして、僕たちと距離を保ちながら少しずつ少女たちの制圧に向かわせる。
「ちょちょっ!? こっちに来てるよ!? 大丈夫なの!? これ大丈夫なのーっ!?」
「勿論大丈夫じゃないわよ。抵抗はするつもりだけど、私たちの剣がどこまで通じるか……」
「あ、あれはっ!? 学園で襲ってきた生徒たちに、貴女何かしたじゃない!? あれで……!」
「あれは私に向けられた感情を増幅して相手に返す能力でしかないわ。甘ったれた学生だから効果覿面だっただけで。犯罪に慣れた人間にやっても効果は薄いでしょうね」
「じゃじゃじゃ、じゃあどうするのよーっ!? アンさんっ! 助けてアンさーんっ!」
「落ち着きなさいシル。マリー。私達の命運はアシュレイ様にかかっているのです。助かりたければ彼女の勝利を信じなさい」
落ち着いた2人の少女と、慌てふためく2人の少女。
慌てている姿の方が普通で、落ち着き払ってアシュレイちゃんの勝利を信じる2人の方が異常に思えるね。
アシュレイちゃんの勝利を信じる、か。アシュレイちゃんは王国騎士に所属していた手練れだし、信じたくなる気持ちも分かるよ。
でもごめんねぇ? 今回の相手は僕だからさぁ!?
「あうっ……! く、くそぉっ……!」
アシュレイちゃんの構えている剣を斬り飛ばす。
体勢を崩した彼女は地面を転がって僕との距離を空けながら、予備のショートソードをこちらに向ける。
「くそぉ……! くそぉ……! 絶対に私の方が正しいのに……! 絶対にメルセデスの方が悪なのにぃぃ……!」
大粒の涙を流しながら、悔しそうにこちらを睨むアシュレイちゃん。
僕に向けられたショートソードの切っ先は彼女の嗚咽と共に揺れ、とても戦闘を継続できる状態には思えなかった。
絶望感に染まったアシュレイちゃんの様子に、全身を黒い悦びが駆け巡る。
思わず声をかけてその絶望を煽りたくなる衝動を、ありったけの理性を動員して必死に押し留める。
こんなに僕を楽しませてくれるアシュレイちゃんを殺さなきゃいけないなんて本当に残念だよ……。
できることならアジトに監禁して、壊れるまで遊び倒してあげたかったけど……。仕方ないね。
「ひっ……!」
剣を振り上げる僕の姿に、怯えきった声を聞かせてくれるアシュレイちゃん。
せめてもの餞に、君のその素敵な表情は生涯覚えていてあげるね。さようなら。
心から惜しみながら、怯えるアシュレイちゃん目掛けて剣を振り下ろす。
その切っ先を虚ろな目で見ながら、アシュレイちゃんは既に死んでしまったかのようになんの抵抗も示さなかった。
「なっ!? これ、はっ……!?」
「…………えっ」
しかし、アシュレイちゃん目掛けて真っ直ぐ振り下ろした剣は、光り輝く半透明の壁のようなものに阻まれ折れてしまう。
その予想外の事態を飲み込めず、僕もアシュレイちゃんも思わず硬直してしまう。
「現実の厳しさ、少しは身に沁みたか? アシュレイよ」
「っ!?」
事態が飲み込めずに固まる僕の耳に届く男性の声。
僕たち以外には男性は居なかったはず……! 一体誰の声だ……!?
後方に退きながら、折れた剣の代わりに先ほど吹き飛ばしたアシュレイちゃんの愛剣を拾い、声がしたほうに目を向ける。
すると4人の少女の背後から、黒いローブに身を包んだ長身の男が現れた。
「えっえっ!? だ、誰っ!? どちら様っ!?」
「ななな、なんで屋敷の中から男の人がっ……!?」
「2人とも落ち着きなさい。この方はお嬢様の友人で私たちの味方ですよ」
落ち着いた声で男が味方であると諭す侍女。
彼女たちの味方ということは僕たちの敵ってことだね……!
「思い知ったかアシュレイ? 志だけでは誰も救えない事を。お前が腕を上げるまで現実は待ってなどくれないという事を」
「だっ……誰ぇ……? おっ、お前はいったい、誰なのだぁ……」
「騎士たる者が敵を前に泣きじゃくるんじゃない。しかし誰、か……。そうだな、ワイ……いや、ウィズとでも呼ぶがいい。俺はウィズ。チロルの友人の魔法使いだ」
「……魔法使いだって? 馬鹿馬鹿しい」
人を食ったような態度の男に、思わず呟きが零れてしまう。
魔法なんてはるか昔に途絶えた御伽噺だ。僕の剣を防いだ方法はどうせ手品か何かに違いない。
「魔法を否定するか? 神々が現実に存在しているのに?」
「…………」
「神が居るのに魔法は失われた、そう考える方が荒唐無稽では無いのか? 神が居るのだから神秘も失われていない。そう考える方が合理的であると思うがな」
僕をからかうような口調の男に沈黙で応える。
既にかなりの時間が過ぎているし、アシュレイちゃんが馬鹿みたいに騒いでしまったから近隣に気取られた可能性もある。
さっさと連中を皆殺しにしてこの場を去らないと。
「騎士はもう戦えない。遠慮は無用だ。皆殺しにしろ」
「「「はっ!」」」
目の前の男は僕の剣を防ぐ技量を持ち合わせているようだ。
魔法なんてペテンに付き合うつもりは無いけれど、油断はせずに数で圧殺してやる。
しかしジリジリと距離を詰める部下たちを前にしてもウィズと名乗った男は焦らず、アシュレイちゃんを庇うように彼女と僕達の間に立ち塞がった。
「本来俺が出張るのは反則なのだが、流石に今回ばかりは例外とさせてもらうぞ? 俺の住処に足を踏み入れたのはお前たちのほうなのだから」
「御託はもういい。死ね」
余裕たっぷりな男の態度が気に食わず、つい口を開いて殺意を伝える。
そのまま一気に駆け寄ろうと右足を1歩踏み出した瞬間、踏み出したはずの右足がズブリと地面に沈み込む。
「なっ!? なんだこれ!?」
「魔法だよ。貴様が信じようが信じまいがな」
「う、うわわっ……!? じ、地面に沈むぅ……!?」
どうやら異変が起きているのは僕だけではなく、部下達の体も地面に沈み始めている。
いったい何が起きてるんだ……!? さっきまでこの場所では、散々アシュレイちゃんと打ち合っていたのに……!?
「ちなみにだが、外で待っているお仲間の救援を期待しても無駄だぞ? 俺がギリギリまで救援にこれなかったのは、外の連中の制圧を優先していたからだからな」
「なっ、なに……!?」
「こう見えて魔法の使用には厳しい制限が設けられていてな。行使するには多少の時間が必要だ。アシュレイを一刀の下に切り捨てられていたら、流石に俺でも間に合わなかっただろうな?」
男が喋っている間も、僕たちの体はどんどん地面に沈んでいく。
先ほどまで普通に立って走り回っていた地面が、まるで底無し沼にでも取り替えられてしまったかのようだ……!
「ふざっ……ふざけるなぁっ!! 僕がどれだけの年月、必死に剣の腕を磨いてきたと思っているんだ!! それをこんな……こんな理不尽があってたまるかぁっ!!」
「お前の都合など知ったことではない。強者が勝利し、弱者が敗北するだけだ。それがこの世の理なのだろう? メルセデス・グレイ」
嘲るような男の言葉を最期に、僕は頭まで地面に沈んでしまう。
まるで深遠の闇の中にいるような閉ざされた視界の中、理不尽な決着に怒りを覚えながらも、僕の意識はゆっくりと遠退いていったのだった。
※こっそり設定公開
本作中最強のチートキャラの初登場? です。ウィズが出るとそれだけで話が終わってしまうジョーカー的な存在なので、彼の戦闘シーンはあまり描く機会はないかと思われます。
ウィズが語った通り魔法の行使には厳しい使用条件が設けられているので、屋敷の外に散らばる連中をそれぞれ制圧するのにまぁまぁ手間取っています。なのにメルセデスの制圧よりも周囲の部下たちの制圧を優先したのは、チロルの傍にもう1人のチートキャラであるクリアが居た為です。
アシュレイの純粋で高潔な志をチロルもウィズも疑っておりませんが、あまりにも純粋すぎるその志には現実的な視点が欠けているように感じました。客観性のない思い込みに近いその志は自分の主観で簡単に揺らぎ、悪を見逃し想い人を優先するという危険性も孕んでいました。
騎士として悪意に対峙するにはあまりにも幼すぎるその志を叩きなおそうという意図もあって、彼女はメルセデスの相手を任されました。憧れだけでは決して務まらない騎士の現実を思い知ったアシュレイがどのように変わっていくのかは、現時点ではチロルたちにも分かりません。




