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ざまぁ代行 貴方の無念、晴らします!  作者: りっち
シルビア・スカーレット
3/45

02

 チロル様に抱き締められて泣き続けていると、いつの間にか馬車の揺れが収まっている事に気付いた。どうやら目的地に到着したみたい。



 チロル様に促されて馬車の外を見ると、外には小さな一軒家が建っているのが見えた。


 とても大商人の住まいとは思えない慎ましいお屋敷。このお屋敷のことも勿論知っている。ここはチロル様の私邸だ。



「ここには私の信頼している者しかおりませんので、どうかお気を楽にしてくださいませ」



 自分でイーグルハート商会を立ち上げたチロル様は、ご実家を離れてこの私邸にお1人で生活なさっていると聞いた事があった。


 チロル様の私邸は限られた者しか入ることを許されない、どれほどお金を積んでも中に入ることが許されないという、チロル様の完全なプライペート空間として有名だった。



「このような質素な場所にシルビア様をお招きするのは恐縮ではありますけどね?」



 くすくすと小さく笑いながら私に頭を下げるチロル様。


 落ち着いていれば彼女が冗談を言っただけなのはすぐ分かったはずなのに、混乱した私は大慌てて首と両手を振って見せて、チロル様の冗談を真に受けてしまった。



「と、とんでもありませんっ……! まさかチロル様のご自宅にお邪魔させてもらえるなんて、夢にも思いませんでしたっ……!」


「ふふ。そんな大それたものではありませんが安全は保証しますよ。シルビア様のご自宅に比べると窮屈に感じられるかもしれませんが、ご自分の家だと思ってどうかお寛ぎください」



 慌てる私の手を取ったチロル様は、慣れた手つきで私を馬車から降ろしてくれた。その見事な所作に、まるで高位貴族にエスコートされているような錯覚を受けてしまう。


 急に恥ずかしくなって照れる私の手を引いて、チロル様自ら私をお屋敷まで案内してくださった。



 全てを失った今の私に、チロル様の手の暖かさがなによりも頼もしい。全てを失ったばかりだというのに、チロル様の手から安心が伝わってくるみたいだ。


 お屋敷に近付くと、1人の年若いメイドがお屋敷の扉を開けてチロルを出迎えているのが見えた。



「ただいまアン。お出迎えご苦労様」


「お帰りなさいませお嬢様。そちらの女性はお客様ですか?」


「此方はシルビア・スカーレット様。私の大切なお客様よ」


「あっ、とととっ、突然お邪魔して済みませんっ……! シシシルビア・スカーレットです……!」



 チロルの紹介に慌てて乗っかってしまい、メイド相手に焦って挨拶をしてしまう私。


 だけど目の前のメイドは私の態度に動じることなく、私はアンと申しますと美しい所作で小さく頭を下げてくれた。



「湯浴みの準備は整ってるわね? シルビア様はお体を冷やしてしまっているの。すぐに入浴してもらって頂戴」


「畏まりました。シルビア様、浴室にご案内させていただきます。どうぞこちらに」


「え、えっと、ちょっと待ってください……。さ、流石にそこまでして頂くわけには……」



 私を抜きにどんどん話を進めてしまう2人に、今更ながら恐縮してしまう。



「今の私にはお返しできるものは何もありません……。それどころか、私がここに居ることでチロル様にご迷惑をおかけしてしまうかも……」



 理解できない状況に流されて、ついついチロル様に甘えすぎてしまった……。だけどこれ以上甘えるわけにはいかないよね……。


 パーティの席であんなに大々的に断罪されてしまったのだ。もう私に居場所なんて無いんだ。そんな私と一緒に居ては、チロル様のお名前にまで傷をつけてしまいかねない……!



「あのようなことがあったばかりですのに、シルビア様は本当にお優しいですね」



 チロルは少し呆れたように小さく微笑んでから、心配ありませんよと穏やかな口調で話しかけてくる。



「心配なさらずとも大丈夫です。今宵の私は友人を自宅にお招きしただけなのですから」


「でっ、でもっ! チロル様にこれ以上甘えるわけにはっ……!」


「シルビア様。考えるのは後にしましょう。今は静かに湯に浸かって、まずは心と体を休めてくださいませ」



 私のその言葉を遮って、未だ泥だらけの私をもう1度抱きしめてくれるチロル様。


 チロル様にご迷惑はかけられない。けれどこの手を払いたくない。そんな風に戸惑う私の手を引いて、チロル様自ら浴室まで案内してくれた。



 脱衣所まで一緒に付いてきてくれたチロル様は、私の顔を覗き込んでからかうように笑いかけてくる。



「ふふ。流石にこの先までご一緒するわけにはいきませんよね? それともご一緒したほうがいいですか?」


「だだっ大丈夫ですっ……! ひひひ1人で大丈夫ですからぁっ……!」



 慌てる私を見てくすくすと笑いながら、繋いでくれていた手を離して静かには私から離れるチロル様。



「本来であれば入浴の補助に使用人をつけるところですが、本日はどうぞお1人でごゆっくり入浴してください。アンを浴室の前に控えさせますので、何かご用命の際は声をかけてくださいね」


「あ……」



 どこまでも柔らかい雰囲気を纏ったまま、チロル様は脱衣所から出ていってしまった。



 ……ここで立っていても仕方がない。心苦しいけれど、今はチロル様のご厚意に甘えよう。


 脱衣所で泥に塗れた自分の衣服を目にし、浴室に設置してある大きな姿見で擦り傷だらけの自分の姿を目にしてしまい、なんだか無性に悲しくなってしまった。



 沈んだ気持ちを振り払うように、体を洗って浴槽に身を沈める。


 暖かいお湯に包まれた私の頭は、今夜私の身に起きたことを1から思い起こしてしまう。



 不快感を隠そうともせず、私を許さない、婚約を破棄すると叫ぶウェイン様の表情が頭に浮かぶ。


 物心ついた時には、もうウェイン様とは婚約していた。少し短絡的なところはあるけれど、そこは妻の私が支えてあげれば良いと思っていたのに……。



 なんて事をしてくれたのだと、お前など勘当だと、怒りに燃える瞳で私を睨みつけてきたお父様の姿が思い浮かぶ。


 いつも穏やかで、家族の事を1番に考えてくれた優しいお父様。ウェイン様との婚約を誰よりも祝福してくれていたはずだったのに……。



 母として導いてやれなかったと、私に心底失望したような表情を浮かべ、光を失ったお母様の瞳が思い浮かぶ。


 時に厳しく、時に優しく、いつだって正しく私を導いてくれたお母様。お母様に教えていただいたように生きていれば、幸せな夫婦生活を築いていけると思っていたのに……。



 まだ己の罪を認めないのかと、呆れの混じった落胆の表情で私を見ていたオリビアの姿が思い浮かぶ。


 少し我侭で振り回されることもあったけど、いつも愛らしく誰からも愛されていた妹のオリビア。努力を惜しまず自分を磨き続ける尊敬すべき妹とは、生涯仲良く付き合っていけると信じていたのに……。



 家族の誰にも気づかれることなく、いつの間にか行方が分からなくなっているという私付きメイドのマリー。


 物心ついたときには傍に居てくれていた、侍女でありながらも友人である彼女は、いったいどこに行ってしまったの……?



 様々な出来事が頭に浮かんでは消えていき、纏まらない思考の中で感情だけが強くなっていく。



 どうしてこんなことになっちゃったんだろう……? 私がいったいなにをしたっていうんだろう……?


 着服も、取引先が存在しないことも、私の部屋から出てきたという高価な品も全て身に覚えが無いのに……。どうして全てが私のせいにされて、どうして私の無実を家族が信じてくれないの……?


 ウェイン様に捨てられ、お父様には勘当され、帰る場所も頼れる人も、私は全てを失ってしまったんだ……。

 


「う、う……、うああああ……」



 考えはまとまらず、強くなった絶望だけが私の両目から溢れ出す。


 私しかいない静かな浴室に、私の泣き声だけが響いていた。





 暫く独りで泣き続けていると、なんだか少しだけすっきり出来たように感じられた。絶望感が両目から流れ出して、私の心が少し軽くなったのかもしれないな。


 お風呂から上がり、用意してあった服に袖を通す。泥だらけだった私の服は何処に行ったんだろう?



 脱衣所を出るとメイドのアンさんが私を待っていて、私をチロル様の所に案内してくれた。


 案内された応接間では、チロル様自らお茶を用意して私を労ってくれた。



「まさかチロル様にお茶を用意してもらうなんて恐縮です……!」


「大袈裟すぎますよシルビア様。私はただの商人の娘であって貴族ではありません。平民の女なのですから、お茶くらい自分で淹れないと」



 こんなにお優しくて上品なチロル様が平民だなんて、本人の口から聞かされても信じられない。パーティ会場にいた誰よりも、チロル様の方が気品に溢れていると思うのになぁ。


 私なんかよりもずっと、チロル様の方が気品に満ちているのに……。



「……チロル様が平民と言うのであれば、私だって平民ですよ。今宵、お父様に勘当されてしまいましたから……」


「……そうでしたね。辛いことですが、現実から目を背けていては何も始まりませんね」



 つい雰囲気を悪くするような事を言ってしまった私に、チロル様は怯むことなく話しかけてきてくれる。


 そして息を飲むほど真剣な表情を浮かべながら、彼女は私に提案をする。



「シルビア様、お互い平民の娘であると仰るのでしたら、1つお願いがあるのですが……」


「私にお願い……ですか? 勿論何でも仰ってください。私に出来ることであれば何でもさせて頂きますわ」



 チロル様の真剣な表情に、私も静かに覚悟を決める。


 全てを失った私に、ここまで手を差し伸べてくれたんだ。チロル様に何か狙いがあったのだとしても、私は受けた恩に報いなければダメだわ。



「ふふ。ありがとうございます。では言わせて頂きますね」



 だけどチロル様は表情を崩して、穏やかに微笑みながら予想もしていなかったことを口にする。



「お互い平民になったのでしたら、このような堅苦しい喋り方はやめて口調を崩しても宜しいでしょうか?」


「…………え?」


「私は根っからの平民ですので、このような喋り方は疲れるのですよねぇ……」



 肩を竦めておどけて見せるチロル様。


 先ほどまでの真剣な眼差しとのギャップに戸惑いながらも、何とかチロル様の提案を受け入れた。



「あ……、え……と。勿論構いません、よ……?」


「ふふ。ありがとう。家でまで堅っ苦しく過ごしたくないのよねー」



 先ほどまでの柔らかい雰囲気とは違って、親しみが感じられる人懐っこい笑顔になったチロル様。



「シルビア様が嫌でなければ、私のことはチロルと呼び捨てて貰って構わないわ。私のような平民の娘に敬称なんて必要無いから、ね?」


「あ、あの……! だったら私のことも、シルビアって呼び捨てて下さい! 私だってもう平民なのです。ならば敬称は必要無いはずですわっ!」


「あはは。そうね。じゃあ遠慮なく、これからはシルビアと呼ばせてもらうわね」



 慌てる私を見て楽しそうに笑うチロル様。


 先ほどまでの気品溢れる姿も自然な姿にしか思えなかったのに、大きく口を開けて笑う今の姿こそが彼女の本来の姿なのだと理解できた。



「宜しくシルビア。貴方も遠慮無くチロルって呼んでね?」


「あ、はいっ……! こちらこそ宜しくお願いしますっ。チ、チロ、ル……?」


「あははは。シルビア! 固すぎるわよ! 全然平民の娘には見えないわ!」


「しっ、仕方ないじゃないですかぁ……! さっきまで貴族令嬢だったんですからぁ……!」


「ふふ、そうね。私と違って根っからの貴族令嬢だったんですもの、すぐに気安くなれなくても無理ないか。少しずつ慣れてくれたら嬉しいわ」



 さっきまで理想の貴族令嬢にしか見えなかったチロル様が、まるで親しい友人のように私に接してくれている。その距離感が心地良い。



 だけどパーティから追い出され、入浴を済ませチロルさ……チロルとお話もしたことで、自分が思っているよりも随分と時間が経ってしまっていたようだ。


 失礼しますとメイドのアンさんが会話に割りこんできて、もう良いお時間ですよと就寝を促してくる。



「お話はまた今度にしてそろそろお休みください。客室の準備も整っておりますので」


「ご苦労様。アンももう休んでいいわよ。後のことは私でも出来るから」


「……お嬢様はどこか抜けたところがありますから少し心配ですが、お言葉に甘えさせていただきますね。おやすみなさいお嬢様。シルビア様」


「もう! アンはいつもひと言余計なのっ! おやすみなさい!」


「お、お休みなさい……」



 ゆっくりと頭を下げて、失礼しますと去っていくアンさん。


 え、ええ~~……? 本当に先に休んじゃったよ……!? アンさんとチロルの気安いやり取りもびっくりだけど、主人が起きているのにメイドが先に休むなんて初めて見た……!



 なんだかこのお屋敷に通されてから、びっくりしてばっかりいる気がするよ……。



「シルビア。アンが言った通り、疲れているならもう休めるわよ? 貴女の話を聞くのは1度休んで落ち着いてからでも構わないけど……。シルビアはどうしたい?」


「話……」



 私の話を聞いてくれる人が居る。そう思うと話したいことが沢山溢れてくるようだった。



 愛する家族、信頼していた婚約者に突然裏切られた私にとって、このまま何も話さずに寝てしまうのはなんだか恐ろしくも感じられた。


 明日になったら、目の前のチロルも私から離れていってしまうのではないかと……。



「……えっと、そうだね。チロルが良かったら、このままお話を聞いて貰ってもいいかな……。このまま横になっても、とても眠れそうにないから……」


「勿論。ぜひ話を聞かせてもらうわ。人に話すだけで楽になれることもあるしね。って、あら……?」


「え……?」



 突然チロルが身を屈めて、テーブルの下から何かを抱き上げた。



「今までどこに居たのー? 人見知りするような子じゃないでしょ貴方はー」



 起き上がったチロルの手には、真っ黒なイタチのような動物が抱きかかえられていた。


 な、何この子……! か、可愛い~っ!



「このコはエルダーっていうの。エルって呼んであげて」


「エッ、エエエルだねっ……!? 了解だよっ!」


「エルは()()()()っていう珍しい動物で、その中でも突然変異で真っ黒な姿をしているの。普通のいいずなは茶色かったり白かったりしてるんだ」



 いいずな? 聞いたことが無いなぁ。こんなに小っちゃくて可愛い生き物、もっと知られていても良さそうなのにぃ~っ。



「エルー。この人はシルビア。私の新しい友達なの。仲良くしてあげてねー?」


「きぃきぃ」


「ふふ、エルもシルビアの話が聞きたいみたいよー?」


 

 チロルはエルと呼ばれた真っ黒な動物をテーブルの上に乗せる。


 テーブルの上に乗ったエルは真っ直ぐに私のほうを向いて、どうしたのって言うみたいに小さく首を傾げてみせた。


 か、可愛い……! 可愛すぎる~~っ!



 そんな仕草だけに留まらず、エルはトコトコと私に近付いてきて、私の顔をジッと見つめて大人しく待っていてくれる。


 え、え~っと……。ひょっとして、な、撫でてもいいのかなぁ……?



「チ、チロル……? な、撫でても大丈夫……? 噛み付いてきたりしない……?」


「だいじょうぶ。エルはとっても頭が良いから、触られたくない人には始めから近寄ったりしないから。きっとこの子もシルビアを心配しているのね」



 え、この子って私を心配してくれてるの……!? ほ、ほんとに……!?



「シルビアが動物を嫌いじゃなかったら、抱っこしてあげてもいいわよー」


「だだだ抱っこ!? ほ、本当に、本当にいいのっ……!?」



 ドキドキしながら恐る恐る手を伸ばす。


 だけどエルは初めて会った私の手を拒むことなく、大人しく私に抱かれてくれた。



「か、かかかかかわいい……!」


「気に入ったならそのまま抱いてあげてね」


「こんなの気に入らないわけないよぉ~! 可愛すぎるぅ~!」



 可愛い! もう全っ部が可愛過ぎるよエル~っ!


 真っ黒な毛並みも三角で真っ黒なお目々も、細長くて私の両手にすっぽり収まっちゃう小さな体も、『仕方ないなぁ~』って言いたそうな表情も全部可愛いよー!



「さ、シルビア。話を聞かせてちょうだい。私もエルも、貴女の話が聞きたいわ」


「うんっ。2人ともありがとうっ」



 目の前にチロルがいて、手の中にエルが居ることになんだか凄く安心する。


 さっきまで絶望感で頭がいっぱいだったのに、この2人が私に寄り添ってくれているだけで心が落ち着いていくのが分かった。



「話すと言っても、私自身、何がなにやら分かってないんだけどね……」



 今夜開催された私とウェイン様の婚約披露パーティで、ウェイン様に一方的に婚約を破棄されたこと。


 婚約を破棄された理由に、私は全く身に覚えが無かったということ。


 身に覚えのない罪で、家族に勘当されたこと。


 私の潔白を証明できるはずの、私の専属メイドであるマリーが行方不明になっていること。


 婚約も破棄され、家も勘当され、誰も頼れなくなった私に、多額の賠償金が請求されているということ。



 1つ1つを改めて口に出すと、自分が如何に絶望的な状況に身を置いているのか思い知らされる。


 それでも胸に抱いたエルの温もりと、チロルが淹れてくれたお茶の香りが、私の心を落ち着かせてくれる。



「分からない。何も分からないの……。ウェイン様に見せられた書類は、間違いなく私が取り扱った取引の記録だったわ。それは間違いないけど、相手が実在しなかったなんて信じられないよ……」


「取引相手と直接会った事は?」


「毎回直接交渉だったよ? 実際にお店にも出向いたし、取引相手と会話だってしてる。それが実在していない商会だったなんて、未だに信じられないの……」


「出向いたお店の場所も後で聞かせてね。それで?」


「それに私の扱った取引は、全てハドレット商会の指示で行なわれていたのよ? 私の独断で進められた取引なんて、1度だって無かったはず……。それをウェイン様がご存じないわけないのに……」



 改めて今夜起こった事を口にすると、自分に何が起こっているのかという疑問も更に深まるような気がした。


 考えれば考えるほど分からない。私の体験と現実に残っている記録が違うなんて、そんなことありえるの……?



「マリーだって……。あ、マリーって言うのは私の専属メイドでね? 年も近くて、いつも一緒に居たメイドなの。マリーだったら私の無実を証明できるはずなのに、行方が分からなくなってるなんて……」


「マリーさんが居れば、シルビアの無実を証明できるのね?」



 チロルの確認するような問いかけにも、興奮してしまった私には応えることが出来ない。



「それにね? マリーのことも勿論心配なんだけど、私だってこれからどうやってウェイン様に賠償金を支払っていけばいいのか分からなくて……」


「シルビア落ち着いて。一旦話を……」


「勘当された令嬢なんてどこも雇ってくれないでしょう? それなのにあんな金額、どうやって支払えばいいって言うの……? 更に慰謝料まで上乗せされるなんて、本当にどうしたらいいのか……」


「……シルビアっ!」


「ひっ……!?」



 語りかけていたことも忘れて視界が暗くなりかけた私を言葉を、チロルの大声が遮った。


 俯きかけた顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべたチロルがいた。



「落ち着いてシルビア。ゆっくり息を吸って、エルの体温を感じてあげて」



 チロルの言葉に従って深呼吸を繰り返し、柔らかなエルの毛並みを撫でる。


 どこまでも沈んでいきそうだった私の心が、2人のおかげでなんとか踏み止まってくれた。



 ……そうだ。落ち込んでいても何も始まらない。まずは落ち着いて、これからどうするのか考えなくちゃ。



「話してくれてありがとうシルビア。でも今日はここまでにしておきましょうか」


「えっ、でも……」


「今は分からないことが多すぎるわ。このまま感情に任せて物事を判断するのは凄く危ういと思う。今後の事は明日改めて考えましょう」



 明日改めて。


 明日も変わらず、チロルはまた私の話を聞いてくれると言っている……。



「貴女は今、自分が思っている以上に疲れ果てているはずよ。まずはゆっくり休んで、心と体に力を取り戻さなきゃねっ」



 何処までも私によりそうチロルの言葉に、凍えきっていた胸が熱くなる。


 私に関わっても良いことなんて1つも無いのに、そんなことお構いなしにチロルは屈託の無い笑顔を向けてくれるんだ……!



「ありがとうチロル。本当に本当に、ありがとう……」



 自然と漏れ出る感謝の言葉。けれどそれと同時に、どうしても彼女に聞きたくなってしまう。



「……ねぇチロル。どうして貴女はそんなに優しくしてくれるの?」


「んー? どうして、かぁ」


「私と関わったら貴女の商売にだって良くない影響が出るかも知れないのに……。今までそれほど親しかったわけでもない私にこんなに良くしてくれるのは、いったいどうしてなの……?」



 ここまで私に寄り添ってくれているチロルを疑うような事は言いたくないのに……。全てに裏切られたばかりの私は、唯一味方をしてくれているチロルに裏切られるのが怖くて、つい彼女を疑うような事を口にしてしまった。



「う~ん、そうよね。人の悪意に晒されたばかりの今のシルビアに私を信じるのは難しいわよねぇ」



 チロルは私の言葉に気分を害することもなく、それどころか私に同意を示してくれた。



「んー、シルビアが納得する答えかどうかは分からないけど……」



 チロルは少し悩んだような仕草を見せた後、私に柔らかい笑みを向けながら言った。



「確かに私達はそれほど親しかったわけではないけれど、シルビアは私のお店を利用してくれた大切なお客様だったんだもの。見捨てるわけにはいかないわよ」


「……え? お客様だった、から……?」


「ウチの父は誠実さをとても大切にしていてね。私にもよく仰るの。お客様を大切にしなさい。取引先に感謝しなさいって。お客様が困っている時、取引先が困っている時に率先して手を差し伸べてあげられるような商売をしなさいってね」



 相手を大切に想い、相手に常に感謝し、相手が困っていたら助けてあげなさい……?


 え、それって本当に大商人タリム・クラート様のお言葉なの……? 商売人がそんなことを大切にしているものなの……?



 私が戸惑っているのを見て、分かる分かると笑いながら続きを話してくれるチロル。



「笑っちゃうわよね? これのどこが商売人なのって。時には利益を捨ててでも人を大切にしなさいなんて言うんですもの。商売人の娘としては困っちゃうわ」



 呆れたように肩を竦めて見せたあと、チロルは今日1番の優しげな表情を浮かべる。



「でもね、私はそんな父を尊敬しているの。父にも、父を尊敬している私自身にも顔向けできなくなるような商売をするわけにはいかないわ」



 チロルの口調は穏やかだけど、その言葉には強い意思と覚悟が秘められているように感じられた。


 今まで優しく穏やかだっただけのチロルが垣間見せた強い覚悟。なんだかチロルの本質の一端に触れたような気がする。



「シルビアは私のお店に来てくれた大切なお客様。だから私は商売人としてお客様の力になろうと思った。貴女が信じようと信じまいと、私から言えるのはこれだけよ?」



 納得してくれた? と首を傾げるチロルに嘘を付いている気配は微塵も無い。



 商売人として、利益を捨ててでも私を助けるの……?


 矛盾しているようで、筋が通っているようにも思える、とっても不思議な考え方……。



「お客様でしかなかったシルビアと、今はこうして友人になったんだもの。友達が困ってるなら力になりたいじゃない」


「えっ……と。私達が友達になったのは、チロルが私を助けてくれたあとだったよ……?」


「細かい事は気にしなーいっ。それにシルビアは知らないのかもだけどさ。私ってこう見えて結構お金持ちなんだよ? お金で解決できることならお茶の子さいさい、ってね!」


「……ぷ、なにそれっ? あははははっ!」



 大商人の癖になに言ってるのよチロル! つい堪えきれずに吹き出してしまったじゃない!


 吹き出してしまうなんてはしたないけど、今の私はもう貴族令嬢じゃないんだ。だから思いっ切り笑ったって構わない、よね……?



 ウェイン様に婚約を破棄されて、お父様に勘当されて、パーティ会場から追い出された時は目の前すらよく見えなかったっていうのに。


 新しく出来たばかりのこのちょっぴり変わった友人のおかげで、私は笑い方を思い出すことが出来たみたいだった。

※ひと口メモ


 いいずなはかなり小型の動物です。オコジョに似た外見を持ちますが、ググると世界最小の肉食動物などと紹介されている程度には小さく、15の少女の手にも余裕で収まるサイズです。


 気性が荒く警戒心も強い上、絶滅危惧種に指定されているそうなので残念ながらペットとして飼うのは難しい動物です。


 ですが元々とても頭の良い動物のようで、人にまったく懐かないというわけではないようです。人にじゃれるいいずなの動画も探せば見つかります。検索する場合はカタカナでイイズナと入力した方が良いかもしれません。ネットは広大で偉大です。

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