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ざまぁ代行 貴方の無念、晴らします!  作者: りっち
カチュア
22/45

03

「お召し物は用意しておきましたから、遠慮せず袖を通してくださいねー」


「あ、ありがとうございます。甘えさせていただきますねっ……」



 お風呂から上がった私は、用意してあった清潔で肌触りの良い衣服に着替えさせられてしまった。



 本当に申し訳なかったけれど、他に着られるものなんて持ってない。


 だからチロルにお礼を言って、潔く袖を通させてもらった。



「ねぇチロル先せ……いえ、チロル。この服って……」


「ん? それはイーグルハートで販売している衣装ですよ。平民向けの安価な商品で、サイズも豊富なんです」



 イーグルハート商会……。


 その売り物に袖を通させてもらってるんだ。



 確かにイーグルハート商会では平民向けの安価な商品も数多く取り揃えているけれど、それでも気軽に買えるような値段じゃないことくらい私でも知ってる。


 お祝い事や贈答品に購入するのが一般的で、とても私くらいの家では普段使いできる価格ではなかったはず。



 いくらチロルがそこの経営者とは言え、流石に恐縮しちゃうなぁ……。



「それも気になるんですけど……。そうじゃなくてですね、なんだかこの服、私にピッタリのサイズに感じるんですけど、どうして……?」


「ふっふっふー。私はこれでも観察眼には自信がありましてね。あれだけ長い間カチュアさんを見ることが出来て、背中でとはいえ全身に触れることも出来ましたから。大雑把なサイズを予想するくらい簡単なんですっ」



 どやぁっ! としたり顔で笑うチロル。


 たった今恐縮したばかりだったはずなのに、その得意げなチロルの笑顔に肩の力が抜けちゃった。



 チロルとの入浴を終えて、チロルの案内でリビングに案内してもらった。


 テーブルの上には湯気が立ったティーカップとお茶請けのビスケット、そして見たことのない真っ黒な小動物がこちらを見ていた。



「あらエル。ようやくお出ましなのねー?」



 チロルが抱き上げても、その子は大人しくチロルの腕の中に収まっている。


 チロルの腕の中で、この人は誰だろう? って顔をして私のほうを見ていた。



「貴方、私達が入浴を済ませるまで隠れていたんでしょう? まったく」



 可愛いなぁ~。


 こんな子見たことないけど、なんの動物なんだろう?



「エル。この子はカチュアさん。今回のお客様よ。宜しくしてあげてね」



 チロルはこの黒くて小さなイタチのような動物をエルと呼び、私の説明をした後に私の方に向き直る。



「カチュアさん。この子は同居人のエルダー。エルって呼んであげてくださいね」


「きぃきぃ」


「わっ? よ、よろしくって言ってくれたの?」


「ふふ。エルはいいずなと言って、とっても頭が良くて大人しい動物なんですよー」



 いいずな? やっぱり聞いたことないなぁ。珍しい動物なのかもしれない。


 エルダー、エルね。もう絶対忘れないわっ。



「もしもカチュアさんがお嫌でなければ、エルを抱いてみませんか?」


「え、ええっ!? 全然嫌じゃないですっ! 抱っこしてみたいっ!」


「はい。ではどうぞ」


「わ、わわっ」



 チロルに差し出されるままにエルを受け取って抱きかかえる。


 初対面の私に抱かれても、エルは大人しく私の胸に収まっている。



「ほ、本当に大人しいんですね……。びっくりです。初対面の私にも大人しく抱かれてくれるなんて」


「エルは頭が良いですし、私以外には紳士的ですからね。カチュアさんが嫌がる事は絶対にしませんよ」


「わ、私以外にはって……」


「動物に触れていると心が落ち着くといいますし、良かったらそのまま抱いたままでいてあげてくださいね」


「きぃきぃ!」


「わわっ、可愛い声だねー。チロルにお返事したの?」



 大人しく私の胸に抱かれてくれているエルが、なんだか私を肯定してくれているような気がした。


 チロルもいいって言ってくれたし……。もうちょっとだけ付き合ってもらっちゃおうかな?



「ふふ、じゃあもう少し私が抱いてあげるね。宜しくエル」


「きぃ」


「さ、まずは席についてください」


「あっ、ありがとうございますっ……」



 両腕でエルを抱いている私の為に、チロルが椅子を引いてくれる。


 椅子を引いてもらうなんて、男の子にも家族にもしてもらったことがないのに、まさかチロルみたいな物凄いお金持ちが、当然のように私の椅子を引いてくれるなんて……。



 恐縮しつつも椅子に座ると、エルはゆっくりと私の胸から抜け出して、テーブルの上のビスケットの匂いをくんくんと嗅いでいる。



「無事に両手が解放されましたか?」


「あ、はっ、はい。こ、この通りにっ……!」


「それではひとまずお茶を楽しみましょう。アンが淹れたお茶は美味しいですから、冷めてしまっては勿体無いですよ」



 バタバタと両手を振って手が空いたアピールする私に柔らかく微笑んで、チロルも席についてお茶会が始まる。


 そして、まるでお茶が始まるのを待っていたかのようにテーブルから降りてきたエルが、そのまま私の膝の上で丸まってしまった。



「エルはそのまま膝の上にでも座らせておいてあげてください。逃げたりしませんから」


「わ、分かりました……。か、可愛いですね~……」



 可愛いんだけど、これじゃ身動きが取れないよ~、エル~。



 エルを膝に乗せたまま、温かいお茶を口に含み、お茶請けのビスケットを齧る。


 なんだか優しい味がするお茶だなぁ……。



「お茶を飲んで、エルに触れて、少しは気分が晴れましたか?」


「え?」


「これから私はカチュアさんの事情を聞かなくてはいけません。カチュアさんの心の準備が整うまで待ちますから、無理はしないで下さいね」



 穏やかな時間で緩んでいた私の気持ちが、一気に張り詰めていくのが分かる。



 私の、事情……。


 そう、話さなければいけない。というか、聞いてもらいたい。



 だけど、いったいなにをどう話せばいいんだろう……。



「ああ、長い話になるかもしれませんし、お互い講師でも生徒でもありませんから、これからは言葉を崩してもらって構いませんよ」



 悩む私とは対照的に、チロルはどこまでも柔らかく微笑んで、強張った私の心を解してくれる



「んっ! んっ! こんな感じの喋り方で構わないわ。カチュアさんもどうか肩の力を抜いて寛いでね」


「あ、あっと! それなら私のこともカチュアと呼び捨てて下さい! 私は貴女に敬称で呼ばれるような人間じゃないですからっ」



 まるで親しい友人や家族に語りかけるように、気さくに言葉を崩したチロルに慌てて応じる。


 むしろ私のほうがチロルを敬わないといけないくらいなのに、そのチロルにさん付けでなんて呼ばれたくないよ~っ。



「そう? ならお言葉に甘えさせて頂くわ。カチュア。改めて宜しくね」


「は、はい! 改めて宜しくお願い……、宜しくね、チロル」



 思わず敬語で返しかけた返事を、慌てて崩してチロルに返す。


 う~。見た目も年齢も私より間違いなく小さいのに、なんだかチロルに対等な接し方をするのは憚られちゃうなぁ。

 


 ……でもチロルと話していると、なんだか不思議と落ち着いてくる。


 チロルの珍しい真っ黒な瞳を見ていると、私の心のざわめきが治まっていくのを感じる。



「えと、私の事情、だよね……。私も話したいと思うんだけど、何を話していいのか分からないの……」



 チロルのその瞳に誘われるように、ゆっくりと語り始める私の口。



「自分でも何が起きていたのか良く分からなかったから、なにを説明したらいいのか……」



 それは突然始まって、でもずっと前から私は巻き込まれていて。


 なにがなにやら分からないうちに周囲はみんな敵に回り、誰1人として味方はいなくて、気付いたら学園を追い出されていた、としか私には説明できないのだ……。



「カチュア。貴女が何も知らないのは仕方ないことなの。多くの場合、被害者は加害者側の事情なんて知らないものなんだから」



 被害者……、加害者……。


 チロルのはっきりとした口調に、今まで意識していなかったその言葉が、私の心に強く印象付けられる。



 すっかり心が参ってしまって何も考えられなかったけれど……。



 そうだ。私は被害者なんだ。


 不特定多数の学園関係者に謂れのない迫害を受けた被害者なんだ、私は。



「それに加えて、今回のケースは本当に異常なの。学園という閉鎖空間において、生徒も職員も一丸となって貴女を迫害し続けるなんて尋常じゃないわ。それを当事者の貴女に察しろというのは無理よ」



 今回のケース、という言葉に一瞬引っかかったものの、チロルは本当に私に何が起きたのかを把握していて、その上で私が被害者だと断言してくれているのだと分かった。



「だからカチュア、まずは貴女の話を聞かせて欲しい」


「私の話、って?」


「貴女がどうしてあの学園に入学し、どのように過ごして、いつから何が起こるようになっていったのか。原因は説明できなくて構わないわ。貴女が体験したことだけを、まずは私に教えて欲しいの」



 まずは私の話……。


 どうしては答えられなくていいから、何がという部分を説明すればいいのね?



「えっと、じゃあ始めから改めて説明していくね? 私の名前はカチュア。実家はジャンクロウで花屋を営んでいるの」



 なにから話せばいいか分からなかった私は、改めて自己紹介から始める事にした。


 恐らくチロルも、私のことなんて名前以上のことは知らないはずだしね。



「私も将来は花屋を継ぎたいと思ってるんだけれど、ウチは兄弟が多くて。兄さん姉さんがお店を継ぐことになっちゃったんだ。だから家族は私に申し訳ないと思ったのか、みんなで私のためにお金を貯めて、ランペイジ学園への入学を勧めてくれたの。学園を卒業すれば、将来仕事に困らなくなるだろうって」


「ご実家はジャンクロウのお花屋さんだったのね。お花屋さんの稼ぎでランペイジ学園の入学金を用意するのはとても大変だったでしょう。良いご家族に恵まれていたみたいね」


「うん。みんな無理してお金を工面してくれたみたいなの。それで家族ともいっぱい話し合って、みんなの厚意を素直に受け取って、学園で色んな事を学ぼうと思ったの。学ぼうと思っていたの……。なのに……、なのにどうしてこんなことに……」



 家族で話し合った日々が思い出される。



 何度も喧嘩した。時には手が出ることもあった。


 それでも結局は、みんな私の事を1番に考えてくれていた。



 なのに、いったいどうしてこんなことになっちゃったんだろう……。



「カチュア。考えるのを止めちゃダメっ」



 目の前が閉ざされ、周囲の音が遠ざかっていく中で、厳しく強いチロルの声が私の意識を引き止める。



「思い出すのは辛い事だと思うけれど、貴女の話を聞かなければ何をすることも出来ないわ。辛くなったら口を閉じてもいいし、エルを撫でたりお茶を飲んだりしながらでいい。でも1人で黙って思考の底に沈んでいくのは絶対にダメよ」


「独りで沈んじゃ、だめ……?」


「貴女は自分に何が起こっているのか理解していない。そんな貴女の頭の中には解決策は存在してないの。まずは貴女の中に溜まっているモノを吐き出して、心と頭に動きを取り戻さないといけないわ」



 何が起こっているか理解出来ていない私の中に、問題の解決策は存在していない。


 この言葉は独りで必死にもがいていても何も変えられなかったあの地獄の日々を過ごした私の行動を真っ向から否定しつつも、独りでは解決できないのは仕方ないんだよと受け入れてもくれているような気がした。



「もし黙っている方が辛いなら、無理矢理にでも話しなさい。貴女の中に解決策が無いなら、貴女の外に救いを求めたっていい。外に助けを求めなきゃいけないの」



 知らず下がっていた視線を上げて、改めてチロルに目を向ける。


 深い夜のようなチロルの瞳は、やっぱり私の心を落ち着かせてくれた。



「……うん。ありがとうチロル。だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」



 私にはチロルがついていてくれる。私はもうあの地獄から解放されているんだから。


 今から口にすることは過去。もう過ぎ去った事になんか、いちいち怯えてなんかいられない。



「続きを話すね? 学園に入って、始めの内は何も問題なんか起こらなくて、学園生活は本当に充実していたの。寮で同室になった子とも凄く気が合ってね。毎日が本当に楽しかったんだ」



 そうだ。思い返せば確かに充実していた時期もあったんだ。


 こんな素敵な学園に入学させてくれてありがとうって、私を送り出してくれた家族のみんなに心から感謝して……。



「けど……、確か3ヶ月くらいしてからだったかな? 私に授業料の滞納のお知らせが届いたのは……」


「授業料は入学金とは別に納める必要があるのね。一応確認しておくけど、滞納の心当たりは無いのよね?」


「うん。滞納どころか、毎月手渡しで事務員さんに支払っていたんだよ? 同室の子と一緒に支払いに行った事もあったのに、記録されていない、受け取ってないの一点張りで……」



 見ていた人だって1人や2人じゃない。


 渡したお金だって戻ってきていない。



 なのに受け取っていない。記録されていない。嘘を吐くなと話にならない。



「……ふぅん。思った以上に厄介そうな話ねぇ。一緒に支払いに行った事もあるっていう同室の子はどうなったのかしら?」


「それが……。授業料の滞納を理由に、私の部屋は物置みたいな狭くて汚い部屋に移されて、それ以降は学園内でも会う事が許されていなくて、どうなったのかは……」


「ん、分かった。話の腰を折ってごめんなさい。続きを聞かせて」


「それからは……。それからは本当に酷いし、本当に訳が分からなかった……」



 今でも考えれば考えるほどおかしくなりそうになるけれど……。



 でもチロルは、私に起こったことだけを説明してくれればいいと言ってくれたから。


 何が起こっていたのか分からず途方に暮れていたことまで含めて、チロルに話してもいいんだ。



「私は入学金の滞納どころか、不特定多数の生徒からお金を借りていることになっているし……。私のサインが入った借用書まであるのよ? いったい何がなにやら……」


「身に覚えのない署名、ね。それから?」


「それから複数の男性との関係を噂され、度重なる備品の破壊、先生方からは生徒への暴力行為を咎められ続けたわ」


「……既に言ったけど、それが本当なら貴女は投獄されてないとおかしいからね。カチュアがそんなことをしてないのは分かってるから」



 話しているうちに沈むそうになる私の心を、チロルの存在が支えてくれる。


 チロルが私の無実を信じて寄り添ってくれているから、私の心は何とか正気を保っていられた。



「そうしているうちに、次第に生徒達からも酷い扱いを受けるようになっていったの。集団に囲まれて殴る蹴るの暴行を受けたり、石をぶつけられたり、寮にある私の私物を捨てられたり壊されたり……」



 命の危険を感じることだって少なくなかった。


 1度階段から落とされてからは、後ろに人が居ない事を確認しないと階段には近寄れなくなったし、施錠してあるはずの自室が留守中に荒らされたりしているのを見て、学園内に安全な場所なんてないのだと思い知らされた。



「職員は無理だとして……。学園の外に助けを求めるのは、やっぱり難しかったのかしら?」


「うん。寮生は学園の敷地外に出るには外出許可を申請する必要があったし、無断に出ようにも学園の警備員さんが常に出入り口を固めているからね……。それに私は常に誰かに見張られてたし……」


「こっそり抜け出すのは、事実上不可能だったわけか」


「外出できないから、手紙を送るのも学園側に仲介してもらわないといけないでしょう? 多分内容をチェックされちゃうと思ったの。もしかしたら内容も確認せず全て処分されちゃうかも……」



 ある日を境に、私の学園生活は地獄になった。



 全てを監視され、周りは全て私を敵視している生活。


 まるで監獄にでも入れられたかのような生活だった。



「そして今日、とうとう学園長先生から除籍処分を言い渡されたの。学園長室から学園を出るまでの間に、私には様々なものがぶつけられたわ。いちいち把握なんて出来なかったけど……」



 学園長先生に浴びせられた罵詈雑言。


 学園生にぶつけられた痛みや悪臭を思い出す。



 そしてその後、汚され責められ疲れ果てた私を待っていたのは……。



「そして学園の正門まで辿り着いた時、あの女が取り巻きを連れて立っていたの……」


「あの女……、話の流れ的に、今回の騒動と関わりが深そうな相手ね。誰が立っていたのかしら?」


「ルリナ・ランペイジ。ランペイジ学園創設者一族の人間で、現学園長の孫娘。学園執行部の役員長で、名実共にランペイジ学園を牛耳っている女。私の事を学園に相応しくないとか言って、執拗に攻撃してきた相手でもあるの」


「ルリナ・ランペイジさんね。学園のトップにして、学園長の孫娘か。あまりにも出来すぎな人物ね。まぁいいわ。続きをお願い」



 続き。


 ルリナ・ランペイジと会ったあとの話……。



 何を言われたっけ……。


 確か、物凄く重要な事を言われた、ような……。



「――――っ!! そうだ! あの時ルリナは言っていた! 私の実家に、学園からの被害額や授業料の滞納分、更には生徒達からの借金までまとめて請求するんだって!」


「……請求ですって? 学園の外にまで躊躇なく……?」



 あの女はなんて言ってた!?


 私の家に請求する金額は、確か入学金20年分相当とか、確かそんなふざけた事をっ……!!



「どうしよう! このままじゃ父さん母さんや、実家の家族に莫大なお金を請求されてしまうわ!? 先生! 私はいったいどうすればっ!?」


「カチュア、落ち着いて。エルでも撫でて気を静めてちょうだい」


「あっ……あ、の……」



 いつの間にか立ち上がって私の傍に立っていたチロルが、その真っ黒な瞳で私を見詰めてくる。


 その瞳のあまりの深さに、私の心はまるで怯えるように急激に鳴りを潜めていく。



「でも、お金ねぇ……。欲をかいたようね。ふふん、それは悪手でしょうに……」



 一瞬私から目を逸らしたチロルが、本当に僅かに口角を上げたような気がした。


 けれどそんなものは私の気の迷いであるかのように、真剣な眼差しで私の身を案じてくれる。



「カチュア。明日朝食を食べたら、一緒にジャンクロウにあるご実家に行きましょう。私も同行して、ご家族にはご説明をさせて頂くわ」


「チ、チロルが同行してくれるのは心強いけど、それだけじゃなんにも……!」


「お金の件はとりあえず私に任せておいて。まずは今回の件に全く何の関係もない、貴女のご家族のことを守らないと」


「お金の件は任せてって……、入学金20年相当の金額になるって言われたんだよ!?」



 あまりにも平然と任せろというチロルに、思わず食って掛かってしまう。



「更にはその上に学園生達からの借金額も上乗せするって……! いったいどれ程の額になるか私にも分からないのにっ! そんな金額、私達にはどうやったって用意することは出来ないよっ!?」


「落ち着いてカチュア。落ち着いて、貴女は今優先すべきことだけを考えるの」



 思わず食って掛かる私を、チロルは静かに見つめてくる。



 その闇のような瞳に見つめられると、私の感情は強制的に凪いでしまう。


 その深遠から覗かれているような感覚に、私の心は震え上がってしまう。



「お金の件は大丈夫。こう見えて私はお金持ちだから、入学金なんか10年分でも100年分でも即金で払ってあげるわよ」


「ひゃ、100年分でも即金で、って……」


「ただ貴女の話を聞くに、ちょっときな臭い話になってきた気がするのよね。事はカチュアだけに収まらない。そんな気がするの」



 ランペイジ学園の入学金100年分なんて、下手な貴族家なら2つ3つ潰せそうな金額なのに、それを即金で払うなどと言い放つチロルに戦慄する。


 そしてそれ以上に、そんなチロルすら警戒している今回の騒動の裏に潜む何かに、私の心は竦んでしまう。



「……今回の件。貴女の背後にはもっと大きな悪意が潜んでいる気配がするわ。だからまずは貴女のご家族を守らないといけないわ」


「私だけの、話じゃない……? それっていったい、どういうこと……?」


「それはまだ現時点ではなんとも言えないわ。今は既に標的にされているカチュアのご実家を守らないと」



 ……守る。家族みんなを守る。


 守りたいけど、私にはどうしたらいいのか分からないし、どうすることもできない。



 だから私も誰かに、チロルに助けてもらっていいのかな……?



「カチュア。とりあえず今日はここまでにして休みましょう。明日は早めに朝食を取って、すぐにジャンクロウへ向かうわよ」


「あっ、明日ジャンクロウまで向かうのっ!?」


「多分相手は貴女がご実家に戻る前に貴女の話をして、貴女の帰る場所を奪ってしまう腹積もりでしょう。恐らくご実家には、既に貴女の話が伝えられていると思うべきだわ」


「そん……なっ……!」



 実家に私の話が既に伝わっている……。


 そう聞いて、改めて背筋が凍る。目の前が真っ暗になる。



 私の為に無理をして入学金を工面してくれた家族達に、私への誹謗中傷が伝わっている……。



 みんなは私のことを信じてくれるだろうか……。


 家族にまで見捨てられたら、私はもう生きていく自信が無い……。



「カチュア。しっかりなさい! 貴女がご家族を信用しなくてどうするの!」



 もう何度目かも分からない、チロルの激にハッとさせられる。


 戻った私の視界の先に、エルが心配そうに首を傾げて私の顔を見詰めていた。



「安心しなさい。私が同行するって言ったでしょ。ご家族には私からちゃんとカチュアの無実を説明するわ」



 チロルが私の無実の証明を助けてくれると言ってくれている。


 なら信じる。私の家族は私を信じてくれるって、信じよう!



 そうだよ。私が家族のことを信じなくてどうするのっ!


 信じてもらえない辛さは、私が1番良く知っているはずなのに!



「貴女もご家族もとても立派な人たちだと思う。そんな人たちを、くだらない悪意なんかに汚させはしないわ。チロル・クラートの名にかけて、貴女と貴女の家族を守ると誓いましょう」



 チロルが守ってくれると言ってくれる。


 私だけじゃなく、私の家族まで守ってくれると言い切ってくれる。



 私より年下で小柄な少女が味方でいてくれる。


 それだけでもう何も悪いことなど起こらないような、どうしようもないほどの心強さを覚えてしまう。



「カチュア。今は私達に出来る事は何もないわ。寝れないかもしれないけれど朝まで横になって、せめて安静にして体だけでも休めなさいね?」



 お茶も話も今夜は終わりよと、私の手を引いて優しく立たせてくれるチロル。



「エル。悪いけど今晩はカチュアと一緒に寝てくれるかしら。カチュアを1人にさせるのは、少し危険な気がするから」


「きぃ」


「わっ、わわっ……!」



 短くひと鳴きしたエルは、器用に私の腕を伝って肩に乗ると、まるで私を励ますように頬ずりしてきた。


 頬に感じるくすぐったさが、私の心を落ち着けてくれる。



「カチュア。貴女の事は何とか保護できたけれど、どうやらそれだけじゃ足りないみたいだからね。ご家族のことが大切なら、変な遠慮は一旦捨てて全力で私に頼りなさいね?」


「ん……。力不足でごめんなさい。でも家族のみんなを守るために、どうかチロルを頼らせて欲しい……!」


「ええ。貴女の家族も、貴女と家族の信頼関係も、私がまるっと守ってあげるわっ。だからまずは貴女が元気になりなさいね? しっかり休んで、体力と怪我の回復に努めるの」



 私よりもひと回りは小柄な少女の言葉に、心から頼もしさを覚える。


 頬に感じるふわふわのくすぐったさと、チロルの真っ黒な瞳に安心感を覚える。



 この日私はエルを抱いたまま、案内された客間で静かに眠りに就くのだった。

※こっそり設定公開

 事ある毎にカチュアを見詰め、カチュアの心を落ち着けるチロルの眼差しですが、これにチロルの異能が関わっているかと聞かれると微妙なところです。

 目は口ほどにものを言うといいますし、有無を言わせないほどの真剣な眼差しというのは、慌てふためく人の心を縫い止める力があると思っています。


 動物を触っていると心が落ち着くというのは、アニマルセラピーという側面と、エルに触れているからという両方の意味が込められた言葉です。

 今回エルは最初から最後までずっとカチュアに寄り添っておりますが、それほどカチュアが心身ともに荒んだ状態だとエルが察したということなのだと思います。


 ちなみにエルが2人の入浴まで姿を現さなかったのは、彼の鼻がチロルとカチュアから発せられる悪臭に耐え切れなかった為です。

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