竹やぶのかみさま
「ママぁ! かっちゃんと遊びに行ってくるね!」
「暗くなる前に帰って来なさい?」
「はぁい! 行ってきまーす!」
「かっちゃんも気をつけるのよぉ!?」
「はぁい!」
いかにも田舎。と言う家の門から、まだ幼い少年と少女が手をつないで道路に飛び出していく。
舗装こそしてあるが車も走っていないし、信号も無い。
実は親たちも、そこはほぼ心配していない。
「きのう、雨がふったから川は行っちゃだめって母さんが言ってたよ?」
「じゃあ山だ! ね!?」
「たけやぶのたんけんに行くか。でも、さっちゃん女だしなぁ」
「だから何よ!」
二人の前、道が二股に分かれる。
「虫がいるぞ? ミミズとかもいるぞ」
「ミミズって虫だっけ? それに虫きらいなの、かっちゃんじゃん」
「虫はだいすきだよ! クモがちょっとイヤなだけだ」
「ムカデだってこわくないよ! さっちゃん、ふんずけちゃうから!」
「でも女はおしっこするときしゃがむだろ? お尻の下に虫が歩いてくるぞ?」
「うえ……。歩いてきたときだけ助けてよ! 後はへーきだから!」
「ちぇ、わかったよ。……じゃ、いくか」
「うん!」
二人は左に曲がって山の方へと向かった。
「こないだ、ここまではきたよねっ?」
「うん、この石をめじるしにしようっていったよな? ……道なの? これ」
少年は真顔になると竹藪のさらに先を眺める。
道とも言えないようなものが奥へと続いている。
「なんか、あるの?」
「わかんねぇ。でも子供はあんまり奥にいっちゃいけないンだってじいちゃんが……」
そう言いながら。二人はズンズンと奥へと進んでいった。
「なんで大人は良いの?」
「……わかんねぇ」
「かっちゃん、あれみて! かみさまのおうちっ!」
「……ホントだ」
突然二人の目の前が開け、広場のスミには小さなほこら。
「かみさまがいるのに、なんでこどもが来ちゃいけないの?」
「大人だけがおがむかみさまなのかな……?」
「えー! こどもはおねがいしちゃいけないのぉ? へんだよぉ!?」
「本来は逆であるのだが、何しろ妾には子を攫う。と言う逸話がある故なぁ。……それとて、人の作りし話ではあるのだが。一方、人が認識せねば妾もおらぬ。おらずとも良いとは言え、妾がこうしてある以上。それはそれで困ったものよのぉ」
声のした方を振り返る二人。
背が高く細面。和服を着た綺麗な人が立っている。とりあえず二人はそう認識した。
「そもそもが。子供にしか見えんと言うのが妾であるに、その子供が来んでは姿のあらわしようも無いではないか。そうは思わぬかえ?」
もしも、二人がもう少しものを知っていたなら。それが十二単衣、と呼ばれる装束であることがわかったはず。
「おばさん、だれ?」
「かっちゃん、おねえさんだよっ! よく見なよ! ……で、だれ?」
但し、二人にも。こんな竹藪の奥で綺麗な服を着た妙齢の女性が居る。それがおかしいことである、とはわかった。
「まぁ、妾の見てくれは、見えたように思えば良い。誰か、と問われても答えに窮する所ではあるのだが、さて。……どうしたものか」
「ねぇ、ねぇ、おねえさん。なんでしっぽがあるの?」
少女がごく普通に指摘したそれは、十二単衣の後ろで複数本、ゆらゆらと揺れていた。
「妾がキツネだ。と言うことになっておる故、だな。……長くこの姿であったから気にもせなんだが。……おかしいかえ?」
「わかった! おねえさんは、しっぽのあるかみさまなんだ!」
「えぇ!? さっちゃん! この人、かみさまなの!?」
「人じゃないよ、かみさま。――ね、そうでしょ?」
「あっはっは……。だから子供は面白いのよな。妾は妖怪変化のなれの果てではあるが、しかしながら。確かに神の一柱としても、その末席に数えられておるぞ」
二人はこの“かみさま”をしっぽ様と名付け、誰にも秘密にする事にした。
「はい、しっぽ様。田中商店のヤツだからおいしいよ? 高いんだから、これ」
セーラー服を来た少女が、ビニール袋に入った油揚げを“しっぽ様”へと渡す。
「何度でも言うが、さち。一応妾は神であるのだぞ? あまりに扱いがぞんざいでは無いかえ? 確かにお前にとったれば、相当に高価なものではあろうが」
「昨日、お小遣いの日だったから。……んーと。お供え?」
「……全く、妾は供物で無く、扱いの話をしておる。それにキツネの化身だからとて、油揚げばかりを食すというわけでも無いぞ」
そう言いながらも彼女は、受け取ったビニール袋の中身を興味深く見つめる。
「でも油揚げ、一番好きでしょ? もう一〇年以上の付き合いだよ」
「妾を見うるは子供ばかりであったはずであるに。何故故妾の姿が、背も胸も育ち、月のものさえあるお前に見えておるのか」
「他の子達より純粋だからじゃ無い?」
「そのような言動を称して“笑止”、と言うのだ。特にお前は阿呆であるのだから、このような言葉も覚えおけ。……お前に妾が見ゆるは、お前が人の痛みから目をそらし、自分の痛みを誤魔化し、それら全てより逃げ回る子供であるからだ」
「時々しっぽ様の言ってることがわかんない」
「ならば気にやむな。――時にさち」
「え? あ、はい!」
「このようなものを、今時期にあえて持ってくる。……何を妾に願わんとする?」
「むぅ。――あの、さ……。かっちゃん、最近来てる?」
「先月来たな、お前と同じく油揚げをおいていきおった」
「もう見えてないんだよね?」
「あぁ、アレは既に子供で無い故な」
「で、かっちゃんは。なんてお願いしていったの?」
「そを神が話しては、誰も願掛けなどしまいよ。して? お前は何を願う。――妾は見てくれがどうであろうと。神であるのだから、お前の考えなど筒抜けではあるが」
「わ、わかってるなら聞かなくても良いじゃん!!」
「そうはいかぬ。望みであるが故、叶えるかどうかを考えるのだ。神を前に口に出来ぬなど。そは、望んでおらぬことと同義であると思うが?」
――しっぽ様はいじわるだ。そう言って少女は制服が汚れるのも気にせず、ぺたん。と地面に尻をつける。
「神とは言えど、そもそもは妖怪変化であるとは何度も言った。底意地が悪かろうとは想像がつこうものを。やはり阿呆だな、お前は……」
「うんとさ、かっちゃんね。東京の高校受けるんだよ。……アイツ、頭は良いのにあがり症でしょ? だから試験の時、普通にできたら良いなって。そう思って、それで、その……」
「さちはそれで良いのかえ? 試験とやらの首尾が良い。と言うことは、アレがこの地を出て行く。と、言うことに他ならぬぞ?」
「だって! 東京の学校にいって、良い大学に入って、博士になって、そんで世界の最先端を行く技術者になるんだ! って。……ずっと、子供の時から。ずっとずっと言ってたんだよ。――アイツの目標なんだ、大事な夢の、始めの一歩。なんだ、よ……」
「聞いた事に答える気は無いかえ? さちがそれで良いのか。と、問うたつもりだったが?」
「……よいわけ、ない。……じゃん。――だってだって、だって! しょうがないじゃん! あたし、バカだからアイツの言うことなんか半分もわかんないし、アイツは今でも一番の友達って思ってくれてるし、その友達が足、引っ張るわけに行かないじゃん!!」
「好いておる事実は、それはそれで良いのでは無いか? せめてお前の中では……」
「それもよいわけ無いんだよ!! ……ただ隣の家に住んでただけのあたしじゃ、ダメなんだ、無理だよ。釣り合わない、足りないよ、届かない。かっちゃんの目指すトコなんて、絶対行けない。……あたしが居たら、行けなく、なるんだよぉ!」
乾いた落ち葉が積もった広場に、少女の涙がパタパタと音を立てて落ちる。
「あたしが、かっちゃんの為にできるの。お願いすることだけなんだよ。――四百五十円の油揚げ、試験の日まで毎日持ってくるから、だから、お願いします! アイツが実力通りに評価されるように、してよ! アイツもそうお願いしていったんでしょ? いいじゃん、しっぽ様は神様でしょ! あたしの一生のお願い、聞いてよお……!」
セーラー服を来た少女はその場に泣き崩れる。
――やれやれ、お前はいつまでたっても子供であるな。なんと手間のかかる。しっぽ様は、地面に力なく崩れた少女の頭を優しく撫でる。
「お前も知っておろう。妾は子供攫いの性悪狐。……故に。この地より少年を一人攫うなど容易いこと。――最後にもう一度だけ聞く。本当に。良いのだな? さち」
「……うぅ、ひっく。――よい、……です」
「明日より三日間、午後4時になったら。妾に田中商店の二百五十円の油揚げを捧げよ」
「二百五十円ので、ひっく。……いい、んだ」
「妾が味わうは、値段でも素材でも無い故。……な」
――性悪狐の本性を見せるは何百年ぶりであろうかしらん。泣き崩れる少女の頭を撫でる十二単衣を着た女性は、その姿が徐々に薄れていく。
その時。彼女は漸く、自分の痛みに向き合う“大人”。になったのだった。
「はぁ、はぁ。この辺は変わって無くて、助かった。……ほこらもある。ならしっぽ様も。――姿は見えなくても、居るんだよな? そうだろ、しっぽ様!」
ワイシャツにブルゾンを引っ掛けた青年が。走ってきたのか息を切らせて、竹藪を抜けて広場へと出る。
「……こんな時だけゴメン、しっぽ様! キチンとお参りにも来なくて悪かった!! 見えなくてもいるんだろ? 何でもする、助けてくれ! ――俺には、何もできないんだ!」
「今やお前はなんでもできていようぞ。……久しいな、かんた。二〇年にもなろうや。妾に用事かえ?」
「え? しっぽ、様……!?」
青年は突如現れた十二単衣の女性の前に跪く。
「でも、どうして俺に姿が……」
「子供と同じく純粋である思いを持つなら見える。と言い張った阿呆がおったが……。子供にしか見えん、幻想も同然の妾に。世の摂理に打ち勝った大人のお前が、今更なに用であるか?」
「アイツが、さっちゃんが病院に運ばれたって聞いた、すごく悪いとも! 今日は誰とも連絡が取れない。今夜が山だって聞いてる! 一生のお願いだ、しっぽ様! 俺はどうなっても良い、アイツを助けてくれ!!」
「神への願掛けでどうなっても、と言ったか? あえて聞く。言の葉に二言は無いな?」
青年は頭を上げ、ぐっとしっぽ様と目を合わせる。
「無いっ!」
「ほぉ、言い切るかや。今やお前の望みはなり、世界でも指折りの技術者ぞ。……そのお前がどうなっても。と言った。……自身で意味はわかっていようかしらん」
「勿論だ! アイツがいなきゃ、今の俺は無いんだ……。お願いします、しっぽ様……」
「正直な話をしよう。妾にとって人の生き死には、それこそどうでも良い話ぞ。アレが見知りおきたるものであっても……」
「神様はみんなそうだって俺も思う。けど、そこを曲げて助けて欲しい。アイツはずっと。先月も、先週だって……」
「さちは、今も変わらず阿呆ではあるが、妾を見ることの叶わぬ大人となった。人の心の痛みのわかる優しい、良い女になった。何故故に今もって一人身であるのか、みな不思議がってあるぞ」
「それは俺のせいなんだ。いつも思わせぶりなことばかり言って、ここまで引っ張ってしまった。……アイツに自慢できるような立派な人になったら、そしたら。そしたらアイツにって……」
「“お前達”はいくつになっても阿呆のままよな。……全く。理想的な好ましい阿呆どもであることよ」
「しっぽ様……?」
「さきの話を今一度聞く。何でもするのよな?」
「は? いえ、……はい! 何でもやる、当たり前だ!」
「ではまず一つ。会社を抜け、この地へと帰れ。……妾に技術のなんたるかはわからぬが、通信いんふら、と言うのか? お前の仕事は特に。東京に拘らずとも良いはずであるな? 今の組織に搾取されるもそう、既に義理は果たしておる。終いにしてよかろうものであろう?」
しっぽ様は、青年からあえて目をそらすとため息を吐いてみせる。
「それはずっと思ってたんだ。そんなことで良いなら、すぐに……」
「それともう一つ」
「もちろんなんでも!」
「あぁ、たいした事はせぬで良い、近々に、さちを娶れ。――互いに想いは通じておって、何故どこですれ違うものか。お前達は、この妾にもわからぬ」
そう言うとしっぽ様は、青年が幼いときに見たのと寸分変わらぬ、優しい笑顔を浮かべる。
「……俺は、でも」
「そこは、かんたの必ずせねばならぬこと故、決して妾の手を煩わすこと、まかりならぬ。――それが願掛けの条件だ、良いな?」
笑顔を浮かべたしっぽ様の姿は、少しずつ薄くなる。
「妾の姿が見えなくなってのちも。さちがここに来て話すは、お前の成功を自慢する話ばかりであったよ。……これで良いのだろう? ――意固地になるのを止めよ。いつまで子供でおるつもりであるのか」
「俺は。だけど……」
「お前の願掛けは、なった。――なればすべきこともわかるな? 今すぐさちの元へ行け」
「でも、家も友達も、俺んちまで! 今日は誰も……」
「間もなく、アレの御母堂が一旦家に帰る。一緒に病院へ行き、さちと会え。……その後のことは任せよ。見てくれがどうであろうが、神である妾が請け合ったのだぞ?」
「は、はいっ!」
「わかったら早ように行け。……条件を果たしておるかはあとで厳しく吟味する。妾としては珍しく、後払いである故な」
「そんなの、条件にもならない! しっぽ様に言われるまでも無く、俺がしなきゃいけないことだ……。ありがとう、しっぽ様!!」
青年は竹藪のなかを、振り返りもせずに走り始める。
――はてさて。子供攫いの性悪狐は、この先も神を名乗って良いものかしらん。
その声を残して、十二単衣に複数の尻尾を揺らした優しい笑顔の女性の姿。
それは竹藪の中に拡散するかのように薄くなって、消えた。