他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【57】
「里奈、大丈夫か!?」
学校を休んでしまった私を心配して、暁斗が見舞いに来てくれた。
いつもなら、なんでもない日常を送ることで、無理矢理にでも気をまぎらわせてしまうのだけれど、今回ばかりはそうもいかなかった。
―――王子がケガしてる。
―――王子が苦しんでる。
―――王子が「リナ」って呼んでくれた。
―――王子が見せた、あの眼差し。
それらが、グルグルとごちゃまぜになって、私のなかで渦巻く。
こんな気持ち、日常なんかでまぎれることはない。
「大丈夫…だよ」
それでも、強引にウソを吐く。
「ゴメンね、心配かけて」
「里奈…、お前」
暁斗が、寝起きのまま、ボサボサの私の頭に触れた。
やさしく、跳ねた髪を直すように撫でてくれる。
「無理すんなよ」
声も、温かい。
限界だった。
その優しさに、温かさに、一気に決壊したダムのように、我慢したはずの涙があふれてくる。
「里奈…」
「暁斗ぉ…。王子がっ…、王子がぁ…」
みっともないほど涙と鼻水をたらして、おいおいと声を上げて泣いた。
これじゃあまるで、スーパーとかで泣きわめいてる子どもとおんなじだ。そう思いながらも、泣くのを止められなかった。
「里奈…」
そんなグシャグシャな顔の私を、自分の服が汚れるのもかまわず、暁斗が抱き寄せてくれた。
その優しさ、反則級だよ。
おかげで、身体のなかの水分全部、涙となって流れちゃうじゃない。
さんざん泣きはらしたあと、私は、夢で見たことをすべて暁斗に話した。
あれは全部夢だったのかもしれない。私が勝手に見た悪夢なだけで、本当は王子は元気なのかもしれない。
けど、姫に触れたことで私の中を貫いたあの心の痛みは現実だとも思えた。ルティアナの王女というだけで向けられる悪意、憎悪。王子に対する申し訳なさと、複雑に絡んでしまった感情。
「…そうか」
私の話を聞き終えた暁斗が、それ以上語ることはなかった。
いつもなら、ここで慰めの言葉でもかけてくれるのに。今は、彼自身に、それだけの余裕が感じられなかった。
私がこちらの世界に戻ってきた時、私の話を聞いた時に見せた表情と同じ。ううん。それ以上に沈痛な顔をしている。眉間にシワを寄せ、一点を見つめ、グッと何かをこらえてるような、そんな顔をしている。
暁斗…。もしかして、アンタ、やっぱり…。
姫に触れた時、同時に流れ込んできた感情の一つを思い出す。
姫が、最後にこの世界にいた時、暁斗が見せた握り拳。ギュッと閉じ込めた手のひらのなかに、どんな想いがあったのか。姫は、それを知りたがっていた…。
「ねえ…」
思い切って聞いてみようか!?
物憂げなままの暁斗に声をかけた。
「…ううん。なんでもない」
やっぱり、やめた。
暁斗が閉じ込めたものを、私が勝手に開いていいもんじゃない。聞いていいのは、私じゃない。
さまよわせた視線が、机の上のぬいぐるみに止まる。
そのつぶらな瞳は、なにか、私に訴えているようで…。
「そうだ、暁斗」
促されるように、言葉を続ける。
「なんか、ずっと借りていた物があるんだよね」
わざとらしく話題を変えて、ベッドから降りる。
「はい、これ」
暁斗に手渡したのは、セフィア姫が彼から借りていたという本。『王妃 マリー・アントワネット』
「ありがとう」
本を手にした暁斗が、なんとも言えない、複雑な表情を見せた。
* * * *
セフィアさんに貸していた本を、里奈から返された。
最近の里奈のおかしな様子と、今日の学校を休む理由。
その全てが、あの世界にあるのだと思うと、胸が苦しい。
セフィアさん…。
今、どうしているのだろうか。
彼女が、二度と入れ替わりを起こさせないつもりでいることは、なんとなくわかっていた。勝手に入れ替わっていることを、彼女は申し訳なく思っていたみたいだから。
ルティアナの王女として、ローレンシアの王太子妃となった者として。彼女はその責任と向き合おうとしていた。そのために、自分の感情を、殺そうとしていた。
水族館や文化祭、何気ない日常のなかで見た、セフィアさんを思い出す。
彼女は、里奈の身体で、初めて知った自由を楽しんでいた。喜んでいた。
想像でしかないけど、王女、王太子妃という立場は、息の苦しい世界だったのかもしれない。けれど、彼女はあえて、その道を選んだ。その決められた道を踏み外すことを、極端に恐れていた。
生まれついての立場に対する責任とプライド。
自分のワガママに里奈を巻き込んではいけないと、懸命な優しさ。
そんな彼女を見るたびに、切なくて仕方なかった。
セフィアさん…。
里奈から聞いたあちらの世界の話を思い出す。
彼女を襲った凶刃。立場が産んだいわれなき憎悪。夫である王子のケガ。
今、どんな気持ちでいるんだ!?
泣いてないか!? 苦しんでいないか!? 悲しんでいないか!?
そばに行ってやりたい。行って、彼女を支えてやりたい。
強く、思う。
その役目は、王子のものだろう。
理性はそう訴えるが、感情は言うことを聞かない。
何度も握りしめた手で、返ってきた本に触れる。
『王妃 マリー・アントワネット』
彼女が、アントワネットそっくりだとは言わない。アントワネットみたいな目には遭わない。遭うわけがない。そう言い聞かせる。
……!?
手にした本、下巻の手触りに、少しだけ違和感を覚える。
パラパラとめくるページの一箇所に、その部分はあった。
…水滴!?
何度もこのページを開いたのだろう。自然に開くまでにクセのついたページには水滴に触れ、ふやけた跡があった。
…泣いた…のか!?
この箇所を読んだであろう、セフィアさんを想像すると、胸がつまる。
本から目を離し、空を見上げる。
…セフィアさん。いや、セフィア。
アナタは、どんな思いで、この場面を読んだのですか!?
握りしめたはずの感情が、どうしようもなく暴れだす。
―――「せめてわたくしが最後まで彼のことを思ってきたと知ってくださいまし」




