他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【56】
―――お前が、無事でよかった…。
―――…リナ……。
熱く熱を持った手が頬に触れる。
優しい眼差し。
ケガで意識がもうろうとしていたのだろうか。
セフィア姫に、「リナ」って呼びかけるなんて。
そんな優しそうな眼で、こっちを見つめるなんて。
心臓が鼓動を忘れる。息が苦しい。
この感情は、姫のもの!? それとも私!?
わからない。
混乱しそうになって、姫から身体を離す。
そして今度は王子を見つめる。
…王子。
今は、少し落ち着いたんだろうか。眠っていて、彼の特徴的なあのグリーンの瞳を見ることは出来ない。
…ねえ、必ず元気になってよ。
そう願いを込めて、王子の濃い金色の髪に、秀麗な額に触れる。
いつもだったら絶対出来ないけど。今は、こんな幽霊みたいな存在だから、触れることもためらわない。
…元気になって、いつもの、あのムカつく態度に戻ってよ。
いつものように、あの、いつものような王子に…。
私の眼からこぼれ落ちた涙が、王子の頬を濡らす。
それを合図にしたかのように、私は唐突に、自分の身体で目を覚ました。
胸が締めつけられるような悲しみと、あふれる涙とともに。
ベッドの上、身を起こすと膝を抱き、顔を押し付ける。
…王子。
あの世界のことなんて、知らなきゃこんなに苦しい思いをしなくてすんだのに。
二度と行くことの出来ない世界に、会えない人を思うことに、私は苦しみだけを抱え直す。
⇔ ⇔ ⇔ ⇔
―――王子。
リナの声を聞いたような気がして、ハッと目が覚める。
部屋が少し明るい。夜明けが近いのだろう。
目が覚めて初めて、自分がうたた寝ていたことに気がついた。
…殿下は!?
急いで、容態を確認する。
昨夜とは違い、殿下の呼吸は安定していた。お顔の色も、少し良くなったように思える。
そっとお身体に触れてみると、熱もずいぶん落ち着いたように感じられた。
…峠は、越えたのかしら。
昨夜はとても、危険な状態だった。
大量の出血、意識の混濁。高熱。
私をかばったせいで、殿下の身に何かあったなら、私は…。
先ほど聞こえた声を思い出す。
…リナ。
彼女がここに来ていたのかしら。
そう思えるほど、とても身近に彼女を感じられた。彼女に会ったことはないけれど、それでも、ここにいたのはリナだったと、先ほどの声はリナだったのだという確信が、私のなかにあった。
彼女が来てくれたおかげで、殿下の容態は回復に向かった。そんな気がしてならない。
満月でも新月でもないのに、この世界に訪れたリナ。
苦しい息の下でも、リナを案じておられた殿下。
…私は。
私は、何かとんでもない過ちを犯しているような気分にとらわれる。
入れ替わりを、一方的に止めてしまった。それが正しいことだと思っていた。
そっと、王子の側を離れ、窓を開け放つ。
月は、すでに西の空に沈み、取り残された星が、昇り始めた太陽の光にかき消される前の、最後の光を放っている。
次の満月まで、あと少し。
…私は、私のしたことは、本当にこれで良かったのでしょうか。
見えなくなってしまった月にむかって問いかける。
その問いに答えてくれるであろう人は、ここにはいない。
―――幸せになってください。
その言葉が、今、とても苦しい。あの別れ際の、ギュッと何かをこらえたような拳が、眼に浮かぶ。
…アキト。
…私はどうしたらいいのでしょう。
彼が拳のなかに閉じ込めたもののなかに、その正解の道筋が隠されているような、そんな気分に襲われた。




