他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【54】
次の入れ替わりも起こさないように、私は新月の夜も、眠らないことを誓う。
眠れば、向こうの世界に行ける…。そんな誘惑がないわけではないけれど。そんな思いが心をかすめるとき、何度も何度も頭を振る。
ダメよ。そんなことを考えては。
実際、眠らないことで入れ替わりを起こさせないという目論見は、成功していた。
月は、その形を取り戻しはじめ、真円を描く日にむけて膨らみ始める。
その日、殿下とともに城下の視察に出かけた。
以前、リナが私の身体にいた時、誘拐されかけるという恐ろしい事件もあったので、今回は、護衛の騎士の数が増やされ、王宮からも近い、ごく安全な場所のみの視察となった。
それでも、王宮のなかで、うつうつとしているよりはいい。
王太子妃としての責務をこなしているほうが、気が紛れる。よけいなことを考えなくてすむもの。
視察は、王宮近くにある軍の療養施設の慰問が中心だった。
施設には、戦いで傷ついたもの、病を得たものがその身体を癒すために収容されている。
患者は男性が中心で、寝台に横たわる彼らの周りには、看護する者、医師、そして患者の家族が患者の手当てにあたっていた。
…この人たちは、国家の、戦争の被害者なのだわ。
このローレンシア王国は、表立ってではないが、ヴァイセンと争いを続けている。ヴァイセンの前は、故郷のルティアナ王国と。他にも、国境を隣接する国とは、何かしらの諍いが起きやすい。
それらの争いは、たとえ国家が勝利しても、必ず死者を、傷病者を出してしまう。国家が護られるその影には、彼らのような傷ついた民の存在がある。
そのことを、国家を担うものとして、未来の国母となるものとして、忘れてはいけないのだと、心に強く命じる。
「お気を強く持ってください」「早く良くなってくださいね」「あなた方のおかげで、この国は護られました。感謝いたします」「ゆっくり休んでくださいね」「大丈夫ですわ」
どれだけ声をかけたかわからない。どれだけ手を握り、肩を抱きしめたかわからない。
本当は、彼らの包帯を取り替え、薬を飲ませる手のほうが、彼らにはありがたいかもしれない。言葉より、彼らの苦しみを取り除く手のほうが、何百倍もうれしいに決まっている。なのに彼らは、包帯の取り替え方も薬の種類も手当ての方法もわからない、私の言葉に涙すら流してくれる。「もったいないお言葉」と、声を震わせてくれる。王太子妃という立場は、それほどまでに大切にされるものなのかしら。
生命をかけて、国の、民の平和を守った彼らのほうが尊いと思うのに。
傷病者の慰問は、故国でも王女として行ったことはあるけれど、何度経験しても、歯がゆくて納得のいくものではなかった。
せめて。
せめて、私が嫁いだことで、故国とローレンシアの、そしてヴァイセンとの諍いが収まること。そして少しでも、この国の民が傷つかぬようになること。そのことだけを願い、笑顔で慰問を続けた。
ゆっくり時間をかけて傷病者の慰問を続けたので、療養施設を出ようという頃には、日はかなり傾き、外の空気はひんやりというより、寒く感じられるほど下がっていた。もうすぐ冬を迎えるこの国の空は、凍りそうなほど薄い水色となり、夕焼けが赤く染めても、暖かさを感じることはない。
空気の冷たさに、軽く身を震わせる。
「お疲れでしょう」
施設の階段を降りようとして、さりげなく、殿下が手を差し出してくれた。
その手に、自分の手を重ねる。少し温かい殿下の手。
見送りに出てきていた、施設の関係者、護衛の騎士、付き添いの侍女たち。彼らの目が一瞬和む。
公務を終え、新妻を労る夫。おそらく彼らには、そう見えたのでしょう。殿下に愛され、大事にされている王太子妃。
…本当に、そうだったらいいのに。
大切にされていないわけではないわ。でも、愛されてはいないの。
だって、私。まだ、白い花嫁なんでもすもの。
それでも。
殿下と仲睦まじげに見せなくては。私たちが仲良いことは、国家のためにも、先ほどの傷病者の方に報いるためにも、必要なことだわ。
殿下に手をとられ、ゆっくりと階段を降りながら、いつものように微笑んで見せる。
…幸せを演じるの。
そうすれば、いつかはそれが本当になるかもしれないから。
「お前なんかにっ!!」
薄色の空を切り裂くような、女の叫びだった。
何か、重いものがぶつかってくる衝撃。殿下にグイッと身を引き寄せられたのは、ほぼ同時だった。
それまで和んでいた空気が、緊迫したものに変わったのを肌で感じる。
…何!?
思うまもなく、夕闇に染まりかけた世界から、刃物を持った男や女が現れる。
先ほど受けた衝撃は、その仲間がもたらしたものだったらしい。
足元に、ギラついた目をした初老の女性が倒れていた。手には同じく刃物。
切っ先には、……血!?
「殿下っ!!」
殿下の肩から背中にかけて、大きく切り裂かれた服が、みるみる鮮血に染まっていく。
血相を変え、シルヴァンを筆頭に護衛の騎士が集まる。侍女たちが悲鳴をあげ、施設の者たちは蒼白となった。
「お前にっ!! お前なんかに、慰められやしないんだよっ!!」
髪を振り乱し、女が叫んだ。
「ルティアナの女なんかにっ!! この国を滅ぼす魔女めっ!!」
女の叫びを合図に、連中が襲いかかる。
護衛の騎士たちが応戦に入る。しかし、彼ら自身、戸惑いがあるのだろう。攻撃を受け止めはするものの、反撃は出来ずにいる。
攻撃しているのは…、この国の民だ。
「殿下っ!! ここはお逃げくださいっ!!」
騎士の一人が叫んだ。
「頼む…。姫、こちらへっ!!」
額に汗をにじませた殿下が、どこにそんな力があったのかと思わせるほど、強引に私の手を引っ張った。
もといた施設のなかに飛び込む。追いかけてくる暴漢を、シルヴァンが防ぐ。
「殿下っ!! しっかりなさってくださいっ、殿下っ!!」
施設に入るまでが限界だったのだろう。殿下の身体が床に崩れ落ちた。
「誰か、手当てをっ!! 殿下を救けてっ!!」
外ではまだ剣戟の音。私の叫びに弾かれたように動き出す医師たち。
どうして!? どうしてこんな目に遭うの!?
血に染まる殿下の身体を支えながら、私はこの国に渦巻く悪意に心の底から嘆いた。




