他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【53】
「元気ないですわね」
私に面会に来たアデライード嬢から、開口一番にそう言われた。
「なにか、具合でも悪いの!?」
彼女は、リナが視察先で出会ったお友だちなのだという。リナに会って、殿下の愛妾の座を狙って上京してきた女性。リナと一緒にさらわれて、リナに助けられた。そして、今は殿下ではなく、護衛のシルヴァンに会うために王宮を訪れているという彼女。
初めて会った時は、とても驚いたけど、その遠慮のない態度は、まるでリナと話しているようで、少しだけ心が和む。
本当にリナは、誰とでも打ち解ける、そういう性格なのだわ。
私だったら、こんなふうにお友だちを作るのは難しい。立場とか関係なく人と接するなんて出来ないもの。
「何でもないわ。ありがとう、アデラ」
「…アナタが大人しいと、なんか、気持ち悪いのよね」
ふう…と、ため息交じりにアデライード嬢が言い放った。
そのあけすけに隠し事のない物言いは、礼儀もなにもないけれど、その代わりに、彼女の人の良さを伝えてくれている。
「乗馬でも、いたしますか!?」
気分が変わるわよ、と勧められた。
「いいえ…」
もう二度と、リナは戻らないのだから。
殿下と、夫婦として過ごす日々は静かに過ぎてゆく。
あの日、戻ってきた私を、優しく迎えてくださった殿下。
殿下から、この一ヶ月こちらの世界で起きたことの顛末も聞いている。
私の身代わりにさらわれかけたリナ。アデライード嬢を守り、際どいところで殿下に救けていただいたリナ。
どれだけ恐ろしかったでしょう。どれだけ怖かったでしょう。
そんな状況に彼女を追いやってしまった、私の立場に胸が苦しくなる。
やはり、これ以上彼女を、リナをこの世界に巻き込んではいけないわ。
リナを、元の、平和なあの世界に戻してあげなくては。
政争に巻き込まれていいのは、王太子妃となった私なのだから。
彼女を守るためにも、私はその日の夜、眠るのをやめた。
眠らなければ、入れ替わりは起きない。
その目論見が成功したこと、翌朝、身を持って知る。
翌朝になっても、この身体から私の心は離れず、以前と同じように収まっている。
これでいいの。これでいいのだわ。
リナはあちらの世界で。私はこちらの世界で。
それぞれの道を、それぞれの足で歩いていく。
…これで、いいのよ。
翌日になっても入れ替わらない私たちを見て、殿下は「そうか…」と、短くつぶやかれただけだった。
これで、よかったんだわ。
王太子妃となった者としての責務を果たす。
アデライード嬢だけじゃない。他の令嬢たちとも面会し、それこそ他愛のないことに、笑いさざめく。ジャンヌが仕立ててくれた新しいドレスを身にまとい、殿下とともに晩餐会や、舞踏会に出席する。国王陛下の公式愛妾である、ロワイユ夫人のサロンにも顔を出し、有意義な時間を過ごす。
この世界で送る、王太子妃としての日常。
ここが、私の居場所。ここが私の生きるべき世界。
時折、あちらの世界のことを思い出してしまうけれど。それもいつか、日常に取り紛れてしまうことでしょう。
故郷を思い出すのと同じように。自分のなかで、懐かしく思える存在となっていくのよ。
―――今は、心が苦しくても。いつかは。
「まだ、眠っていらっしゃらなかったのですか!?」
その日、夜遅くに寝室にいらっしゃった殿下が、私を見て軽く驚かれてた。
「ええ。少し眠れなくて…」
寝台に腰掛け、窓の外を見ながら私は答えた。
夜空には、ようやく昇り始めた半分だけの月。明るいのだけれど、その大切な半身を失ったような姿は、どこか物寂しさを感じる。
「あまり無理をされると、お身体に触りますよ」
殿下が私の髪を優しく撫でられた。
私を見下ろす、鮮やかな緑の瞳。
けれどその眼差しは、どこまでも優しく、それでいて、どこか切なさを感じる。
空にポッカリ浮いた、あの月と同じ…。
「私は、まだあちらで読まねばならない報告書がありますので…。アナタは先にお休みなさい」
そう言い残して、殿下は続き部屋になっている執務室へと向かわれた。
まただわ。
また、殿下は私を妻として扱わない。
その去っていく背中を、複雑な気分で見送った。
公式の場では、私を大切にする、素晴らしい夫でいてくださる。けれど…。
夜遅くまで公務を果たされ、朝も私より早くお起きになって、どこかへ出かけられる。
殿下はお優しい。
けれど、それは夫としてのお優しさではなく、長く離れていた妹に対する優しさのように感じられる。夫婦愛、というより、兄妹愛、家族愛のように感じられるのは、私がまだ殿下に抱かれていないからかしら。
妻として、このままではいけないことは承知している。
いつかは、殿下に抱かれ、子を成さねばならないことは。
でも今はまだ。
私には、まだそれだけの覚悟は出来ていなかった。
自分の道を歩くと言いながら、まだ心がそれを拒んでいる。
だから、こうしていっそのこと殿下から、ことを成していただけるような状況を作り上げれば、あるいはと思ったのだけれど。
殿下は、私のそのような心を読まれているのでしょうか。だから、このように避けていらっしゃるのではないのかしら。
いつか。
いつか、すべてを思い出に出来たとき、その時は殿下の妻となります。それまでは。こうして殿下が見せてくださるお優しさにすがるように生きていてもよろしいでしょうか。
解けやすくはだけやすい夜着越しに、ギュッと自分の身体を抱きしめた。




