他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【5】
足は、貼られた白い布のおかげで痛くなくなっていたが、「念の為、学校は休んだほうがいいわね」と女性に言われた。
「ガッコウ」。「休む」。
私がうっかりしていたせいで、なにやらこの、私に似た少女の行かなくてはいけなかったところに、私は行かなくても良い、ということになったらしい。
私のせいで。すごく申し訳なく思う。
それに、女性は、少女のお母さんなのだろう。言葉の端々に、心配の二文字が見て取れた。
それも、申し訳ない。
だって。
私は、彼女の娘ではない。人違いで、ここに紛れ込んでいるだけなのだから。
あなたの案じる娘さんは、別の所にいます。多分。
なんて、伝えることが出来たら。
だけど、まだ、状況が飲み込めていない以上、うかつなことは口にできない。
状況を確認しなくては。
休むとなった以上、ゆっくりと寝台で養生したほうがいいとのことで、また、あの小さな部屋にむかう。
足をかばうように、ゆっくりと慎重に階段を登る。
部屋は、先ほど私が飛び出したままの、乱れた状態だった。
…恥ずかしいわ。私ったら。
こんなの、アンナに見られたら「姫さまっ!!」って怒られちゃう。
いくら取り乱していても、キチンとしておかねば。
ずり落ちた上掛けを直し、寝台を整え直す。
…あら!?
不意に、寝台の向かい側、小さな執務机のようなものの上に目が行く。乱雑に積まれた書籍に埋もれるようにあったのは。
…鏡!?
ようやく今になって、心が落ち着いてきたところで、起きてから一度も身だしなみに触れていないことに気がついた。
…嫌だわ。いつもなら、起き抜けに侍女に手伝って身繕いするというのに。髪を結い上げ、ドレスに袖を通して。王女としてふさわしい装いをするのに。
ダメね。不思議な状況にあるからって、そういうことを忘れていては。
侍女はいないけど、自分ひとりでも身だしなみを整えることぐらいは出来るわ。
そう思って、小さな鏡を取り上げる。
………。
…誰かしら、これは!?
男性かと思うほど短かく肩のあたりまでしかない黒い髪。少し日に焼けた肌。かわいらしい顔立ちだとは思うけど、私によく似た歳の少女だって思うけど…。
これ、私じゃないわ!!
だって、私の髪は金色で、もっと長くて豊かで。瞳だって深い青よ。
鏡のなかから、黒髪の少女が驚いた顔で、こちらを見ている。
………。
ためしに髪をギューッと引っ張ってみる。
鏡の中少女が、髪を握って顔をしかめた。
……ってことは。
これ、私なの!?
鏡を移動させ、自分で目にすることも出来る手や足も映してみる。鏡にも、おんなじものが映し出される。
…やっぱり。
これが、私なのだ。
「うそっ!?」
しばらく、じっくりと思考を巡らす。
いつまでも、この少女になりすましているわけにはいかないわ。でも、具体的にどうしたら、元に戻れるのかもわからない。
誰かに相談したほうがいいのかしら。でも、具体的に誰に!?
ここで、誰が味方で安心できる相手なのか、私は知らない。うかつに話せば、逆に危険にさらされることもある。見極めなければ。
それに。
このまま、この少女として過ごせば、あの忌まわしい結婚からは逃れることが出来るのよね…。噂でしか知らない、あの殿下と…。
って、ダメよ。
結婚を望まない、逃げ出したいと思ったからって、こんなふうに誰かに迷惑をかけていい理由にはならないわ。
そもそも、私が逃げることは許されていないわ。そんなことすれば、国がとても困ったことになるもの。ローレンシア王国との関係を、この結婚でより強固なものにしなければ。
私の感情なんて、国同士の約束事の前には、ないも同じだわ。
そうでなければ……いけないもの。
でも、どうしたら、もとに戻れるのかしら。
昨日の夜は、普通に私だった。
結婚に対して、まあ、感情はいろいろあったけど、とりあえずは問題なかった。
アンナたちが部屋から下がって、一人きりになって。用意された寝台に横たわったのを覚えている。
そして、ゆっくり眠くなって…。
気がついたら、ここにいてこの少女になっていた。
…寝ましょう。
眠ってこうなったのなら、眠ったら戻るかもしれない。
夢のなかで眠るということに違和感を感じたけど、眠る以外によさそうな方法が思いつかなかったので寝台にむかう。
ポスッ。
狭い寝台だけど、いい香りがする。
気持ちいい。
色々考える必要があるのに、意外とすんなり眠りに落ちる。
「姉ちゃん、起きてるかー!?」
ちょっと待ってと思う間もなく、ドアが開けられた。こういうのは、「どうぞ」って応えてから開けるものでしょう、なんて思考は寝起きの頭では追いついてこない。
開いたドアから、朝見たのと同じ少年が顔を出した。
ということは。
…元に戻れなかったのね。
落胆とともにゆっくりと身を起こす。
これからのこと、考えなくてはいけないのに、まだ思考が戻ってこない。
「なあ、アキ兄が来てるけど、いいか!?」
私の返事を待たずに、勝手に了承して、もう一人、ドアから顔をのぞかせた。
「里奈!? 階段から落ちたんだって!?」
弟である少年より大人びた顔が、ヒョイッと現れる。今度は私と同い年ぐらいの少年。
「きゃああああっ!!」
なに、なに、なに、なに、なにっ!?
男性がっ、見ず知らずの男の人がっ、寝室を許可なくのぞくなんてっ!!
信じられない。
なんて野蛮なのっ!!
精一杯の抵抗として、近くにあった上掛けをたぐり寄せ、身を隠す。
「…な!? 今日の姉ちゃん、やっぱヘンだろ!?」
弟が、少年に声をかけた。
耳を押さえ、驚いた顔のまま、年配の少年がウンウンと頷く。
私にしてみれば非常識極まりない二人だけど、二人からしてみれば、私の方が異常、らしい。
どうしているのが正解なのかわからず、そのまま固まる。
「様子を見に来たんだけど…、入っていいか!?」
戸惑ったように、少年が頭を掻いた。
女性の部屋に入るのっ!?
こっちも戸惑うけれど、それが日常なのなら、と頷いてみせる。
申し訳無さそうに、少年が入ってくると、慣れたふうに、近くの椅子に腰をおろした。続いて弟も入ってくる。
落ち着いて考えれば、おそらくこの少年は、この身体の持ち主の知り合いで、怪我をしたと聞いて見舞いに来てくれたのだろう。
つい、常識とかなんとか考えてしまったせいで混乱してしまったけれど、多分、そういうことなのだわ。
この身体の持ち主と親しい少年、そして持ち主の弟。
この二人なら。あるいは。
意を決して、二人に声をかける。
「あのっ、私、私じゃないんですっ!!」
「はあっ!?」
二人が、最上級の疑問を呈した声を上げた。