他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【49】
時が満ちるように、月が本来の形を取り戻してゆく。
月の力が満ちた時、それは、私がこの世界を去る時。
満月の前日。
今日の夜眠れば元に戻れるという日。
私は、いつものようにアキトとともに「ガッコウ」から帰宅した。
いつの間にか、日が暮れるのが早くなっている。
以前なら、まだ明るかった時間も、今では夕闇のなかに溶け込んでいる。
次に、太陽が昇った時、私はこの世界にいないのだわ。
妙な感慨が、そこにあった。
このなんでもないような、帰り道。
アキトと並んで歩く、この風景。
家に近づく、その一歩一歩が大切で、ゆっくりと前へと足を繰り出す。
うつむき、その足元をじっと見つめる。
私と同じ歩幅で、ゆっくりと足を運んでくれるアキト。私の足より、少し大きいアキトの足。
こうして並んで歩くのも、今日で最後。
帰りたくない。
家に帰ってしまえば、アキトとはお別れになってしまう。二度とこちらには来ないと、自分で決意したはずなのに、アキトのことは忘れようと誓ったはずなのに。
大切な一歩。だけど、重く苦しい一歩。
アキトの顔を見ることも出来ずに、ただひたすらにその足取りだけを見ていた。
「少しだけ、いいですか!?」
もうあと少しで、家に着こうという時、それまで黙っていたアキトが声を上げた。
彼の指差す方には、「コウエン」。
夜の闇のなか、そこには、誰もいなかった。
帰りたくない。
そんなことを考えていた私は、彼の提案に乗った。
「コウエン」のなか、ブランコに腰かける。いつもならアンナに「はしたない」と、たしなめられるブランコだけど、今日だけは特別よ。スカートの裾が短すぎるのが気になるけど、それでもためらわずにちょっとだけ揺らしてみる。
キイキイときしむ音をたてて揺れるブランコ。
隣に腰掛けたアキトもブランコを揺らす。
お互いのブランコが奏でる音だけが、世界を包む。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
「明日…ですね」
時間を動かしたのは、アキトだった。
ブランコを軽くゆすりながら、空を見上げた。
もう少しで真円を描きそうな月が、そこにボンヤリと浮かんでいた。
「今度こそ、ちゃんと帰れますよ」
「ええ…」
前回、戻れなかったことを、気にしているのだろうか。
「セフィアさんの身体も、里奈も…、無事ですよ、絶対」
「そうね…」
前回の新月の日に帰れなかった理由。
アキトも同じことを考えていたのかしら。
―――リナの身に、私の身体になにかあった。
何があったの!?
想像は容易にできてしまう。
悪い方へ、悪い方へと。
あちらの世界、私を取り巻く環境は、決して安全なものとは言い難かった。私が殿下に嫁ぐことを、快く思っていない人たちがいるのは知っている。その筆頭が共通の敵であるヴァイセンだけれど、それ以外にも、敵意を持っている人はたくさんいる。
この結婚をなかったものに、セフィアという存在を亡きものに。
そういった悪意は、害意は表面に見えていないだけで、いくらでも存在していた。
それらの意思がリナに…。
考えてはダメ。リナは無事よ。
でなければ、私、アキトやナツキにどう詫びればいいの!?
「大丈夫ですよ」
アキトが宣言した。
「リナは、そう簡単に負けたりしません」
励まそうとしてくれているのか、アキトが笑ってみせた。
「アイツは…、里奈は、結構タフなんです。一発殴られたら、十発は殴り返さないと気がすまないような、負けん気の強さを持ってて。たとえ、相手が誰であっても、立ち向かってく。そういうヤツなんです」
一発に対して、十発!? それはスゴいわ。
「それも、自分から攻撃するわけじゃない。昔、僕たちが小さかった頃、学校に誰彼かまわず叩いてくる、そういう男子がいたんです」
あいさつ代わりのように人を叩く。それは、その男子にしたら本当にあいさつだったのかもしれない。けれど、そのあいさつのせいで泣く子もいた。もちろん、里奈も暁斗もそのあいさつを受けていた。
「よっぽどハラが立ったんでしょうね。ある日、里奈はその男子にむけて、全力で叩き返しに行ったんです。かなりの力だったのか、その男子は、机をなぎ倒して床に倒れ込みました」
ガタガタと机とともに崩れた男子は、呆然と驚き、そして目に涙をためていた。
「『アンタがやってたのは、こういうことだよっ!! やられた相手がどれだけ痛くてイヤだったか、わかったっ!?』って、アイツは言い放ったんです。もちろん、そのあと里奈は先生に叱られてましたけど」
里奈が手を出したのは、後にも先にもその時だけで、それも、自分のためだけじゃない。その日も、叩かれて泣き出した女の子を見かねての行動だったらしい。
けれど、その里奈の行動以降、その男子が誰かを叩くということはなくなった。そして、奇妙なことに、その男子は里奈を友人のように扱った。自分に向かってくる、面白いヤツ、ぐらいに思われていたのかもしれない。里奈は迷惑顔だったけれど。
「そんな里奈だから、きっとあっちの世界でもなんとかやっていますよ」
「信頼してるのね、リナのこと」
「ええ、まあ。幼なじみですし」
うらやましい。そんなふうに信頼を寄せ合うことが出来るなんて。
それだけの信頼を築けるほど、リナとアキトはつき合いが長いということなのだろう。
「だから、セフィアさんの身体も、里奈が守ってくれてますよ」
「そうね」
あちらの世界。私の身体も、状況も、全てをリナに託すしかない。なにより彼女が無事であることを祈りながら、私もアキトと同じように信じる他なかった。
「ただ…」
アキトが切り出した。
「どういう状況になっているか。その辺りは保証出来ないかな。その負けん気の強さと、妙な正義感がとんでもないことをしでかしてなければいいのだけど」
確かに。その気の強さなら、なにかしらの事件は起こしていそうね。
例えば、その乱暴な男の子にしたように、殿下を引っ叩くとか…、かしら。一瞬、その光景を想像してしまい、私はプッと笑ってしまった。
容易に想像できてしまうのもどうかと思うけれど、それでもその想像は、いくらか私の心を軽くしてくれた。
そうね。
考えてもわからないことを、悪い方へ思い巡らすのは止めておきましょう。それよりも、少しでも楽しい方へ、気持ちをむけなくては。
「ありがとう、アキト」
私を励まそうとしてくれたアキトに礼を言う。
「いや…。その。まあ、里奈が、とんでもないことをしでかしてる可能性もあるから。その場合は、許してやって!?」
「大丈夫ですわ。なにがあっても、かまいません。むしろ、少し楽しみにも思えます。今、あちらでどうなっているのか、ワクワクしますわ」
そう。この状況を楽しまなくては。
リナはあの世界に、何を残していってくれるのかしら。
「セフィアさんも、強いですね」
私の答えに、アキトが驚いたように告げた。
そうかしら。私、強いの!?
いいえ。そうではないわ。
強く見えるのは、リナのおかげ。強くなれたのは、アキトのおかげ。
私、二人に出会って、新しい世界を知った。たくさんの知らないことに出会った。
私とは違う考え方、行動。そして、誰かを想う心。
それが、私を強くしたの。
もしかしたらこの入れ替わりは、私が強くなるために必要な儀式だったのかもしれないわ。未来のローレンシア王国の国母となる私の、心の礎を築くための儀式。
「今まで、本当にありがとう。アキト」
初めて、本心からお礼を言うことが出来た。
「私、これまでとても楽しかったわ」
「セフィアさん…」
「それもこれも、アキトとナツキが支えてくれたおかげね。二人がいなかったら、私、この世界で途方にくれていたわ」
戸惑う私に二人が差し伸べてくれた手。それはなんと温かく頼もしかったことか。
「この身体を貸してくれたリナにもお礼を言いたいところだけれど。アキト、リナが戻ったら伝えてくれないかしら」
私が伝えることは難しいでしょうから。
「まあ、またこの身体をお借りすることになるかもしれませんけれど」
少しおどけて言ってみせる。
入れ替わりを二度と起こさせるつもりはないのだけれど、そのことを伝える気はなかった。
「セフィアさん…」
アキトが、真顔になってこちらを見ていた。それまで見せていた、優しい表情ではなく、真剣な、それでいて何か言いたげな顔。
「幸せになってください」
短く、アキトが告げた。その手をギュッと握りしめて。
「ええ、ありがとうアキト」
もしかしたら、アキトは気づいているのかもしれない。
私の決意を。
それでも、何も言わない。何も訊かない。
この世界で最後の時間。私はなにひとつアキトに告げぬまま、その終焉を迎えた。




