他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【45】
「リナッ!! しっかりしろっ!! リナッ!!」
大きく身体を揺さぶられる。その声と振動に、私は手放しかけた意識を取り戻した。
「あ…王子」
「どこか痛いところはないか!? 怪我は!?」
鮮やかなグリーンの瞳が、私をのぞきこむ。
「だいじょう…ぶっ」
「それよりもっ、王子、アデラを捜してっ!!」
「クラインハルト嬢を!?」
王子の腕を力まかせにつかんだ。
「先に彼女を逃したんだけど、馬、メチャクチャに走ってったから…。彼女を助けてあげてっ!!」
そう。私の蹴り飛ばした馬は、バビューンッっていうのか、ドカーンッていうのか。とにかく、ものすごい勢いで走っていってしまった。あんな馬、アデラが制御できてるとも思えないし、振り落とされて怪我してたら大変だ。それに、もしかして、また捕まっているかもしれない。
「彼女なら、クラインハルト嬢なら、さっき保護した」
「ホント!? 無事なの!?」
「ああ」
そっか。王子たち、助けてくれてたんだ…。
「よかったぁ~」
強ばっていた力が身体から抜けた。王子が支えてくれてなければ、クニャンと地面に崩れていたかもしれない。腕をつかんでいた手がズルリと落ちる。
「おいっ!!」
「…ありがと、王子。助けてくれて」
「そんなことより、お前自身はっ。怪我してないのかっ!?」
「うん……、つっ!!」
笑おうとして、左頬がものすごく痛いことに気づく。そっか。私、殴られたんだっけ。
「ゴメン、王子。セフィア姫の頬、腫れちゃったかもしれない」
「リナ、お前…」
「でも、それ以外、身体は無事だよ。胸とか触られたけど…、それだけっ、だか…らっ!!」
言ってるうちに、目が熱くなってきた。泣いてるんだと気づいたのは、こぼれた涙が、痛む頬を滑り落ちたからだった。
…私、怖かったんだ。
ようやく、感情が身体に戻ってきた。
護衛の騎士を殺されて、拉致られて。アデラだけでも逃そうと一生懸命だったけど、自分は、もう少しで男たちに…。
王子が来てくれなければ、どうなっていたのかわからない。あのまま犯されて、どこか遠いところへ攫われて、もしかすると殺されて…。
悔しかったとか、腹立ったとか、そんな感情すべてを通り越して、ただただひたすらに怖かった。恐ろしかった。
こうして無事でいることを実感できればできるほど、その感情も大きくなっていく。
身体が震える。涙が止まらない。
「リナ…」
王子が、私の身体をやさしく抱きしめてくれた。
乱れていた髪を、ていねいに梳いてくれる。
…もう、そんなにやさしくしないでよ。
一度戻ってきた感情は、もう決壊したダムかなんかのように溢れ出す。恐怖以外にも、いろんな感情が一気に押し寄せ、一緒に涙となって流れ出ていく。
私は、王子の腕のなかで、これ以上ないぐらい、声をあげて泣いた。
さんざん泣いて、顔を真っ赤に泣きはらしたあと、少しだけ王子から身を離す。
いくらんなんでも、抱きしめられたままなのは恥ずかしい。
「あ…」
自分の身体に視線を落とす。大きく縦に切り裂かれたドレス。その間から、立派すぎる胸の谷間がのぞいてる。
そして、その谷間は、白い肌に青白い陰影を作り出していて…。影は、すっとへそのあたりまで伸びていて…。
「きゃあああっ!!」
どこにそんな元気があったのってぐらい、大きな悲鳴がこぼれた。
いくら他人の身体でも、立派すぎる体型でも、見せていいということにはならない。
どうしよっ、これっ、やっ、王子、見ないでぇっ!!
パニックになった私に、フワリと大きめの布がかけられた。…マント!?
王子のぬくもりと匂いのするマント。いつだったか、夜の庭園でも、こんなふうにかけてもらったっけ。
…え、って、夜!?
ハッとなって、辺りを見回す。
気がつけば、周囲が、暗色から淡い藍色に染まり始めていた。狭い路地の先から、白い光の筋が差し込んで、それが私たちを照らし出している。
「夜明け…!?」
夜の間に、ここであったことすべてを洗い清めるかのような太陽の光。本当なら、その光こそ喜びそうなものなんだけど。
「ま、待って…」
私は、じょじょに消されていく闇にむかって、ヨロヨロと手を伸ばした。
今日は、新月。
暁斗から聞いていた、月の潮汐力によって、私たちが元に戻れる日。
その前日の夜が明けてしまう。
今から眠れば戻れるだろうか。
太陽が世界を白く染め始め、宵闇は淡くかすれてきている。
「戻れない…」
昨晩、新月の前日に寝ないと、元通りに入れ替わらない。夜が明けてしまった今、もう戻ることは出来ないだろう。次の入れ替わりは約二週間後。満月の日の前夜まで待たなくっちゃいけない。
私、間に合わなかった。
乗らなきゃいけなかった電車に乗り遅れたような、二度と電車がおとずれないような、そんな感覚におちいる。アデラのことで悩んでいた時とは別の、違った意味で身体が重い。
セフィア姫だって、帰りたかっただろうに。王子だってホンモノの姫さまに会いたかっただろうに。
私がどんくさかったから、戻る機会を取り逃がしてしまった。
「ごめんね、王子…」
呟くようにそれだけ言うと、私は意識を手放した。
それから三日間。
私は、ずっとベッドの上にいた。
高熱を出して、朦朧とした意識のなかで三日間を過ごしたのだ。
誘拐騒ぎと、入れ替わりと、王子二股疑惑と。いろんなことに気を張っていたのが、あの涙で一気に崩れたのかもしれない。慣れない異世界生活への疲れもあったと思う。こんな熱出すの、何年ぶりだろ。それも他人の身体で。
途中何度か薬を飲まされたのを、ぼんやり覚えている。
真っ青になったアンナさんと、時々様子を見に来てくれた王子の姿も。アンナさんは今にも泣きそうな顔をしてたし、王子は、グッと口を一文字に結んで、なにか考え込んでいるような表情だった。
動けないでいる間、姫さまと入れ替わらなくてよかったと思う。だって、こんな苦しいの、味あわせちゃ悪いでしょ。熱を出しちゃったのって、私のせいだし。
でも、戻れなかったことを後悔もしている。申し訳なくも思っている。
私が戻れなくて、暁斗たちも心配してるだろうな。
意識が戻ってからも、セフィア姫を召喚できなかったことに対して、王子は何も言わなかった。
「無事でよかった」
短く、そう告げただけだった。




