他人(ヒト)の身体で、勝手に結婚するってのはアリですか!? 【39】
その燃え盛る炎は、仄暗い藍色に支配されかけた世界を、明るく照らし出していた。
西の山の端に残る、最後の残照を助けようと、宵闇に世界を溶け込ませることを拒否するかのように、赤く燃え上がっている。
「キャンプファイヤー」。
「ブンカサイ」の最後は、この炎の周りに人が集まって楽しく過ごすのだという。
私もアキトに連れてこられて、こうして、炎に身体を照らし出されている。
炎にむけた顔は熱いのに、背中には、秋の夕暮れの涼やかな風も感じる。
日中の、にぎやかな雰囲気とはまた別の空気がここには漂っていた。
騒がしいのは変わらない。けれど、その騒がしさの裏に、別の空気が混じっている。そんな気がした。
「疲れましたか!?」
隣で、同じように炎に顔を照らし出されたアキトが問うた。
「ええ。でも楽しかったから、これぐらい平気です」
初めてのお店。初めての給仕。初めての衣装。初めてのお祭り。初めての食べ物。初めての体験。
たくさんの初めてに、心も身体も疲れている。でも、全然嫌な感じはしなかった。
むしろ、心地よい。
「とても楽しかったです。とても…」
「セフィアさん…」
炎をじっと見つめたまま言った。
この入れ替わりは、明日には元に戻る。明日は新月。夜の闇のなかに、月が姿を現すことはない。
私たちの入れ替わりは、前日に眠ることもとに戻り、新月と満月の日を経て再び起こる。お互いに、元の世界にいられるのは、新月と満月の日だけ。そうアキトから聞いている。
よくはわからないけれど、月の満ち欠けがおおいに影響しているのだと、彼は説明した。
ならば。今夜眠った私が、次に目覚めるのは元の世界。カミシロリナとしてではなく、セフィア・ブランシュ・ルティナリアとして生きる世界。
私が、私でいなくてはいけない世界。
私が、こちらの世界で過ごすのは、今日が最後かもしれない。
いえ。これで終わりにしなくては。
入れ替わりを終わらせる方法が見つからないのであれば、代わりに、入れ替わりを起こさせないようにするしかない。これからの満月と新月の日に、私が眠らなければ、入れ替わりは起きないかもしれない。
いつまでもこの世界に、リナのなかに、逃げていてはいけないの。
自分が存在するべき現実に、きちんと向き合わなくては。
知らないうちに結婚していたとはいえ、殿下は、噂と違い結婚を真面目に考えてくれている方だった。殿下をお慕いする…という気持ちはまだ感じていないけれど、それでも、妃として殿下と接していけば、互いを尊重しあい、穏やかな感情を抱きながら暮らしていけるのではないかと思える。恋人同士のような情熱的な愛情ではないけれど、家族のような温かな愛情を育むことは出来るはず。
この世界で出会った、さまざまな出来事。たくさんの思い出。
他の子たちのように、板切れのなかにでも記憶として残しておきたかった。残して、私の世界に持ち帰りたいと思った。
けれど、今になって思う。
持ち帰れなくてよかった、と。
この思い出を、それにともなう感情を持ち帰ってしまったら。ふり返ってしまったら。私は、いつまでたっても自分の世界を受け入れられなくなってしまう。いつまでも、この世界にすがりついてしまう。
私が、この世界に来るのは、今日が最後。
次の入れ替わりは起こさせない。
リナを、アキトたちの元へ返す。彼女をありのままの世界に戻してあげる。
アキトたちには、まだこの決意を話せていない。
話すこともないと思い、口にしていない。
ここで生まれた感情は、心の奥深くに封印する。閉じ込めてしまえば、忘れることは出来なくても、いつか薄らいで色あせたものになるでしょうから。穏やかな気持で思い出す、遠い過去の記録になるでしょうから。
「アキト、今日は本当にありがとうございました」
出来る限りの笑顔で、彼にそう伝える。
本当に、アキトには感謝しているわ。言葉で言い表せないぐらい。
この世界に戸惑う私を、やさしく支えてくれていたアキト。
勝手に、リナと入れ替わってしまっていた私を、嫌な顔ひとつせずに、受け入れてくれていた、アキト。
私の気がつかないところで、彼にたくさんの迷惑をかけていたに違いないのに。それでも彼はやさしく接してくれていた。私を気づかってくれていた。
そして。
世界は、色に満ち溢れていて、輝いているのだということを教えてくれたアキト。彼といると、それだけで世界が喜んでいるような錯覚が、私のなかにあった。
幸せな、幸せな、愛おしい、大切な時間。
それを与えてくれた、アキト。
でも、彼と過ごせるのは、今日で最後。
明日から、彼の隣でこうしていられるのは、私ではなくリナ。
今日、こうして最後にステキな思い出を残すことが出来た。それだけで、私には十分なの。
「セフィアさん…!?」
急に、アキトの手が私の頬に触れた。
軽く、人差し指で何かを拭われる。…涙!?
目の端で、彼の指についたものをとらえた。
私、いつの間にか泣いていたみたい。
「なんでも…ないわ。ちょっと、炎が眩しくって…」
「セフィアさん…」
アキトがじっとこちらを見つめる。
ダメ。そんなに見ないで。
でないと、私、もっと泣いてしまう。
とんでもないワガママを、口に出してしまいそう。
「大丈夫です。心配しないで」
やや乱暴に、ゴシゴシと顔をこする。
これ以上はダメ。彼に心配をかけてはいけないわ。
「今まで、本当にありがとうございました」
今は無理をしてでも笑いかける。
笑って。笑うのよ。
笑顔なんて、いつでもやっているじゃない。
そんな私の笑顔を見て、アキトはそれ以上、何も言わなかった。
私たちを照らし出していた炎はしだいに薄れ、そして消えた。周囲では、ガヤガヤと後片付けを始める音が響く。
「ブンカサイ」は、楽しい時間は、こうして終焉を迎える。
私たちは無言のまま、それを受け入れるしかなかった。
明日には戻ってくる日常。
永遠に戻ってこない、今日という非日常。
けれど。
明日は、日常は戻ってこなかった。
翌朝、諦めとともに目を覚ました私は、忘れようと誓った世界をその眼に写す。
…これは、いったいどういうことかしら。
いいようのない不安が、真っ白な紙に落としたインクのように、黒くジンワリと広がっていった。




