第九話
秀吉さんは周りにいた兵を一部その場に残し、残りの兵と俺とを連れて森へと向かった。
「足跡、ですね」
恐らくゾンビの、それも奇襲に使われたものだろう。かなり大勢の新しい足跡が森の小道に残されていた。
「そうじゃのう。敵の本拠にぶち当たるかもしれんが、これを追ってみるか」
森の中は静まり返っていて、ゾンビの姿も見当たらない。が、どこから襲ってくるかわからない状況下で、油断はできなかった。
冷ややかな風が吹き抜けていく。さっきまで僅かにでも差していた日の光はもう消えていた。
森はほとんど一本道だったが、あちこち曲がりくねっており、そのくせ周りは木で覆われている。しばらく経って、自分がどの方角に向かって進んでいるのかわからなくなってきた頃――遠くの方に暗い森の終着点が見えた。足跡もまだそこに続いている。
「あそこか……見たところ、化け物はおらんようじゃが」
「でも、気を付けていきましょう」
それまでより速度を緩め、警戒しながら一歩一歩進んでいく。
「化け物がおるかもしれん。皆、隠れて様子を見るぞ」
俺はそっと茂みに隠れ、その奥に何があるのか確かめるべく息を殺し目を光らせた。
「当たりじゃな……!」
秀吉さんが小声で言う。そこは開けた場所で、やはり大量のゾンビがいた。足軽らしき見た目のものや、普通の農民みたいな恰好のものもいる。一揆の鎮圧に来たと言っていたし、双方の犠牲者がゾンビとなったのかもしれない。
ちらほら鍬や刀を手にしているゾンビも見えた。あれが利家さんの言っていた武器を持つ個体と思われるが、数は少ない。本能的に使い方を覚えていて利用しているのだろう。
他に変わったところはないかと観察していると、ふとゾンビが一部分に集中していることに気づく。何かを取り巻くようにして、他の場所より多くのゾンビがいた。秀吉さんもそれに気づいたらしく、俺に目配せしてくる。
「……シュン、お前の仮説が正しかったかもしれんぞ」
「もしかしたら、あそこに指揮者が……?」
しかしゾンビの密度が高すぎて奥が見えない。大量のゾンビの前ではのこのこ出ていくわけにもいかず、どうしたものかと歯噛みする。
「む……? なんじゃ、急に動きが……」
集まっていたゾンビたちが急に離れだした。慌てて茂みに頭を隠す。利家さんたちが戦っている方面に進んでいると見える。もしかして集合していたのは指示を受けるためだったのだろうか?
しかし好都合かもしれない。この隙に指揮官を倒すことができれば、連携が取れなくてある程度楽になるはずだ。目を凝らしてゾンビが離れていった場所を観察していると、そこに一人の人物が見えた。
「……子供?」
ゾンビには見えない、小さい男の子だ。ほとんど乱れのない着物を纏っている。全体的に線が細く華奢な印象で、目を閉じたまま切り株に座っていた。眠っているようにも見える。
「あの子が、ゾンビに指揮を……?」
気づけばゾンビのほとんどは前線に向かったのかいなくなっている。こちらが手薄になったということは、利家さんたちの敵が増えるということだ。早めに決着をつけるべきだろう。
「相手は化け物十体ほど……全員を相手取るのではなく、あの少年の首だけを取る気で行けば何とかなりそうじゃ。皆、準備はできておるか?」
兵士たちが頷く。
「シュン、お前はここにおれ。化け物がこっちに来た時のために、これを渡しておく」
秀吉さんは俺に短い刀を渡し、ゾンビたちを見据えた。短いとは言っても、包丁もろくに握らない俺には長すぎる刃物だ。
「――行くぞ!」
その一声と同時に、全員が素早く茂みから飛び出して駆けていく。どちらかというと秀吉さんは作戦担当というイメージだったが、その姿はまさに武士だった。刀を手にまっすぐに少年へ向かっていく。
ゾンビたちが立ち塞がるが、こちらの兵士たちも連携してそれらを薙ぎ払う。急な事態で相手は連携を取る余裕がないらしく、容易に守りを抜けて少年の元へ辿り着いた。
「子供に手を上げるのは気が引けるが……恨まんでくれや!」
秀吉さんが刀を少年の喉元に向けて襲い掛かる。ゾンビたちの援護も間に合いそうになく、すぐ決着がつくかと思われたが――
少年が、目を開けた。
「むっ!?」
秀吉さんの動きが止まる。その隙にゾンビたちが襲い来るが、周りにいた兵士がそれを撃退していく。少年は自分の置かれた状況が分かっていないようで、きょろきょろと辺りを見回していた。少しして、自分の目の前に刀を向ける大人がいることを認識したのか、座っていた切り株からのけ反り小さく悲鳴を上げた。
「あ、あ……」
声を震わせる少年の目には、偽りでない本当の恐怖が見えた。秀吉さんもそれに気づいたのだろう、困惑したように俺の方を一瞬だけ見た。
周りにもうゾンビはいなかったので、俺も茂みから出て行って少年に近寄る。
「一体どういうことじゃ? この少年は……化け物ではなかったのか?」
「お、俺も何が何だか……で、でも人間があんな量のゾンビに囲まれて無事なんて、ありえないと思います。でも、よりによってなんでこんな小さい子が……?」
少年は怯えた様子で話し合う俺たちを見ている。秀吉さんが油断なく刀を向けているため、動きもせずじっとしていた。
「えっと、君は何て言うの? さっきまで何をしてたか、覚えてる?」
とりあえず屈んで目線を合わせ聞いてみると、少年は首を傾げ、しばらく考え込むようにした後、おずおずと口を開いた。
「ま、松吉……なんで、ここにいるのか、わかんない……」
今にも泣いてしまいそうな様子だった。しかし、ちゃんと思考し、声を発し、意識の下に行動している。どこからどう見ても、ゾンビの仲間には到底見えない。
秀吉さんが困ったように眉を下げ、俺と顔を見合わせながらゆっくり刀を下ろす。疑念が晴れたわけではなさそうだが、完全に無抵抗、それも怯えた様子の子供に手を出すのはさすがに躊躇われるようだ。
「……とりあえずここは危険じゃ。松吉と言うたか? わしらと共に行こう。シュン、念のため森を通って戻るぞ」
さっきここを離れたゾンビたちはまだ近くにいるだろう。ここから利家さんたちの元に向かうには、遠回りでも森を通る方が安全と考えられる。
「わ、わかりました」
この少年が本当に指揮を執っていたのなら、まだ指揮系統は生きているのか? だが少年は嘘をついているようには見えない。
しかし、この子についても、ゾンビたちの生態についても真相はわからない。
周囲にはもうゾンビの姿はなかった。俺たちは松吉と言うらしい少年を連れ、速足でさっき来た小道を戻っていった。