今夜、わたしは悪夢をみる(前編) 閲覧危険度★★☆☆☆
此の所、毎晩、不気味な悪夢を見る。
いつもいつも、同じ夢。
どうにかして目を覚まさなければと?いても、それは、私を逃してはくれない。
朝陽が昇るまで、心臓が握り潰されそうな恐怖に耐えるしかない。
そして。
全身にびっしょりと汗を掻き、肩で息をしながら飛び起きる。
胸に手をあてて、深呼吸をする。
――夢で、良かった。
いつまでも、夢ばかりに囚われてはいられない。
鳥の鳴き声と供に現実に引き戻され、思考は朝の忙しさで塗り潰される。
髪を溶かし、セットする。
お化粧だってしなきゃいけない。
朝ご飯もしっかり食べる派だ。
そうだ。
あんなものは、ただの夢だ。
起きれば消えてしまう、夢なのだ。
――けれど。
珈琲を啜りながら考える。
――また今夜の私も、同じ悪夢を見るのだろう。
それを思うだけで憂鬱になる。
本当に。
本当に――いったい、どんな夢だったのだろう。
「ああ、だから授業中ウトウトしてたんですね」
私が悪夢の事を打ち明けると、右側に座るちんちくりんの少女―― 鷹都 恋 ちゃんは腑に落ちたように頷く。
N県G市、K学園高校、学食。
食べ盛りの生徒の為か、『安くて早くて多くて旨い』と謳い文句を出すこの学食は、お昼どきになると多くの生徒でごった返す。中でも200円で食べられる親子丼とカレーは絶品だ。
恋ちゃんは冷やし中華にマヨネーズを山のようにこんもりかけると、空になったボトルを調味料入れに戻す。彼女は高校二年生で、ひとつ下の後輩だ。
「うん……あ、あの、えっとね! ご、ごめん! 変に、心配させるようなこと言っちゃって……」
「構いませんよ。クソほども心配してませんし」
うう。言葉の棘でぐさりとやられた私―― 夢枕 瑞姫 は、俯き気味に親子丼を口に運ぶ。口撃を放った本人は特に気にする様子もなく、スプーンにたっぷりとマヨネーズを掬って頬張っていた。
ツンツンしてるのはいつもの事だけど、今日は特に仲のいいモズ子ちゃんがサボりでおやすみなので、ご機嫌斜めみたいです。
「れーん、カレー食ってるときにクソとか言うなよー。食欲無くなるだろ?」
「栞先輩は少し食べる量を減らすべきです。太りますよ」
「ははっ。笑わせてくれる」
左側に佇むカレーのエベレストがマヨネーズのチョモランマに苦言を呈する。K学園の腹ペコ、鮎喰 栞 ちゃんがカレーの陰から顔を出した。栞ちゃんは私と同じ三年生だ。授業はよくサボるが、学食には必ず顔を出してくれる。
「寝不足は肌荒れるし大変だよね」
栞ちゃんはカレーをがふがふと飲み込みながら、低血圧ボイスで私の心配をしてくれる。
「あ、うん。肩も凝るし、えっとね、身体も重くて……」
「やー。それはー……」
「それ乳が無駄にデカいからじゃありませんか瑞姫先輩!?」
「ひあっ!?」
小さな手で胸を鷲掴みにされる。恋ちゃんは憎しみの篭った笑顔で私を睨みつけていた。こ、こわいぃ……なんでえぇえ……。
助けを訴える私に、「とりま、原因《悪夢の正体》を特定しないとねー」という気怠げな、どこか面白がっているような声が返される。そうして目の前に、緑色のアプリ画面が差し出された。
「たまちゃんさ――コレ、使ってみる?」
「怪しい薬みたいに勧めるのやめてくださいよ。それでこの女の駄乳が治るんですか?」
「や。それは治んない」
ひどい。
私達はまじまじとアプリ画面に顔を近づける。
「あ、えっと……『あなたの睡眠記録帳』……?」
なんだろ、よくみると年齢身長体重や、食事に睡眠時間なんかの記録もできるみたいで、ヘルスケア系のアプリっぽいけど……。
「日本人って働き過ぎじゃない? それで『睡眠の質』が下がってるんだと。それを改善したい人向けのアプリなんだけど」
「あ、聞いたことあるかも。えっとね、確か寝てるときの鼾なんかも、録音できるっていう……?」
「そ! まさにそれだよ、たまちゃん!」
栞ちゃんが、ドヤ顔(?)っぽい表情でビシッと人差し指を立てる。これで私の睡眠の質を改善するのかな? と思ったけど、違うらしい。
栞ちゃんの説明によると、携帯端末のマイクと連動していて、アプリを起動した状態で置いておけば、スリープモードでも鼾などの『人が発する音』を拾ってくれるのだという。
「鼾 をかくのって、睡眠の質が低下してるかどうかのバロメーターになるらしんだけどさ。自分の鼾って人に指摘されないとわかんないじゃん? 本来の使い方は、コレでその鼾を記録して、睡眠の質を改善しようってシロモノなんだけど――違う使い方が蔓延ってるんだ」
なんでも、自分の寝言を記録して公開するという、少し恥ずかしいチャレンジがプチブームなのだという。
「あ、わかったかも。これを使って、私の寝言をとって、そしたら、えっと、夢の内容がわかるかもしれないって……こと?」
「ん。まだ誤作動も多いらしんだけどな」
「いいんじゃないですか? 瑞姫先輩一人暮らしだから、他の人の声が入る心配も無さそうですし」
悪夢は、現実のストレスが元になっている事が多い。夢の内容が分かれば、ストレッサーに対策ができるかも知れない。
「じゃあ頑張ってね」
「あの、ありがとう、二人とも」
「大袈裟な」
私は二人の両手をとり、深く頭を下げる。ほんとうに、いい友人を持った。
「ふふ、たいした事は何もしてませんよ」
「や。れんは本当に何もしてないだろ」
――――
――
その夜。
汗をシャワーで流し薄着のパジャマを着込んだ私は、すぐにベッドに潜り込んだ。時間はまだ11時を回ったところだが、赤本を解く気にもなれない。……寝不足のせいで受験勉強が捗らないのは、ほんとうに困る。
今夜。
私はまた、悪夢をみる。
だけど、逃げてばかりじゃダメだ。
それがどうしようもなく恐ろしい悪夢だとしても。
LINNEで友人に早めのおやすみを言うと、忘れないように『あなたの睡眠記録帳』を起動させる。胸を勇気で満たし、二つの眼を瞑った。
――――
――
「はぁっ…… はあぁっ……」
そして。
ちゅんちゅんという、鳥の声が窓をうつ。
私は肩で大きく息をして上半身を起こし、布団を払いのけた。身体の中と外を這い回る不快感と恐怖感。間違いない、あの、思い出せない悪夢を見たのだ。
急ぎスマホに手を伸ばすと、『あなたの睡眠記録帳』を起動する。果たしてそこに――
「あ……ある……っ」
入っていた。『一件』の音声が。
これで、あの悪夢の中身が、わかるかも知れない。真実を知るのは怖い、けれど、知らないままにしておくのは、もっと怖い。
私は、震える指を再生ボタンに伸ばす。
「……っ!! なんで――」
そこに記録されていた音声を聞き、私は竦み上がった。それは、あまりにも聞き慣れた声で。あまりにも、聞き慣れない言葉だった。
『 赦せない 赦せない 』
『 どうして 毎日 毎日 私の部屋に現れるの 』
『 赦せない 赦せない 赦せない 赦せない 』
『 はやく はやく出てけ 今度入ってきたら 絶対に 』
『 殺 し て や る 』
毎日のように耳にしている私の声が、恐ろしく物騒な事を呟いている。ぶつぶつと聞き取れない箇所もあるが、私の声は、一時間以上も呪詛を呟き続けていた。
「な、なんで私、こんな――」
なんで、寝言でこんな事を、口走っていたのか。
私は、その理由を、徐々に思い出し始めていた。
毎晩のように魘されている、あの悪夢の内容を。
――そこは、吸い込まれるような、暗い暗い闇の中。
横たわる私の目線の先に、青紫色の老婆の顔があった。老婆は哀しそうな顔をして、鼻と鼻がくっつく程に皺くちゃの顔を近づけると、唇をモゴモゴと、申し訳なさそうに動かす。
そうして、私に何かを訴え続けていた。
長くなったので前編です