AR(拡張現実) 閲覧危険度★★☆☆☆
N県G市、J広場。
灰と硝煙が充満したこの場所で、ボク―― 海土路 砂絵 は息を殺して復讐の機会を伺っていた。右手には、これまでにもう何人もの命を吸ってきた、血に濡れた鉈がある。だが、ボクが犯してきた罪など、目の前にいる女のそれに比べれば大したことはない。
ボクは素早くそいつの背後に回り込むと、振り被った鉈をその銀髪に向け振り下ろす。
「くらえぇぇぇえええっ!! 狐島 公 ぃいいいいっっ!!」
慌てて振り向き、手にした鉄パイプを突き出す公。だが、間に合わない。彼女の整った顔面に、ボクの鉈が突き刺さった。彼女はそのまま、ゆっくりと地面に倒れ伏した。
「やっっっったあぁあああ!! ついに、ついにコキミに勝ったあー!」
「あーっ、油断したあ」
AR眼鏡を外し、狐島公こと、コキミは悔しそうに起き上がった。現実にはダメージなんて受けないのだから、別に倒れる必要も無いんだけどな。ノリが良いんだか悪いんだか、よくわからない。
ボクも彼女に倣い、AR眼鏡を外す。できるならいつまでもリザルト画面を眺めて歓喜に浸っていたいのだが……。私の目の前に、澄んだ視界が広がる。
そう。先程までの殺し合いは、すべてARゲーム『サバイバー』内で行われたものだ。硝煙のエフェクトも、手に持った鉈や鉄パイプも、すべてゲーム内のオブジェクトに過ぎない。
「ふふん。それにしてもコキミ、ボクに倒されるなんてえ、腕鈍ったんじゃないの?」
「マグレで調子に乗んなよー、みどみど」
「なんだと! もうひと勝負やるか!?」
私はマンホールの蓋を威勢良く踏み付けて挑発をする。煽り合ってはいるが、勿論、お互い本気で怒っているわけではない。
ボクとコキミは、このゲームのランク戦で出会ったライバルだ。といっても、実はおんなじ高校に通ってたんだけどね。何度かニアミスしていた事に後で気がついた。
ゲームシステムを熟知しプレイヤーが反応しづらい攻撃を仕掛けるボクと、ブラフやトラップを駆使してプレイヤーを心理戦に引き摺り込むコキミ。ゲーマーの間じゃ『ツイン・ストーム』なんて呼ばれたりもしてるんだ。凄いだろ。
(ちなみにコキミはその呼び名を恥ずかしがって、「せめて『ツヴァイ・ナハト・シュツルム』と名乗らないか? 『夜に咲く双つの嵐』って意味なんだが。こっちの方が絶対格好いいと思うし……」と難しいことを言っていたが、ボクが覚えられないので却下して貰った)
「いや、悪いけど今日はやめておく」
しかし、コキミは珍しくボクの誘いに乗ってこなかった。
「な、なんだよーこのボクに怖気付いたのかー? ライバルだろぉ、もっと勝負しようよぉ……」
「棄てられたチワワみたいな目をやめろっての。家の用事があるんだよ。また今度の週末に再選な」
「……うん……」
コキミはぽんぽんとボクの頭を撫でると、手をひらひらさせて去って行った。
……好きなラノベの影響だろうか。その去り際がちょっとかっこつけてるなと思ったのは秘密だ。銀髪だし。
――――
――
コキミの居なくなった空き地で、ボクはひとり寂しくCPU相手に練習をしていた。といっても、マップ内に敵が順番に出現するシングルモードで暇を解消しているだけだ。金属バットを振るい、モンスターを蹴散らす。
「やっぱりひとりだと燃えないなあ」
陽も落ちてきて、広場の周りを歩く人影も少なくなってきた。外側から見ると、ボクは何もない空間で、何も持ってない手足を振っているように見えるんだろうな。
ちなみに一般の歩行者と接触すると危険なため、空き地の周囲には『AR使用中、進入注意』と書かれたカラーコーンを立てるのがルールだ。
夜になる前に、そろそろ帰ろうかなと、思案しているときだった。
「あれ?」
ゲーム内で、おかしなものを見つけた。金色に輝く杯――トロフィーだ。この『サバイバー』というゲームでのトロフィー獲得条件はふたつ。マルチモードで一定数の勝利を収めるか、気に入ったプレイヤーに贈るかの、どちらかしかない。
前者は無いとして、後者の場合ボクと同じプレイエリアに入る必要がある。周囲を見渡しても他のプレイヤーらしき人物の影はないが……。差出人のアカウントを確認すると、『鮎喰』と表示された。
何か、ヘンじゃないか?
ボクは妙な胸騒ぎを感じ、直ぐにトロフィーを拾いに行かなかった。そして、辺りを観察していたボクは――
「――ひっ」
足元に恐ろしいものを見つけ、小さく悲鳴をあげる。トロフィーの手前付近、空き地の中央。
マンホールの蓋が、開いている。
ありえない。
コキミとプレイする前に、足元の状況はちゃんと確認している。確かにマンホールは閉まっていた。それから、このプレイエリアに侵入してきた人影は無い。
AR眼鏡はVRと違って現実空間を見通すことが出来る。煙のエフェクトやモンスターにしたって、視界を多少制限する程度のものだ。誰かが空き地に入って中央の蓋をズラすような事があれば、気づかないはずが無いのだ。
「もし、あのままトロフィーを取りに行って居たら、今頃……」
背筋が凍り、視界がぐらつく。マンホールの穴は、狭く、底が見えないほど暗く深い。運悪く落ちていたら、怪我では済まされないだろう。なんて悪質な――。
そう、悪質なプレイヤーだ。
急に怒りが込み上げてきた。どうやったかはわからないが、この『鮎喰』とかいうプレイヤーはボクの目を盗んでマンホールを開け、トロフィーを使って罠に嵌めようとした。
どうせ軽い気持ちでやったに違いない。卑劣な罠だ。悪質な罠だ。絶対に赦されない!
ボクは直ぐに鮎喰のアカウントを選択し、運営に通報する。それに、警察にも言うべきだろう。けど、うーん、警察の人にうまく説明できるかなこれ……子どもの悪戯で済まされるんじゃ……
反響したようなスマホの通知音が、足元から、微かに鳴った。
マンホールの、穴の中から。
「――は?」
呆気にとられている間もなく、暗い穴の底からガンガンガンガンと、大きな音が近づいて来る。
なにかが、恐ろしい勢いでマンホールの穴をよじ登って来るのだ。
「ひっ、ひぎゃあああっ!!」
本能で理解った。あれに関わってはいけない。
AR眼鏡を投げ捨てて、全速力で広場の外に逃げる。角を曲がるとき、ちらりと広場の方を見た。
なに あれ。
普通の人間の何倍もある、白くて禿げた巨頭がマンホールから出ていた。
そいつは、滅茶苦茶に血管の浮いた巨頭を振り回して、大きな口をがしゅんがしゅんと鳴らしながら、ボクの事を探し回っていた。
怖いイラストは難しいですね