コトリバゴ 閲覧危険度★★★★★
オカルトブームが去って久しい。
都市伝説や怪現象にまつわる話も数年前程の勢いは無くなり、夜道を支配するのは恐怖ではなく夜行性化した少年少女達になった。
S県の廃トンネルの写真を撮り終えた私―― 鹿島 八尋は、そこに何も写って居ない事を確認し、溜息をつく。
私は『恐怖』に飢えていた。
撮影した写真をインスタにあげると、たった二人しか居ないオカルト同好会の友人から電話がかかって来た。
「インスタ見たよー八尋。収穫無くて残念だねー」
「残念だねー……やないで鮎喰! 今日こそは一緒に行こうゆうてたやんか! 直前でドタキャンしおってからに! うちがどんだけ」
「わりーわりー。今度特盛ナポリタン奢るからさー」
「うちの高校であんなん喰う女子は鮎喰だけやろ!」
興奮してずり落ちた眼鏡の位置を直す。鮎喰はいつもこうだ! 前に自殺の名所の滝で逸れた時だって、汗だくで探し回る私を放置して甘味処で呑気にソフトクリームを舐めていたりした事もあった。
まあ……もう慣れたけどさ……電話口に向かって一頻り叫んだらだいぶスッキリしたし。それより、ホテルに帰ってからひとりでどう時間を潰そうか……
「じゃあさ、新しい都市伝説、試してみない?」
「エスパーかアンタは……一応聞いといたるわ」
本当に一応だ。鮎喰の持ってくるオカルト話は大抵が根拠もない噂話なのだ。この前言ってた『裏インスタ』とかいうのも、どれだけ検索しても見つからなかったし。
「コトリバゴ、って知ってる?」
「……は? コトリバコやのーて?」
コトリバコなら私も知っている。水子の死体を箱詰めにして呪いたい相手に贈りつけるという呪術で、オカルトマニアなら誰でも知っている有名な逸話だ。けど、コトリバゴなんて都市伝説、聞いたこともない。
鮎喰は声を低くして、わざと芝居めいた口調になると、その噂について語った。
20時35分。ビジネスホテルに着いた私は、ベットの上に仰向けに寝転んだ。このホテルには、今日から二泊する事になっている。この付近には廃トンネルだけでなく、いわくつきの稲荷神社があり、明日はそこへ行ってみたいのだ。
は? 心霊スポットなら深夜に行けって? 夜中にわいわいやれば近隣の住民やお巡りさんにも迷惑がかかるやろーが! マニアとしてその辺のマナーは弁えているつもりだ。
私は眼を瞑り、小さく呟く。
「――コトリバゴ」
鮎喰が言っていた都市伝説が本当なら、これで、呪詛は成就した筈だ。一抹の罪悪感を覚えながら、私は夕方の電話を思い出していた。
――――
――
「八尋、コトリバゴっていうのはね――ホテルとかの、宿泊施設を予約する呪いなんだ」
「そーそーそー、スマホで簡単にーって、それ呪いやのーて旅行アプリやーん!」
「ううん。ちゃんと呪いだよー。だって、その宿泊施設に泊まりに来るのは人間じゃなくて『悪霊』なんだから」
鮎喰が言うには。
その呪いは、特定の人ではなく、自分の居る『部屋』を対象としたものらしい。その呪いが成就すると、その部屋から悪霊に対して『この部屋、オススメですよ』というレコメンドが送られ、悪霊が泊まりに来るというのだ。
「へー……現代風やな。ちょっと面白そうやん。でも、その呪いってどうするんや? コンビニで買えるもんで出来るんか?」
「道具なんて必要ないよ。ただ一言、『コトリバゴ』って唱えればいいんだ」
は? たったそれだけ……? そんな簡単な。本物のコトリバコの呪いって、もっと手間のかかるものだったはずだけど。
「っていうか、今、アンタ唱えたやん」
「他の人が聞いてればセーフなんだと。呪いとかってさ、見られたり聞かれたりしたら失敗するってよく言うだろー?」
「あー、せやな」
一理ある。
鮎喰が適当に拾ってきた話にしては、シンプルだし、ひとりでも試しやすい。ま、話のタネには悪くないかもしれない。
「で、悪霊が泊まったとして、害は無いんか?」
「何もしなければ、死ぬよー」
「死ぬんかい!」
「だからね、呼び寄せた悪霊を怒らせないようにしなきゃいけない。まず部屋の明かりを消して、それから――」
――――
――
――バンバン!! バンバン!!
硝子窓を叩く音で現実に戻される。
飛び起きると、いつのまにか部屋の空気が変わっている事に気づいた。肌寒く重苦しい。窓の外には相変わらず真っ暗な景色が広がっていたが――
――硝子には、白い手の跡がびっしりと付着していた。
「嘘、やろ? まさかあんなんで本当に――」
来た。都市伝説は本当だった。本当に、悪霊が泊まりに来たんだ。鮎喰の癖にやってくれるじゃないか! 興奮が半分、恐ろしさが半分といった所だ。
兎に角、悪霊を怒らせるとまずい。すぐにスイッチの所に行き、部屋の電気をすべて消す。そして、窓ではなく、ドアの方に向かって唱える。
「どうぞ、おあがりくださいな」
少しだけ扉を開けると、生臭い空気が隙間から流れ込んで来た。これでいい。あとはひと晩、呪いの効果が切れるまで、部屋から出なければいい筈だ。私は頭から布団に潜り込む。
あかん。何か居る。
布団に入った私の眼の前に、縦に潰れた真っ赤な顔があった。そいつは、唇を歪に開きながら、ぐにゃぐにゃとした声で話しかけて来た。
「 やげを うだい 」
「どうぞ! おあがりくださいな!」
思わず声が上ずってしまった。そいつはぎょろりと潰れて縦に並んだ眼を向き、腐乱臭のする息をばあっと吹きかけて来る。濡れた両手でがっちりと私の肩を抱き、爪を食い込ませて来る。
「どうぞ! おあがりくださいな!」
何をされても、絶対に無視しなきゃいけない。そして、悪霊の姿が見えなくなるまで、同じ言葉を何度も何度も唱え続ける必要がある。
「 やげを うだい くびを 」
「 やげを うだい てを 」
「 やげを うだい あしを 」
そいつはボロボロの歯を見せながら、なにかしつこく話しかけて来る。私に他の言葉を言わせたいのだ。忘れていた恐怖心が、首を擡げるように私を襲う。
もういい、もう十分楽しんだ。頼むからはやく消えてくれ。
「どうぞ! おあがりくださいな!」
「どうぞ! おあがりくださいな!!」
「どうぞ! おあがりくださいな!!!!」
何度目のことだったろうか。
眼の前の赤い顔は私から手を話すと、にっと尖った歯を見せて笑い、暗闇に溶けた。満足してくれたのだろうか? 辺りには、腐った生肉のような残り香だけがあった。
私は小刻みに震えながら、ひたすら朝陽が昇るのを待った。
――――
――
翌日。私は心霊スポット巡りを切り上げて、近くの観光スポットで、カヤックでの川下りを楽しんでいた。あまり急流ではないので、スマホで景色の写真を撮る余裕もある。
オカルト熱が冷めた訳では無い。が、あの強烈な体験の後では少しばかり距離を置きたかった。いくらラーメン好きな人でも毎日は食べられないのと同じようなもんだ。
「鮎喰、悪霊出たであれ! コトリバゴ! めちゃんこ怖かったわ!」
「え、八尋ほんとにやったの……」
「おう、やったで! お陰でいい土産話ができたわー」
お礼と報告を兼ねて、鮎喰に電話を掛けている。子ども騙しかと思ったが、貴重な恐怖体験ができた。ちょっとちびったって事は、墓まで持って行こう。
「終わってみるとなんか現実味ないけど、そんなもんなのかも知れへんしな!」
「……や。実はさ。言いにくいんだけど――あれ、一日で終わりじゃ無いみたいなんだ」
……は?
私は、持っていたスマホを取り落としそうになる。終わりじゃ無いっていったい……。
「コトリバゴで喚んだ悪霊ってさ、その部屋に二日間留まるらしいんだよね。だからさ、今夜も来ると思う」
「ちょ、そういう事は先にゆってーな!」
「私も知らなかったんだよー。あの後調べててわかったんだからさ」
そうして、鮎喰は二日目のコトリバゴについて話し始めた。
しかしそれは、一日目とはある意味で『真逆』の内容だった。
「一日目は悪霊を部屋に喚ぶから、『おあがりくださいな』で入れてあげないと、悪霊が怒って取り殺されるんだけどさ。二日目は悪霊を返さなきゃいけないんだ。だから、『どうぞ、おかえりくださいな』と言ってやるんだ。
絶対に間違えんなよ。間違えるといつまでもその部屋に居着く事になるからなー」
「せやな。確かに悪霊を喚び寄せたままやったらアカンもんな」
「『どうぞ、おかえりくださいな』だからな、間違えんなよー」
「しつこいなーわかっとるって。うちは初めてのお使いに行くガキンチョやないで」
けど、面倒臭がりの鮎喰がここまで言うなんて。私を心配してくれているって事なんだな。なんかちょっとにやけてしまった。
「最悪なのは、二日目に『おあがりくださいな』をする事だ。これ、一番やばい事になるって言われてるやつだからさ」
「え、なんでなん?」
「一日目はまだ部屋に上がっていないから、『おあがりください』は『部屋におあがりください』という意味でとられるんだ。
けど、二日目は違う。もう部屋に上がることは許可されているのだから。だから『おあがりください』を、『私を食べてください』という意味でとられてしまうんだ」
実際に試した人が居ない為、どうなるかはわからないらしい。その場で悪霊に食われるのか、あるいはもっと酷い結果になる可能性もあるんだとか。
それは私も絶対に試したく無いな……。
「せやけど鮎喰、ほんまに今夜で終わるんやな? 三日目なんてのは無いんやろうな?」
「それは間違いないよ。――けど、覚悟した方が良いかも。二日目は一日目より悪霊の強さが上がってて、凄く怖いらしいから」
「あ、あれより怖いんか……まあええわ」
どうしても無理なら、直前でホテルをキャンセルしなよ。と鮎喰は言ってきた。二日目に部屋が無人になれば、悪霊は飽きて勝手に帰って行くらしい。
じゃあ今までの説明なんだったんだ。けど、私もオカルト同好会の一員だ。いくら怖くても引き下がるわけにはいかない。やってやろうやないか!
「それで、二日目はどう怖いんや? せめて心の準備くらいはさせて欲しいわ」
「詳しくは知らないんだけど、話しかけてくるらしい」
「何を話しかけてくるんや?」
「だからさ、一日目は物音だけだったでしょ?
二日目は、姿も見えるし、何かぶつぶつと声を出して、話しかけて来るんだってさ」
「え? あ……」
本家、『コトリバコ』についての検索は、自己責任でお願いします。