バーチャルユーチューバー 閲覧危険度★★☆☆☆
ディスプレイの向こう側から、いや、次元の垣根すら踏み超えて。少女達は全世界に向けて屈託の無い笑顔を振りまく。
「骸ちゃんの動画は癖になるなあ」
頑張っているようで何よりだ。応援している俺としても鼻が高い。お約束のチャンネル登録の催促画面を眺めながら、トラックボールマウスを片手にニヤニヤと笑う。
我ながら少しキモいと思いつつ、本日18回目の高評価ボタンを押す。よき。……さて、次は別の子の生放送で投げ銭だな。
バーチャルユーチューバー。
それは、2.5次元の美少女、美男、人外、etcによる、動画配信活動である。
去年の暮れ頃からだったろうか? 俺達は、このめくるめく少女達の宴の虜になっていた。
――しかし、一年前には考えもしなかったよ。自分が寝る間も惜しんで、ようつべ漬けの毎日を送ってるなんてさ。ほんと時間がいくらあっても足りやしない。
人気の子は言うに及ばず、個人的に気になっている子は人気に関わらず日々追い掛けている。どの子が一番ってのは決められないけど、そうだな――
――今日は、この子について話をしよう。
鮎喰 シオリ。
チャンネル登録者数は僅か6660。
18歳、AB型、乙女座の女子高生。
紫色のワンピースを着た、金髪のバーチャルユーチューバーだ。
【衝撃!】シオリの心が清らかなことを証明します!
『やあや、みんな。鮎喰シオリだ』
気怠げな挨拶がスピーカーから零れだし、大きな木の椅子に腰掛けた少女がディスプレイに表示される。
『まずはちょっと聞いて欲しいんだけどさ、最近コメントとか見てると「シオリちゃんはスレてるねー」とか「さとり世代だねー」って声が多くてね。私だってピュアな女子高生なんだぞ? てワケで』
等身大の悩みを打ち明けるシオリ。
可愛いけど――やっぱり、モーションが無いのは寂しいなと、俺はストロングなゼロを呷りながら溜め息をこぼす。
そう。ある日を境に、シオリは動く事を放棄してしまった。
かつてはダンスの動画を投稿するほどモーションにも拘っていたのだが、それも無くなった。半年程前から巨大な椅子が登場し、そこに座ってのフリートークやゲーム実況がメインになったのだ。本人曰く、階段ですっ転んで全身バキバキになってしまったということらしい。
――といっても、本当に事故で骨折したワケではない。彼女達は3Dモデル、架空の存在なのだから。怪我をしたり、病気に罹ったりするはずがない。(ただし動画内では、中の演者など居ない体で楽しむのがマナーだ)
『皆に私の心の清らかさを証明してやろうってことでな、ハイこれ』
パッと画面が切り替わり、起動したアプリが大きく映される。
『【心が綺麗な人だけが解けるクイズ】 今日は、これをやっていきたいと思いまーす』
シオリの動きは、演者の動きを身体に取り付けたセンサーでトレースする『モーションキャプチャー』で再現されていた。恐らく、このモーションキャプチャーのシステムかセンサーが壊れてしまったのだろう。ポリゴンやモーフィングの不具合を人間に例えて『骨折』と呼ぶのは、バーチューバー界あるあるだ。
『【第1問。ひとつの小さな林檎の種を、沢山の人数で仲良く分けるには?】 ――んんっ?』
しかし。どうもその『骨折』が直せるものではないらしく、シオリは木製の椅子のオブジェクトに腰掛けたまま、トークを続ける形になった。何をするにもお金がかかる。世の中、世知辛い。
『いきなり難問が来たな……ミキサーで砕くのか?』
新しい3Dモデルを提供しようという猛者もいたが、シオリは、思い出の詰まった大切なモデルだからと頑なにそれを拒んだ。そのシオリの姿勢に呆れた者が去っていき、俺のように胸打たれた者だけが残ったのが今の状況だ。
ただ、シオリは動く事を諦めているわけでは無いようだった。けど、やっぱり動きたい。だからいつかまた自分の足で立ち上がれるよう、応援して欲しい、とも言っていた。
『えっ……と、ヒント見ちゃお。スコップを使います。……あーなるほど、そゆことね』
画面の向こうの彼女を見ながら俺は、彼女の3Dモデルが直り再び立ち上がるその日まで、応援を続ける事を心に誓った。
――――
――
骨折から半年程経った、ある日。
シオリが、引退宣言の動画を投稿した。
モーション無しでも楽しませるように頑張っていたが、チャンネル登録者数も伸び悩んでいたし、限界が来てしまったのか。――結局、再び立って動き出すことは無かったな。
俺は雪解けのような喪失感を抑えながら、彼女の最期の動画を開く。彼女はいつもと同じ様に椅子に座り、神妙な顔で別れの言葉を紡ぎ始める。
『最初に。皆さんに、謝らなければならない事があります。私は、今まで皆さんの事を、騙していました』
いつものダウナーな調子とは異なる、丁寧でよく通る声で語られた告白は。
『私は。本物の鮎喰シオリでは、ありません』
それは、予想だにしていなかったものだった。
『私には、腹違いの妹が居ます。歌とダンスが好きで、どこか気怠げな、愛らしい自慢の妹でした。鮎喰シオリは、妹が演じ、私がその動画を編集して作り上げていた、二人三脚のキャラクターでした。
その妹が、半年前に亡くなりました。
私と妹は、本当に仲が良かった。両親が早くに居なくなり、二人でずっと支えあって生きてきました。父の遺産のおかげでお金に困る事はありませんでしたが、肉親の温かさというのは他の何にも変えられないものなのね……。
私は妹が居なくなった現実を、受け入れる事が出来ませんでした。そして、馬鹿な事を考えてしまいました。
このまま鮎喰シオリを演じ続ければ、バーチャルユーチューバーとして、妹を生かし続けることが出来る、と。
私達の声、よく似てるでしょ? 昔から言われるんです。きっと、父方の血を継いだのね。
そうして私は、皆さんと共に、いつかシオリが動き出す日を待っていました。
けれど――私は、もう、妹を休ませてあげようと思います。身勝手な事をして、呪いの片棒を担がせてしまった。本当に、申し訳ありませんでした。
……えっと、応援してくれたみんな。いままで本当にありがとな。いろいろ大変だったけど、楽しかった。私は、もう眠ることにするよ。もし最期に我儘が赦されるのなら――私を、忘れないでほしい』
そう言って、動画再生画面は暗転した。チャンネル登録を促すテンプレの代わりに、口を開きっぱなしの俺の間抜け面が映っていた。
――こんな告白をされて、直ぐに信じられる者など居るだろうか。実際、俺はその日は何も手がつかず、混乱のうちに布団に入り、そのまま寝付けない夜を過ごした。
けれど、話はここで終わらなかったんだ。
――――
――
翌朝の事だった。ネットのニュースサイトを見ていた俺は、二度目の衝撃に晒された。
記事の内容は、ひとりの女子医大生が死体遺棄罪で警察に出頭した、というものだった。部屋を捜索したところ、医大生の異母姉妹が、木乃伊のようになって発見されたそうだ。なんと半年もの間、妹の遺体を部屋に隠していたのだ。
動機は、妹と離れたくなかったから。
妹の親も早くに他界し、姉の親は昔に行方をくらませて居る。妹は高校での人間関係がうまくいかず、引き篭もりがちだった。更に遺体には丁寧に内臓処理と防腐処理が行われていた為、見つからずに過ごせたらしい。
それが鮎喰シオリのことだと言うのは、動画内でのシオリ(姉)の証言と、部屋に置かれた撮影機材の様子から、容易に想像がついた。
これで、この話は終わりだ。
終わりには違いないのだが――
ただ、ひとつ。
訂正しなければならない事がある。
聡明な方は、きっと、この話に違和感を感じていたことだろう。
いや、嘘をついていた訳じゃあない。
俺達もずっと、勘違いをしていた事なんだ。
それは、『鮎喰シオリの3Dモデルには不具合など無かった』という事だ。
よくよく考えたら、おかしいよな。半年前に中の演者が亡くなったからといって、3Dモデルが動かなくなるなんて事は無い筈だろう?
妹の代わりにバーチューバーを続けるのなら、自分のモーションをトレースさせればいい事だ。ダンス動画なんかは無理にしても、身振り手振りくらいはできる筈だ。
では、何故彼女はモーションキャプチャーを行い、モデルを動かす選択をしなかったのか?
違ったんだ。そういう事じゃなかった。
鮎喰シオリは、ずっと、モーションキャプチャーを続けていたんだ。
発見された妹の遺体は椅子に座り、全身にテープが巻かれて、モーションキャプチャー用のセンサーが取り付けられていた。妹は死んだ後も、モーションを担当し続けていたのだ。
『そうして私は、皆さんと共に、いつかシオリが動き出す日を待っていました』
彼女は、妹を諦めていなかった。遺体に向かってカメラを回し、鮎喰シオリが立ちあがる日を、視聴者と共に待っていたのだ。
つまり。
俺達が立ち上がるように応援させられていた相手は、3Dモデルの方ではなく、
センサーを巻きつけられた死体の方だったのだ。
『身勝手な事をして、呪いの片棒を担がせてしまった。本当に、申し訳ありませんでした』
半年間ずっと、集団で、画面越しに呪いを唱えさせられていたのだ。