カプグラ(後編) 閲覧危険度★★★★★
語り手、一ッ橋 壱吾
活発な少女、二条城 双美
お調子者の少年、三乃瀬 未助 ×
ワンピースの少女、四ッ谷 佳子
不良の少年、五年坂 郷太
未助が死んだ。
俺は焦っていた。
双美が向かったのは祠のある方、郷太と佳子が向かったのは車の停めてある方だ。俺は迷った挙げ句、まず双美の誤解を解く事に決めた。
こんな状況になって、今更言う事じゃないかもしれないが……やはり郷太を説得するのは、少し、怖い。
怨みがましく此方を凝視する未助の死体から目を背けると、俺は祠の方に向かって走り出した。
「双美ーッ!! どこだ双美っ!! 戻って来い!!」
乾いた土に足を取られながら全力で走る。喉は枯れ、暑さで頭がグワングワンと揺れる。
見通しのいい道の筈だが、迷って出遅れた所為なのか見失ってしまった。石垣を超え、橋の入り口まで辿り着く。
ここまで見つからないなんて……どこに、行ったんだ? もしかして、納屋か林道にでも隠れているのか――?
橋の中腹まで進んだとき、カツンと何かを蹴飛ばした。足元に目をやると、それは陽の光を反射して眩しくキラリと目を刺す。
「これ、双美のカメラじゃ……」
小さなインスタントカメラが、橋の上に放置されていた。どうしてコレが、こんなところに? 逃げている途中で、落としてしまったのだろうか?
俺は身を屈めてカメラを拾い上げる。
――ごぽぐぽっ。
水を飲み込むような音に驚き、振り返る。
川は橋のすぐ下を流れていた。覗き込むが、水面に何かいる気配はない。
「――――双美?」
もしやと思い恐々声をかける。
「――がぼッ!!」
「う、うわあっ!?」
川の中腹あたりで、双美が頭を出した。苦しそうに呻き、ばしゃばじゃと水面を叩いている。
なんであんなところに!?
泳いで逃げようとしたのか? それとも、橋の下に隠れようとして失敗したのか!?
「おい何やってるんだ! 双美!!」
「ごぼおお! たずげでぇ!! だずげっ……ごぷっ……!」
「ま、待ってろ!」
双美はどんどん流されていく。川幅10メートルもない小さな川だ。急流というわけでもないのに。
まるで、強い力で何かに引っ張られているかのように。
俺は上着を脱ぎ、双美を助けるために水の中に足を踏み入れる。
「うっ……!?」
双美の居たあたりに向かって泳ぎだそうとしたが、両脚が泥に沈み、がっちりと捕まってまったく動けない。いったいどうなっているんだ。
俺が泥から脚を引き抜こうともがいている間に、双美の身体はどんどん速度を上げて川下に流されて行く。
「……がぼぉっ……だず…………ごぽ……」
「くそっ、双美ッ!?」
「………………………………。」
豆粒ほどのサイズになったとき、彼女はだらりと両手を落とし、流れる泥の中に沈んでいった。
それから数秒の後、俺は漸く泥から脚を引き抜くことが出来た。
「…………双美……」
なんとか河岸に戻ることが出来た俺には、もう彼女を探す術も、気力も残っていなかった。
――――
――
双美を助けられなかった後悔を胸に、俺は未助の死体のある水田に戻っていた。途中、何軒か家の扉をノックしたが、村の住人は誰一人姿を見せなかった。――寧ろ人の気配すらしない。
水田に辿り着いたか俺の目に飛び込んで来たのは予想外の光景だった。
「…………! 未助……!?」
未助の遺体は道に引き上げられ、俯せにされていた。ジーンズのポケットはひっくり返され、手荷物の中身は地面にブチ撒けられている。
物盗りの仕業ではない。彼の目立つサイフは、そのまま水田に転がされていたからだ。
だとすれば、彼の死体を荒らしたのは――。
「……郷太。それに、佳子……!」
地面に撒かれた彼の荷物からは、あるべきものが見当たらない。彼の――ミニワゴン車のキーだ。
恐らく彼等は一度この場所から逃げたのだろう。しかし落ち着きを取り戻した頃、俺が追ってこないことに気づき、そして、車に乗って逃げるには未助が持つ鍵が必要だとを思い出したのだ。
警戒しながらこの場所に戻り、未助の死体からキーを探した。つまり彼等は今、ミニワゴンの所にいる筈だ。
……もしこの予想が当たっているなら、彼らは既に村から逃げ出しているだろう。だが……。
「行ってみるしか、ない……」
他に手掛かりも無いんだ。
俺は、ミニワゴンの所在を確認する事にした。
――
俺の予想に反し、未助のミニワゴンは未だその場所にあった。郷太と佳子は別の場所に逃げたのだろうか?
否。そうではなかった。
「エンジンがかからねえ!どうなってんだよ!!」
「お、落ち着いてください、郷太君……」
「クソっ!!」
果たして二人は、ミニワゴンの運転席と助手席に並んで着座していた。窓が開けっぱなしだからなのか、焦っている声がここまで聞こえる。
そういえば佳子は免許を取って居ないし、郷太は仮免試験で落ちたと言っていた。加えて未助のミニワゴンはマニュアル車だ。
エンジンのふかし方がわからず、エンストを起こしてパニックになっているのだろう。
「ひ、きっ、来た!!」
俺が車の横から近づいて行くと、佳子は気がついたようだ。促されるように顔を上げた郷太も、真っ青になる。俺は両手を大きくあげて、抵抗の意志がないことを示す。
「もうやめてくれ! 俺は――」
「畜生!! ふざけんな!! 動きやがれ!!」
「ひいいぃっ!?」
だが、二人は俺の声を完全に無視していた。郷太は鍵をガチャガチャと乱暴に回し、手当たり次第にレバーやボタンを殴りつける。佳子は頭を抱えて俯きイヤイヤをしている。
「も、もう無理ですっ!」
このまま車が動かなければ袋の鼠だと思ったのだろう。恐怖が限界に達した佳子はワゴン車のドアをガンと開け、飛び降りて車の前方に走り出す。
――ブロロッ
「か――かかったあっ!! かかったぞ!!」
「佳子ッ!!!」
「――え?」
郷太を乗せたミニワゴンは猛スピードで直進し、佳子を背中から跳ね飛ばす。
「ぅぐぎぃっ!?」
ごりゅごりゅという音と共に佳子の身体を踏み越える。タイヤと車体に踏み潰された佳子は、首と手足がおかしな方向に曲がってしまった。佳子の身体はビクビクと数回激しく痙攣し、そのまま、ぷつりと糸が切れたように動かなくなった。
「うわぁああああははははは!! ひゃああああっはははははひひは!!」
郷太は壊れたように笑いながらミニワゴンをぐんぐんと加速させていき――
「ひゃはあああああぁぁ……あっ」
――ドスン。という鈍い音と共に、電柱に激突した。
「あ……あ……」
郷太を乗せたミニワゴンは、まるで映画のワンシーンのように炎に包まれ――爆音をあげて大破した。
「そ、んな……そんな…………」
俺は膝からガクリと崩れ落ちる。
みんな、みんな死んだ。
佳子は口から赤い泡を垂れ流し、恨みがましく此方を睨みつけている。俺は目をそらすように視線を落とし――泣いた。
「どうして……どうしてこんな事に……」
祟り。なのだろうか。
あの祠に近づいては、いけなかったんだ。
「ごめん、なさい……ゆるして、赦してください……」
恥も外聞も無い。俺は震えながら、この土地の守り神に贖罪の祈りを捧げ続けた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ううっ。ごめんなさい……」
壊れたラジオのように、何度も、何度も。
「ごめんなさい……ゆ、赦して」
――バキン!!
「ひ!?」
炎上しているミニワゴンの扉が勢い良く開き、いや、外れて、中から黒焦げになった郷太が転がり落ちてきた。
「……コ……ロシテ…………ヤ……ル……」
郷太は落ちていた木材を片手に持ち、ヨロヨロと俺の方に向かってくる。その表情は見えないが、恐れが消え剥き出しの怒りと復讐心に、俺の全身が総毛立つ。
逃げなければ。
だが俺の両脚は言うことを聞かない。
永遠とも思える刹那の後。
郷太は俺の目の前に立ち、木材を振り上げていた。
「や、やめ……」
「シィネェエエエエエエエッ!!」
「――駄目えっ! 五っちゃん!!」
郷太が振り下ろした木材は、俺の目の前で停止した。何が……起こったんだ……? 郷太の腰に目をやると、白い二本の手がしがみついている。いったい誰が――
「――双……美…………?」
川に流され溺死した筈の双美が、そこに居た。
「壱吾! 大丈夫か!?」
不意に後方から声を掛けられる。振り向くと未助が息を切らしながら立って居た。未助だけでは無い。未助に肩を借り、佳子がよろけながら立って居た。
どうなってるんだ? この二人は死んだんじゃ――というか、今――『俺の名前』を――!
「お、思い出してくれたのか!?」
「ああ。なんていうか、スマン! 俺の所為で!」
佳子を双美に預けると、未助は両手を合わせて頭を下げる。
「――俺達みんな、タチの悪い呪いに侵されてたんだよ」
未助は俺に、小さな紙を渡す。
それは、あの石垣で五人で撮った記念の写真だった。
――そこにはもう、あの化け物は写って居なかった。
――――
――
燃えた車はどうしようもないので、俺達はレンタカーを使って温泉に行くことにした。
結局のところ。誰ひとり、死ぬどころか、たいした怪我を負っていなかった。
未助は頭を切って気を失ってはいたが傷口も塞がっていたし、双美はなんとか自力で岸まで辿り着いた。佳子はうまく車体が通り抜けたお陰で軽い捻挫で済み、郷太は体の表面が煤か何かで黒く汚れただけだった。
「カプグラ症候群、という疾患がある」
レンタカーを運転しながら、未助は俺達に向かって話し始めた。
「フランスで見つかった、精神疾患の一種だ。恋人や家族、友人などのよく見知った人間が、ある日突然、全く別の他人や未知の侵略者に見えてしまう――そういう症例が、実際にあるらしい」
佳子と双美は、未助の話に聞き入っていた。郷太はつまらなそうな態度をとっていたが、それでも黙りこくって耳を傾けていた。
「かつてあの鵜飼村で起こった猟奇殺人の正体も、それだったのかもな。祟りなんかじゃなかった。あの祠の近くには、カプグラ症候群と似たような疾患を引き起こす瘴気か何かがあったのかもしれない。それで俺達は壱吾の事を、恐ろしい化け物としてしか認識出来なくなったんだ」
ここで初めて、郷太が口を開いた。
「……悪かったな。壱」
「え? ああ、いや……こっちこそ」
未助の言葉が本当なら。彼らに非があるとすれば、あの祠に近づいてしまった事だ。そしてそれは――俺も同じ。
「でも良かったです。みんな無事で」
「ヒドい目にあったけどねー」
本当に。と、双美の言葉に同意する。
「ねえ。そういえばさ。捨てちゃおっか? あの写真」
双美の提案に、俺以外の3人が頷く。石垣の上で撮った記念写真。双美は、それで皆を恐ろしい目に合わせてしまったと、罪の意識を感じているのかもしれない。
「いいや。俺が持っておくよ」
俺は、反対した。
あの写真の所為で、一時は俺が化け物に見えてしまったかも知れない。
けれど――今は違う。あの写真には化け物は居ない。あれは俺と、4人の仲間が写った記念の写真なのだから。
そう言って俺は、写真を広げた。
石垣の上には、4人の化け物に囲まれた俺の姿があった。
今の俺は、
友人達が得体の知れないモノに見えているのか。
得体の知れないモノが友人達に見えているのか。
ざわめく木々が答えを返すことは無い。
レンタカーは、深い闇の中へと消えて行った。
鮎喰はあと5話か6話くらいで終わりです




