カプグラ(前編) 閲覧危険度★★☆☆☆
鵜飼村
人口百人にも満たない、小さな村落だ。
茅葺屋根の家が点々と建ち、水田は井戸から引かれた澄水で満ち満ちている。都市開発に巻き込まれることなく生き残った山あいの眺望は、豊かな緑を湛えている。村の附近には広い川が流れており、夏場になると鵜飼の舟が鮎を捕らえる姿を見ることができる。
この村の片隅には朱色に塗られた古い祠がある。そこには村の守り神なる『かぷぐら様』の木彫の像が祀られている。村人達は満ちた月の夜に白く清潔な布で殿舎を磨き、笹団子などの供え物を奉納するのだ。
しかし。
夏の盆の時機だけは。その祠に、決して近づいてはならない。
8月13日(金)、午後1時30分
目も眩む程の真夏の陽光が照りつける。
林道ではアブラゼミが競い合うように命の叫びをあげている。
日中の平均気温は30度を越す暑さになると、天気予報で騒いでいた。
じりじりとさす暑さの中東から吹く山風が肌に心地いい。俺は澄み渡った木々の香りを肺いっぱいに吸い込むと、徐に吐き出す。
眼鏡を取り持ってきたタオルで額に滲む汗を拭う。俺の名前は一ッ橋 壱吾。都会の学校に通う、大学一年生だ。
「暑っついなあー……ねえ、何処かにアイス、売ってないのかしら?」
ミニワゴンの横で茶のスカートをぱたぱたとはためかせているのは二条城 双美。白いシャツが汗ばんで肌に吸い付き、無自覚な色気を醸し出している。
「チッ。こんな田舎じゃコンビニどころか、自販機も期待できねえっつの」
五年坂 郷太は片手に持ったうちわを忙しなく扇いで暑さを堪えている。黒いVネックに赤いズボン、金髪といった派手な出で立ちで、キャンパスの風紀を乱すことも辞さない男だ。
「クーラーボックスに麦茶がありますよ。出しましょうか」
薄青のワンピースの少女、四ッ谷 佳子は、ミニワゴンのトランクを開けると、ごそごそとクーラーボックスを漁り、冷えた麦茶を取り出す。隣に積んである紙コップの束からひとつを取り出し、とくとくと麦茶を注いだ。
「四っちゃんサンクス! 助かるー!」
黒い短髪、シャツに半ズボンの男が戯けた調子で紙コップを受け取る。このお調子者は三乃瀬 未助。このミニワゴンの持ち主で、運転手でもある。
俺達五人は皆、大学の同期であり同じオカルト研究サークルのメンバーでもある。俺達は講義の無い暇な時間を狙い、しばしば未助の運転で全国の心霊スポットを視察していた。
――というのは名目上の話。実際は日本の名所に観光地巡りと、たいした目的もなく遊び歩いているだけだ。
「はい、壱吾君も」
俺は佳子から紙コップを受け取るとがぶりと中身を飲み干す。冷えた水が喉を癒し、胃に落ちて背にじわりと広がった。
――――
――
「笑って笑ってー! いちたすいちはー?」
山をバックに石垣の上に並び、思い思いのポーズをする。インスタントカメラがカシャリと音を鳴らして、長方形に閉じ込められた学友を吐き出す。
天気も良く山の三角形も澄んで見えたので、例の祠に到着する前に記念撮影をと誰かが言い出したのだ。
「三ちゃんなにそのポーズ! ふざけ過ぎだよー」
「どれどれ見せてみ
――ははは! こりゃケッサクだ!」
「へへ、照れるぜ」
双美、郷太、俺、佳子、未助の順で並んでいる。
包み隠さず言えば、それはそこまで面白い写真では無い。そんな事は皆、百も承知だろう。わかった上でノっているのだ。場の雰囲気を、和を損なわないように。
……それとも、心から笑えないのは俺だけで。これは本当に面白い写真なのだろうか。こんな事を考えてしまう俺の性根が、歪んでいるだけなのだろうか。
「ホラ見てよ壱っちゃん!」
俺は差し出された写真をチラリと見ると、口元をおさえて噴き出すようなポーズを取り、鼻の上でズレた眼鏡を直す。結局俺は自分にとっては一番つまらない選択肢を選んだ。
――
――そうやって俺達5人は中身の無い話を垂れ流しながら、日照りの道を、より影の深い方へ向かって歩いていく。
記念写真を撮った場所から数分も進めば、川に架かる橋がある橋を渡ってすぐに、俺達は、その『曰く付きの祠』に辿り着いた。それは山の深い場所に秘匿的に祀られているといったことはなく、畦道の傍に地蔵のようにぽつんと建っていた。
「朱色……っていうより黒っぽいですね。ボロボロですよ」
「時代も古いものだろうし雨風に晒されて劣化したんだよ。十円玉とかも古いものは黒くなるだろ?」
素直な疑問を口にする佳子に、それっぽい解説をしてみせる未助。パシャパシャとインスタント写真を忙しなく撮る双美。俺は顎に手を当てて首を少しだけ前に傾ける。
「……しょんべん小僧、マーライオン、コペンハーゲンの人魚姫……」
「がっかりスポット……ってこと?」
「確かに苦労して来た割にはね。像ってのもよく見えないし」
俺の呟きに対して双美と未助が相槌をうつ。近づいてはならないとかいう割には、立て札や縄のような一目でそれとわかるバリケードも無いし、呪いめいた札なんてのも無い。なにも知らされていなければ素通りするレベルの素朴さだ。
「で、どんな話だっけ。『かぷぐら様』って」
「ええっ調べずに来たの!? あのね、かぷぐら様ってのは――」
あっけらかんと言う双美に、呆れ顔の未助が答える。
昔の話だ。この鵜飼村では、盆の時機になると決まって、立て続けに猟奇殺人が起こっていたのだという。田圃に沈められた者、川に落とされた者、焼かれた者――その亡骸はどれも凄惨なものだった。
だか本当に恐ろしかったのは、その死に様ではなく――
「その猟奇殺人の犯人っていうのがさ、みんな、殺された被害者の家族だったんだと。それも普段から争いが絶えないとかではなく、極めて良好で仲睦まじい関係だったらしい。……おかしいよな? そんで物の怪に取り憑かれたんだ! いや祟りだ呪いだ! って騒ぎになって。それを鎮めるために作られたのがこの祠ってわけ」
未助は小さな木戸に手を掛けてガタガタと揺らしている。中の像が見たいが扉がつっかえて開かない――といったところか。
「つかよ。見終わったんならそろそろ行こうぜ。像なんてどっちでもいいじゃねえか」
欠伸を噛もうともせず、つまらなそうな態度で言い放つ郷太。彼は俺たちの中で最もオカルトに興味が無い。――いや。真っ先に『オカルトに関心が深い演技』を止めた、と言うべきか。
何にせよ有り難い。一応はオカ研としての体裁を保ちたい俺達は、本音ではさっさと帰りたくても自分から言いだすのは躊躇してしまう。
今日のメインはこの祠ということになっているが、皆が楽しみにしているのは近くの温泉宿と懐石料理なのだ。
彼の言葉に俺達は即座に頷き、元来た道を帰り始めたのだった。
自分の身に、何が起こっているのかも知らずに。
――――
――
俺達は、最初に写真を撮った石垣の近くに差し掛かった。未助の車まではまだ距離がある。水筒に入れたお茶は少し温くなってしまった。
「汗でベトベトだよ、はやく温泉入りたいー」
ハンカチで汗を拭きながら双美がボヤく。
「このクソ暑いのに温泉ってのもチョイス微妙だよな。プールは無えのか?」
「こんな田舎だとね。ここの子どもたちは、川で遊んでるんじゃ無いかな」
俺は郷太の我儘な注文をばっさりと切り捨てる。
「プールとは言わないけど、スーパー銭湯なら水風呂くらいはあるかもしれませんよ」
「サウナもあるかもね。……要らないけどさ」
ここまで来てスーパー銭湯というのも、結局は微妙なチョイスだよなと思いつつ相槌をうつ。そう軽口を叩きながら田んぼの畦道に踏み込んだとき。
――それは起こった。
「……あ、あのさ!!」
一番後ろを歩いていた未助が急に声を張り上げる。俺達はその声に驚き、立ち止まる。
「なによ三ちゃん! 吃驚するじゃないの!」
「い、いや……悪い。けどさ、その……確かめたい事があるんだ」
いつもの場を和ませるくだけた様子じゃない。躊躇いがちに、だが、切羽詰まった感じでもある。目はきょろきょろと忙しなく俺たちを見渡し、寒くもないのに震えているようだ。
「さ、さっきから気になってたんだけど……俺達って、ここに……何人で来たんだっけ……?」
未助が搾り出した言葉は、おおよそ彼の正気を疑うものだった。
「おい大丈夫か? 熱中症にでもなったのか?」
歩み寄ろうとする俺の手を払いのける未助。
「いいから! 答えてくれ!!」
俺達から距離をとり声を荒げる。絶叫に近い。怒っているのではない。恐れているのだ。
何かを。
誰かを。
「何人って……私達は最初から」
只ならぬ雰囲気を感じとり、佳子がおそるおそる口を開いた。
「四人だったじゃないですか」
今回は前中後編になっています




