ストリートビュー(後編) 閲覧危険度★★★★☆
今回はちゃんと怖い話です
「まあ――ちょっと焦ったけど」
私達はすぐにパソコンを机に起き距離をとっていた。画面に映る不気味な男は、恨めしい亡霊か、ひと昔前に流行ったびっくり系動画(フラッシュと呼ばれていたらしい)かと思ったが、暫く見ていれば、頭の中もクリアになる。
「冷静になって考えてみるとさ。これ、剽軽な通行人が遊んでただけじゃないかな」
「お、おう。ボクもそう思うぞ。撮影用の車かドローンに近づいたんだろうな」
MM曰く。ストリートビューの写真は、車に360度カメラを搭載して道路を走らせることで、連続して撮影しているのだそうだ。
「――けど、こういう写真は削除されるか、顔認識でモザイクがかかるものなんだけど……」
Rは恐怖が癒えたのか、PCに近づきマウスに手を添える。
「ちょっと、他の角度から見てみましょう。この写真を撮った車が道路を走り続けているなら、少し進んだ道から見れば、このイタズラ野郎が横から見えるんじゃないんですか」
カチリ。と道路上の三角ボタンをクリックし、撮影地点を正門前から道の先に進ませる。不気味な顔のアップが消え、漸く校舎の風景が映し出された。
――だが。Rの目論見は見事に外れた。
「あ、あれ? そっちなのか!?」
男は先程まで車の居た場所ではなく、逆側――前方の、道路の上に立っていた。背を向けて、ランニングのようなポーズをとっている。
まるで、撮影車から逃げているみたいに。
「イタズラをして、車から逃げているんでしょうか?」
「でも、そんなのすぐ追いつかれるに決まってるぞ!」
「学校の近くだから速度を落としているのかもね……」
「……追ってみましょう」
カチ。
撮影地点を移動させる。男は、先程までと同じランニングポーズで背を向け、車の前方の道を走っている。
カチカチカチ。
学校から大通りに出る。やはり、男はそこに居る。撮影車は、男に追いつくことができないのだろうか?
「随分、足が速いんだな……」
「どうでしょうね。車の側も、轢き殺すわけにも行きませんから……もしくは、合成って可能性は無いんですか?」
カチカチ。
「――いや。その可能性は薄いよ」
「むっ。なんでそう言い切れるんですか?」
「ここ見て」
私はぐるりとカメラを回し、通行人達を見る。誰もが驚いた様子で、『走る男』の方を指差し、またはカメラを向けていた。
「ここまでにも何人かこういう通行人の姿が写っていた。合成にしたって、手間をかけ過ぎだ」
「おお! 流石はコキミ、名推理だな!」
「まあ推理というほどのものではありませんがね」
「いうなよ……」
手をパチンと叩いて喜びの声を上げるMMに、やれやれと肩を竦めるR。……うん、私も大分緊張が和らいできた。
今はこの謎の男に対する恐怖より、その正体を知りたいという好奇心が勝っている。Rもそうなのだろう。口角をニヤリと釣り上げてマウスを鳴らす。
カチカチ。
カチカチ。
カチカチカチ。
男を追っていくと、撮影地点は大通りを抜け、住宅街の方へと進んでいく。かなりの距離を走ったが、車は男に追い付こうとはしない。いや、そればかりか――。
「だんだん、距離が離されていってますね」
「車より速いってことか!? ビジネススーツだぞ!? この男……只者じゃ無いな……!」
MMの言う通り、相当な足の速さだ。しかも、これだけの距離を、人間が走り続けられるわけがない。
「なあ、これやっぱり、お化けとかなのかな……?」
「どうでしょうね。この車も、危険だと感じたら追跡をやめた筈ですし。だって相手は逃げているんですから」
「そ、そっか! 今アイツを追いかけてるのはボク達なんだもんな!」
「私達というか、撮影車が、ですけどね」
確かに。この男が悪意を持って車に近づいた化け物や霊障の類なら、男が逃げ、車の方が追う筈がない。人の好奇心を刺激して追わせる類のものだとしたら、ぐんぐん距離を離していく道理がない。
「マーケティング系かもしれないな」
「マーケティング?」
「ほら、最初、男が笑顔のドアップで映ってたろ? 不気味に思ったけど、あれ『今から私が走りますよー』って挨拶的なものだったのかも」
「ほほう、それはなかなかにセンシティブだな!」
「それを言うならセンセーショナルです」
しかもそんなにセンセーショナルでも無いしな……。私達もたまたま見つけただけで、このストリートビュー自体、本当にたまにしか使わないし。普通は通報するだろうし。
カチカチ。
「――ん」
錯覚だろうか。
カチカチ。
男の首に、何か巻かれている。
ビロビロと垂れる、赤い紐のような何か。
最初からあったのか? 全く気がつかなかった。二人にその事を話すと、やはり気づいていなかったらしく、驚いていた。
「これ、なんですかね。ネクタイ?」
「ネクタイか、けど最初、巻いていなかったような……」
「最初ってあのアップの顔か……ボクはあまり見てなかったから覚えてないぞ……こ、怖かったわけじゃ無いからな!」
走っているうちにネクタイが首を支点に背中側に回ってしまい、ひらひらとはためいているようにも見える。けど、なんで急に?
……それとも、最初巻いていなかったと感じたのは錯覚か?
カチカチ。
「トンネルに入っていくぞ!」
「学校からは大分離れたな……見失いそうだ」
まあ。見失ったらそれでいいんだが。
「ふふ。大丈夫ですよ。この辺りは土地勘がありますから」
「れんれんってこの辺住んでたっけ?」
Rは俺の言葉に、無い胸を反らせて自信たっぷりに答える。
「この近くにモズ子さんの借りてるマンションがあるんですよね。それでよくドローンを飛ばしたり尾行したりしてますから、裏道なんかも完璧に頭に入ってますよ」
「す、凄いなレンは! まるで探偵だ!」
「ふふ。それほどでもありますよ!」
いやどっちかというと探偵に追われる身分だよなそれ。住宅街でドローン飛ばすなよ。また停学処分になりたいのかこいつは。
MMはキラキラと目を光らせている。……彼女の夢を壊すのは忍びないので、今は黙っておいてやるか……。
カチカチカチ。
トンネルを抜ける頃には、男は豆粒ほどの大きさまで遠ざかっていた。撮影車は男を追い、トンネルの先の山道に入り、どんどん進んでいく。
「……この男は、どこまで行くんだろうな」
「本気で車から逃げるなら、道をそれて山道に入りますよね。それをしないって事は、やはり何かの広告か――」
「――ッ! 見ろ! 男が!!」
MMが、画面の中央の一点を指す。
豆粒ほどの大きさの黒点を。
車でギリギリ入れる林道の中、男は道の真ん中に立ち止まっていた。まるで、もう逃げない、とでも言うかのように。
カチカチ。
漸く、男に追いつくことができる。
そこになんの意味があるかわからないが、私達は撮影地点を進めていく。
カチカチ。
男の影が、大きくなる。
カチ。
その後ろ姿が、だんだんハッキリと見えてくる。
カチ。
そして――
カチ。
「――あ……!」
「ひいいっ!?」
「これは……」
男に接近した私達は、息を呑んだ。
彼は、撮影者の頭上に居た。
立ち止まって撮影車を待っていたわけではない。
彼は
輪にしたネクタイを木に掛けて
首を、吊っていたのだ。
――カァカァという烏の鳴き声で、はっと我に帰る。
ディスプレイから顔をあげると、外はすっかり暗くなっていた。もう、消灯時間だ。
教室に残っている生徒は、私達三人だけになってしまっていた。
……大追跡の結末は、なんとも後味の悪いものだった。
私達は首吊りの写真を通報しようとしたが、その画像はすでに削除されていると言われただけだった。ページを更新すると、其処には、木々が何食わぬ顔で立ち並んでいた。
他の写真を確認しようとしたが、すべてただの風景に差し変わっていた。
「――帰ろうか……」
半ば涙目になっているMMの頭をポンポンと撫で、パソコン画面を閉じる。私達は荷物を纏めると、特別棟を後にした。
――――
――
正門をくぐる頃には、足元が見えない程真っ暗になっていた。こんなに長い間、ストリートビューを見ていたのか。
「結局なんだったんでしょうね。あれ」
「わからん。……けど、ちょっと怖かったな」
MMは大分ショックから持ち直したようだった。……それにしても、なんとも不思議な体験だった。
「あの男は撮影車にイタズラでアップの顔を写したはいいものの、追いかけられて街を駆け山を登り、最後には逃げるのを諦めて首を吊って自殺した。――ということになるのか?」
「状況を纏めればそうなりますが……イマイチしっくりきませんね」
Rの言葉に、静かに頷く。
それに……彼は、何者だったのだろう……?
振り向けば、そこには正門が佇んでいた。――丁度、この辺りだったよな。男が顔のアップを写して、逃走劇をスタートした地点――。
この際、彼を『人間ではない何か』と認めよう。
それでもやっぱり……何か引っかかる。
どうして撮影車は彼を追い続けたのか。
どうして彼は逃げ切れたはずなのに首を吊ったのか。
「あっ、あの人なんか、さっきの男に背格好ソックリですよね」
「ちょ、怖いこと言うなっ! びびってないけど!」
「……失礼だろ。特にれんれん」
Rが指した方向には、確かに青いビジネススーツのサラリーマンが居るようだった。言われてみれば、ストリートビューの男と背格好は似ている。
……赤いネクタイは巻いていないようだが。
彼はこちらに背を向けて、脚を引きずるように、ずりずりと歩いていた。
――後ろ向きに。
「……逃げるぞ」
私は二人の手をとると返事も聞かずに、男の居る方とは逆に向かって走り出す。Rが何やら文句を垂れて居るが、それどころじゃない。
「逆だったんだ」
私は、二人に向かって声を張り上げる。
「全部、逆だ。あの写真を撮った順番……逆だったんだよ!」
男は、もう足を引きずってはいなかった。
関節を昆虫のように動かし、器用にすたすたと、後ろ向きのままの姿勢で歩いていた。
あの撮影車は、山で首吊り死体を発見して。
それから、ずっと逃げていたんだ。
――この正門前で、アイツに捕まるまで。




