京子
作者である私の高校生時代を思い出して書いたもので、まったくの創作ですが、時代背景は60年代としています。従って携帯電話もインターネットも無い時代のことで、高校生の精神的成熟度も今と比較するとかなり遅れているということになります。つまり素朴な心の高校生男女の淡い恋の話です。
「あれぇー、お前木村じゃないか。どしたんだ?」
「・・・・」
「おい、泣いてんのか? あっ、泣いてる」
「・・・・」
「泣くなよ。どしたんだ? 財布落としたのか?」
「・・・」
「少しなら貸してやるぞ。500円しか無いけど」
「・・・」
「ほら、500円じゃ足んないのか?」
「馬鹿ぁー」
「あー、驚いた。急に脅かすなよ」
「馬鹿、徐々に脅かす奴がいるか。あっち行け」
「あっち行けってどっち?」
「どっでもいい、私から離れて」
「でもいいのか? 室井呼んで来てやろうか?」
「・・・・」
「あいつ苦手だけどこんな時だから・・・」
「何処にいるか知ってんの?」
「さあー、知らないけどあいつ目立つから」
「佳枝今病院にいるんだよ」
「え? 誰か病気なのか?」
「私今佳枝って言ったんだよ。陽介人の言うこと聞いてないの?」
「だって、それじゃあの室井が病気になったのかよ」
「佳枝が病気になったらいけないの?」
「別にいけなくないけど、あいつが病気なんかするかなあ」
「病気じゃ無いよ。怪我したんだよ」
「そうかー、それなら分かる」
「陽介徹底的に佳枝のこと嫌ってるね」
「そうじゃないけど、あっ、そうなんだけど、あいつどう見たって病気なんかしそうも無いだろ?」
「どうして怪我したか聞かないの?」
「どうして怪我したの?」
「交通事故」
「ダンプ?」
「何でダンプなの?」
「だって普通の車であいつが怪我なんかするか?」
「馬鹿。プロレスラーだって車にぶつかれば怪我するよ」
「そうかな。やっぱりそんなもんかな」
「当たり前よ」
「そう言えば昔お相撲さんが交通事故で怪我したっていうの聞いたことあるな」
「あのね、陽介そんなことどうでもいいの。佳枝の怪我がどの程度だったか聞かないの?」
「あ? 怪我はどの程度だった?」
「人のいったことそのまま言うんじゃ無いよ」
「え?」
「何処怪我したとか大丈夫なのかとかいろいろあるでしょう?」
「大丈夫なのか? 何処怪我したんだ?」
「本当に陽介馬鹿なんだから。ま、いいや。佳枝は怪我しなかった」
「何だ。それじゃどうして病院行ったんだよ」
「転んだから一応レントゲン撮った方がいいだろうって行ったのよ」
「頭か?」
「珍しく自分の頭で考えて物言ったね。陽介が自分で考えると財布落としたとかダンプかとか突拍子も無い言葉しか出て来ないのかと思った」
「お前のこと心配して聞いてやったのに文句言うな」
「大体財布落として泣いてると思ったら500円しか持ってないのに声かけたりするんじゃないの」
「じゃ、いくらあったら声かけていいんだ」
「あー、だいぶすっきりした。涙流して陽介怒鳴ってたら少しは気が晴れた。500円あるならラーメンでも食べに行こ」
「え? 足りないよ」
「ラーメンは300円じゃない」
「だから2つで600円」
「何で2つなの?」
「俺と木村」
「陽介は見てればいいの」
「え?」
「嘘だよ。ラーメンくらい私が奢ってやるわ。今時500円しか持ってない高校生なんかいないよ。陽介一体いくら小遣い貰ってんの?」
「別に決まって無い」
「決まって無いって?」
「だから金が必要になると貰うから」
「それじゃ何で貰わなかったの?」
「え?」
「500円しか持ってないんでしょ?」
「あ、特に使う予定が無かったから」
「特に使う予定なんか無くたっていつも財布に少なくとも2000円くらいは入れときなさい。2000円より少なくなったら貰って又2000円にしておくの。そうすれば女の子が泣いている時500円貸してやるなんて恥ずかしいこと言わないで済むでしょう? 今時500円じゃタクシーにも乗れないんだよ」
「俺タクシーってあんまり乗らないから」
「タクシーは例えばの話。何するにしても500円ばかりじゃどうしようも無いでしょ?」
「うん」
「陽介のうち貧乏なの?」
「さあ、聞いたことない」
「聞いておきなさい、それくらい」
「うん」
「あんたと一緒にいると気楽でいいわ。何で泣いてたのかしつこく聞こうとしないし。これが他の人なら大変だった」
「何で泣いてたの?」
「今頃思い出して聞かなくていいの。それよりその袖どうしたの?」
「これ? 破けた」
「破けたのは見れば分かるの。だから聞いてんでしょ? 何で破けたのか聞いてるの」
「加藤が引っ張ったんだ」
「喧嘩したの?」
「違う。相撲取ってた」
「あんた達高校生にもなって子供なのね、本当に」
「何で? 相撲取ると子供なのか?」
「少しは色気ってもんが無いの?」
「色気? 俺男だもん」
「誰も陽介が女だなんて思って無いよ。もう少し色気づいてもいいんじゃないのかって言ってんの。学校で1番の美人の木村京子さんと2人でラーメン食べてんだから何か言うこと無いの?」
「え?」
「木村京子にラーメン奢った男は沢山いるけど私が男に奢ったことなんて無いのよ」
「ああ、それは後で言おうと思ってたから」
「じゃ今言って」
「うん。有り難う」
「何が?」
「だからラーメン。今度の時は俺が奢るから」
「分かって無いのね。まあいいけど」
「何が?」
「今度の日曜日にうちにいらっしゃい」
「いらっしゃいって?」
「いらっしゃいというのは来なさいという意味」
「そんなの分かってるけど」
「それじゃ何が分からないの?」
「何で行くの?」
「私の誕生日だから」
「どうして?」
「私が生まれた日だから私の誕生日なの。ついでに言うと私が生まれたのは今度の日曜じゃ無くて17年前の今度の日曜と同じ日に生まれたのよ」
「そんなこと当たり前じゃないか。今度の日曜に生まれたらまだ生まれて無いってことになっちゃう」
「なるほど。その程度までは説明しなくても分かるんだ」
「当たり前だよ」
「それじゃ分かったわね」
「何が?」
「何がって?」
「木村の誕生日だから何で俺が行くの?」
「陽介はまあ。私の顔見てごらん」
「何?」
「何か感じない?」
「別に何処も汚れていないと思うけど」
「馬鹿。この美人を見て何とも感じないんだから陽介はまだ子供なのね」
「木村って美人なのか?」
「じゃ陽介は誰が美人だと思うの?」
「うーん。歌田ヒカルかな」
「えー? あれは歌はいいかも知れないけど美人なんて言う人いないよ」
「そうかな」
「第一それは芸能人じゃないの。このクラスで、別に他のクラスでもいいけど、この学校で誰が美人だと思うのかって聞いてるの」
「学校で? さあー、誰だろう?」
「誰だろうって私が聞いてるんだから、私に聞き返すんじゃないの」
「分かんないな。考えたこと無かった」
「それじゃ日曜日うちに来るまでに考えておきなさい」
「え?」
「えじゃないの」
「行かなきゃいけないのか?」
「私がおいでって言ったらぐだぐだ言わずに尻尾振って来ればいいの」
「尻尾なんか無いもん」
「当たり前よ」
「行って何するの?」
「私とセックスすんの」
「え?」
「セックスって陽介知ってる?」
「馬鹿にすんな」
「キスすることじゃ無いんだよ」
「そんなこと知ってる」
「へえ、やったことあんの?」
「馬鹿にすんな」
「え? あるの?」
「ある訳無い」
「あー、驚いた。そうだね、ある訳無いよね」
「木村って不良なのか?」
「あんたと喋ってると面白いからからかいたくなっちゃうの。セックスは冗談だからともかく来てね」
「行けない」
「ナニ?」
「だって木村んち何処だか知らない」
「あ、そうか。あんまり驚かすんじゃないの。後で地図書いて上げるから」
「でも行って何するんだよ?」
「だから私の誕生日だって言ったじゃない」
「だから何するの?」
「陽介の誕生日いつ?」
「来月の7日」
「その日何する?」
「さあ、別に何もしないと思う」
「思うじゃなくて、去年は何したの?」
「何もしなかった」
「何かご馳走作って友達呼んだりしなかった?」
「しなかった」
「誕生日なのに?」
「うん」
「そうか。それじゃ誕生日ってこんなことするんだって教えて上げるからうちに来れば分かるよ」
「何時?」
「5時までにいらっしゃい」
「5時だと行けない」
「何で?」
「妹迎えに行かないといけないから」
「何処に迎えに行くの?」
「病院」
「病院?」
「うん」
「何処か悪いの?」
「もう治ったから迎えに行くんじゃないか」
「あ、それじゃ入院していたの?」
「うん」
「何で?」
「盲腸」
「なんだ。盲腸か」
「うん、大したことない」
「お母さんと姉さんは?」
「母さんは仕事。姉さんは撮影」
「あっ、そう言えば陽介の姉さんモデルだったんだよね」
「うん」
「それじゃ少し遅れてもいいから来なさい」
「うん。いいのか」
「いいよ遅れたって」
「木村が退屈するかと思って」
「何で?」
「俺が行くまで」
「しょってんじゃ無いの」
「え?」
「あっ、そうか。陽介が来るまで私が1人でポツンとすることも無く待ってると思ったのね」
「うん。別に退屈しなければ構わないけど」
「退屈するわよ、それは。退屈するだけじゃなくて寂しくてまた泣いちゃうかも知れない」
「子供なんだな」
「うん。だからなるべく早く来て」
「うん。分かった」
京子の家は電車の駅で2つ離れた所にあったが、陽介は自転車で行った。自転車が好きなのである。スポーツタイプでは無いが一応サイクリング用の軽自転車を持っている。あまり夢や欲望の無い陽介だが、18段変速のマウンテン・バイクが欲しいというのが子供の頃からの夢である。
京子の家には女の子と男が2人ずつ既に来ていた。他にも誰か来ているとは思わなかった陽介は一瞬帰りたくなったが入ると同時に佳枝にがっちり腕を捕まれてしまった。佳枝は迎え入れるつもりで優しく掴んだのだろうが、こいつは明日女子プロレスに入っても突然チャンピオンになってしまいそうな大女なのである。背も高いし横幅も広い。腕なんか丸太のようで振り払ったって振り解けるもんじゃない。どういう訳かこれが京子と仲良しでガード役みたいにいつも2人はくっついている。もう1人の女の子と男2人は見たことが無かった。女の子はとても可愛らしくて陽介には木村京子なんかより遙かに美人に見えた。女の子は薫という名前で、男2人は京子の中学時代の友達だという紹介を受けたが憶える気も無くて名前は覚えていない。1人はいかにも秀才そうに見えたし、もう1人はちょっと抜けた感じに見えたが、後で聞くとこの抜けた感じに見えた奴の方こそ学力テストで東京都1番の成績を取った奴なんだという。まあ、1番が偉いのなら俺だって後ろから数えれば1番かも知れないとは思ったが、そんなの自慢にならないことくらい陽介だって知っている。男3人女3人なので組み合わせを替えて男女ペアの遊びをいろいろやったが、薫と組んでやったジェスチャー・ゲームは面白かった。問題が沢山書いてある紙を見ながらペアになった男女の一方がジェスチャーをして他方がそれを当て、3分間に何問正解出来るかを競うというゲームである。問題は沢山用意されていてなかなか答えられないものはパス出来る。とにかく時間内に沢山答えることを競うゲームなのである。しかしパスは3回までしか許されない。陽介は『ブラジャー』という問題でつかえてしまったが、薫は既に3回パスしているので必死になって何とか陽介に答えさせようとしている。痩せて見える薫だが、意外に豊かな胸を両手で支えるようにすると、陽介は『おっぱい』と答えた。薫は、『惜しい』という顔をして正解が近いことを伝えた。それから後ろを向いてブラジャーを付ける格好をして見せた。しかし陽介は勿論ブラジャーを付けたことなどないから思いつかなかった。
「背中が痒い」
薫は『駄目、駄目、全然違う』という顔をして再び前を向き、胸を両手で支えた。もう夢中になっている為に両手で絞り出すようにしているから、乳房が服地越しとは言え大きく突き出している。おっぱいに目のない陽介は引き込まれるように見つめていた。
「巨乳」
「デカパイ」
「ちぶさ」
「おっぱい」
「ぱいぱい」
薫はブラジャーの肩紐をゼスチャーで示した。
「胸がデカイから肩が凝る」
「胸が凝る?」
薫は胸を両手でつかんで持ち上げる仕草をした。
「だからそれはおっぱいじゃないの?」
「あっ、分かった。村井さんのおっぱい」
「村井さんの乳房」
「何だろう?」
「村井さんはデカパイである?」
「えーと、何だろう?」
「ハイ、終わり。時間です」
「陽介、ブラジャーだよ」
「あっ、そーか」
「ブラジャー付ける動作したのに何で分かんないの?」
「ブラジャーなんかしたことないもん」
「そんなの当たり前だけど、ブラジャー付ける仕草くらいは分かるでしょうに」
「分からないよ。見たこともない」
「テレビや映画で見たことくらいあるでしょう」
「ブラジャー付けるとこ? さあー、見たこと無いな」
「ブラジャーの中身ばっかり見てるから気が付かないんだよ」
「えっ?」
「大体高校生にもなっておっぱいだのぱいぱいだの、そんなこと言うんじゃないの」
「だってそれが答えだと思ったから」
「陽介ペアが最低の3問だから罰ゲームね。罰ゲームは腕立て伏せ10回です」
「何だ。そんなの軽いな」
「薫を乗せてやるんだよ」
「え?」
という訳で陽介の背中に薫が跨って乗り、陽介は腕立て伏せを10回やることになった。初めの5回位は楽々だったが、6回目から苦しくなって最後の2回は体中がぶるぶると震えて、終わったときには薫を乗せたまま床に突っ伏してしまった。その勢いで背中に乗っていた薫はキャーと言って陽介の体に倒れ込んだ。ただそれだけのことだが、薫が座った時から薫の股間の柔らかな感触が陽介の背中に感じられたし、倒れ込んで来た時には一瞬だが確かに薫の胸の膨らみを背中に感じることが出来た。俯せになっていたし、最後は全身に力が入って顔は真っ赤になっていたから分からなかっただろうが、陽介は薫が乗ってきた時から思わず顔を赤らめていたのである。女の体ってなんて柔らかいんだろうと思った。結局罰ゲームと言っても陽介だけが罰を受けたようなもんだが、そのことに考え及ぶ程の余裕は陽介には無かった。2時間以上京子の家でわいわい騒いで過ごしたが、薫を乗せた時の感触だけが残っていてあとは綺麗に忘れてしまった。
「陽介、薫のことどう思った?」
「カオルって?」
「昨日うちで会ったでしょう? 村井薫だよ」
「あ、村井さんか」
「何で村井さんなの」
「何でって?」
「私のことは木村って呼び捨てにする癖に、何で薫は村井さんなの」
「え? 呼び捨てにする程親しく無いから」
「ああ、そうね。その村井さんが陽介ともっと親しくなりたいらしい」
「何で?」
「何でって陽介分かんないの?」
「俺のこと好きだからかな?」
「ふん。しっょてんじゃ無いよって言いたいけど、それしか無いじゃない」
「嬉しいなあ」
「嬉しい? 陽介そんなに素直に感情を表現しちゃいけないよ。本当に無神経なんだから」
「どうして?」
「分からないの?」
「ニヒルじゃないからか」
「何それ」
「ニヒルに、俺は女なんか嫌いだって迷惑そうにした方がいいとか」
「それじゃホモになっちゃうじゃないの」
「そうか」
「可愛いと思った?」
「村井さん?」
「うん」
「うん」
「京子さんとどっちが可愛い?」
「京子さんって?」
「馬鹿。私の名前知らないの?」
「あっ、そうか」
「呆れた。呆れて物も言えない」
「だって『さん』なんか付けるから誰か他の人のことかと思った」
「薫が陽介ともう1度会う機会作ってって言うから断った」
「勿体無い」
「それだけ? 何だか人ごとみたいな言い方」
「だって断っちゃったんならしょうが無いじゃないか」
「電話番号教えてくれとか言わないの?」
「電話番号教えてくれ」
「陽介は少し自分の頭で考えて物を言いなさい」
「どうして?」
「どうしてってロボットじゃ無いんでしょ?」
「自分の頭で考えて電話番号教えてくれって言ったんじゃないか」
「私の言ったこと真似しただけじゃない」
「そんなことない」
「あの如何にも抜けたみたいに見えた男の子いたでしょう? あれって東京都で1番頭がいいのよ」
「へえー、何でそんなこと分かる?」
「だって去年も今年も学力テストで東京都1番の成績取ったんだから」
「へえー、凄いな。そんな奴っているのか」
「それは1番だって2番だっているに決まってるでしょ」
「あ、それはそうだね」
「もう1人の如何にも秀才そうに見えたのが大体東京都で10番以内って感じなのよ」
「それで俺を呼んだのか」
「え? 何で?」
「だって俺を入れて3人で平均すると標準的になるから」
「そうなるのは確かかも知れないけど、そのことに何の意味があるの?」
「さあー?」
「もう少し後先考えて物を言いなさい」
「木村と話してると俺疲れちゃう」
「ちょっと待ちなさい。何処行くの?」
「何処ってうちに帰るに決まってんじゃないか」
「薫の電話番号は要らないの?」
「あっ、そうだった。教えてくれ」
「暢気なのねえ。ちょっと話を逸らすともう忘れてんだから」
「思い出したから教えてくれ」
「どうせ教えたってうちへ帰る頃には忘れてるよ」
「だから紙に書いてくれ」
「紙に書いて渡したってそれを貰ったことを忘れてたら意味無いじゃない。ずっと後になって見つけてこれ何だろうって思いながら捨てるだけだよ」
「そうそう。そういうことって良くあるんだよな。この前試しにかけてみたら暴力団の事務所で驚いた」
「暴力団の事務所? 何でそんな番号持ってたの?」
「大分前に母さんと姉さんに叱られて癪に障って家出しようと思ったことあるんだけど、家出しても何処も行く所無いから暴力団にでも入ってやろうかと思って控えといたんだ。それを忘れてた」
「何でお母さんと姉さんに叱られたの?」
「さあー。忘れた」
「忘れた? 家出する程悔しい思いして忘れたの?」
「家出なんかしない。しようかなあって思っただけ」
「だから、それだけ悔しい思いしたのに何で叱られたか忘れたの?」
「うん。悔しかったから僕が間違ってた訳じゃないと思うけど」
「それでも何のことだったか憶えて無いの?」
「うん。大したことじゃなかったんだろ」
「大したことじゃなくて家出までしようと思うの?」
「だから、その時は大したことだったんだと思う」
「それでもう忘れたの?」
「うん」
「いいね、暢気で」
「暢気とは思わないけど、あまりくよくよしない方だから」
「そういうのを暢気って言うんじゃない」
「そうか」
「今度家出したくなったらうちにおいで。泊めて上げるから」
「有り難う。でも部屋はあるの?」
「部屋くらいあるわよ。私の部屋だってあるし」
「そしたら木村は何処に寝るの?」
「一緒に寝てもいいし」
「母さんと?」
「何で私が母さんと寝るのよ」
「だって一緒に寝るって言うから」
「陽介と一緒に寝るって言ったの」
「俺と?」
「嬉しい?」
「うーん」
「何考え込んでるの。冗談よ。それにしても薫が陽介を好きだって言った時のあの嬉しそうな反応と全然違うね」
「あっ、電話番号聞くの忘れてた」
「私の言ったこと聞いてた?」
「何?」
「私と一緒に寝るって言われて嬉しくなかったの?」
「だって冗談だって言ったじゃないか」
「その前に考え込んでたじゃない」
「だから冗談で言ってるのかどうか考えてた」
「それじゃ冗談じゃ無いって言ったら喜ぶ?」
「うーん」
「もういいわ。薫の番号は教えても無駄だから陽介の番号を薫に教えといた」
「うちの電話番号?」
「そう」
「何で知ってんの?」
「名簿に書いてあるじゃない」
「あ、そうか」
「電話掛かってきたら秘密にしたら駄目よ」
「秘密になんか出来ないよ。うちの電話茶の間にあるんだから」
「馬鹿。私に秘密にしないで教えなさいっていうこと」
「ああ。何で?」
「秘密にしたいの?」
「別に」
「それなら教えなさい。電話のあった次の日に直ぐ言うのよ。そうで無いと陽介忘れるから」
「土曜日だったらどうする?」
「そしたら月曜日でいいじゃない。あ、待って。それより電話が終わったら直ぐ私に電話かけてきて。そうすれば忘れないから」
「電話番号知らない」
「名簿があるでしょ? 名簿に書いてあるよ」
「母さんに聞かないと分からないな」
「何が?」
「名簿が何処にあるか」
「そんなの自分で持ってなさいよ」
「自分で持ってるとなくすんだ」
「そうね。困ったもんだ」
薫からの電話はかなり経って陽介がすっかり忘れていた頃に掛かってきた。尤も翌日に掛かってきたとしても陽介は忘れていただろうが。
「陽介、室井さんって子から電話」
「室井? 何で室井が電話してくるんだよ」
「用があるんでしょ」
「あっちに用があってもこっちに用なんか無い」
「なあに? 仲が悪いの? いいから出なさい」
「もしもし」
「もしもし」
「お前って意外に可愛い声してんだな」
「えっ?」
「えじゃないよ。又車にぶつかったんだって? お前デカイ体してんだから縮こまって歩かないとみんなが迷惑するんだよ」
「陽介、何ですか。失礼なこと言うんじゃありません」
「全然。こいつがぶつかると車が壊れてこいつは怪我もしないんだ」
「もしもし、もしもし」
「あっ、何の用だ」
「あのー、村井薫ですけど」
「ムライカオル? あーっ」
「お久しぶりですけど憶えていますか?」
「お、お、おぼ、憶えてます」
「私の声って可愛いですか?」
「え、ええ。とっても」
「それで、意外に可愛いってどういう意味なんですか?」
「それは、その・・・凄く可愛いっていう意味です」
「フフフ。私のこと室井さんと間違っていたんでしょう?」
「そ、そうなんだ。姉さんの馬鹿が室井さんから電話だなんて言うから」
「誰が馬鹿なの」
「お陰で偉い恥かいただろ。室井ってのは女子プロレスで、村井っていうのはミスユニバースなんだ」
「陽介それみんな電話の向こうに聞こえてるよ」
「え? あっ、ちょっとあっち行っててくれよ」
「テレビ見てるんだもん」
「それじゃ話しかけるなよ」
「ほら、いつまで待たせてるの?」
「あっ。もしもし」
「はい」
「あのー、待たせて済みません」
「いいえ。ミスユニバースは木村さんでしょう?」
「え? あ、あいつは唯の高校生だから」
「厭だ。私も唯の高校生よ」
「え、ええ。そうなんだけど」
「あの、もうすぐ戸山くんの誕生日でしょ?」
「僕の?」
「ええ」
「そうだけど何で知ってるの?」
「木村さんに聞いたの」
「何で木村が知ってんだろう」
「そうね。それでね、良かったら今度の日曜日に会いたいと思って電話したの」
「うちは誕生日でも何もしないんだ」
「だから私がささやかなお祝いをして上げようと思って」
「ささやかなお祝いって?」
「誕生祝い」
「どんなこと?」
「それは秘密」
「でも困るな。うちは6人も集まったら入る所なんて無いんだ」
「あら。私だけ」
「村井さんだけなら何とか入れる」
「戸山君のうちじゃなくて外の方がいいんじゃないかと思うんだけど」
「うん。庭なら結構広いけど雨が降ったらどうしよう?」
「え? あ、戸山君のうちの庭じゃなくて何処か余所の場所でっていうこと」
「余所の場所って? あっ、何すんだよ、姉さん」
「もしもし。陽介の姉の聖子と申します。今度の日曜はうちで陽介の誕生パーティをやりますから、是非うちにおいで下さい。誰も来てくれる人がいないんで困っていたところなんです。余所へ行くのは、それから後で行けばいいでしょう?」
「え? ああ、初めまして。村井薫と言います。でも突然のことでお邪魔では無いでしょうか?」
「全然。陽介のお友達なら突然だろうが予約していようが、いつでも大歓迎ですから」
「有り難うございます」
「3時頃いらっしゃい。私がいろいろ作るからお腹空かしていらっしゃい」
「わあ、お姉さんの手料理ですか。素敵ですねえ、楽しみ」
「それじゃお待ちしてます」
「あっ、何で切っちゃうんだよ」
「あっ、いけね」
「いけねじゃないだろ」
「自分の友達と話してるような気になっちゃって、ご免ご免」
「俺の誕生パーティなんかいつやることになったんだよ」
「今」
「突然そんなこと決めるなよ」
「可愛い陽介の誕生日だもの、何かしなきゃ」
「今までしたこと無いじゃないか」
「だから偶にはしないとね」
「姉さんが作るって何作るんだよ」
「何がいい?」
「何がいいって、何が作れるんだよ」
「何でも」
「何でも?」
「フランス料理からハワイアンまで」
「ハワイアン? ハワイアンって何?」
「バナナ」
「バナナ? それって料理じゃ無いじゃん。唯の果物じゃないか」
「格好良く切って皿に盛ればそれでも料理になるんだよ」
「じゃフランス料理は?」
「それは今から本見て研究しないと」
「頼りないな。そんなの食えるのか?」
「フランス人形作るんじゃ無いから食えるさ」
「どっか外から買って来た方がいいんじゃないか」
「何を?」
「何かコンビニで適当に」
「パーティにそんな物出せますか。それより1人じゃ寂しいからもう1人2人呼びなさい」
「もう1人2人って誰?」
「いつも来る加藤君でいいじゃない」
「もう1人は?」
「さっき言ってた木村君ていうのは?」
「あ、木村っていうのは女」
「それなら丁度いいじゃない。女2人男2人になる」
「でも木村が来ると騒々しくなると思う」
「いいじゃない。パーティなんだから」
「あいつ口が悪いから姉さん気を悪くすると思う」
「私は裏方だから関係無いの」
「あっ、そう言えば思い出した」
「何?」
「姉さん、俺の学校の名簿知ってる?」
「うん」
「ちょっとそれ出して」
「そこの抽出に入っているけど、どうして?」
「木村に電話しないといけない」
「何で? 明日学校で言えばいいじゃない」
「直ぐ電話しろって言ってたから」
「直ぐ?」
「うん」
「直ぐってどういう意味?」
「直ぐは直ぐだよ」
「だから何から直ぐ」
「あ、これだ」
「何から直ぐ?」
「何が?」
「もういいわ」
「もしもし、僕戸山って言いますけど木村京子さんいますか」
「此処には木村しかいないから、『京子さんいますか』でいいのよ」
「あっ、木村か」
「どうしたの? 薫から電話でも来たの?」
「うん、それが来たんだ」
「えっ、訪ねて来たの?」
「違う。電話が来たんだ」
「何だ、びっくりした」
「それじゃ切るよ。知らせたから」
「ちょっと待ってよ」
「あ、そうだ。忘れてた。今度の日曜のえーと、姉さん何時だっけ?」
「3時」
「3時に来て下さいって」
「何処に?」
「うちに」
「戸山くんのうち?」
「決まってるだろ。庭でやる訳無いだろ」
「庭?」
「だから雨が降ってもやるから大丈夫だ」
「やるって何を?」
「誕生日だよ」
「戸山君の誕生日月曜じゃなかった?」
「良く知ってるな」
「だって戸山君から聞いたもの」
「そうだっけ?」
「誕生日に何やるの?」
「何やるか来れば分かる」
「人の真似するんじゃ無いの」
「え?」
「他に誰が来るの?」
「だから村井さん」
「他には?」
「加藤」
「他には?」
「木村」
「その他には?」
「それだけ」
「何で今まで黙ってたの?」
「何が?」
「今日だって昨日だって学校で会って話したのに何で薫の電話の後でそんな話するの?」
「そんな話って?」
「だから誕生パーティの話」
「だって今決まったんだもの」
「薫がそうしようって言ったの?」
「姉さんが言った」
「お姉さんが?」
「うん」
「まあいいわ。行くことは行くけど明日詳しく話聞かせてね」
「詳しくって言ったって話は今言ったので全部だけど」
「いいの。それじゃ明日ね」
「うん」
翌日陽介は学校で京子から尋問を受けた。
「昨日薫から何時頃電話があったの?」
「さあ、俺、木村のうちに何時頃電話した?」
「7時半」
「それじゃそのちょっと前」
「何て言って来たの?」
「何てって・・・」
「2人が喋ったとおりに話してごらん。要約したりしないで」
「だから、もしもしって」
「うん、最初は誰でも、もしもしだよね。それで?」
「それで・・・」
「待って、最初に電話に出たのは陽介なの?」
「あ、違う。姉さんが出ておかしくなったんだ」
「どういう風におかしくなったの?」
「姉さんが『室井から電話だ』って言うから」
「『室井から電話』だなんて言う訳無いでしょ? 『室井さんから』とか『室井っていう子から』とか言ったんでしょ? 省略しないで喋ってごらん、思い出して」
「『室井さんって子から』って言ったのかな」
「うん。それで?」
「だから『あいつが俺に何の用なんだ』って言ったら『いいから出なさい』って」
「それで陽介が出て何と言ったの?」
「えーと。『今度の日曜にささやかなお祝いをしよう』って」
「省略すんじゃ無いの。佳枝から電話が掛かってきたと思ってたんでしょ? 声で直ぐに間違いが分かったの?」
「ああ、分かんなかった。可愛い声してるから『お前って意外に可愛い声してんだな』って言った」
「そしたら何だって?」
「『有り難う』って」
「それから?」
「『今度の日曜にささやかなお祝いをしよう』って」
「それで何と答えたの?」
「『うちはそういうのやんない』って」
「佳枝にそう答えたの?」
「室井じゃ無い。村井さんだったんだ」
「いつそれが分かったの?」
「『室井さんと間違えてるでしょう』って言ったから」
「それで分かったのか」
「うん。どうも声が室井にしては可愛い過ぎると思ったんだ」
「それでどうしてうちはそういうのやらないのに、やることになったの?」
「姉さんが電話取って急に決めたんだ」
「姉さんが電話取って?」
「うん」
「姉さんが横にいて聞いてたの?」
「テレビ見てたけど聞こえるんだ。うちの電話感度がいいから」
「なるほど分かってきた。女の子から電話が来たんで姉さん聞いてたんだ」
「そうなのか。テレビ見てるんだって言ってたけど聞いてたのかもしれないな」
「それで女の子とデートしようとしているからそれならどんな子か見てやろうっていうんで、家に呼んだのね」
「あ、そういうことなのか」
「どういうことだと思った?」
「どういうことかと思った。急に電話横取りして『パーティやるのに誰も来てくれなくて困ってる』なんて言い出すから頭がおかしくなったのかと思った」
「それで何で加藤君と私を呼ぶことになったの?」
「姉さんが1人じゃ寂しいからもう1人2人呼びなさいって」
「それで陽介が私と加藤にしようって言ったの?」
「姉さんが決めた」
「姉さんが? お姉さん私のこと知ってるの?」
「ううん。男と間違えてた」
「何で私のこと男と間違えてたの?」
「俺が木村って言ったからだろ」
「陽介が『木村にしよう』って言ったの?」
「ううん、姉さんが『その木村って子は?』って言うから、それは女なんだって言った」
「『その木村って子は』って何でそういう言葉が出てくるのよ」
「だから俺の電話聞いてたんだろ」
「電話で喋ってる時私の名前を出したのね」
「うん」
「何で?」
「さあ? いけなかったか?」
「いけなくないけど、薫と陽介で私のこと話題にして何か言ったんでしょ?」
「さあ?」
「それでなきゃ私の名前は出てこないでしょ?」
「あそうだ、『何で俺の誕生日知ってる』って言ったら『木村に聞いた』って言うから」
「ああ、そうか。やっと分かった」
「でも木村何で俺の誕生日知ってるの?」
「電話でも言ったでしょ? 陽介から聞いたんじゃない」
「そうだっけ」
「そうなの。まあ、薫と陽介の2人で決めたんじゃ無いってことが分かったから気分良く行けるわ」
「何が?」
「誕生パーティでしょ」
「俺と村井さんで決めると気分が悪いの?」
「それはそうよ。そうでしょ?」
「どうして?」
「うーん、まあいいわ。何か作って持っていく?」
「何かって?」
「料理」
「あ、それは姉さんが作るって」
「お姉さん料理得意なの?」
「フランス料理からハワイアンまでだって」
「それは凄い。ハワイアンなんて何処で習ったのかしら」
「バナナ切って皿に盛るだけだって」
「えっ、それがハワイアン? それじゃフランス料理は?」
「それはこれから本読んで研究するって」
「あーあ。やっぱり陽介のお姉さんねえ」
「やっぱりって何? 誰の姉さんだと思った?」
「ううん。私少し早めに行って料理するの手伝おうかな」
「木村料理出来るのか?」
「失礼ね。料理くらいは出来るわ」
「木村んち母さんが料理苦手なの?」
「何で?」
「だって『女の癖に料理が出来ないのか』って言ったら『料理は主婦の役割だから未婚の乙女は出来なくて当たり前』って姉さんが言ってたんだ」
「なるほど、そういう考えもあるんだ」
「木村何作れるの?」
「日本料理から中華まで」
「へえ、凄い」
「別に」
「日本料理ってどんな?」
「おしんこ」
「おしんこ?」
「おしんこは外国料理じゃ無いでしょ」
「じゃ中華は?」
「カップラーメン」
「カップラーメンを作るの?」
「うん」
「それは凄いな。バナナとおしんこなら俺でも出来るけど」
「カップラーメン作るって何のことだと思ってんの?」
「だからカップラーメン」
「はぁーん。カップラーメンを作るんじゃなくて、カップラーメンを買ってきてそれを食べれるようにお湯を注ぐこと」
「え?」
「陽介はカップラーメン食べたこと無いの?」
「あるよ」
「自分でお湯を入れるんじゃなくて誰かにやって貰うの?」
「それくらい自分でやるよ」
「だからそれ」
「それって?」
「もういいよ。陽介相手にジョーク飛ばすと後で説明するのに疲れちゃう」
「姉さんも時々そう言うな」
「後でお姉さんに電話して相談してみるわ」
「何を?」
「だから手伝うかどうか」
「そんなことするよりコンビニで何か買った方が早いんじゃないか」
「そんなの駄目」
「そうかな。結構安くて美味いのがあるんだよ」
「陽介は主役だからそんなこと心配しないでいいの」
「そうか。それじゃまかせる」
「そう、それでいいの」
日曜日はいつも陽介は遅くまで寝ている。朝早くからサイクリングに行くこともあるが、大体昼前に出かけて疲れると帰ってくるというのが、洋介のパターンである。普段と違って起こされることが無いから遅くまで寝ている。普段も起こさなければ遅くまで寝ているに違い無い。たっぷり寝て気分良く起きていくと台所に若い女がいた。姉さんと2人並んでこちらに背を向け、ガス台の前で何か話している。
「誰?」
「あ、おはよう」
「あれえー、木村じゃ無いか」
「そうよ」
「そんな格好してるから何処の女かと思った」
「あ、これ? どう?」
「どうって?」
「似合う?」
「何だか女みたいに見える」
「それどういうこと。普段は男に見えるの?」
「あ、違うけど」
「いつもセーラー服だから意識しないけど、私服着ると急に女っぽく感じるっていうこと。だな? 陽介」
「うん」
「そうか。この前うちでやった時もセーラー服着ていたからね」
「そんな服持ってたのか」
「セーターとスカートくらい持ってるよ」
「何時に来たの?」
「10時」
「おしんことバナナ作ってんの?」
「何おしんこって?」
「あ、いえ。こっちの話です。陽介君そうじゃないのよ。もっと良いもの作ってるからね」
「何か調子狂うな」
「何が」
「木村が陽介君なんて言うからだ」
「どうして? 陽介っていう名前でしょ?」
「いつも陽介って言うじゃないか」
「そうか。今日は誕生パーティだから格上げしたの」
「それじゃいつも誕生パーティだといいな」
「どうして? 陽介って呼び捨てにされると気分悪いの?」
「特にそんなことも無いな」
「陽介は陽介でいいの」
「俺お腹すいた。姉さんバナナ1本くれ」
「バナナなんか無いよ」
「何で? ハワイアン料理作るんじゃ無かったの?」
「あれはジョークだよ」
「何だ。結構美味そうだと思ったのに」
「フルーツ・サラダは作ったよ」
「じゃそれでいい」
「駄目。皆が来た時に食べるんだから、パン食べなさい」
「うん」
「あっち行って食べるのよ」
「何で?」
「見てるとやりにくい」
「何か汚いことするなよ」
「何? 汚いことって」
「見てないと思って落っことしても又拾って入れるとか」
「陽介じゃあるまいし」
「いつもやってるじゃないか」
「人の前でそういうこと言うんじゃないの」
「いえ、私も良くやるんです、そういうの」
「勿体無いもんね」
「ええ」
「しょうがねえな」
「死にはしないよ」
「はい。少しだけフルーツ・サラダ持ってきてやったから、パンと一緒に食べなさい」
「おっ、美味そうだな」
「あの子いい子じゃない。全然口が悪いってことなんか無い」
「まあ姉さんよりはいい」
「騒々しくも無いし」
「姉さんよりは静かだ」
「馬鹿。サラダ返せ」
「大人げないこと言うな」
「陽介が言わせるんだ」
「陽介君、私のこと口が悪くて騒々しいって言ってたんですか?」
「あ、盗み聞きしたな」
「盗み聞きしなくても聞こえるもん」
「普段は口が悪くて騒々しいだろ」
「まあ。いやあね。ホホホ。その件については明日ゆっくり話しようね」
「何で?」
「私のいない所でじっくりとっちめようって言うんだよ。遠慮しなくていいのに」
「あ、いいえ。可愛がってあげるんです」
「子供だからね。十分可愛がって鍛えて頂戴」
「子供だから可愛がるっていうのは分かるけど鍛えるってどういうこと?」
「明日になれば分かる」
陽介が食事を終わると既に1時で、京子と姉さんも流石に腹がすいたらしい。食べ終わった陽介と同じパンとサラダの食事をしている。
「今日は妹さんはどうしたんですか?」
「母さんと京都に行ってる」
「親戚か何かですか」
「違うの。修学旅行の時に盲腸で入院していて行けなかったので、母さんが治ったら連れていくと約束していたの」
「ああ、1人だけの修学旅行ですか」
「そうね」
「あのさあ、どういう風に鍛えれば車とぶつかっても怪我しないようになれるんだろ?」
「何の話?」
「私の友達が車にぶつかって怪我しなかったんです」
「あ、何とか言う子ね、電話で言ってた」
「うん、室井って奴」
「余程体を鍛えてるんでしょ」
「別に鍛えてはいないんじゃないかな。唯異常にデカイけど」
「当たり所がたまたま良かったんです」
「何処?」
「後ろから当たられてお尻に当たったのよ」
「あいつのケツだったら車の上の方に当たったということになるのかな」
「私とふざけてて私がどついたら佳枝がよろけた振りして腰突きだしてふらふらって下がって行ったのよ。そしたらそこにぶつかって来たの」
「へえ、それで車の何処に当たったの?」
「急ハンドル切ってよけようとしたらクルッと回転しちゃって後ろのドアの辺りがドンって佳枝のお尻にぶつかったの」
「それで車はどうかなったの?」
「だからドアが少し凹んだ」
「あー、思い出した。陽介が女子プロレスって言ってた子か」
「そうそう」
「本当に女子プロレスに負けないくらい大きいんです」
「2回目は?」
「2回目なんて知らない」
「車がぐちゃぐちゃにつぶれたらしいぞ」
「嘘よ。噂でしょ。そんなことあれば私が佳枝から聞いてるもの」
「そうか? あいつが又車にぶつかって今度は車が大破したって噂だったから」
「誰がそんなこと言ってたの?」
「誰がってみんなが」
「みんなって誰?」
「さあー、だからみんな」
「あんまり佳枝を虐めちゃ駄目よ」
「どうやったらあいつを虐められるんだよ。あの化け物を」
「体は大きくても優しい心の持ち主なんだから」
「何処が優しいんだよ。前に男を3人くらいまとめて袋叩きにしてたことがあるじゃないか。3人で1人を袋叩きにするっていうんなら分かるけど、1人で3人を袋叩きにしちゃうんだからな。しかも女が男を」
「あれはね、3人で私のこと虐めてたから佳枝が怒ってちょっとたしなめてくれたのよ」
「たしなめる? ああいうのもたしなめるって言うのか?」
「まあ丁寧に表現すると」
「凄い子なんだね」
「凄いなんてもんじゃない」
「さて、誰か持ってきて無い子がいると悪いから先に渡しとくね」
「何これ?」
「誕生日のプレゼント」
「誕生日のプレゼント?」
「開けてごらん」
「ウォオオオオー」
「気に入った?」
「気に入った、気に入った。前から欲しくて夢に見てたんだ。これ高かっただろ」
「大したこと無いよ」
「でも俺の欲しい物良く分かったな」
「そんなの分かってるよ。いつも自転車屋でウィンドウにおでこくっつけて見てたじゃない」
「そうか。これがあると何処でも行けるんだ」
「それ何?」
「空気入れだよ」
「そんな小さいの?」
「小さくても大丈夫なんだ。これを自転車に付けておけば何処でパンクしても大丈夫なんだ」
「パンクも直せるの?」
「パンクを直すのは又別。そんなのはゴムとゴム糊があればいいんだ。でもパンク直した後又空気入れないといけないだろ」
「そうか」
「俺誕生日のプレゼントなんて生まれて初めて」
「喜んでばかりいないでお礼を言いなさい」
「あ、そうだ。木村さん有り難う」
「あら、木村さんになっちゃったのね」
「うん。俺って木村のこと大好きだよ。今分かった」
「あら、随分現金なこと」
「ちょっと自転車に付けてくる」
「本当に子供なんだから」
「お姉さんは随分感じが違いますね?」
「陽介と?」
「いえ、雑誌で見るのと」
「ああ、あんなのは作り物だから。寄ってたかって綺麗にするんだから誰でも美人になっちゃう」
「そんなこと無いですよ。私もモデルになりたいな」
「木村さんは私よりずっと綺麗だからなれるんじゃないの」
「本当ですか?」
「うん。良かったら事務所に紹介しようか」
「そうですねぇー。まあいろいろ考えて、その時は宜しくお願いします」
「うん。でもあんなのはいい仕事じゃないよ」
「そうなんですか?」
「撮影になるとモデルなんて唯の物扱いだから」
「はぁー、そういうもんですか」
「そう。それで儲けるのは事務所だけ。だからみんな裸みたいな格好させられてもテレビに出たがる。テレビなんかちょこちょこっとメイクして短時間で終わっちゃうから数こなせるのよ」
「そう言えばお姉さんはテレビにはあんまり出ませんね」
「1度出て懲りた。此処でおっぱいポロッと出して下さい、わざとじゃなくて自然に出たって感じに、なんて言われるんだ。馬鹿言ってんじゃ無いよって言ったら大騒動になって後始末が大変だったって事務所がぼやいていた」
「そんなことさせられるんですか」
「そう、モデルもAV女優も皆一緒くたよ」
「それは厭ですねぇ」
「そう、だからテレビには出ない。別に金に困ってる訳じゃないし」
「でももうちょっと頑張れば有名になってスターになれるんじゃないですか」
「今だって街歩いてるとサインしてくれなんて言われるのに、これ以上有名になりたいなんて思わない」
「そうですか」
「あ、誰か来た」
「ご免下さい。あらっ」
「待ってたわ」
「木村さんじゃない」
「うん。まあ上がって。こちらは陽介君のお姉さん。雑誌で見たことあるでしょう」
「あ、いつも雑誌で拝見してます」
「写真とだいぶ違うでしょ」
「ええ。実物の方がずっとお綺麗」
「そんなことは無い。まあ上がって」
「はい」
「木村さんが来てるとは思わなかった」
「うん。黙ってたの」
「やっぱり学校が違うのはハンディが大きいわね」
「そうよ。私は毎日会ってるんだから」
「陽介君は?」
「今自転車の所に行ってるって言うから庭だと思う」
「陽介っ」
「あら、加藤君もいる」
「本当だ。何時の間に」
「加藤君」
「ほい。おっ木村か。その後ろにいる可愛い子は誰だ?」
「私の友達の村井さん」
「へえー。木村は室井みたいな引き立て役しか友達にしないのかと思ってた」
「馬鹿言うんじゃ無いの」
「2人とも全員揃ったから、早く手を洗って上がって来なさい」
「うん。どう?」
「何が?」
「いいだろ?」
「だから何が?」
「空気入れだよ。此処に付いてるだろ」
「ああ。良かったね」
「何かだるまに目玉を書き入れたみたいに見えるだろう」
「だるま?」
「うん」
「さあー。自転車にしか見えない」
「当たり前だよ」
「いいから早く来なさい」
「うん」
「2人とも子供なんだから」
「男の子ってそんなもんですよ」
「あら、うちの学校の男の子なんて色気づいていて可愛くないのばかり」
「薫の所は進学校だからだよ」
「そうかな」
「村井さんですか。俺加藤。加藤清正の加藤」
「加藤茶の加藤でしょ」
「これは木村京子、京唄子の京と子」
「馬鹿。薫は私の友達なんだよ」
「そうか。陽介の友達の筈は無いと思った」
「あら、もう陽介君とはお友達なのよ、ね?」
「うん。親友」
「親友だぁー? いつから?」
「昔から」
「何で俺に黙ってたんだ」
「何を?」
「こんな美人の親友がいるなんて言ったこと無いじゃないか」
「お前美人は好きじゃないって言ってたから」
「そんなこと言ったか?」
「うん。木村が厭だって言った時」
「どんな時?」
「一緒に写真撮ってくれって言った時」
「あ、あの時か。俺そんなこと言ったかな」
「言ったよ」
「何で私と一緒に写真撮りたかったの?」
「兄貴がお前ガールフレンドいないのかって馬鹿にするから」
「それで証拠写真を見せようと思ったのか」
「うん。木村なら文句無いだろうと思って」
「それどういう意味」
「だから兄貴も木村なら文句の付けようが無いだろうと思って」
「ああそうか。ならそう言えば一緒に写真に撮られて上げたのに」
「もういいんだ」
「どうして?」
「もっと美人の友達が出来た」
「誰?」
「村井さん」
「まだ会ったばかりじゃない」
「でももう友達」
「2人とも女は顔じゃないの。美人だ美人だって騒いでるとブスと結婚することになるんだよ」
「そんな、姉さんみたいな美人が女は顔じゃ無いって言っても駄目ですよ」
「女は心なの」
「それじゃ男は?」
「男は度量だね」
「度量って?」
「心が広いってこと」
「それじゃ俺心が広い」
「どうして?」
「大抵のことは気にしない」
「そういう単純なことじゃないの」
「でもそれも度量の一種かも知れませんよ。陽介君みたいに大ざっぱな性格はチマチマした男よりずっといいですから」
「俺って大ざっぱなのか?」
「まあそうだな。大ざっぱと言うより血の巡りが悪いって言うか」
「それじゃ馬鹿みたいじゃないか」
「早い話そう」
「馬鹿にするな」
「まあまあ、今日は陽介君の誕生パーティーなんだから、そんなこと言ったら駄目よ」
「そうだ。お前何か持ってきたか?」
「何かって?」
「プレゼント」
「無い」
「無い?」
「だって誕生パーティーなんて言わなかったじゃないか。ただ来いよって言うから来ただけだ」
「そうか」
「陽介。誕生パーティは来てくれるのが1番のプレゼントなのよ。私の時だって陽介何も持って来なかったじゃない」
「そうか。忘れてた」
「忘れてたってお前いつまで忘れてんの」
「それじゃ今度プレゼントしてやる」
「来年?」
「違う。今度金貰ったら」
「いいよ。気持ちだけで」
「そうはいかないよ。あんな物貰ったんだからな」
「それじゃ陽介君私からもプレゼント」
「えっ。村井さんまでプレゼントくれるのか」
「うん。気に入って貰えるかな」
「ウヘー、これサイクリング・パンツじゃないか」
「サイクリングが好きだって聞いたから」
「ウヒャー」
「サイクリング・パンツって唯のタイツじゃん」
「馬鹿。ここにパットが入ってんだろ。ずっと座ってっとケツが痛くなるからパットが入れてあるんだ」
「なあるほど」
「早速サイクリングに行かないといけないな」
「陽介喜んでないでお礼」
「あ、有り難う村井さん」
「喜んで貰えて嬉しいわ」
「うん。喜んだ。村井さんの誕生日いつ?」
「残念ながらもう過ぎたの。4月20日だから」
「そうか。でも誕生日は毎年あるからね」
「そうね。来年は楽しみにしてていいのかな」
「いいよ。俺なんだって買ってやる」
「そんな金あんのかよ」
「だから持ってる範囲内で」
「いくら持ってる?」
「今は無い」
「いつも無いんだろ」
「たまにはある」
「陽介君2000円いつも持ってるようにって私が言ったでしょ?」
「2000円貰ったけど使っちゃった」
「だから使ったら又貰って補充しておきなさいって言ったでしょ」
「だから忘れた」
「駄目ね」
「木村さん陽介君の世話女房みたい」
「そうよぉ。いちいち世話してやんないとドジだから」
「いいわねえ。やっぱり同じ学校の強みねえ」
「村井さん、村井さんの世話は僕がして上げますから」
「何処の学校か知ってんの」
「何処ですか?」
「武蔵高校よ」
「それって何処にあんの?」
「何処でもいいの。加藤君の世話にはなりたくないって」
「そんな冷たいこと言わないですよね」
「そうね。お世話して下さい」
「ほらみろ。やった」
「お前世話するって何すんの?」
「だから何処か行く時エスコートしたり」
「それじゃ今度オペラ見に行くからエスコートして貰おうかしら」
「オペラって何?」
「オペラも知らないでエスコートなんて言うんじゃ無いよ」
「陽介君はオペラって知ってんの?」
「知ってるよ。うちにあるもん」
「え?」
「エ?」
「何のこと?」
「姉さーん。オペラって何処にあったっけ?」
「何で?」
「いいから出してよ」
「陽介の机の右の下から2番目に入ってる」
「そうか」
「お前自分の机の抽出の中身も姉さんに教わるの?」
「世話好きだから任せてんだ」
「私が時々整理しないと虫の蛹だの変の物入れておくのよ」
「虫が好きなんですか? 陽介君」
「木の実と間違えて拾ってきたみたい」
「生物は苦手だもんね」
「得意な科目なんて無いじゃん」
「これこれ」
「これはオペラ・グラスよ」
「これを使って見るのがオペラ」
「これを使って見る物?」
「分かった。バードウォッチング」
「分かってない。オペラって言ってんのに何でバードウォッチングが出て来んの?」
「鳥じゃないとしたら動物」
「2人ともあんまり無知をさらけ出すんじゃ無いの。うちの学校の恥になる」
「オペラって何?」
「歌いながらお芝居する西洋の芸術よ。蝶々夫人とかトスカとかって聞いたこと無いかしら」
「聞いたこと無い」
「ある訳無いじゃない、こいつらに」
「あ、お姉さん。こいつらは酷い」
「あんたと付き合ってるから陽介の程度が下がっていくんだわ」
「えっ、それは逆ですよ。僕が下がって行くんです、陽介のお陰で」
「お互いに脚引っ張り合ってんでしょ」
「まあそういうことにしておこう」
「気取ってんじゃないの」
「歌いながらお芝居するっていうとミュージカルみたいなもの?」
「そうね。あれは唄も踊りも現代的だけどオペラは踊りっていうのは余り無くて音楽はクラシック音楽なの」
「クラシック? それはいかんな」
「何でいかんの?」
「あれ聞いてると眠くなる」
「薫のエスコートなら我慢出来るでしょ?」
「時間はどのくらい?」
「そうね、2時間ちょっとかしら」
「それはいかんな」
「どれくらいなら我慢出来るの?」
「10分くらいなら何とか」
「10分で終わるオペラなんて無いよ」
「何かこう、もっと楽しくなるような映画とかにしないか」
「楽しくなるような映画って?」
「格闘技十番勝負とか」
「格闘技?」
「真剣勝負で面白いよ」
「ああいう乱暴なのは私駄目なの」
「それじゃ西部劇は?」
「大して変わりないじゃない」
「そうか?」
「それにオペラは予約してやっと取れた切符だから」
「いくらしたの?」
「1万5000円」
「えーっ。1万5000円? 1人?」
「そうよ。だってベルリン・ドイツ・オペラですもの」
「それって凄いのか?」
「凄いわよ。出演者やオーケストラは勿論のこと演出から舞台道具・衣装まで全部運んで現地のと同じのを日本でやるのよ」
「へえー、それは凄い」
「何が凄いか分かってるの?」
「良く分かんないけど凄い」
「薫、私と行こう。こいつらと行ったら1万5000円捨てるみたいなもんだ」
「そうね。木村さんが行けるならそれがいいけど」
「陽介は?」
「何が?」
「ベルリン・ドイツ・オペラ行きたい?」
「俺は駄目」
「何で?」
「クラシック聞いてると頭が痛くなるから」
「陽介君どんな音楽が好きなの?」
「うーん。あんまり無いんだけど」
「歌田カオルじゃなかったの?」
「あ、そうそうそれ」
「お前自分の好きな物くらい自分で答えろよ」
「自分で答えたじゃないか」
「木村が答えたんだろ」
「先に言われちゃっただけだ」
「陽介は歌田カオルが美人なんだって」
「えー、あれの何処が美人なんだよ」
「何処って顔が」
「だから顔の何処が?」
「顔の何処って言われるとちょっと分からないけど」
「村井さんとどっちが可愛い?」
「厭だ。木村さんやめて」
「そんなの問題になんないよな」
「うーん」
「何考えてんの?」
「やっぱり村井さんかな」
「そんなの考える程の問題じゃ無いだろ」
「うん」
「加藤君は誰が好きなの?」
「歌手で?」
「歌手でも何でも芸能人で」
「夢野マリアかな」
「誰? それ」
「女優」
「女優? どんな映画に出てる?」
「映画には出てない」
「テレビ・ドラマ?」
「ビデオ」
「ビデオ?」
「アダルト・ビデオ」
「馬鹿」
「可愛いよなぁ」
「うん。おっぱいが大きいんだ」
「あんた達いい加減にしなさい」
「陽介、アダルト・ビデオなんていつ見たの?」
「見て無い。雑誌の広告で見ただけ」
「見たら駄目よ」
「18になってないから?」
「20まで駄目」
「でも18歳未満禁止って書いてありますよ」
「加藤君じゃないの。陽介のこと」
「僕は18になっても駄目なの?」
「そう」
「何で?」
「陽介は人より2才くらい発育が遅れてるから」
「だからそういうの見ないと余計発育が遅れる」
「そういう時だけ屁理屈が達者になる」
「陽介君おっぱいの大きい人が好きなの?」
「うん」
「何で?」
「何でって?」
「そんなの大きいのがいいに決まってんじゃん、ナア?」
「あんた達2人とも子供なのよ」
「何で?」
「大きいおっぱい見るとお母さんのおっぱい思い出すんでしょ」
「母さんのおっぱいなんて憶えていない」
「無意識の幼児記憶って奴よ」
「木村だってデカイじゃん」
「私のことはいいの」
「村井さんは小さいね」
「あら失礼ね。木村さんよりは小さいけど標準よりは大きいのよ」
「女の子のおっぱいなんか見るんじゃないの」
「だって見えちゃうもん、ナア?」
「うん」
「顔見てなさい」
「木村の顔なんて見飽きた」
「まあ。陽介空気入れ返せ」
「あっ。嘘嘘。木村さんの顔は美人過ぎて眩しい」
「今更遅い」
「木村さんの顔を見飽きたなんて言うと罰が当たるわよ。うちの学校の男の子なんか木村さんの話ばっかりなんだから」
「何で? 何で木村のこと知ってるの?」
「だってこの前バレーの対抗試合に来たじゃない」
「へえ。勝ったの?」
「当たり前。この京子さんのジャンピング・スパイクは超高校級なんだから」
「ジャンピング・スパイクなんて出来るの?」
「出来るわよ」
「大きいおっぱいが揺れて邪魔じゃない?」
「ちゃんと抑えてるから大丈夫なの。変なこと心配しないでいいの」
「片手で押さえて片手でスパイクするの?」
「馬鹿。陽介はセックスしようとか一緒に寝ようって言っても全然興味示さない癖におっぱいの話になると俄然興味を示すね」
「木村さんそんな話をしてるの?」
「うん。陽介からかってると面白いから」
「いいわねえ。私も転校しようかしら」
「村井さん、セックスの話なら僕がいくらでも聞きますよ」
「あんたじゃ駄目なの」
「陽介は巨乳が異常に好きなんだ」
「そんなこと無い」
「そんなことあるでしょ。巨乳事典なんて本持ってたからまだ早いって取り上げたのよ」
「そんな本があるんですか?」
「あるの。顔も腹も写ってなくてただ胸だけ大写しにした写真が50枚あって怒濤の巨乳100個なんて書いてあんの」
「お姉さんも巨乳だから陽介君も巨乳が好きなんじゃないですか」
「そうねえ。母さんも大きいし」
「やっぱり子供なんだわ」
「そんなこと無い。僕はおっぱいに女を感じるんだ」
「大体おっぱいっていう言い方からして子供なんだわ」
「じゃ何て言えばいいの」
「胸とか乳とか乳房とかいろいろあるでしょ。おっぱいっていうのは幼児語だよ」
「そうかなあ」
「その巨乳事典ってどうしたの? 買ったの?」
「うん。駅前の本屋で立ち読みしてたら買わされちゃったんだ」
「そんな本良く立ち読み出来るね。恥ずかしい」
「うん。恥ずかしかった」
「恥ずかしいっていうのは人並みに分かるんだ」
「うん。分かる」
「分かったら、そんなの立ち読みすんじゃないの」
「表紙につられちゃって」
「どんな表紙?」
「だから表紙も中身もおっぱいの拡大写真だけなのよ。顔が無かったら普通の男は面白いと思わないんだよ」
「顔は鑑賞の邪魔だ」
「それで私に興味示さないんだ」
「何で?」
「皆私の顔見て騒ぐのよ」
「うん。確かに木村さんは美人だよ。私よりずっと美人だ」
「厭だ。そんなことはありませんけど」
「女同士で褒めるんじゃないの」
「あんた達が気付かないみたいだからよ」
「でも陽介は村井さんのことミスユニバースって言ってたね」
「あら」
「まあ」
「それは別に顔のことじゃないよ」
「じゃ何のこと」
「体のこと」
「体? いやらしい」
「有り難う。私の体はそんなにいいとは思わないけど」
「体だったら木村の方がエロいんじゃ無いの?」
「エロいってのは何。AV女優じゃ無いんだから変なこと言わないの。大体加藤君に聞いてんじゃないの」
「へいへい。戸山君お答えしなさい」
「何を?」
「村井さんの体の何処ががエロいのか」
「馬鹿。そんなこと誰も聞いて無いよ」
「戸山君ジェスチャー・ゲームの後の罰ゲームで私が戸山君の背中に乗ったら震えていたでしょ?」
「え?」
「今時これくらいのことで震える高校生がいるんだなあって感心しちゃった」
「陽介震えてたの?」
「そんなこと無い」
「体に乗ったって何?」
「加藤君はいいの」
「僕にも乗ってくれないかな」
「漬け物石でも乗せてなさい」
「陽介、答えなさい」
「何を?」
「薫が背中に乗って震えてたの?」
「別に震えてない」
「どんな感じがした?」
「気持ち良かった」
「気持ち良かった?」
「どんな風に気持ち良かったの?」
「女の体って随分柔らかいんだなって思った」
「女の体って陽介のうち母さんと姉さんと妹と女ばっかりだろ?」
「だって触ったことなんて無い」
「当たり前よ。自分の姉妹の体に触ったりしたら変態よ」
「私の体が気持ち良かったからミスユニバースにしてくれたの?」
「別にそういう訳じゃないけど」
「木村の方がおっぱいデカイだろ?」
「でも村井さんも結構大きいんだ」
「何で知ってるんだよ」
「倒れた時背中に感じた」
「あっ」
「いやらしい。この」
「だってわざとじゃ無いからしょうが無いだろ」
「倒れた時背中におっぱい感じたってどんな状況でそうなったの?」
「おっぱいを背中にこすり付けて誰のか当てるゲームやったの」
「えっ? それやろう、今から」
「馬鹿。そんなゲームやる訳無いじゃない」
「だってやったんだろ?」
「冗談なんだよ、全く」
「村井さん背中に乗せて腕立て伏せしたら、最後に力つきて倒れたんだ」
「腕立て伏せ? それはいかんなあ」
「何で?」
「村井さんの1番大事な所が陽介の背中に触ったっていうことじゃないか」
「何想像してんの。厭らしい」
「陽介、後で背中に何か染みが付いて無かったか?」
「きゃー、厭らしい」
「馬鹿。そんなに染み付けて欲しかったら、私乗せて腕立て伏せしてごらん。おしっこしてやるから」
「おしっこは勘弁してくれよ。いくら木村のでもおしっこはおしっこだからな」
「加藤君なら泣いて喜ぶのかと思った」
「それが女の言うことかよ」
「あんたと話してると女だったこと忘れちゃうんだよ」
「俺も木村と話してると時々女だってこと忘れちゃう」
「え? それは陽介どういう意味?」
「ちょっとトイレに行くって言われると、あっ、俺も行こうなんてついて行きそうになることあるんだ」
「私陽介にいちいちトイレに行くなんて言うかしら」
「うん」
「それじゃ私も陽介と話してると気楽になってついそんなこと言っちゃうんだわ」
「いいわねえ。羨ましい」
「それじゃ僕と一緒にトイレに行きましょうか」
「あんたはいちいち言うことが厭らしいの」
「加藤はAV見て発育進んでるから」
「そういう発育はしなくていいの」
「そう言えばお姉さんはどうしたのかしら」
「寝てるんだろ。食べるとすぐ眠くなるらしい」
「へえ、陽介君と一緒だね」
「うん。姉弟だから」
「変な所が似るんだね」
「陽介君達といると何もゲームなんかしなくても楽しくて直ぐに時間が経ってしまうね」
「あ、本当にもう夕方だね」
「別にいいじゃない。何も予定なんか無いんでしょ?」
「村井さんと何処か余所に行かなければいけないんだ」
「陽介君、それは今度にしよう」
「今度でいいのか?」
「うん」
「余所って何処行くの?」
「さあ、俺は知らない」
「何処?」
「特に何処とは決めていなかったんだけど」
「それじゃ俺も行きたい」
「加藤君は邪魔なんだよ」
「陽介は木村と行けばいいじゃん。俺は村井さんと行くから。何だったら4人で行ってもいいし」
「そうか。それはいいね」
「4人で何処行くの?」
「何処がいい?」
「俺は当分都合が悪い」
「どうして?」
「休みの度にサイクリングに行くから」
「そんなの後にしなさい」
「でも空気入れとサイクリング・パンツがあるから」
「あるから何?」
「サイクリングに行かないと」
「1日くらい都合付けなさい」
「何処に行くの?」
「それはこれから決めるの」
「ねえ、何で私と加藤君の組み合わせになるの?」
「だってその方が絵になるじゃん」
「陽介は私がいろいろ面倒見ないと駄目だから」
「面倒見るって?」
「歩き方を教えたり」
「歩き方って?」
「片足ずつ交互に出すとか」
「馬鹿。そんなこと知ってる」
「でもいろいろあるでしょ。例えばさっき買った切符をどのポケットに入れたかとか私が教えないといつまでも探してたことあったじゃない」
「あ、そういうことは良くあるんだ。ポケットって沢山あるだろ?」
「そんなの決めとけよ。切符はどのポケットとか」
「そういうの決めても決めたことを忘れたら同じだろ」
「お前は馬鹿か」
「お前ほどじゃない」
「まあまあ。陽介君はつまらないことに拘らないから憶える気にならないだけだよね」
「うん。そうなんだ」
「それってつまらないことかよ」
「そうよ。キップなんて私が何処に入れたか憶えているからいいの」
「そんなら初めから木村が持っててやればいいじゃないか」
「そこまでするといつまで経っても大人にならないでしょ」
「早い話が陽介は子供なんじゃないか」
「木村さんちょっと陽介君の世話を焼き過ぎるんじゃないかしら」
「そうかしら」
「そんな風に見える」
「いいよ。村井さんの世話は俺が焼いて上げるから」
「あら、有り難う」
「ねえ4人でボーリングに行くっていうのはどう?」
「ああそれはいいわね」
「ボーリングなんてやったこと無い」
「やったこと無くても簡単よ。ただボールを転がすだけだから」
「あんなの簡単だよ」
「加藤君はやったことあるの」
「やったことは無いけど見たことある」
「あら。見てるのとやるのは大分違うのよ」
「ただ真っ直ぐ転がして真ん中に当てればいいだけじゃないか。プロは格好付けてカーブかなんか付けてるけどあんなの格好だけだろ」
「そうじゃ無いけど唯真っ直ぐ転がすのが思ったように行かないのよ」
「そうか?」
「陽介君ボーリングやろう」
「いくら?」
「え?」
「ああ、大して高くないわよ」
「ねえ、今度なんて言わないで今から行こう」
「うん。いいわね」
「俺姉さんに金貰ってくる」
「お金なら私が持ってるよ」
「でも空気入れ買って貰ったのに悪いから」
「陽介君お金は私が払うわ」
「村井さんが? 何で?」
「私お金持ちだから」
「俺の分は?」
「加藤君の分も木村さんの分も全部私が出して上げる」
「じゃそうしようか」
「いいのか?」
「うん。薫は本当にお金持ちなの」
「何か商売してるとか?」
「唯の高校生よ」
「お金拾ったとか?」
「お小遣いを貰ってきたの」
「いくら?」
「そんなこと陽介が心配しなくていいの」
「ひょっとして村井さんて金持ちなんじゃないの?」
「だからそうだって言ってるじゃない」
「だって1万5000円のオペラのキップ買ったって言ってたし」
「だからお金持ちだって言ってるでしょ。しつこいね加藤君」
「スゲェー。俺金持ちの友達って初めて」
「だから加藤君のお金じゃ無いんだよ」
「うん分かってるけど」
「何で村井さんお金持ちなの?」
「お父さんから貰ったからよ」
「そうか。うちは父さんっていないからな」
「だから貧乏なの?」
「いや。聞いたら別に貧乏じゃないって言ってた」
「誰に聞いたの?」
「母さんに」
「戸山君のお母さん何をしているの?」
「いろいろで良く分からない」
「いろいろって?」
「なんかのデザインしてるんだけど、いろんな物デザインしているから」
「へえ。凄いのね」
「凄いのかな」
「そうよ。デザインで食べていくなんて凄いことなのよ」
「その割には戸山は美的センスが無いんだよな」
「俺の美的センスは独特で人には分からないんだ」
「まあ、そういうことにしておこう」
「それでどうするの? ボーリング行くの行かないの」
「ああ、行こ行こ」
「ちょっと姉さんに言ってくる」
「私も挨拶しないと」
「それじゃ呼んでくる」
「あら、何?」
「寝てたんじゃないの?」
「今起きた」
「出かける」
「何処へ?」
「ボーリング」
「ボーングなんて出来るの?」
「やったこと無いけど簡単だって」
「そうでも無いけど、村井さんと行くの?」
「4人で行く」
「そう。余り遅くならない内に帰って来なさい」
「うん」
「ちょっと待ちなさい。小遣い上げるから」
「いいよ」
「持ってるの?」
「無い」
「それじゃ困るじゃない」
「村井さんが出してくれるって」
「陽介の分?」
「みんなの分」
「へえ。まあいいから持っていきなさい」
「うん」
ボーリングは経験の差がそのまま出て、女性軍が二人とも150点以上の点数を出したのに対して、男性軍は大体100点前後を記録した。薫はセーラー服だが京子は私服なのでスカートが短く、脚が眩しかった。京子はバレーの選手だからブルマ・スタイルを良く見ているのにスカートから覗く脚というのは又別で、陽介はドキドキしながらも目を離すことが出来なかった。薫は華奢な体の割には運動神経がいいようで、あるいは相当に経験があるのかスムーズで綺麗なフォームだった。4人で3ゲームやったのだから結構高いだろうと思って陽介は姉に貰ってきた金を出して薫に渡そうとしたが薫は笑っているだけで受け取らなかった。
「そのお金で木村さんと私に何か誕生日のプレゼントを買ってくれると嬉しいな」
「何がいい?」
「それは陽介君が考えて」
「うん」
加藤君はあれ以来積極的に薫を誘って何度かデートしたらしい。薫は金持ちの娘でしかも可愛いから付き合う相手に事欠きはしないが、余所の学校の生徒と付き合うというのはちょっと新鮮な感じがあって加藤君と付き合っているのだろうか。
「お前薫にプレゼントするの買った?」
「薫って?」
「薫っていうのは村井さんのことだろう」
「気安く薫なんて言うから誰か男かと思ったじゃないか」
「俺と薫はもう気安いんだ」
「え? もう気安いって?」
「あれから何度もデートしてんだぜ」
「へえー」
「お前木村とデートしてないの?」
「してない」
「何で?」
「何でって忙しい」
「何が忙しい?」
「サイクリング」
「サイクリングなんて1人でえっちらこっちら自転車こいで何が面白いんだよ」
「何がって説明出来ないけど、やってみれば分かる」
「あんなの疲れるだけじゃん」
「全然」
「まあいいけど薫にプレゼント買ったら俺が届けてやるから俺に渡せよ」
「うん」
「予算はいくらくらいなの」
「姉さんに5000円貰ったけど木村の分も買わないといけないから」
「そうすると2500円か」
「自転車のオイル買ったから全部は残って無いんだ」
「いくら残ってんの」
「4900円」
「何だ、100円か。それ位自分の小遣いの残りで買えないの?」
「残りが無かった」
「しょうがねえなあ。まあそうすると2450円か」
「おい、そこのデコボコ・コンビ」
「どっちがデコなんだよ」
「加藤君がデコに決まってるじゃない」
「それじゃ陽介お前ボコなんだ」
「デコちゃん、薫と頻繁に会ってるらしいじゃないの」
「うんまあな。会って欲しいって言うから」
「薫の話だと逆だけど」
「まあいろんなニュアンスがあるから」
「どうしたの陽介、お金なんか持って」
「こいつ姉さんに5000円貰って100円使っちまったんだ」
「何で5000円貰ったの?」
「だから木村と村井さんのプレゼント」
「あ、そうか」
「自転車のオイル買って100円使っちまったんだと」
「100円くらい持って無かったの?」
「無かった」
「駄目ねえ」
「まあ、お2人さんで宜しくやってくれや。俺は先に帰るから」
「薫と調子良くいってるもんだから、まあ」
「木村何が欲しい?」
「プレゼント?」
「うん」
「何がいいかなあ」
「分かんなくて困ってる。その内無くなっちゃいそうで」
「それじゃそのお金私によこしなさい。今度の日曜に一緒に買い物に行こう」
「お金は渡してもいいけど、今度の日曜は都合が悪い」
「何処か行くの?」
「うん」
「何処?」
「その時の気分次第だから分からない」
「サイクリング?」
「うん」
「呆れた。昨日電話したんだけど聞いた?」
「聞いてない」
「しょうが無いわねえ。やっぱり陽介のお姉さんだわ」
「姉さんが出たのか」
「うん」
「何の用?」
「別に用は無かったけど雨で退屈だったから電話してみたの。そしたら雨なのにサイクリングに出たっていうから呆れたわ」
「雨の時は走りにくいんだけど、それはサイクリングの宿命だから」
「何が宿命よ。風邪惹いたらどうすんの」
「風邪なんか惹かないよ。ちゃんとヤッケ着てるから」
「ヤッケ着たって首から雨が入って来るじゃない」
「首にはタオル巻いてヤッケのジッパーを締めとくから大丈夫なんだ」
「へえー。ご苦労さんなことね」
「別に。楽しみで走ってるから」
「それはそうね。まあ、今度の日曜は付き合いなさい」
「買い物?」
「そうよ」
「金だけ渡して木村に頼むっていうのじゃいけないかな」
「馬鹿。私が貰うプレゼントを私が買ってどうするのよ」
「駄目か」
「駄目」
「それじゃ付き合う」
「私が陽介に付き合うの」
「それじゃ付き合って」
「うん。付き合って上げるから」
日曜日に陽介と京子は中野駅で待ち合わせて一緒に新宿に行った。日曜の新宿は凄い人並みである。京子は陽介の手を握って歩く。陽介が恥ずかしがってふりほどこうとしても京子は離さない。
「陽介がふらふらして迷子になるといけないから手を握ってるの」
「何だか恋人同士みたいで恥ずかしい」
「恥ずかしいこと無いでしょ。みんな男と女は手を組んだりして歩いているでしょう」
「俺こういうのやったこと無いから」
「これから慣れなさい。私達だって恋人同士みたいなもんなんだから」
「おれと木村って恋人同士なの?」
「何か文句あるの?」
「姉さんに知れたら叱られそう」
「別に叱られないと思うわ」
「そうかな」
「巨乳事典なんか見てるより本物の女の子と腕組んで歩く方がよっぽど健全だよ」
「巨乳事典ってそんなに不健全かな」
「そうよ。おっぱいしか写っていないんだから、要するにそのモデルの人間性なんかどうでもいいと思って見てる訳でしょう? それは女性を物として扱っているのと同じことよ」
「なるほど。おっぱいだけじゃ駄目なのか」
「胸に関心が強いとか顔に関心があるとかってことはあるでしょうけど、それでも胸だけとか顔だけを見ていいだ悪いだって言うのは駄目。そういう見方は女性を馬鹿にしているの」
「ふーん。そうかなあ」
「そうよ。胸だけ写っている写真見てこの女の人はどういう人なんだろうなんて思わないでしょう?」
「うーん。そんなことは思わないな」
「ね。つまり女性として見ているのでは無いのよ。部分だけに関心を持つというのは」
「そうか」
「そう。陽介だってお母さんや姉さん、妹のことは好きでしょう? でも例えばお母さんの何処が好きなんだと聞かれても答えられないでしょう? 人を好きだ嫌いだというのはそういう風に全体的なものなの。何処が好きで何処が嫌いだということは無いのよ」
「そうだな」
「分かったらもう巨乳事典とか胸の写真とか見て喜ぶのはやめなさい。そんなに大きい胸がいいんなら胸の大きい人と付き合えばいいの」
「胸の大きい人って村井さんのこと?」
「馬鹿。私のことよ」
「そうか。良く考えたら木村って大きいおっぱいしてるんだな。全然気が付かなかったよ」
「一体何処見てたの」
「だってこの前うちに来た時姉さんが『私も母さんも胸が大きい』って言ってたけど、そんなこと言われるまで全然気が付かなかったもんな」
「そうか。それでいいのよ。その人の全体を見て好きになれば部分なんか特に気が付きもしないもんなのよ」
「うん。そうなんだね」
「顔が好きで結婚したのに交通事故で顔に傷が残ったからと言って離婚する人なんかいないでしょ? 胸が大きいから好きになって結婚したと言っても乳ガンで胸を切り取ったら嫌いになったなんて話は聞かないでしょう? 人を好きになるというのはそういうことなの」
「うん。あのさ、この間テレビで植物人間になった話をやってたんだ。麻酔のミスで死ななかったけど植物人間になっちゃって、それで奥さんは答えもしないし何の反応も示さないそのご主人に向かって話しかけてるんだよ。『動かなくてもこうして話を聞いてくれてると思えば、それだけでもいいんです。安楽死なんてとんでもありません』なんて言ってるんだ」
「うーん。それはそうかも知れないわね。私だってお父さんやお母さんがそうなったら同じように思うに決まってる」
「うん。人を好きになるって凄いことなんだなって思った」
「あのね。安楽死なんて殺人と一緒なのよ。私のお婆ちゃんて90過ぎまで長生きして私の子供の頃良く話をしたんだけど、お婆ちゃんはご主人を安楽死させているの。昔はもう助からないというと病院でそういうことやってくれたのね。今みたいにうるさいこと言う時代じゃなかったから。それでお婆ちゃんはいつもその話ばっかりなの。もう何十年も昔の話なのに『ああするしかなかったんだ、あれで良かったんだ』って言いながら目やにの溜まった目に涙浮かべてるの。でもそういうこと言うっていうのは後悔している証拠でしょ? 私お婆ちゃんは大好きだったけどその話を聞くのは厭だった、お婆ちゃんが可哀想で」
「うーん」
「さて、何を買って貰おうかしら」
「あ、そうだね」
「私ね。ブラジャーを買って貰おうと思ってるの」
「ブラジャーって下着のブラジャー?」
「上着のブラジャーってあるの?」
「え? 知らないけど」
「薫には何か別の物を私が選んで上げるからね」
「別のブラジャー?」
「違う。だから別の物。財布とか何か」
「木村ブラジャー持って無いの?」
「持ってるわよ」
「それじゃどうして?」
「いくつあったっていいでしょ、下着なんだから。陽介にブラジャー買って貰うのは特別の意味があるのよ、分かる?」
「さあー」
「下着なんて人に見せるもんじゃないから、陽介に買って貰えばそれは陽介以外の人は誰も知らないでしょ? だから陽介だけが知ってる私の秘密ってことになるの。それに陽介は大きなおっぱいが大好きだから私のブラジャー買えば私の胸がこんなに大きいんだって良く分かるでしょ?」
「うん」
「此処にしようか」
「俺此処で待ってる」
「陽介が選ばなきゃ意味無いじゃない」
「でもこんな店に入るの恥ずかしい」
「平気よ。見てごらん。ほら、カップルで買い物してる人だっているじゃない」
「でも俺厭だ」
「子供みたいなこと言わないの。隠れて巨乳事典なんか見てる方がよっぽど恥ずかしいことなのよ」
「うん。でも」
「デモもストも無いの」
「あっ」
「ほら。サイズは揃ってるから陽介はデザインと色を選べばいいのよ」
「何でもいい」
「何でもいいこと無いでしょ。色は何色が好きなの?」
「赤が好きだ」
「赤いブラね。何かの写真で見たのね」
「別にそうじゃ無いよ。写真なら黒だって白だってある」
「そうか。それじゃ赤にしよう。デザインはね、私の胸は大きいから限られてしまうんだけど」
「デザインなんてどうでもいい」
「そう。それじゃこのレースのでいい?」
「うん。それでいい」
「ちょっと待ってね。試着するから」
「えっ? ブラジャーなんて試着するのか?」
「そんな大きな声で言わないの。恥ずかしいでしょ。ブラって試着しないと駄目なの」
「それじゃ俺外で待ってるから」
「こっち来なさい」
「何処」
「この中で試着するから、陽介は此処で待ってなさい」
「俺外で待ってちゃ駄目か?」
「駄目。此処を動いたら駄目よ。分かった? 直ぐだから」
「うん。早くしてな」
「直ぐよ」
「・・・」
「其処にいる?」
「いるよ」
「どう?」
「あっ」
「似合ってる?」
試着室のカーテンを開けた京子は上半身裸でブラジャーをしているだけだった。京子は背の高い陽介と殆ど変わらないくらいの上背がある大柄な少女で日頃女を意識したことは無かったが、ブラジャーから透けて見える胸の膨らみやブラジャーのベルトに締め付けられている胸郭の柔らかな肉の盛り上がりなどは正に女そのものと言う以外に無い体であった。陽介が今までに見たどの写真にも負けないくらい大きな乳房であることはブラジャーをしていてもハッキリと分かった。制服の上からでも京子の胸が大きいことは知っていたが、こんなに大きいとは思わなかった。それにブラジャーの中央に出来た胸の谷間はクラクラする程魅力的だった。陽介は言葉に出して返事することも出来ず、ただ何度も頷いて似合っている旨返事した。
「それじゃもういいよ。私がお金払ってくるからお店の前で待っていて」
「うん」
「お待たせ」
「うん」
「陽介君どうも有り難う」
「うん」
「誕生日のプレゼントにブラジャー上げたなんて言ったら駄目だよ、誰にも。誰かから聞かれたら財布を上げたことにしておきなさい」
「うん」
「絶対よ。これは2人だけの秘密なんだからね」
「木村大丈夫なの?」
「何が?」
「そんなブラジャーしてたら母さんに変に思われないか?」
「派手だから?」
「うん」
「大丈夫よ。赤は初めてだけど黒とかブルーとかは前から持ってるから」
「黒なんて持ってるの?」
「持ってるよ」
「そういうのって普通の人がするもんなの?」
「するよ」
「そうか」
「どうして? 娼婦とかそんな人のするもんだと思ってた?」
「うん、まあ」
「今時黒だって赤だって別に普通だよ」
「そうなのか」
「そうよ。佳枝なんか大きすぎて可愛いデザインの物が無いからって白いの買って自分で染めて派手な色にしているよ」
「あいつはいいよ」
「あいつはいいよって?」
「あいつがブラジャーしてるところなんか想像もしたくない」
「何で。佳枝は大きいもん、ブラジャーしない訳にいかないのよ」
「だから、あいつはしててもしてなくてもそんなこと考えたく無い」
「何でそんなに嫌うの? 可愛い子なのに」
「何処が?」
「心が」
「全然そうは思わない」
「付き合おうとしないから分からないのよ」
「死んでも付き合いたくない」
「外見にとらわれているのよ」
「さっき全体を見ろって言ってたじゃないか。あいつなんか全体見るにはだいぶ離れて見ないといけない」
「まるで山みたいなこと言うのね」
「山みたいなもんじゃないか」
「今度佳枝に言って上げよう」
「やめてくれ。殺される」
「大丈夫よ。ちょっとたしなめるかも知れないけど」
「あいつのたしなめるは袋叩きにすることじゃないか」
「あれでも可愛いがってるんじゃないかしら」
「冗談じゃない」
「ね、さっきの店の店員の表情見た?」
「別に見なかった」
「高校生の癖に一緒に下着選んだりしていやらしいっていう顔していたわよ」
「そうか。そうだろな」
「でも楽しかったね」
「楽しいけど冷や汗かいた」
「あ、やっぱり楽しかったのか」
「うん。木村の体見た時は息が止まる程驚いた」
「何で?」
「だって想像もしたこと無かったから」
「結構いい体してるでしょう?」
「うん。凄いと思った」
「そんな? 有り難う。そう思ってくれたんなら見せた甲斐があった」
「俺もう木村と気安く話せなくなりそうな気がした」
「何で?」
「だって木村が突然美人に見えて来た」
「私って前から美人なんだよって何度も言ってるでしょ?」
「うん。だけど唯の冗談だと思ってた」
「じゃもう冗談じゃ無いことは分かったわね」
「うん」
「だったら私のこと大事にしないと駄目よ」
「大事にって?」
「陽介君自転車は好きでしょ?」
「うん。大好きだよ」
「だから自転車のこと大事にしてるでしょ?」
「うん。大事にしてる」
「私のことも同じように大事にすればいいの」
「掃除したり錆止め塗ったり?」
「そう」
「冗談で言ったのに」
「分かってるわよ。私に錆止め塗ってどうすんの」
「でも凄いおっぱいしていたな。驚いた」
「今まで気が付かなかったの?」
「だって見たこと無かったから」
「服の上からでも分かるでしょう?」
「分かんなかった」
「薫より大きいって分かった?」
「うん。分かった」
「写真なんか見るより実物見る方がよっぽどいいでしょう?」
「うん。でも写真が18才からなら実物はもっと年取ってからでないと駄目なんだろう?」
「そうね。だからもう少し年取るまでブラジャーの中身は見せて上げない」
「年取ったら見せてくれるの?」
「その時まで陽介が私のこと好きでいてくれたら」
「俺ずっと好きでいる。木村のこと前から好きだったんだ」
「本当? さっき胸を見たから好きになったんでしょう?」
「さっき胸を見て気が付いたんだ」
「何を?」
「俺って前から木村のこと好きだったんだって」
「本当かしら」
「うん。本当」
「単純なんだから。でもいいわ、有り難う。このブラは大切にするからね。洗う時も手で洗って痛まないようにするから」
「今してるの?」
「そうよ」
「そうか。何となく嬉しいな」
「そうお?」
「うん。俺が買ってやった下着身につけてるなんて、何かゾクゾクしてくる」
「来年陽介君が大学に受かったら、次の私の誕生日にはもっと小さい下着を買って貰うね」
「もっと小さいブラジャー?」
「違うよ。もっと大事な所に付ける下着」
「パンツか?」
「パンツはズボンのこと。下着はパンティ」
「パンティか。厭らしいな、何だか」
「陽介君の好きなパンティ穿いて見せて上げるからね」
「本当か?」
「うん。大学受かったらね」
「そうかあ。それじゃ俺明日から勉強しないとな」
「そうよ。俺だって下から数えれば1番だなんて言っていては駄目よ」
「うーん。俺もそろそろ頑張らないといけないとは思っていたんだ」
「そうね。ちょっと遅かったけど今からでも頑張ろうね」
「うん、なんだか俺」
「何?」
「木村のこと好きになった」
「有難う」
特に劇的なことが起こるわけでもない淡くて甘い青春のロマンスを描いたものですが、いい時代だったのだなという感覚を持っていただければ嬉しいと思います。