全ての望みを叶えてくれるジン
砂漠の中の壮大な宮殿
壁面のアラベスクが目玉のようににらみつけてくる
***
一人ぼっち 広い宮殿の中庭
花園の隅で 年老いて痩せた木に凭れかかる
遠くから甘い匂いと楽の音がする
ぼくの周りは茂った草葉に覆われ
無慈悲なほどに濃い空だけが広がる
その中を時折 鳥が飛んでいく
目を閉じると 思考が ゆっくりと止まっていくのがわかる
ここでぼくが消えても きっと何も変わらない そんな気がする
会ったこともないきょうだいは 一体何人くらいいるんだろう
どうということはないんだ 何の感慨も湧いてこない
いつも一人でいた
部屋の中でも 中庭にいても
夜も 昼も
一人でいると 時々思うんだ
ぼくの傍に 望みを叶えてくれるジンがいたらいいのに
そうしたら 心は軽く 楽しくなるだろう
でも そこでぼくは気付く
ぼくの 望みは 何だろう
望む物は与えられ 飢えに苦しむこともなく 夜露に濡れる心配もない
とくに不満はない筈だった
ぼくの 望みは
わからない
ジンは答えをくれるだろうか
午後の陽射しの中 鳥の声を聞きながら
ぼくは静かに意識を手放す
***
「ええ 幸い多く 若葉のように光り溢れる我が王子よ
わたくしが 主の願いを叶えましょう」
全ての望みを叶えてくれるジン
「主が望めば 黄金の如き栄光も 蜜の様な悦びも
この大地を埋め尽くすほどに 御身に注ぎましょう
若しくは父王の寵愛を 母上の健康を
主にかしずく何千何百もの家来や側女を
若しくはルビー サファイア エメラルド
色とりどりの輝く宝石 宝物 美女までも
若しくはこの地の涯まできこえる名声を 権力を
主の為の新しい国を」
言いながら ジンはぼくの目の前に
かわるがわるの 美しい幻を出してみせる
全ての望みを叶えてくれるジン
絢爛豪華な王宮 贅の限りを尽くした装束
世界一の金持ちにも買えないような宝石
見たこともない御馳走 ハレムいっぱいの美女
そして玉座
ぼくはただジンの見せる幻を眺めていた
幻は踊る
次から次へと
でも ぼくの心は動かない
どんなに美しい宝石も きらびやかな衣装を纏った美女も 数えきれない人々がおくってくる称賛も
ぼくはそれらに興味がないんだ
ぼくの 望みは
「ええ 幸い多く 若葉のように光り溢れる我が王子よ
わたくしが 主の願いを叶えましょう」
半透明の幻を消したジンは ぼくに向けて優しく微笑んだ
全ての望みを叶えてくれるジン
「人の身にありてなお 主の魂は高潔さを失わず
それ故に孤独の旅路を 彷徨っておいでです
主の求めるものは
透明な楽園における
純粋な精髄の残骸である物質などではなく
強制されたまがいものの心でもなく
また時とともに移ろいゆく儚い幻でもありません
主の求めるものは」
言って ジンはぼくの目を見つめ 温かく笑みを深めた
その笑顔を見て ぼくは初めて心が満たされるのを感じた
ぼくは 突然に気が付いた
ずっと寂しかったんだ
この広い宮殿の中で 望む物は与えられていても
ずっと一人ぼっちで 話をする友はいなかった
宮殿にも中庭にも 人は大勢いるけれど
誰もぼくを見てはくれない 話しかけてはくれない
ああ そうだ ぼくの望みは
一人ぼっちで寂しいのはもう嫌なんだ
全ての望みを叶えてくれるジン
ぼくと一緒にいてくれるかい
ジンはにっこりと笑い 大仰な仕草で礼をする
「わたくしは いつでも 主の傍に」
***
陽が傾き 冷えた風が夜を連れてくる
立ち上がって見上げた棗椰子の向こうに
月が柔らかく笑っている