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生身の体と機械の腕

作者: ???

油を差していない軋む腕は動くたびにキィキィと金属の不快な音を鳴らす。

その耳障りな音を聞きながら僕は体を横たえた。


生身の体に機械の腕は冷たい。

命のない無機物に対して僕の心は拒絶を示していた。

それでも僕は機械に頼らなければいけない。

自分の体を自力で動かすことはもうほとんどできなかったから。


2000年から2100年の間で人類の文明は飛躍的に進歩した。

火星では既に各国から選ばれたテストクルーが生活を始めていた。

地球からの移住は世界の命題となっており、火星を住める環境にする工事を先進国を筆頭に急ピッチで進められていた。

ただ火星資源、領地の分配などの問題で居住はできても移住はまだ当分先になるらしい。


地球に目を向けると再利用産業が活発化している。

工業汚水や使用済み核燃料の再利用化によって豊かとは行かないまでも、一定水準の文明は保証されていた。


そして、機械は人間の生活を支える”友達”になった。

二足歩行の自立型アンドロイドの実現にはまだ年月がかかるとされていたが、キャタピラ式のロボットは仕事に家事に人間の生活に溶け込むようになった。

街中では人について回るキャタピラ式の自走ロボットが溢れていた。

あるモノは荷物の運搬を、あるモノは人の介助を、あるモノはパトロールを。

それぞれの見た目は似たり寄ったりだが、それぞれに役割があった。


生活の機械化の技術は義手足分野でも大きく力を発揮した。

事故による後天性の四肢の欠損であれば、オーダーメイドによる義手足で、リハビリ次第では元の生活と遜色ないほどにまでの生活が可能となる。

脳が発する運動信号の電気をセンサーが読み取るタイムラグが0.1秒以下にまで短縮された。

最初のうちはその0.1秒のタイムラグに窮屈な違和感を覚えるが、使い続けるうちに、あるいはそれに慣れていくうちに、そのラグは気にならなくなる。

環境に適応さえしてしまえば四肢の欠損などないようなものだ。

最近では脊椎損傷により動かなくなった足を切除し、機械の足を取り付けるといった手術も実施段階に入っている。


ロボットによる介助と義手足の適合で外部障害によるバリアフリーの時代は徐々に終わりつつあった。


2100年代に入って生活が劇的に便利になった。

ただし、生活の機械化に適応できなかった者は、孤独だった。

周囲が続々と機械を取り込んでいく中で、自分だけがそれに適応できず、周りに同調もできず、機械には嫌悪を抱き、旧い感性を変えられずに時代に取り残されている。


横たえた身体は全身が痛む。

骨は軋み、心臓は不規則に鳴り、血流は滞り、脳は警告を出し続ける。

病に犯された生身の体は満足に動かせず、自力で出来ることはほとんどなくなっていた。

死ぬことさえも出来ず、機械に犯された生活の中で灰色の空気を吸っている。

どれだけ生活が便利になろうとも人間は弱いままだ。

機械の身体になろうとも、心までは金属に出来ない。

肉体は生き続けても精神は寿命を迎える。

限界を超えた長命に魂は耐えられない。

数百年の時を生きるには人間という器が小さすぎるのだ。


それでも世界は人間の枠を広げようとしている。

肉体の一部に止まらず、内臓さえも機械で補おうとしている。

脳の情報を別媒体に記録する実験さえも活発化している。

人間の機械化はすぐそこにある。


僕の病気は機械を使えば治るものだった。

犯された部位を切除した後に、ナノマシンを注入し、欠損した部位を修復するという術式で治療できるものだった。


ただ、僕はそれを拒否していた。

人間は人間のままで、死ぬべきときに死ぬべきであると、僕は思っていた。

時代遅れの考え方は、周囲に同意されなかったが、それでも良かった。

その意思は確かに、自分の人間としての意思だと信じている。

人々に嘲笑され、否定されようとも、人間としての誇りを捨てたなかった。

それがあるからこそ孤独にも耐えられる。


機械化する世界は生身の身体に冷たすぎた。

前を歩くのは人か機械か、その境目はもうほとんどない。

動かない右手を何とか動かして、僕はベッド脇の介助ロボットに手を置いた。

黒ずんだ金属は排気が上手くいっていないのか火傷しそうなほどに熱い。

10年以上前の型落ちタイプの介助ロボットは僕と同じく限界を迎えている。

回路の一部は焼き切れ、制御するコンピュータの動作は鈍い。

直に動かなくだろう。


僕の体を何年にも渡り運び続けたこいつに少しの愛着がないわけでもなかった。

僕が唯一寄り添った機械だ。

周囲に見放されて、機械を拒絶した僕の存在を認める唯一の存在だった。


手のひらから伝わる金属の熱は体温だろうか。


モーター音が止まった。

動作は停止した。

熱は冷めていく。

機械の電源は切られた。

静かになった部屋で目を瞑った。


手のひらに残った熱を握り締めると、意識は徐々に遠のいていく。

眠りに落ちる寸前はいつも死を身近に感じる。

死を考えると安堵する。

機械のように壊れるのではなく、人間として死ねることに安心する。

僕は確かに人間だった。

最後の瞬間にそう思えることは幸福なのだろうと思う。


動力源の融合炉は急速に冷えていく。

タービンは回転を弱めていく。

回路を通る電流は徐々に滞っていく。


電源は切断され、意識は完全に消失した。


その日、人類初の完全機械化移植被験者001号が死んだ。

人間の意識だけを抽出し小型コンピュータへ移植、そのコンピュータを脳として全身の機械化手術を強制された一人の男は長年の逃亡の果てに機能を失った。

自我の目覚めと共に施設を抜け出した後は廃墟ビルに潜伏、取り残されていた介助ロボットと10年の時を共にし、電池が切れたように静かに絶命した。

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