2 カルロ
「何をしに来た? 冷やかしなら、帰れ」
レオニア王国王太子、カルロは不機嫌な顔で言い放った。
執務室にいた側近達が、青ざめて顔を引きつらせた。が、きつい言葉を投げつけられた当の本人は、笑顔でそれを受け流し、勝手に近くにあった椅子に座った。
「ご挨拶ですね」
にこやかに言ったのは、フェデル公爵アーレン。カルロの妹、レナータ姫の婚約者だ。
少し長めの髪は深い闇のような黒。
彫像のように整った顔立ちは、ともすれば冷たく見えそうなものだが、人好きのする笑顔が柔らかい印象を与えている。
「こんなところで油を売っている暇があるのか?」
「姫のところにはもう行ってきました」
「最近は、剣術の稽古にも精を出してるそうじゃないか」
「まあ、思うところがありまして。ですが、所詮は真似事。暇つぶしです――殿下の方はいつにも増して、忙しそうですね」
「誰のせいでこうなったと思っている?」
「さあ?」
カルロは忌々しげに舌打ちをして立ち上がると、手にしていた書類をアーレンの膝の上に落とした。
「"白銀の大天使"の婚約で、倒れて寝込んだ貴婦人は数知れず。修道院からも、失恋した令嬢たちに大挙されて困ると苦情が来ている。極めつけは、王宮勤務の女性達の七割が、悲嘆に暮れて仕事に手がつかない有り様だ」
「七割? 意外と少なかったですね」
アーレンはそう言いながら、書類をパラパラとめくって目を通した。
「残りは、私かお前の信奉者だそうだ」
「それはそれは……物好きな」
「その物好きだけで仕事を回しているゆえ、人手が足りん」
「苦情はマリウスに言って下さいよ」
アーレンは、傍らに立つカルロを見上げて微笑んだ。
負けじとカルロも笑みを浮かべたが、その目は全く笑っていない。恐怖が室内を支配する。
「ルイーザがマリウスの目に留まるように仕組んだのは、一体、どこのどいつだろうな」
「お似合いだと思いませんか?」
「組み合わせとしては最高だ。さすが、フェデル公は趣味がよい」
カルロは吐き捨てるように言うと、自身の椅子に戻った。
「たしか、妹のレナータが"白銀の大天使"に熱を上げていたと思ったが?」
常に変わらないように見えた、アーレンの表情がピクリと動いた。
「まさか。レナータ姫は私の婚約者ですよ?」
「ほう?」
カルロの視線は鋭い。
後ろに撫で付けた金色の髪と、その才覚、またはカリスマ性により、"黄金の獅子"と呼ばれているのは伊達ではない。
アーレンはあきらめたように苦笑いを浮かべて、カルロを見た。
「しかし、まあ、ルイーザは姫の忠実な侍女ですから、私が責任を持って事態の収拾に当たりましょう」
「できるのか?」
カルロの言葉に、アーレンは頷いた。
「傷心の女性達には、見舞いの花でも贈っておきます。一週間もすれば、みんな立ち直りますよ。それまでは男だけで頑張りましょう。王都警護騎士団に兵卒連中を寄越してくれるように掛け合って来ます。それから修道院の方は、王家の名で寄付を――構いませんか?」
「ああ」
カルロは、次々と意見を述べ、確認を取るアーレンに舌を巻いた。
普段、実務的なことには一切関わろうとしないアーレンだが、いざ物事に取り組めば、とても優秀な人材であることは間違いない。
さて、どうやってこの男を自分の側近として取り込むべきか……
「フェデル公が軍部を掌握しているという噂は、本当のようですね」
アーレンが執務室を去った後、側近の一人がカルロにそう言った。
「そのようだな」
カルロは書類にペンを走らせながら答える。
「よろしいのですか? 世間では、フェデル公がレナータ王女と婚約したのは、姫を女王に即位させて、自分が実権を握るためではと心配する者もおります」
「フェデルは、そのような面倒なことはせぬ」
カルロは鼻で笑った。
「確かにここ数年、着実に自分の持つ権力を強めているようだが、お前達の考えるような理由ではない」
「しかし、常識的に考えれば――」
「己れの常識で他者を測るな。視野を広く持て。そうすれば、お前にも見えて来るだろう」
カルロは顔を上げて側近を見た。
こいつは真面目だが、頭が固い。もう少し教育が必要だな。
「分からんか?」
「はっ。申し訳ございません」
「誰もが玉座を魅力的だと思うわけではない」
「はあ……」
「子供の頃、父に命じられて地方の視察について行った。国内最大の農業地帯でな。そこでは最大の関心事は天候だった。もちろん、王に頭は下げる。だが、その王が誰かなど彼らにはどうでもよいことなのだ。生活に直結していないからな」
側近がはっとしたように目を見開いた。
「フェデル公が玉座を求めているのではと思っている者達は、誰が王になるかで享受する利益が変わる、と……?」
「そういうことだ。噂そのものではなく、誰が、何を、どう言ったか把握しておけ。それが後々、相手を測る物差しになる」
「御意」
それにしても、口さがない者の多いことよ。
カルロは再び、延々と書類に署名するという退屈な仕事に戻った。
確かに、あのアーレン・デル・フェデリスの真意など、普通ならば推測できないだろう。
レナータの身近な者達、レナータといる時のアーレンを知る者達だけが、彼の真意を知っている。
カルロもその一人だ。
いや。むしろ、誰よりよく知っているかもしれない。
理解はできないが――




