異世界の本屋さん 〜お代は日本円で払ってください!〜 その2
閑静な住宅街。進めど進めど住宅しか見えないその路地裏、何本か細い道を煤で行った先に、その店はあった。店内を覗けば、インクと紙の匂いと、淹れたての紅茶の香り。BGMはカチカチと時計の秒針が動く音。そして、たまにパラリとページをめくる音だ。中には女主人が1人だけ。
「ふぅ……こんな時間が、いつまでも続くといいのに……」
女店主はそう独り言ちた。若くして一財産を築き、もはや道楽と言っていいほどの売り上げしか出してない本屋のレジカウンターで、店主はただただ本を読んでいた。読む本は特に決めてない。その日の気分で、好きな本を読む。今は、推理小説のシリーズ物を読み始めたところだ。その姿はまるで、深窓の令嬢のようだった。
店主は本屋という環境を愛していた。本屋の作る雰囲気。紙とインクの匂い。きっちりと本の並んだ見た目。その全てを愛している。
そんな本屋という環境の中で、好きな本を読み、その本に没入していく。店主は本に没入しながらも、最高の幸せを噛み締めていた。……はずだった。
「やっはー!きったよーん!」
ピンポンピンポンと流れる入店音よりもさらに大きな声で、来訪者がやってくる。店主と同じ年ぐらいの若い女性で、店主の友人を名乗っている。もっとも店主の方は特別友人とは見ておらず、どういう関係かと聞かれれば腐れ縁としか言わない。
ずけずけと店内へやってきた友人は、文学少女――店主は少女というには年齢が高いが――然とした店主と違い、随分と快活そうに見える。
その様子を、店主は睨むように見る。いや、実際のところ睨んでいた。
「呼んでないし、来ていいとも言ってない。煩くするなら帰れ」
「そうけちけちしなさんなーっての」
店主は心底うんざりとした顔で、友人を追い返すように手をしっしと払う。
しかし友人はそんなことは御構い無しに、開けたスペースを片付け、テーブルと椅子を準備し始めた。丸テーブルに椅子が2脚、お茶にお茶菓子まで準備して、まるでお茶会でも開くかのようだ。これが店内なのだから、店主にとっては良い迷惑である。
「あんたが呼んでなくても、私は呼ばれてるんだよ……っと」
テキパキとセッティングを終えた友人は、テーブルの上に本を広げ、椅子に腰掛けパラパラと読み始めた。店主はブツブツと文句を言っているが、そんなことは御構い無しだ。
程なくして、再び入店音が鳴る。カツカツとヒールの音が響き、現れたのはプリンセスドレスを纏った、まさに異国の姫だった。後ろからは、お付きの侍女が1人だけついてきている。
「まってたよー!」
「お待たせしてすみませんわ。何分、執務から抜け出すのも一苦労でして」
姫は友人の対面にある空いた席へと腰掛ける。侍女は姫の椅子を引き、テーブルの上の乱雑な本を綺麗に整理し直し、紅茶を入れ直す。
「いやー、悪いね」
「いえ、これも私の役目ですので」
紅茶を1杯淹れ、まずは侍女が毒味をする。それから、姫の元へとカップが配られる。
「本日も問題ありません。姫様、どうぞ」
「いつもご苦労様」
「……んなことしなくても毒なんか入ってないっつーの」
姫と侍女にとっては何時もの日常だが、店主にとっては気分が悪い。なにせ、友人が勝手に開けてはいるが、紅茶を買っておいているのは紛れもなく店主自身だ。疑われれば、それは気分が悪くなるというものだ。
「店主様、申し訳ありません。店主様のことを疑っているわけではないのですが……」
「わかってるっての。立場上仕方なく、でしょ。……なんの立場か知らないけど」
「そう言っていただけると助かります」
侍女はスカートをたくし上げ、綺麗にお辞儀をしてみせる。それは現代で生きていてはまず見ることのないような、貴族王族が行うようなものだった。
けれど店主はそんなことには目もくれない。彼女が望むのは静寂の中で本を読むことなのだから。
「ところで、あれは止めなくていいの? 姫様があんな趣味はどうかと思うんだけど」
「言って止まるのであればすでに行っておりますので」
「姫様姫様、これなんかオススメですぜ。今週の最新刊」
「うっふ。これはなかなか……殿方と殿方がこんなこと……」
彼女たちが読むのは、男性と男性が組んず解れつ、あんなことやこんなことをしてしまう本。いわゆるBL本である。店主にはよくわからない世界だったが、友人とは姫はその世界に完全にトリップしていた。
姫は元々はそういった趣味はなかったのであるが、この本屋へと迷い込んだときにたまたま居合わせた友人が読んでいたBL本に興味を持ち、友人の勧められるがままに読み、今では立派な腐女子であった。
はまってからは、こうして定期的に友人の薦める本を買いに来店するのである。大体月1ぐらいで開かれる腐ったお茶会も、店主にとっては悩みの種だ。
「こっちは今月の新刊、ちょっと姫様には刺激が強いかなぁ」
「ああ、いけませんわ。ここまできて、見せていただけないなんて、そんなことはいけませんわ!」
友人の持つ本を、どうにか取ろうとする姫。長年連れ添った友人のやり取りのように微笑ましい光景なのだが、彼女たちがとりあうそれは、ちょっときつめの内容の18禁BL本だ。
見ているのも馬鹿らしくなり、店主は手に持つ小説の方へと目を落とす。……時折聞こえてくる受けや攻めという言葉のせいで、小説の内容は頭には入ってこなかった。
「あぁ……もう、時間なのね……」
目眩く時間は過ぎ、姫は帰らないといけない時間となってしまった。姫が侍女に指示を出すと、侍女は店主にあるものを差し出した。
「これ……」
手渡されたのは、絢爛豪華な宝飾の施されたネックレス。金色の土台に、赤、青、黄色と様々な色の宝石が散りばめられている。ゆうに何千万円もしそうな代物だ。
店主も、横で見ていた友人も口をあんぐりと開けてポカンとしている。
「帝国でも有数の細工師に作らせた1品物ですわ。やはり、円というお金は見つかりませんでしたので、これで手打ちにしていただけるとありがたいのですが……あなたにもいつもお金を代わりにお支払いしていただいてますし……」
姫は友人の方を見て、バツの悪そうな顔をする。
店主はいち早くフリーズから復活し、手に持ったネックレスを友人へと渡す。
「ここは店なので、円でのお支払いしか受け付けません。だから、これはあんたが姫さんから今までの本代でもらっときな」
友人と侍女は瞬時に察した。店主が面倒ごとを押し付けたということを。姫だけがそれに気がつかず、新刊の本を手に上機嫌に帰っていった。
ベルクレイト帝国が姫君、リュシエール・ベルクレイト。その可憐な見た目と穏やかな性格は、帝国で知らないものはなく。彼女に婚姻を求めるものは数知れず。
そんな彼女の人気を語るエピソードに、次のようなものがあった。
なんでも、執務で多忙なはずなのに、休憩をとる際には必ず騎士団の訓練を見に来るのだ。
ある日騎士団長は問うた。
「リュシエール姫、あなた様も執務で多忙でしょう。我らの訓練など見ずとも、休んでくだされ」
そう言うと、姫はこう返した。
「あなた方の訓練を見ることで、わたくしも安心して執務に専念できるのです。どうか、少しの間でも見学をお許しください」
その言葉と、毎日訪れては、笑顔を向ける姫君に、騎士団は士気高く。多くの戦で無敗であったという。
しかし、専属の侍女だけは知っていた。姫君が騎士団の訓練を見学するその理由を。
彼女は執務で疲れた心を、組んず解れつで訓練に勤しむ彼ら騎士団を、肩を組み模擬戦闘での勝利に喜ぶその様子を、剣を構え真剣な面持ちで見つめ合う彼らを、遠くから眺め、妄想にふけることで英気を養っているのだと。侍女と、別の世界の姫の友人だけは知っていた。