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RIGMAROLE -Vernal Days-  作者: 雪山ユウグレ
第1章:vernal breeze
6/33

2nd. -exam fight- <後>

 声にならない叫びは一体誰のものだったのか。

 ブラッド・フォールは対象の上と下に強大な圧力を発生させ、対象を一瞬にして押し潰す風系魔導である。命名の由来は、潰された者の血が勢いよく流れ落ちる様がまるで滝のようだからという残虐極まりないもの。

「ッ!!」

 たまらず観覧スペースから飛び降りようとしたカータの腕をゼルスが掴んで止めた。次の瞬間、眼下のヴィーリが杖を突き出し叫ぶ。

「メガ・プレッシャーッ!!」

 同時に2発の大きな音がした。1つは何か大きな物が爆発したような音。そしてもう1つは、何か重い物が壁に衝突した音。

 爆発音はヴィーリのブラッド・フォールが発動した音である。しかしその場所にあるはずの血の色はない。

 全員がもう1つの音の出処、ヴィーリから見て正面にあたる壁を見やる。

「……ふぅ」

 壁には何の傷もないが、そこに予め張られていた破損防止用の結界に綻びができていることが魔導士の目にはすぐ分かる。魔導訓練場なので多少の魔導衝撃では壊れないよう常に結界が張られているのだ。そしてそのすぐ下の床、壁に寄りかかった体勢のリガルが溜め息をついた。左手を、ぶつけた背中に当てている。大きな怪我などはないようだ。

 それを見たカータがほーっと息を吐き、ヌダルとティアも身体の緊張を解いた。主任教官が状況を判断し宣言する。

「勝者、ヴィーリ=ユヴェニス」

 文句のつけようのない勝利だった。リガルは負傷こそしていないもののヴィーリの空気弾をまともに食らったのだ。

 あの残虐な魔導、ブラッド・フォールに対するリガルの防御は成功していた。彼が元々得意とする土系の結界は上下から迫る圧力を確実に受け止め、あとは発動地点から離れてしまえばいいだけだったのである。しかしヴィーリは続けざまに次の魔導、空気弾を放っていた。むしろこちらこそが真の狙いで、ブラッド・フォールはいわば囮に過ぎなかったのだ。

 名の知れた凶悪な魔導を逆手にとっての作戦。リガルはそれにまんまと嵌まってしまった。かわすにはブラッド・フォールの詠唱そのものを止めるか、発動の瞬間にその地点から離脱するくらいしか方法がなかったのだが、いずれも恐ろしく難度が高い。風刃を撃ち出しながらの詠唱を止めるには怪我を覚悟で突撃するか、さらに威力の大きい魔導で詠唱を中断し防御に集中しなければならない状況を作るより他ない。また瞬間に離脱する、などという芸当は人間にはまず不可能と言える。

 唱えられている呪文の正体に驚き結界の用意を始めたその時に、リガルの負けは決定していたのだった。

「いてて……」

「……大丈夫ですか?」

「何とかな。それにしても強いな、負けたよ」

 心配したのか何なのか近寄ってきたヴィーリを前に、リガルはそう言って立ち上がると微笑みながら右手を差し出した。ヴィーリは一瞬ためらったが、やがて観念したようにその手を握り返す。リガルが言った。

「ようこそトルム王立学院へ、ヴィーリ=ユヴェニス。入学おめでとう。心から歓迎するよ」

「……それって、あっちの先生が決めることなんじゃ?」

「不合格にする理由なんてないさ。僕はこれでも最高グレードなんだぞ?」

 これで君が落ちたら僕の面子が立たない、などと冗談とも本気ともつかないことを言うリガルにヴィーリもはは、と軽く笑った。それは意外なほど素直な笑顔で。“あんな顔もできたんだな”と上で見ていたキオンは変な感心をしてしまう。

 その時、パチパチ……という拍手の音が聞こえてきた。穏やかな表情で手を叩いているのは紫の髪の主任教官で、死闘を繰り広げた2人に近付きながらやはりおっとりとした調子で言う。

「彼の言う通り、不合格にする理由は1つもありません。正式な手続きはまだこれからですが、ここに君の合格を宣言します。おめでとう」

「どうも」

 特に嬉しそうな素振りも見せずに頷くヴィーリに教官はにこりと人の好い笑顔を見せ、一時間後に学部長室に来るようにと言い残して立ち去った。合格したとは言えまだ部外者であるヴィーリを残していくとは無責任とも思えるが、ここにいるメンバーのほとんどがグレードAであるということを考えると特に問題もないのだろう。ただし、キオンのサボりは確実にばれていただろうが。

「……それじゃあ、俺はこれで」

 そう言って部屋から出て行こうとするヴィーリだったが、「待てーッ!」という声と共に観覧スペースから飛び降りたカータに首を抱え込まれ身動きが取れなくなる。しかし抱え込むと言ってもカータはヴィーリよりさらに背が低いため、ほとんどしがみついていると表現した方が正しい。そんな体勢でカータはヴィーリの頭をえいえいと小突く。

「このー! あんなえげつない魔導使いやがってー!! リガルが死んだらどーしてくれんだ!?」

「……生きてるじゃん」

「結果論を言うんじゃねーッ!!」

「いてッ。やめてくださいよ、ちょっと!」

 カータはなおもポカポカとヴィーリを叩き続ける。さほど強く叩いているわけでもないが、これでは収拾がつかないのでヌダル達も止めに入ることにする。

 カータのように飛び降りたりはせずに部屋の外の階段から回って下に到着した時、カータは未だ騒ぎながらヴィーリの頬を引っ張っていた。もはや怒っているのかふざけているのか分からない状況である。

「カータ、そろそろ放してあげたらどうだ?」

 ヌダルが落ち着き払って言うが、返ってきた答えは「い・や・だッ!!」であった。

 そんな様子をさらりと無視してゼルスはリガルの方へ向かう。リガルは壁にもたれて苦笑していた。

「怪我はないか、リガル」

「ああ、見ての通り無事だよ。……それにしても」

「……」

「あれだけの強さで、これ以上魔導部で何を学ぶことがあるんだろうか……?」

 眉根を寄せてつぶやいたリガルに、ゼルスは何も答えずただ黙って騒ぎに中心を見つめていた。


  *  *  *


 結局当事者であるリガルが何とかカータをなだめてその場は収まり、キオンも講義に戻った。魔導部初の特例入試は学院中の噂になっていて、キオンの教室もその話題で持ちきりである。おかげで午前のサボりを深く追求されることもなくホッとしていたのだが、それを許してくれない人物がただ1人いた。“クラスの噂好き”ノルシャである。

「ちょっと、キオンッ!!」

 来たか、とキオンは手元の紙から顔を上げて少女を見る。ちなみに、計算中の魔導式は例の頼まれものである。色々あったので未だに終わっていない。ノルシャは友人であるもう1人の少女を後ろに従えて、腰を手に当ててキオンを睨みつけていた。そして言う。

「アンタ……見てきたんでしょ!?」

 何を、とは聞くまでもない。キオンが肯定するとノルシャは思い切り悔しがった。

「ああもう、うらやましいッ! アタシだって見たかったのに、アンタの後つけてたらヤース先生に見付かって戻されちゃったのよッ!? なんでアンタはよくてアタシは駄目なわけ? 不公平だわ!!」

「単に運がなかっただけだろ」

 大体、その“ヤース先生”というのは先程の試合の監督をしていた主任教官のことなのだ。キオンはばっちり姿を見られているし、後程相応の処分が下されるだろう。

「って、お前つけてたのかよ」

「そうよ。だって、気になるじゃない! で、どうだった? どうなったの?」

 身を乗り出してくるノルシャにキオンは少々のけぞる。少女の目は期待と興奮にキラキラと輝き、好奇心でいっぱいな様子がありありと見て取れる。キオンは内心、彼女を捕まえてくれた主任教官に感謝した。もしも彼女が試験場に来ていたなら間違いなく入試どことではなくなっていただろうから。

 目にしたことを教えるくらい構わないと思ったが、待てよ、と少し考え直す。きっとこの同級生はキオンから入手した情報をさも自分で見てきたかのように吹聴するのだろう。面白くないといえば面白くない。せめてもう少しくらい労力を使ってもらいたいと思うのは当然だろう。そう考えたキオンはこう答えた。

「自分で聞けばいいだろ?」

「誰によ? ヤース先生? それとも模擬戦の相手した先輩?」

「ああ、そこまで知ってたのか……。……お前どこまでつけてきたんだよ?」

「訓練室の前までよ。キオン、アンタいつの間にウィスティアさんと好い仲になったわけ?」

「なってねぇよ。……お前ホント人聞き悪いぞ」

「そうよねぇ。あのウィスティアさんがアンタみたいな冴えないガキを相手にするわけないわ」

「……(そうか、この子もティア先輩の正体は知らないんだな)」

「ん? 何か言った?」

「いいや。冴えないガキで悪かったな。とにかく、俺が“聞け”って言った相手は本人だよ」

「本人って……」

 聞いたノルシャの方が腑に落ちない様子で目をしばたたかせる。覚束ない様子なのでキオンはその先を続ける。

「ヴィーリ=ユヴェニス……季節外れの新入生。明日か明後日くらいから通ってくるんだろ」

「……じゃあ合格したのね! ちょっとミオリ、聞いた!? 大ニュースよ!!」

「わ、ちょっとノルシャちゃん……!」

 ノルシャは後ろでずっと黙っていた(口を挟む暇がなかったのだろう)友人の少女の手を取り、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。ノルシャとは対照的なほど大人しい友人のミオリは頭の横で2つに結った赤茶の髪を小さく揺らしながら、大きな青緑の瞳を不安げにキオンに向けてくる。そんな目をされるとキオンとしても困るのだが、ノルシャを止められる人間は少なくともこの教室内には存在しないのだった。

「……分かったわ!!」

 と唐突に動きを止めてノルシャが言う。ようやく解放されたミオリはほぅっと安堵の息をついているが、一体何が分かったというのか。キオンが視線を向けるとノルシャは何がそんなに得意なのかめいっぱいに胸を張ってフフンと笑った。

「アンタの言う通り、本人に直接インタビューするのが一番確実よね! やってやるわよ!!」

「……ああ、そう」

 キオンは視線を逸らしつつ答える。頑張るのは勝手だが、あのヴィーリから中身のあるコメントを得るのは無理だろう。存在感だけではなく素っ気なさもゼルスやティアに匹敵しそうな少年なのだ。

 何となくこの後の展開が読めそうな気がする。最後に口を割る羽目になるのはやはりキオン自身なのかも知れない。当事者でも何でもないのに、考えてみると損な役回りだ。

「ふふふ、見てなさいキオン。3日もあればアンタにアタシの情報力を見せつけてやるわ! じゃ、そろそろ午後の講義が始まるから戻るわね!」

「はいはい。まぁ燃え尽きない程度に頑張れよー」

 キオンは投げ遣りながらも一応激励のような言葉を掛けて、自分の席へと戻っていくノルシャとミオリを見送った。思えばノルシャはよくこうしてキオンに絡んでくる。おそらく同じ年頃であるからだろう。この学院には入学の際の年齢規定がないので、同じ教室で学んでいても歳は皆ばらばらなのである。友達がいるのは悪くないことだが、ああもやかましいと辟易してくる。

「まぁ……辟易してるうちが華かもな」

 肩をすくめてそう呟くと、キオンは手元の計算に戻った。今日中に仕上げるには午後の講義中に内職するより他ない。キオンは紙が教官に見付かることのないよう、そっとテキストの下に隠して計算を続けた。


  *  *  *


「……うああ、疲れた――」

 夕焼けの美しい空の下、キオンは情けない声を上げて大きく伸びをした。

 午後の講義が終わった後、午前の無断欠席の罰として生徒玄関の拭き掃除をさせられていたのである。一見穏やかでのんびりしているヤース主任教官だが、こういうところでは意外と厳しかったのだ。

 キオンもキオンで、やるからにはとことんと必要以上に隅々まで全力で綺麗にしてしまった。ピカピカになった玄関を見るのは気分のいいものだが、何もここまでしなくても良かったのではないかと思う。とにかく、これで帰ることができるだろう。

 清掃終了の報せを受けて結果を見に来た主任教官は、見違えるほど綺麗になった玄関を目にして一瞬言葉を失った後、よくここまでやってくれたと逆にキオンを褒め、おまけに褒美だと言って2つの飴玉をくれた。

 小さな子ども相手のような扱いにキオンは苦笑いしたが、甘いものは疲れた身体に嬉しく、素直に礼を言って校舎を出た。次はヌダルのところに計算の結果を届けなくてはならない。

 放課後のがらんとした武道部校舎を、ヌダルの部屋へと急ぐ。特に用事のない日にはいつも遅くまで部屋にこもって研究に没頭している人なので、きっと今日もまだいるだろう、そう思いながら扉を叩くと、果たして彼はそこにいた。キオンはホッとして、預かった資料と計算の結果を記した紙とをヌダルに渡す。

 昨日からの状況を考えるとキオンがどういう頑張り方をしたのか想像がついたのだろう。ヌダルはキオンの仕事ぶりを労いながらも、次からはもっと余裕を持って引き受けるようにと忠告してくれた。その通りだとキオンも思う。今回は大変だった。

 そうして全ての用事を終えて校舎を出たキオンだったが、進む先に青い色を見付けてハッとする。昨日も会ったその場所に、ヴィーリ=ユヴェニスがいた。

 紫から藍へと色を変えようとしている空の下、赤い杖を持つ少年はじっと校舎を見上げている。一体何を思っているのだろう。

 気になって、キオンは尋ねた。

「どうかしたのか?」

 近付いてくるキオンにはとっくに気付いていたのだろう。全く驚いた様子もなくヴィーリはこちらを見てわずかに顔をしかめる。

「誰?」

「覚えておいてくれ、って言ったはずなんだけどな」

 やれやれと溜め息をつくキオンに、ヴィーリは悪びれずに言う。

「お前、地味だから」

「……実は一応覚えてるだろ?」

「一応」

 ヴィーリは頷き、キオンはやっぱりなぁと笑う。こういう奴だろうとは初めから分かっていたので今更目くじらを立てることもない。そんな様子にヴィーリはますます顔をしかめた。

「やっぱり訂正。お前変な奴だから、一応覚えてた」

「それでも光栄だ。今日見てたのも気付いてたんだろ?」

 頷くヴィーリ。一瞬目が合ったように感じたのはやはり間違いではなかったらしい。ヴィーリが正門に向かって歩き出したので、キオンも横に並ぶ。並んで歩きながらまた別の質問をぶつけてみる。

「お前、こんな時間まで何してたんだ? もう手続きとか終わってるよな?」

「別にいいだろ」

「校舎の中でも見て回ってたのか? 広くて迷子になってた、とか」

「お前……うるさい」

「そう言われると思った」

「……」

 思ったなら言うなよ、とばかりに睨みつけてくるヴィーリに笑顔を返し、キオンは立ち止まった。ヴィーリはそのまま歩み去ろうとする。その背中に、呼びかけた。

「ヴィサイカーリ=ユヴェニス」

 ピタリ、とヴィーリが立ち止まる。キオンからは見ることができないがその目はこれ以上ないほど見開かれ、黄緑色の虹彩は驚きに揺れていた。

 驚異的な強さを誇る新入生が初めて見せる動揺に、キオンは黙って反応を待つ。

「……お前」

 ゆっくりと、ヴィーリがキオンを振り返った。杖を握る左手に力が込められる。

「なんで」

「……なんでだろうな?」

 首を傾げながらキオンは、ヴィーリに向けて小さな小さな包みを放り投げた。

 ヴィーリは思わず受け取ったそれが1個の飴玉であることに気付き、いよいよ顔を歪める。しかし彼が視線を上げたとき、キオンの姿はすでになかった。ヴィーリは辺りを見回すがどこにもそれらしき姿はない。走り去る足音も隠れている気配もない。

「……何なんだ、あいつは……?」

 ヴィーリは狐につままれたような顔をしてしばらくの間そこに立ち尽くしていた。

2007年執筆

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