第四話
確認作業が終わってないんですが疲れたのでとりあえずアップだけしときます(汗)
小龍が鎮守の森に入ってから、空は既に茜色に染まり、静寂が辺りを不気味に染めていた。
獣たちは、今から起ころうとしていることを理解しているのか、生き物の気配は近くからまるで感じられない。
(あれを飲んでいただくのはまだ時期尚早でしたかね…。しかし、それでは兄上がこの世界で生きてないく上でリスクが高すぎる。どうせ気づかれるのであったのなら称号などではなく修行に時間を当てた方が有意義でしたか。)
来たばかりであれば初日を修行に費やせば18年分の力がその身に得られていたが、大きな力はそれだけ使いこなせるようになるまで時間がかかる。
結局それから力がまともに使えるようになるまでに膨大な時間が必要とされる上に、力ある者は技術を軽んじ力押しで戦ってしまう傾向にある。
小龍の場合は間違いなく力に溺れ技術の重要性を見失ってしまうだろう。
勿論、格下相手にはそれでどうにか誤魔化せても、力が近い場合は戦闘に於ける技術が生死を決めるのだ。
力ならば魔物を倒していけば、簡単ではないにせよ手に入れることはできる。
ならば、いや、しかし、と答えの出そうにない水掛け論に聖龍はいつになく自嘲気味に笑うと、後ろから近づいてくる気配に気付き、その場からゆっくりと立ち上がった。
「聖龍さま!!ここにいらしたのですか。もう広場にいらっしゃるならいらっしゃるで一声掛けていただかないと。」
聖龍を探すために辺りを駆けずり回ったのだろう。フリエは喋りながらも軽く息を弾ませていた。
「すいません。少し一人になりたかったものですから。」
先程までの暗い表情は影を潜め、見るものに安心を与えるような微笑みを浮かべていた。
「それで…準備の方は整いましたか?」
「あ…はい。すべて聖龍さまの仰った通りの配置に皆をつかせてあります。」
「そうですか。念を推すようですが、決して皆の陣形が崩れることのないようにしてくださいね。あくまで基本は多対一でお願いします。誰かが欠けるようなことがあれば兄上が悲しまれますから。」
「そうですね。小龍さまはそういう方ですからね。」
「ええ。私とは違い、御優しい方ですから。」
聖龍がいつもの笑顔とは違い、心の底から微笑みを浮かべると、フリエは年甲斐もなく楽しそうに、ふふ。っと笑いを溢した。そんなフリエの仕草を見て、聖龍は眉間に小さな皺を寄せ、怪訝そうにフリエを見下ろす。
「鈍いところは兄弟そっくりなんですね。聖龍さまが私たちに不安を与えないように、わざといつも通りの態度を見せているのは、優しいからではありませんか。」
「…やれやれ。それではそういうことにしておきましょうか。」
「ええ。だってそうなんですから。…それでは聖龍さま、御武運を。」
再度クスリと笑いを漏らすと、フリエは悲哀を瞳に写し、持ち場へと戻って行った。
聖龍は小さく溜め息をこぼすと「女性には敵いませんね。」と、どこか楽しげに微笑みを携えていた。
――――――
フリエとも別れ、茜色に染まっていた空が徐々に色を落としていき、世界が夜の闇に染まったその時、この大陸の三大勢力である人種・亜人・龍人でもない、それの気配に当てられ、聖龍の肌はザワリと粟立った。
「覗きとはあまり良い趣味とは言えませんが、まあそれはあくまで個人的な嗜好であり、性癖でもあります。が、される方としてはあまり良い気分ではありません…ね。」
聖龍がそう言い切る前に、何十という氷塊が聖龍に向けて風を切りながら降り注ぐ。
それを何事もなかったかの様に聖龍は右手を僅かに振るうと、着弾寸前であった氷塊はパンッ、と小さな音をたてて粉々に砕け散った。
「人風情が生意気な口を叩くじゃないか。それも、私を深淵の者とわかった上での発言とは…貴様、楽に死ねると思うなよ!」
木陰から殺気を纏いながら出てきた銀髪銀眼の男は、右手で髪を掻き上げながら、歪んだ笑みを浮かべ聖龍にゆっくりと近づいていく。
「あの方は何処だ?素直に吐けばせめて死に方だけは選ばせてやるぞ。」
「そういう台詞は負けた時恥ずかしいので辞めた方がいいですよ。おっと、死に逝く方には余計な気遣いでしたか。」
愉悦に顔を歪ませ、どこまでも楽しそうに聖龍は笑う。
「そうか…なら、死ね!!」
男の言葉と同時に、ビキリ、という音が辺りに響き渡り、何百という空間の歪みから活ける屍達が姿を顕した。
それ等は全てこの大陸で命を散らしていった者達で、未だに生にしがみつく者達。
彼等のその姿は死に至る前のままの状態で、しっかりと鎧やローブ等を身に纏っている。
だが、彼らの眼には精気はなく、一人とて例外なくその瞳は濁りきっていた。
「我がレイリックの名の元に、死者どもよ、再びその力を奮え!!」
「「「「「オオオオオオオオオオオオウウウウアウウウ!!!!!!!!」」」」」
何百という数の活ける屍達が同時に大きく吠えると、一人一人の眼に殺意が宿り、それぞれがもっとも得意とする技を以て聖龍に強襲を掛けていく。
「確かにこれだけの戦力とまともに戦えば勝ち目はありませんね…まあ、まともには戦いませんがね。」
聖龍は胸元で両手を掲げると、魔力を全身から迸らせ、素早く呪文を紡ぐ。
「光よ。全ての生命を司る偉大な奇跡を以て、未だ生にしがみつく愚かな死者に安らぎの時を与えん。《全浄化》」
掲げた両の手の間に小さな光が宿り、詠唱を終えると同時にその光の粒は徐々に大きさと光を増していき、天高く舞い上がると優しくも暖かく辺りを照らしつける。
その光の近く、つまり聖龍の居る広場の近くに居た活ける屍達は一瞬で灰となって消えていった。
(やはり全部までは難しいか…。出力をあげれば可能だったかもしれませんが、そんな余裕は…)
「おっと…。どうされました?何か不愉快なことでも?私でよければ相談にのりますよ。」
活ける屍達が灰になると同時に、レイリックは背中に携えていた長剣を抜き放ち、聖龍に上段からの全力の一閃を振るうも、その一撃は僅かに聖龍の袖を切り裂くに終わった。
(やれやれ…。兄上の無駄に高い魅力はほんとに残念な輩しか呼び寄せませんね。低級ではありましたが闇の精霊に然り、今回の変態)
「貴様!!言うに事欠いて私を変態呼ばわりするとは!?ただで済むと思うなよ!」
「人の心まで覗き見を…真性の変態で」「わざと聞こえるように喋っておきながら…此処まで虚仮にされようとは…殺す!!」
レイリックは怒りのあまり、整ったその顔は醜く憎悪に染まっていた。
聖龍までの距離を音もなく一瞬で詰め寄ると横薙ぎの一閃。
それは聖龍の衣を僅かに切り裂きさく。
瞬きも許さない連撃が聖龍を襲う。
下段からの切り上げが僅かに胸に赤い筋を残し、その勢いを殺さぬまま駒のように回転してくる刃を飛び退き避ける。
聖龍は体制も整わぬまま刺突、撫で斬り、切り落としからの切り上げ、袈裟斬りと、なんとかその嵐のような攻撃を凌ぎつつもジリジリとその身に切り傷を増やしていく。
あっという間に聖龍の衣は血に染まり、上半分に至っては既にズタズタに切り裂かれており、聖龍はその身を露にさせていた。
(やれやれ、ほんとに綱渡りですね。怒りで攻撃が読み易くなっていてこれですか…。)
圧倒的な戦闘能力の差に於いても、聖龍は戦闘中に相手の能力値を冷静に分析していた。
魔力は聖龍に分があるが、スピード、瞬発力、力と聖龍のおおよそ1.5倍。
戦闘技術の練度は聖龍がやや上。
これはつまるところ、打撃による攻撃では勝ち目がないといっても過言ではない。
魔力は強い一撃を放つには使用する際は練るのに僅かに時間がかかるため、一対一ではスピードや力の差は大きいほど死に繋がる。
聖龍の場合はスピードと力の双方が下回っているため接近戦を余儀なくされていた。
「威勢が良いのは口だけのようだな。頭の悪い貴様でも既に実力の差は理解できたであろう。避けるだけ苦しみが増えるだけだぞ。」
「おや?私はまだ決定打と思わしき傷は一つとして負っていませんが…。性癖のみならず頭まで悪いとは目も当てられませんね。」
「減らず口を!!」
怒り任せに突進したレイリックだったが、長剣を地面に突き刺すことでスピードを殺し、すんでのところで横に飛び退く。
本来レイリックが通るはずの場所には数十本という木の根が突き出していた。
その木はまるで意思を持ったようにレイリックを追従していくが、レイリックの一撃の元あっけなく薙ぎ払われる。
剣圧により一瞬で粉々に砕け散った木々は、次の瞬間には火が点り、その火は次々と連鎖を起こし、大きな爆発を誘発させた。
爆発によりもうもうと立ち込めていた砂埃は一際強く起こった風によりあっという間に払われるが、そのときにはレイリックの眼前に光の矢が視界を埋め尽くさんばかりに飛来していた。
「忌々しい…」
着弾の寸前で練り上げた魔力を目の前に展開すると、禍々しい色を孕んだ膜がレイリックを覆う。
光に相反する闇の力による防御により、レイリックは僅かに衝撃を受けるも、ダメージらしいダメージは与えられていない。
「まさか今のが攻撃か?砂埃を起こしたり、按摩に等しい衝撃しか与えないのだから笑うに笑えないな。」
レイリックの速度を逆手に取った最初のカウンターの一撃は兎も角、魔力を込める時間も与えられていないのだからそれは当然の結果であった。
自分に唯一勝っている魔力による攻撃が、掠り傷一つ与えられていないことに、得意気に髪を右手で掻き上げながら嘲笑した。
「あ…按摩。さっきのが…。」
「どうした?今更力の差を知り恐れおののいたか!ふふ、ふはははははは!」
「…そういったMなプレイがお好きなら他所をあたっていただけますか?私もあまり暇ではないので…」「ははははははははは…は?……き、きさま~!!!」
病的にまで白い肌を、正に茹で蛸と言うに相応しいほど赤く染め、今度は休む暇すら与えずに斬りかかる。
聖龍は一瞬右の掌を大きく開き、即座に握り絞ると、その手には刃紋などの遊びのない、純粋に人を斬ることにのみに重きを置いた刀を握っており、
今度は正面からレイリックの猛攻に対して堂々と切り結んだ。
力もスピードも遠く及ばないはずの聖龍は、度重なる挑発によるレイリックの動きの短調化を誘い、尚且つ、この短時間でその癖までをある程度まで押さえることにより、ほぼ互角に剣戟を繰り広げていた。
長剣と刀が交える度に起こる火花は絶えることなく辺りを照らす。
それは二人の剣を振るう速度がこの世界に於いても並外れたものであることの証明に他ならない。
力で圧倒的なアドバンテージを持たれている聖龍は、その力に対して一撃として切り結ぶことができない。
一度でもまともに刀で正面から攻撃を受けてしまえば、聖龍の刀は即座に叩き砕かれるだろう。
それが例え剣技としてどれだけ稚拙であったとしても、暴力的に振るわれるその一撃はそれほどの威力を持っている。
聖龍は、それ等全てを受け流し、力を分散させることでなんとか互角といえる戦いに持ち込んでいた。
鼓膜をつんざく音は長々と続いていたが、戦局は徐々にレイリックに傾き始める。
時間でいえば未だ二十分と経っていないのだが、紙一重の攻防はそれだけで聖龍の体力をガリガリと音をたてるように削っていく。
況してや、バランス型の聖龍は目の前のレイリックの様に力に偏ったタイプと比べて体力が元々少ないのだ。
勿論、規格外の水準の高さにより他と比べて体力も尋常ではないのだが、目の前にいる敵もレベルでいえば聖龍と同じく規格外の者に当たるため、この場合のその差は致命的だった。
聖龍からしてみればこの結果は当然なのだが、レイリックからしてみればそうはいかない。
選民意識の固まりともいえるレイリックの自尊心は甚だ高く、侮っていた《たかが人》に此処まで互角の勝負に持ち込まれていることでその身に焦りが生じていた。
聖龍はただその一点にのみ勝機を見いだし、時に魔法を織り混ぜながら、あくまで冷静にその時を待っていた。
(何故?何故だ!?この私がたかが人ごときに何故こうまでして手こずらなければならないのだ!?この私が、選ばれしこの私が…)
「私が私がわたしがああああああああ!!!」
「闇に祝福を受けた深淵の者も大したことはありませんね…人である私を殺すこともできないのですから。」
一撃一撃を華麗に受け流しては、気休め程度にしかダメージは与えられていないが、火、風、土、木、光等の魔法をちびちびと当てていく聖龍。
その一瞬の隙により、刀は僅かずつではあるが刃を削られていっており、折れる寸前に敢えてレイリックに刀を弾き飛ばさせ、次の一撃には新たな刀を持って迎え撃っていく。
怒りにより冷静な考えを巡らせることができなくなっていたレイリックだったが、何度も何度も繰り返し剣戟を重ねていく内に、聖龍の肩が大きく上下してきたことに気づき、怒りに煮えくり返っていた頭が急速に冷えていくのを感じた。
余裕に見える言動も、挑発によって冷静さを欠かせ、その隙が生まれるのを只々静かに待っていただけ。
しかも実の所はギリギリのところに立たされていての言動だと知れば、実に可愛いげのあるものに見えてきたのだ。
(このまま続けてもわたしの勝利は揺るぎない…が、人ごときに辛勝とあっては…私のプライドが許さない!!)
レイリックは右下からの切り上げを左手のみで行い、右手には刀身から柄まで深紅に染まった刃で二段切りを行った。
一撃目を受け流していた聖龍は咄嗟に刀を手から離し後ろに飛び退く。
「遅いわ!!」
体力がかなり消耗されているその身体では赤い剣先を避けきることができず、刀を離した一瞬の隙に左手を斬りつけられた。
「くっ…。」
身体中を切り裂かれるような痛みに思わず呻き声が漏れる。
レイリックと距離をとりながら小さな丸い石のようなものを辺りにばら蒔くと、眩い閃光と共に辺り一面が一瞬の内に煙に包まれた。
「傷が…ない?」
レイリックが放った一撃は確実に聖龍の左腕を切り落とす威力を持っていた。
だが、傷を確認しようと手を一瞥した聖龍はその手が切断されているでもなく、掠り傷一つついていないことに思わず声を溢してしまった。
「どうした人間?こんな苦し紛れなことをしてまで時間を稼いだんだ。さっさと魔力をためて必殺の一撃の準備でもしたらどうだ?」
聖龍があまりの出来事に思考を凍らせている内に、レイリックはいつの間にか聖龍の真後ろに立ち、蔑む視線を送っていた。
「くっ…グゥ。」
振り向きざまに刀で横一閃と、流れるような動きを見せた聖龍だったが、その刀がレイリックに届く前に蹴りつけられ、何度か地面を擦りながら数十メートル吹き飛ばされたところで体制をなんとか建て直す。
顔には既に普段の冷静さは見られず、その表情は焦燥と不安に駆り立てられているようだった。
「あなたも甘いですね。今みたいなチャンスは二度とありませんよ。」
「ククク。例えば……こんなチャンスか?」
そう言い終えたが早いか、一瞬で聖龍の背後に回りこみ、再度同じ様に蹴りを撃ち込む。
「がぁ…。」
「何本か肋がいったか?それで?チャンスがなんとか言ってたな?もう一度聞かせてみろよ人間。ヒャハハハハハハ!」
「動きが急に早く…いや、そうか。……私が遅くなったのか。」
レイリックが耳障りな高笑いをあげている間に、身体の傷を治すべく、光の治癒を行おうと試みるが体内で魔力が暴走してしまい、うまくコントロールできず、魔力を無駄に消費するに終わった。それが意味することを聖龍は理解できたが為に、ギリッと音をたてるほど歯を噛み締めた。
「そういう事ですか…。あなたが切ったのは私の魔力回路…ですね?確かにこれなら私の体が急に遅くなったことも、魔力をうまく扱えないことも、傷もなかったことも説明がつきます。」
聖龍は魔力回路の一部を切られた事により、体内の魔力をうまく制御することができず、魔法は勿論、動く際に使う微量の魔力も暴走するため動きも格段に落ちていたのだ。
レイリックはわざとらしくため息をつくと、切られた左腕の部分を握りしめたまま俯き、蹲って動こうとしない聖龍にゆっくりと近づいていく。
「ようやく気づいたのか。気付くまでは遊んでやろうと思っていたんだが…それももう終わりか。楽しかった時間と云うものはすぐに終わってしまうので些か物足りないな。」
携えた長剣を聖龍の顎にあてがうと、俯くその顔を強制的に自分に向けさせる。
「何か言い残したことはないか?私は優しいので聞いてやるぞ。」
「………。貴方がお探しの方を、あなた方はどうなされるおつもりか…それだけ聞いておきたい。」
聖龍は衰弱しきった表情でそう問うと、レイリックは仰々しく真紅に染まる剣を握る左手で髪を掻きあげると、恍惚の表情で語り始めた。
「……いいだろう。どうせ死ぬのだから教えておいてやる。我々はあの方を王とし、この地上で選別を始める。闇に適正のある者のみを生かし、適正の無い無価値のゴミを排除し、我々深淵の者の楽園を築き上げる。力ある我々が、力なき塵にも等しい者共に本来の立場というものを教えてやるのさ!貴様等人が私達を魔人として屠った様に…今度は私達が人をこの手で消してやる!!その為に…あの方の存在が必要なのだ。」
銀の瞳は憎しみに歪み、漏れ出す魔力からは狂気が迸る。
両の手は千切れんばかりに剣を握りしめ、天を仰いでいた顔を徐々に聖龍へと向けていく。
レイリックの涼しげな整った顔は、殺意一色に染められ、もはや正気を保っているとはいえない表情で……………笑っていた。
(…狂っている。よかった……………この男が描く兄上の未来が、兄上の為にならなくて。これで遠慮なく殺してやれる。もっとも…………仮に、兄上にとってこの上ない未来を貴方が描いたとしても……兄上を私から奪うものは悉く…………殺してやる!!)
「さて…一通り情報も収集できましたし、そろそろ……………死んでください。」
「気でも狂ったか?死ぬのは…貴様だ!!」
レイリックは両手に握る剣を交差するように聖龍に斬りつけると、聖龍は冷たく笑い、自身の握る刀で自分の左腕を脇から上へと切り抜いた。
それは一瞬の出来事だった。
聖龍が自身の左腕を切り落としたことで、レイリックは驚愕のあまり、ほんの一瞬身体を硬直させた。
その一瞬が剣を鈍らせ、聖龍は容易に死の十字を掻い潜り、刀をレイリック目掛け投げつける。
ほぼゼロ距離とはいえ、なんとか首を捻り、迫り来る刃は頬を掠めるに終わったが、聖龍は体制の崩れたレイリックの胸元に空いた右手を添えた。
(何故刀を捨てた!?)
刀で斬りつけたところで致命傷になる可能性は実のところあまり高くない。
パラメーターの差とはそれほどまでに残酷に力の差を顕にさせる。
しかし、聖龍の素手よりは確実に殺傷率を上げる唯一の武器を投げ捨てる意味がレイリックにはわからなかった。
わからなかったが為に考えた。いや、考えてしまったが故に再び大きな隙が生まれてしまったことに気付いたときには、聖龍の準備は既に終わっていた。
「贄は我が左腕。嘶け《神聖雷》!!」
中空を舞っていた切り落とした左手は聖龍の詠唱に反応し、血の一滴から全て魔力へと還元され、聖龍は魔力を溜める動作を必要とせず、添えた手に今自分が持てる全ての力を注ぎ、どこまでも白い稲妻を解き放った。
光の最上級魔法の一つであるそれは、邪を討ち、魔を払い、音もなく全ての闇を飲み込む神のもたらす雷。
「ガァ……ハ………。」
レイリックはゆっくりと力なく後ろに倒れこむ。
聖龍はそれを見届けると同時に全身の力が抜け落ち、地面に膝を着く形でなんとか倒れずにいた。
「今の私では五割も本来の力を出せていませんが、十分…だったようですね。」
「今のは……遺失魔法。長い歴史の上で失われたはず………いや、もうどうでもいいことか…私は助からない。人に……それも、もっとも憎い人間に…私が…。父さん…母さん…ごめんなさい。仇を…とれ…なか」
徐々に視界がぼやけていき、銀の瞳から流れた滴が地面を濡らす。
レイリックは弱々しく空に浮かぶ明かりに手を伸ばすと、最後は力なく手が地面に打ち付け、息を引き取った。
「………酷く、綱渡りでしたね。このままでは……私も後を追ってしまいかねないか。」
朦朧とする意識の中で、聖龍は目の前の亡骸に近付き、未だ空を見つめる銀の両目をそっと閉じさせると、おもむろに呪文を唱え始めた。
「我は汝の業を背負わんとする者。汝、その心に無念があれば我が代わって汝の意思を引き継がん。《継承》」
レイリックの胸元からゆっくりと淡い青の光を放つ丸い光が出てくると、今度は聖龍の胸元にゆっくりと近づいていき、そのまま聖龍に吸い込まれるように消えていった。
それと同時に聖龍の全身が光を強く放ち、聖龍の身体の傷は左腕を残し徐々に消えていった。
光が消えると、聖龍の頭にレイリックの記憶や経験の一部が流れ込んでくる。
それは未だ六歳にも満たない幼い子供の記憶。
目の前が火の海に覆われ、街は阿鼻叫喚の巷と化していた。
大規模な火事が起こったのだろう、皆が皆必死に自分の身を守るために動くなか、その子の両親は火を消し、人を救うことを正に死に物狂いで行っていた。
子供は幼いながらも両親の行動を誇りに想い、避難している皆から一人抜け出し、遠く離れた街を見下ろせる丘の上で二人を見守っていた。
二人の懸命の救助のお陰で死人は数えるほどであったが、闇より加護を受けていた二人は消火には力が向いておらず、街の半分近くは無惨な瓦礫の山と変わり果てていた。
最後の救出を終え、人々が避難していた場所に怪我人を連れていくと、文字通り全力で動いていた二人は既に魔力が空になっており、生命力も十分の一までに低下して、満足に動くことが出来ず、その場に二人して崩れるように座り込んだ。
そんな二人に苦労を労うわけでもなく助け出された人間達は口を揃えてこう言った。
「闇の祝福を受けし者。《深淵の者》あまねく災いの元凶!お前らが、お前らが街を燃やしたんだ!!そうだ、お前達さえ居なかったら…こんなことには…。コンナコトニハナラナカッタ」
一人の青年が近くにあった鋤を手にすると、それぞれが鍬や鎌、短剣やナイフなどをもって集い、動けない二人を何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し突き刺す。
二人は既に動かなくなっていてもその異常な行為は延々と続いた。
少年は二人が皆の元へ戻っていくのを丘から確認し、それを茫然と眺めていた。
最早動かない両親に、大好きな街の人たちが醜悪な憎悪を唯々ひたすらぶつける光景に、年端もいかない少年は何を感じたのかは言うまでもない。
「…何で?…………何で父さんと母さんが?やめてよ……やめてよやめてよやめてよ!?何で?………………何でだよ!?」
その狂った光景に、唯一参加していなかった壮年の男に少年は駆け寄り叫だ。
「叔父さん!!お願い、父さんを…母さんを助けて!!」
男のズボンを掴み、必死になって助けを求める少年の瞳に写った男の顔は、目の前の惨劇を目撃して尚、街の人間同様、狂喜に包まれていた。
「ひっ!」
「………レイリック。どこに行ってたんだ?探してたんだぞ……。」
頭上から延びてくる手を思わず払い除け、少年は数を後ずさると、恐怖に足をとられ、その場に尻餅をついた。
「どうしたんだ?痛いじゃないか…。なあ…レイリック!!」
男の声に街の人間も気付き、一人として声を発することなく、ゆっくりと近付いてくる。
「い、いやだ…来るな!………………くるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
『良い匂いだ。悲哀、恐怖、絶望…………………死の匂い。』
男達がレイリックまで手を伸ばせば触れれる程の距離まで詰め寄った時、周囲に不気味な気配が流れ始めた。
「闇の精霊だ!!やっぱりこいつも深淵の…」
一人の男が恐怖に顔を歪め、手に持っていた鍬をレイリック目掛け振り下ろす。
レイリックは恐怖のあまり瞬きも忘れ自身目掛けて駆け寄る男を見詰め、最後の瞬間を迎えようとしていた。
だが、レイリックの眼前で突如として男の両手は鍬と一緒にボトリと一緒に地面に落ちた。
「わ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
皆の目の前で、肘から先が鋭い刃物で切ったような切り口が晒され、周囲は恐慌に陥る。
『心地よい声だ。もっと…もっと聞かせておくれ。』
それを嘲笑うかのように街の人間達は腕を、足を、胴を黒い何かが切り落としていく。
悲鳴はあっという間に収まり、辺りは一面血に染め上げられ、残るは一人の男と、少年だけだった。
『汝が意思が我を呼んだ。汝が求めるならば我に汝が進む道を示せ。』
「レイリック。僕は…レイリック。父さんを…母さんを殺した人を殺す力を僕に!!」
少年が心の叫びを言い終えると、闇の精霊はレイリックの胸元に近付いていき、そのまま胸元に吸い込まれていった。
「た…頼む!殺さないでくれ!!俺は、お前の父さんも母さんも殺してないじゃないか!?」
「そうだね…。叔父さんは確かに見てるだけで何もしなかったね。」
「そうだろう?だから―」「だから僕は何もしないよ。僕は…ね。」
辺りを包む血肉の匂いに誘われ、普段は街に近づかない魔物や魔獣が屍を啄みに集まり始める。
「ひぃっ!?た、助けてくれ!!レイリック、お前ならなんとかなるんだろう?頼む!」
男は情けなくも、自身の半分程度の少年にすがり寄り、涙や鼻水で顔を濡らしながらも助けを求めた。
「触るな人間!!」
「っ!?ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あーあ。僕は何もしないつもりだったのに、叔父さんが余計なことをするからいけないんだよ。まあ、片足だけでもないよりはましなんじゃない?」
レイリックが男を振り払うと、制御しきれない力の余波が男の片足を容易に切断してしまったため、男は右足を押さえ叫び声を響かせる。
「さよなら、叔父さん。もう会うことはないと思うけど、頑張ってね。ふふ、ふはははははははは!!」
笑い声をあげながらレイリックは焼け残った街へと向かう。
父と母を殺した人を、一人残らず殺すために。
残された男の最後の悲鳴は、レイリックの笑い声にかき消され、最後にその丘に残ったのは大量の血の跡だけだった。
記憶の濁流はそこで終わり、聖龍の意識は段々とクリアになってくる。
「……憐れむつもりはありません。貴方は私と違い、人として生き、人として一生を終えることができたのだから。《創造再生》」
聖龍は左腕の傷口に触れ、最後の力を振り絞り呪文を唱えると、その場に倒れ伏し、意識を手放した。