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あの夏の交差点に 3

●現在● 

 瞳は僕にとって大きすぎる存在だ。彼女のあらゆる行動、言葉に刺激を受けた。

 彼女は高校生の頃、弓道部で部長をしていた。栄養士の大学に入り、勉強に専念しようか迷ったが結局弓道のサークルに入った。それは僕が猛烈に勧めたからでもある。彼女の弓道をしている姿はなんともいえない趣がある。的を見つめる真剣なまなざしは周りのものを寄せ付けない壁のようなものがあった。もし僕の携帯電話でも鳴ってしまったら的が僕にかわってしまうのではないかと思うくらいの真剣さがそこにはあった。しかし僕は瞳の練習を見に行くときは必ず携帯電話の電源を切ったことを最低3回は確認したおかげで僕が射られる事は無かった。二回目だけれども瞳は本当に美人だ。これは僕の惚気話とかそういうものではない。実際彼女には某有名プロダクションからスカウトがあるくらいだった(彼女は興味があったようだったが、怪しいと感じたらしく断わった)。そんなしっかり者で、しかも美人な彼女だけれど僕が一番好きだったのはそんな彼女が崩れる瞬間だった。


●大学1年● 

大学に入りたての頃に二人だけで入学祝を町田で開いた。彼女は町田に一人暮らしを始めたからだ。登戸からも大して遠くなかったし、町田は意外と遊べるのだ。余談だけれど東京の人が町田を神奈川県と間違えるのは小田急線の影響だろうと思う(相模大野‐町田‐新百合ヶ丘というように町田駅は神奈川に挟まれている)。東口に出てすぐの居酒屋に入った。大衆酒屋のような雰囲気の居酒屋で店内は賑っていた。

 「おしゃれなバーね」

 「そっちのほうが良かったかな?」

 「いいえ、オオハシくんらしいわ」瞳はやさしく笑ってカウンター席に座った。

 彼女とお酒を飲むのは初めてだったし、彼女はお酒自体も初めてだった。本当に真面目なのだ。

 僕たちは生ビールを二つと枝豆、ちょっとした肴を頼んで乾杯した。僕は灰皿を頼んでキャビンマイルドに火をつけた。彼女は必至にビールの苦さに慣れようとしているように見えた。僕はさっさと飲んでしまい芋焼酎と炭酸を頼んだ。彼女のビールは三分の一を残したところで止まった。

 「飲もうか?」

 「ありがとう。もう私ふわふわしてきたわ」瞳の顔はかなり赤くなっていた。彼女のこんなに緩んだ表情は初めてみた。

「女の子に似合うお酒ってなに?」と聞かれたので僕はカシスオレンジを頼み彼女は喜んで飲んだ。

 彼女が楽しそうに一生懸命話している横顔を僕は見つめていた。彼女が笑う、僕も笑う。彼女の部屋の隣に住んでいる一度話すと1時間は止まらなくなる大家さんの話、学校のオカマのような先生や少しクラスがうるさかっただけで全員単位没収宣言をした先生の話。何もかもが面白かった。僕たちは同じ高校だったのだけれど高校時代の話は一切しなかった。暗黙の了解になっていたのかもしれない。僕たちにとって付き合っていた高校2年間はさほど重要ではなかった。

 瞳はジュースのようにカクテルを4、5杯飲み今までに見たことが無いくらい顔が真っ赤になっていた。弓道をする彼女からは想像もつかない光景だ。彼女はカクテルのアルコール度数が高いことに気づいたようだった。

 「瞳、大丈夫かい?」僕は少し心配になって彼女に言った。

 「お洒落なバーに行ってみたいわ」彼女は少しよろっとしながら立ち上がった。

 今日はこれ以上、瞳とゆっくり話すことは出来なさそうだ。

 案の定外に出て彼女は肩を貸さないと歩けないくらいだった。初めて酒を飲んだのならそんなものだ。僕が初めて酒を飲んだときなんて ―それは思い出したくも無いが― 気づいたら福島県の山奥にいた。詳しくは覚えていないのだがどうやら横浜で酔い、トラックの荷台で寝てしまったらしい。そのトラックが福島の陸運会社のものだった。そういう訳で僕は若いながらに酒とは女の子と一緒で、上手く付き合おうと決意した。

 僕はとりあえず瞳をどこかで休ませることにした。駅から少し離れたちょっとした広場のベンチに彼女を座らせてミネラルウォーターを彼女に飲ませた。時間は22時20分を過ぎていたし平日だったので僕たち以外誰もいなかった。春先にしては暖かい夜で静かな広場には街灯だけが僕らを包み込んだ。そこでは恨み、競争、慟哭、あらゆるものが無意味に思えた。

 僕に寄りかかって休む彼女の姿は僕に訴えていた。

 *私は孤独です。助けて、ここにいるよ。ねえ、あなたもなの?私はあなたを信じているわ*

 彼女の胸元からはブルーのブラジャーが覗いた。僕はこんなに無防備な彼女を見るのは初めてだと訳の分からぬことを思ったりもした。

 僕は瞳に何ができているのだろう、瞳にとって僕は何なのだろう。僕は急に不安になった。僕にとっての瞳は癒し、安心、不思議、喜び、時には怒りである。瞳には僕の感情すべてがあった。彼女にならすべてを表現できた。僕の少し変わった(瞳がそう言う)性格もすべて受け入れてくれる。すべてだ。でも僕は彼女に何をしてきた?なにができる?彼女は僕が思っているほど強くないとしたら?僕はもっと守ってあげなくちゃいけない。しかしその不安は無意味であることは分かっていた。いや、正確には無意味になることを願っていた。

 「ごめんね、大橋君」瞳が店を出て初めて口を開いた。

 「大丈夫?気持ち悪くない?」ぼくは彼女の顔を覗き込んだ。

 「もう大丈夫。調子に乗っちゃったわ。お洒落なバーに行きたかったのに。今度連れてってね。」瞳はにこっと笑った。彼女の笑顔は僕の冷え切った心の中へ一気に入ってきてマッチをすっと擦ってくれた。小さいころに迷子になって、親が迎えに来てくれたあの瞬間に似ていた。

 僕は涙をこらえて瞳を強く強く抱きしめた。瞳は少し驚いたようだったがすぐにこう言った。

 「大丈夫。不安だったわね。大橋くん、大切よ」

 「大切よ」

 そのとき瞳が「好き」ではなく「大切」という言葉を選んだ理由は分からない。だけれどそんなことより、やはり彼女は知っていたのだ。瞳がベンチで休んでいる時に僕が不安になっていたことを。

 やっぱり瞳は賢い子だ。その日は結局彼女の家に泊まった。彼女を失うとき、僕は無くなる。ゼロ。ゼロになる。



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