バンジージャンプは綱渡り case5 <源氏名は花奈>
今日も真っ黒です。
アイドリングのしっぱなしで冷え切っていた車のドアも曇り、ハンカチでずっと涙を抑えていた美沙子は深いため息をついた。
けれど僕は陳腐な事しか言えなかった。
「大丈夫か?」
「ええ、お化粧直すから少しだけ待ってて」
美沙子、拓哉、僕の三人は同じゼミ仲間だった。
大学時代、美沙子と拓哉は付き合っていて……その頃から僕は美沙子に片想いしていた。
社会人になってから僕はこの二人とは離れてしまったのだけど、美沙子と拓哉はくっ付いたり離れたりを繰り返し……その間に拓哉は結婚して二人の間柄は不倫の関係になった。
このバレてはいけない秘密の関係をもちろん僕は知らなかった。
僕が知ったのはその結末の場面。
どうしても拓哉を切る事ができなかった美沙子の弱みに付け込み、小狡く立ち回った拓哉は自分は奥さんと離婚する事無く……ついでに自分の事業の失敗についても自己破産を決め込み、奥さんは美沙子にだけ慰謝料を請求した。
拓哉の借金のいくつかについて連帯保証人なっていた美沙子は多方面から大きな負債を抱える事となり、とあるレンタルスペースで債権者達から詰められてしまった。
誰にも頼れない状況で美沙子はようやく僕を呼び出し、この話し合いの終盤には僕も加わったけど、僕は殆ど何もできなかった。
「今日は迷惑かけてごめんね」
「いや、僕の方がゴメン! 何の役にも立たなくて! せめていくらかでも……」
美沙子は頭を振って僕にその先を言わせなかった。
「大丈夫! 女は何とかなるものだから……」
それから間もなくして
「美沙子が身を売ってるらしい」と言う噂を僕は耳にした。
「そんな心無い噂を!」と思いつつ、いつしか僕は美沙子を探して池袋を徘徊するようになった。
ようやく彼女に逢えたのは半年ほど経ってからだった。
美沙子は驚きと気まずさで……僕は「やはり」と言う居たたまれなさで……お互い笑顔を引き攣らせた。
彼女は僕をシャワーへ導き、手を動かしながら尋ねて来る。
「サービス内容は分かってる?」
「ああ」と答えると彼女はシャワーを止め、僕の耳元に顔を寄せた。
「着けてくれるんならしていいよ」
「えっ?!」と問い直す僕のモノを彼女は手に取り、洗い始めた。
けれど僕はしなかった。
反応した僕のモノを彼女が口に含もうとしたのも止めさせた。
「どういう事? 説教でも垂れるつもり?」
彼女の言葉に僕は顔を背け潤む目を隠す。
「……なんだかバツが悪くてさ」
「うそ! 私みたいなクズは抱きたくないんでしょ?!」
「違うよ!」
「いいのよ、実際、クズなんだから」
「キミが今、ここに居るのは全て拓哉のせいだろ?! アイツが擦り付けた負債のせいで……」
僕の言葉に美沙子は手に持っていたゴムをゴミ箱へ投げ捨てた。
「まあ、それはアイツのせいだけど……負債の為だけじゃないわ」
「どういう事?」
美沙子は頭を振りながら自分の髪を手櫛した。
「私、アイツから離れられなかった。ずっと好きだったし、今もそう」
この言葉に絶句する僕に彼女は追い打ちをかける。
「この仕事を始めたきっかけは『こんなにも理不尽に離れられないのはアイツとのカラダの相性のせいかも』って思ったから。 だからいろんなオトコに抱かれてみた。 相性も確かにあると思えたけど……分かったよ」
「何を?」
「どんなにヤられても、やっぱり拓哉を愛している。自分でもどうしようもない。だからあなたは……こんな私と関わっちゃいけないの! 例えあなたが何もやらせてくれなくても……お金はしっかりいただく私だよ」
時間が来た。
僕は黙って服を着ると先にホテルを出た。
涙が抑えきれそうになかったから。
でも、僕は……
今度は彼女を『本指名』するのだろう。
また彼女を抱けないとしても……
彼女の源氏名は『花奈』
それは拓哉の奥さんの名前でもある。
おしまい
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