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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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世界の底


 七層に足を踏み入れた瞬間、世界が拒絶した。


 比喩ではなかった。足が地面に着いた瞬間、身体全体が押し返された。前に進もうとする意志に対して、空間そのものが「来るな」と叫んでいた。六層の重さとは次元が違う。一層から六層までの全ての重さを足し合わせても、七層の入口に立った瞬間の圧には届かない。


 光が消えた。


 完全に。


 六層にはまだ、エクスカリバーの光が届いた。灯りが歪みながらも空間を照らした。七層は——光を拒絶した。アスが炎を灯した。灯った。けれど光が拡散しない。炎は燃えている。けれどその光が周囲に届かない。自分の手元だけが明るく、一歩先は完全な闇。


 アーサーがエクスカリバーを抜いた。金色の光が放たれた。六層では百歩先まで照らした光が、七層では——十歩分しか届かなかった。英雄の武器の光すら、七層の闇に削られている。


 異界だった。


 地面が歪んでいた。平坦ではない。凹凸があるのではなく、歪んでいる。まっすぐなはずの地面が、視覚的には波打って見える。踏み出すたびに足元の高さが変わる。上っているのか下っているのかわからない。方向感覚が消滅した。


 悪魔の気配が——空気に溶け込んでいた。どこかにいるのではない。どこにでもいた。七層の空気そのものが悪魔の一部であるかのように、呼吸するたびに魔力が肺に流れ込んでくる。身体の内側が侵食されていく感覚。


 五十人が、闇の中に立っていた。エクスカリバーの光が届く範囲だけが世界で、その外側は存在しないに等しい。


 六つの気配が——別々の方向から来ていた。


 前方。右。左。後方。斜め上。そして——真下。


 大罪の悪魔。六体。七層に棲む世界の敵。それぞれが異なる方角にいる。散開している。まるで最初からここに来ることを知っていて、包囲するように配置されている。


 全員が感じていた。六体分の圧が六方向から押し寄せてくる。ルシファーのときの重さが、六倍になって全身を締めつけている。呼吸が苦しい。立っているだけで魔力が削られていく。


 誰も言葉を発しなかった。発する余裕がなかった。


        *


 アーサーが口を開いた。


 この男だけが、七層の圧の中でも声を出せていた。エクスカリバーを片手に持ち、もう片方の手で全員に合図を出す。


「予定通り散開する。各英雄が一体ずつ対応。パーティーメンバーは英雄の支援に入れ」


 簡潔だった。六体の大罪の悪魔に対して、六人の英雄が一体ずつ。バッシュが抜けた穴は、アーサーのパーティーが二体目の方角もカバーする形で埋める。


「アスたちの八人」


 アーサーの視線がこちらに向いた。


「本隊の周辺を守れ。護衛の悪魔が湧く。それを抑えろ。大罪の悪魔とは——直接戦うな」


 最後の一語が重かった。直接戦うな。それは命令であり、同時に——警告だった。お前たちの力では、まだ大罪には届かない。わかっているな、という目。


「何が起きるかわからない。柔軟に動け。俺を信じろ」


 それだけだった。信じろ。アーサーがそう言うだけで、五十人の足が動いた。


 各パーティーが散っていった。


 リーファのパーティーが左へ。カイとルナが風の英雄の背中を追う。クールのパーティーが右へ。フロストとベルが白銀の影に続く。ナーバスのパーティーが後方へ。シェイドとリンが闇に溶けていく。


 アーサーのパーティーが前方へ。グレンの大剣とミアの回復魔法が、アーサーの両脇を固める。


 アイリスのパーティーが斜めの方角へ。


 アイリスが歩き出した。白い外套が闇の中で淡く光っている。聖光の残滓。この闇の中でも、アイリスだけが微かに光を帯びていた。


 ソラがアイリスの半歩後ろを歩いている。風魔法で周囲の空気を読みながら。エルがさらに後方で弓を構えている。


 アスはその背中を見ていた。アイリスが闇の中に歩いていく。大罪の悪魔に向かって。一人の少年が何年もかけて追い続けてきた背中が、また遠ざかっていく。


 見ていることしかできない——わけではなかった。以前とは違う。今の自分にはやるべきことがある。護衛を抑える。英雄たちが戦える環境を守る。それが自分の役割だ。


 ソラが振り返った。


 歩みを止めずに。肩越しにアスを見た。


 何も言わなかった。棘もなかった。皮肉もなかった。ただ——目が何かを語っていた。読み取れなかった。お前にアイリスを任せるという目か。お前には任せないという目か。それとも——もっと別の何かか。


 ソラが前を向いた。アイリスの背中を追って、闇に消えていった。


 それが、ソラの背中を見た最後になるとは、アスはまだ知らなかった。


        *


 八人だけになった。


 英雄たちが散開し、それぞれの大罪に向かっていった。残されたのはアスたち八人と、周囲を固める精鋭たちの一部。


 七層の闇は深かった。エクスカリバーの光が遠ざかるにつれて、暗さが戻ってくる。アスの炎だけが、手元を照らしている。


 来た。


 闇の中から影が滲み出してきた。七層の護衛。大罪の悪魔が生み出した手駒。六層の悪魔とは格が違った。


 危険度十。


 影が人型を取った。けれど人間の二倍の背丈があり、腕が六本あり、頭部に角が三本生えていた。全身を覆う甲皮が深い紫色で、脈動するように光を帯びている。目が八つ。蜘蛛のような複眼が顔面を覆い、全方向を同時に見ている。


 五層の危険度七で全員が限界まで消耗した。六層の危険度八・九は英雄の庇護の下で戦った。危険度十は——八人だけで向き合う初めての格。


「全員にバフ」


 ミルの声が走った。青い光が八人に伸びた。身体が底上げされる。筋力が上がり、反射が速くなり、視界が広がる。ミルの分析力が力に変換されて全員に流れ込む。


 八人が展開した。言葉なしに。レイとアスが前に。ロイドが遊撃。ガルドが後衛の壁。シアとアテネが支援と攻撃。ミルとクロが分析と罠。


 訓練と実戦で積み上げた全てが、この瞬間に出た。


 悪魔が動いた。六本の腕が同時に振り下ろされる。地面が砕けた——いや、歪んだ。七層では破壊ですら歪みになる。


 レイが右から受け流した。判断が一歩遅い——という弱点は、とうの昔に消えている。迷いなく踏み込み、迷いなく引く。堅実さの上に攻撃性が乗った、レイの完成形。


 アスが左から炎を叩き込んだ。甲皮が硬い。六層の敵より硬い。けれど炎の質が変わっている。バッシュのエンチャントの片鱗が、アスの炎に宿っている。普通なら弾かれる甲皮に、炎が食いつく。しがみつくように燃え続ける。数秒だけ。けれどその数秒で再生を阻害できる。


 ロイドが上段から大剣を振り下ろした。迷いのない一撃。堕天使の因縁を断ち切ったあとの、本来のロイドの強さ。大剣がアスの炎で弱った甲皮を叩き割り、内部に到達した。


 シアの氷が飛んだ。アスの炎が再生を遅延させている箇所に、氷を重ねて二重に封じる。炎と氷。相反する属性が再生阻害という共通目的で連携する。シアが感情を乗せた魔法は、以前より重い。


 クロの罠が悪魔の足元で弾けた。粘着ではなく音響。七層は音が歪む空間だが、クロはその歪みを計算に入れている。歪んだ音が逆に悪魔の感覚を混乱させる。逆転の発想。大胆な罠師の本領。


 ガルドが後衛の前に立っていた。完璧な壁。六本の腕のうち後方に伸びたものを、盾一枚で止め続けている。


 アテネの光が途切れなかった。八人全員に分配しながら、自分の魔力を管理している。余裕がある。以前の限界を超えた余裕。自分を守りながら仲間を守る。


 ミルの声が飛び続けた。


「核は胸部の右寄り、四層分の深さ——レイ、二秒後に引いて。アス、炎を胸に集中。ロイド、上からでは届かない、横から突いて」


 声と力。メモ帳と魔剣。ミルの全てが戦場を回している。


 核を突いた。レイが引き、アスが焼き、ロイドが横から大剣を突き入れた。核に到達した。砕けた。


 危険度十が崩れ落ちた。


 息をつく間もなく、次が来た。もう一体。同じ格。八人が即座に構え直す。消耗が早い。一体ごとに全力を使う。けれど連携の精度で補っている。無駄な動きが減り、消耗効率が上がっている。


 二体目を倒した。三体目。四体目。連戦が続く。七層は敵の巣だ。倒しても倒しても次が来る。


 遠くから音が聞こえた。


 音のないはずの七層で。轟音。爆発。光。闇の彼方で、何かが激突している。光が交差している。白い光。風の唸り。氷の軋み。闇が渦巻く音。


 英雄たちが戦っている。各方角で、大罪の悪魔と。


 アスは一瞬だけそちらを見た。光が散っている方角。アイリスがいる方角。聖光の白い閃光が、闇を切り裂くのが見えた。


 仲間を信じるしかない。英雄たちの戦いに手は出せない。今は目の前に集中する。護衛を抑える。英雄たちが大罪と戦える環境を守る。それが自分たちの仕事だ。


 それでも——気になった。あの光の向こうで、何が起きているのか。アイリスは無事なのか。ソラは。エルは。


 五体目の護衛を倒した直後、闇の奥から——もっと重い足音が来た。


 地面が歪んだ。踏むたびに空間が軋む。護衛ではない。もっと上。もっと重い。


 危険度十一。


 現れた瞬間、八人の呼吸が止まった。


 巨大だった。危険度十より一回り大きい。四足歩行。体表が黒曜石のように滑らかで、光を一切反射しない。目はなかった。頭部に目がない。代わりに——体表の全面に微細な感覚器官が並んでいる。全方向を同時に感知する。死角がない。


 圧が違った。十と十一の間に、壁があった。数字一つの差が、次元の差になっている。


 立っているだけで足が沈む。七層の歪んだ地面が、この悪魔の重力に引きずられて陥没していく。


「——バフ、切り替える」


 ミルの声が変わった。通常のバフではなく、全力。ミルの身体に負荷がかかる。けれど出し惜しみしている場合ではなかった。


 青い光が強まった。八人の身体がさらに底上げされる。ミルの分析力が全開で力に変換されている。前衛の攻撃力。反射速度。耐久力。全てが一段階引き上げられた。


 アスは剣を構えた。


 守りたい。ここにいる七人を。この先にいるアイリスを。この世界を。その想いが手の中にあった。


 炎を灯した。いつもの橙色。そこに——バッシュの継承が重なった。維持の回路を開く。数秒だけ。けれどその数秒で炎の質が変わる。消えにくくなる。粘りが出る。敵に張りついて燃え続ける炎。


 さらに——白銀の光が混じった。ナイトブロウ。守りたいという意志の形。橙と白銀とバッシュの炎。三つが融合して、剣の上で新しい色に変わった。


 アスの炎が、変わっていた。自分だけの形に。バッシュの真似ではなく。アリアドネの教えでもなく。全てを受け継いで、自分のものにした炎。


「行くぞ」


 八人が動いた。


 危険度十一に向かって。


 戦闘が始まった。激しかった。一撃ごとに地面が歪み、空間が軋む。八人の連携が限界まで引き出される。レイの判断。シアの氷。クロの知恵。ガルドの盾。アテネの光。ロイドの大剣。ミルの声と力。そしてアスの炎。


 八つの歯車が、七層の底で回り続けている。


 戦闘の最中——遠くから、叫び声が聞こえた。


 七層の闇を突き抜けて、声が届いた。人間の声。悲痛な。誰かの名前を呼んでいる。


 どの方角か。誰の声か。


 アスの背筋が凍った。あの方角は——アイリスが向かった方向だ。


 振り返った。闇の彼方を見た。光が見えた。白い光。アイリスの聖光。けれどその光が——揺れていた。乱れていた。安定した光ではなく、明滅する光。何かが起きている。


 叫び声がもう一度聞こえた。今度ははっきりと。


 ソラの声だった。


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