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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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英雄達の席


 広場が、人で埋まっていた。


 ギルドの中央広場。侵食編で焦土になった場所は修復され、新しい石畳が敷かれている。その石畳の上に——五十人を超える人間が立っていた。


 全員が武装していた。剣。槍。弓。杖。盾。大剣。短剣。双剣。これまでアスが見てきたどの冒険者集団よりも、装備の格が違った。一人一人が纏う空気が重い。ここに立っている全員が、5層以上の経験を持つ精鋭だということが、見ただけでわかった。


 そしてその中心に——七つの影が立っていた。


 七ではない。六つ。バッシュの席は空いている。ロキの姿もまだない。けれど残る五人の英雄が広場の中央に立っているだけで、空気の質が変わっていた。普通の人間と英雄の間には、言葉では表せない壁がある。存在の密度が違う。


 アスたち八人は、広場の端に立っていた。


「……すごいな」


 レイが呟いた。目が広場を見渡している。圧倒されている。レイほどの男でも、この規模の集結には気圧される。


「俺たち、ここにいていいのか?」


 クロが半笑いで言った。冗談のつもりだろうが、半分は本音だった。英雄のパーティーではない。ギルドの一般冒険者だ。五層を踏破したとはいえ、ここに集まっている人間たちは、その多くが五層の常連だ。


 けれど声がかかった。七英雄から。五層踏破の報告がギルドに上がった翌日に、アーサーの名前で招集がかかった。異例の扱いだった。周囲の精鋭たちが、広場の端に立つ八人をちらちらと見ている。あれが噂の、という目。あるいは——場違いだ、という目。


「気にするな」


 ロイドが短く言った。金色の瞳が真っ直ぐ前を向いている。この男は周囲の目を気にしない。気にする回路が最初からない。


「アス」


 声が飛んできた。広場の向こうから。


 聞き覚えのある声だった。聞き間違えるはずがない声。何度も聞いた声。夢に出てくる声。


 アイリスが歩いてきた。白い外套。金色の髪。長い手足が石畳を蹴る。迷いのない足取り。英雄の集まりの中でも、アイリスの存在感は際立っていた。光を操る英雄。七つの柱の一つ。そしてアスにとっては——それ以上の存在。


「来たんだね」


 自然な声だった。深い意味を込めていない。ただ来たことを確認しただけ。いつもそうだ。アイリスは大げさなことを言わない。


「はい。声がかかったので」


「うん。私が推したから」


 アスの心臓が跳ねた。私が推した。アイリスが、自分たちをこの場に推薦した。


「五層を踏破したって聞いた。八人で。アリアドネの試練を」


 アリアドネの名前が、アイリスの口から出た。アイリスにとってアリアドネは「よくわからないが信頼している人」だ。ロキと同一人物だとは知らない。


「必要な戦力だと思ったから」


 それだけだった。感情的な推薦ではない。戦力として判断した。英雄としての冷静な評価。けれどアスにとっては——アイリスに認められた、ということだった。隣に立ちたいと思い続けてきた人に、同じ戦場に立つ資格があると認められた。


 周囲の精鋭たちの視線が変わった。アイリスが直接声をかけに来た八人。噂の若い冒険者たち。アイリスとの関係に気づいた目がいくつかある。


「アイリス」


 声がもう一つ、後ろから飛んできた。


 男だった。アスと同い年か、少し上。中背。茶色い髪を後ろで束ねていて、目が大きい。整った顔立ちに、快活な笑みが浮かんでいる——が、その笑みがアスを見た瞬間に消えた。


 ソラ。アイリスのパーティーメンバー。風魔法使い。アイリスを慕っている男。


 目が鋭かった。


 アスを見ている。値踏みではない。もっと個人的な感情。何者だ、と聞く目ではなく——知っている、という目。噂を聞いているのだ。アイリスが推した若い冒険者。アイリスの幼馴染。あの人の剣を持っている少年。


「お前が噂の」


 ソラが口を開いた。声は明るかった。普段は明るい性格なのだろう。けれど今、アスに向けられた声には棘が混じっていた。微かに。気づかない人は気づかない程度に。けれどアスには刺さった。


「アスだったっけ。アイリスから聞いてるよ。五層踏破おめでとう」


 言葉は正しかった。内容に問題はない。おめでとう。それだけだ。けれど「アイリスから聞いてる」の部分に力が入っていた。俺はアイリスの隣にいる。お前はいない。そういう含みが、無意識なのか意識的なのか。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 アスは普通に返した。普通に返そうとした。声が少し硬くなった。噛み合っていない自覚はあった。ソラの空気と自分の空気が合わない。似た者同士の反発ではなく——同じ人を想っている者同士の、本能的な軋み。


 アイリスが二人を見た。


「ソラ、エルは?」


「あっちで弓の手入れしてる。あの人いつもギリギリまでやってるから」


 自然に話題が変わった。アイリスは空気の変化に気づいていないのか、気づいた上で流したのか。たぶん前者だった。この人は昔からそういうところがある。自分が人に与える影響に鈍い。


 ソラがアスから視線を外し、アイリスに笑いかけた。明るい笑み。本来のソラの表情だろう。アイリスの前では、この男は自然に明るくなる。


 アスの胸に、小さな棘が刺さった。抜かなかった。今はそういう場ではない。


        *


 各パーティーとの顔合わせが始まった。


 最初に来たのはアーサーだった。


 大きかった。バッシュと同じか、それ以上の身長。けれどバッシュの重厚さとは違う。軽やかさがあった。広い肩幅に無駄のない筋肉がつき、動作の一つ一つに洗練がある。栗色の髪を短く刈り込み、顎の線が鋭い。目は深い緑で、温かみがあった。


 そして——腰に佩いた剣が、別格だった。


 鞘に収まっているだけで空気を変えている。金色の装飾が施された柄。鞘の表面に刻まれた紋様が、微かに光を帯びていた。エクスカリバー。名前は知らなくても、あの剣が特別であることは見ただけでわかった。存在感が、剣一本で部屋を埋め尽くすほどだった。


「アスか。話は聞いている」


 アーサーの声は穏やかだった。威圧感はある。けれどそれを意図的に抑えている。相手を萎縮させないための配慮が、自然にできる人間。


「バッシュのパーティーは俺が引き継いだ。バッシュの分まで戦う」


 それだけだった。短い。けれどその短さの中に、バッシュへの敬意と、自分の覚悟が同居していた。


「おう! お前がアスか!」


 アーサーの後ろから、豪快な声が飛んできた。巨体の男。アーサーより一回り大きい。赤い髪を逆立て、肩に大剣を担いでいる。グレン。アーサーの右腕。


「握手しようぜ!」


 差し出された手が大きかった。アスが握ると、骨が軋むほどの握力だった。


「い、痛い——」


「おっと、悪い悪い。加減が下手でさ」


 グレンが笑った。屈託のない笑い。この男の周囲だけ、空気が軽くなる。


 グレンの後ろに、もう一人。小柄な女性。穏やかな表情。回復役だとわかった。雰囲気がアテネに似ている。


「ミアです。バッシュさんのパーティーにいました。よろしくお願いします」


 丁寧な挨拶。アテネと目が合って、二人が微笑み合った。回復役同士の共感。


 次に来たのはリーファだった。


 風のような女だった。比喩ではない。動くたびに、周囲の空気が微かに渦を巻いている。長い黒髪が風に靡き、足取りは地面を踏んでいないかのように軽い。


「へえ、若いね。五層踏破? やるじゃん」


 砕けた口調だった。英雄にしては——いや、英雄だからこそか。力がある者ほど、力を誇示しない余裕がある。


 リーファの横を、もう一人の男がぴたりとついて歩いていた。双剣を腰に帯びた、軽い足取りの男。カイ。


「よう。俺カイ。リーファのパーティー。よろしくな」


 アスに軽口を叩いた。初対面なのに距離が近い。クロに似た空気感。


「アス。よろしく」


「五層のボス、どうだった? きつかった?」


「死ぬかと思った」


「だろうな。俺らもあそこ初めて行ったとき全員吐いたわ」


 カイが笑った。場の空気が少し和んだ。


「カイ、初対面で吐いた話するの失礼でしょ」


 穏やかな女性の声。土色のローブを纏った女性がカイの後ろから顔を出した。ルナ。土魔法使い。大らかな雰囲気で、カイを制御する役割なのだろう。


「いいじゃん、本当のことだし」


「本当のことが全部言っていいこととは限らないの」


 カイとルナのやり取りが軽快だった。漫才のようで、けれど信頼が滲んでいた。


 クールが来た。


 無言だった。白銀の髪。氷のような目。一切の表情を持たない顔が、アスの前に立った。頷いた。一度だけ。それで終わり。ガルドと同じ属性の人間だった。


「よろしくね!」


 クールの横から、全く正反対の声が弾けた。小柄な女性。短い赤毛がはねていて、目が大きい。満面の笑みでアスの手を握った。ベル。サポーターだという。


「クールはこういう人だから気にしないで! すっごく強いけど喋らないの! 私が代わりに全部喋るから!」


「……うるさい」


 クールが一言だけ発した。ベルが笑った。このコンビのギャップが面白かった。


「あ、フロストは?」


「……後ろ」


 クールが顎で示した先に、白銀の髪の男が立っていた。フロスト。氷剣の使い手。クールと同じ色の髪、同じ色の目、同じ無表情。


「二人並ぶと怖いって言われるんだよね」


 ベルが苦笑した。確かに怖かった。


 ナーバスは——気づいたらいた。


 広場の柱の影から、黒衣の男がいつの間にか現れていた。アリアドネの登場の仕方に似ている。気配を消して、そこにいる。闇の英雄。目が暗い。暗い、というより深い。底が見えない目。


 その横に、もう一人。ナーバスより暗い雰囲気の男。シェイド。闇魔法使い。ナーバスの闇が深淵だとすれば、シェイドの闇は影だった。存在自体が希薄で、気をつけないと見失う。


「気にしないで」


 明るい声。短剣を帯びた若い女が、シェイドの横から顔を出した。リン。快活な笑みが、暗い二人の横で際立っていた。


「この二人、見た目は怖いけど無害だから。ナーバスさんなんて猫見ると目が変わるし」


「……リン」


 ナーバスの声が低く響いた。リンは全く動じなかった。このパーティーの中で、リンだけが正常な社会性を持っているのだろう。


 ロイドが、離れた場所で一人の男と向かい合っていた。


 ゼン。暗殺者。ロキ=アリアドネのパーティーの唯一のメンバー。細身の男で、黒い装束に身を包んでいる。無口。表情がない。けれどナーバスやシェイドの暗さとは質が違う。この男の無表情は——何かを隠しているのではなく、何かを読んでいる。常に。周囲の全てを。


 ロイドとゼンが向かい合っている。どちらも無言。けれど何かが通じている。獣人の金色の瞳と、暗殺者の黒い瞳が交差した。


 ロイドが小さく頷いた。ゼンも頷いた。それだけだった。けれどその無言の了解の中に、アスには読み取れない何かがあった。ロイドがこの男を——あるいはこの男の主を——知っている。


 アリアドネの姿はなかった。ロキとして来るはずだが、まだ現れていない。後で合流するという連絡が入っているとゼンが短く告げた。いつものことらしい。


        *


 顔合わせが一段落したところで、アーサーが広場の中央に立った。


 全員の視線が集まった。五十人以上の精鋭が、一人の男を見ている。アーサーが口を開くと、広場が静まった。声を張り上げてはいない。普通の声量。けれど全員に届いた。


「六層を突破し、七層へ向かう。大罪の悪魔は七層に集中している。ルシファーは倒れたが、残りは六体。奴らは最深部から動いていない。こちらから行く」


 簡潔だった。無駄がない。この男が話すと、事実が事実のまま伝わる。余計な装飾がない分、一語一語が重い。


「六層は通過する。留まらない。全戦力を七層に集中させる。六層での消耗を最小限に抑え、一気に駆け抜ける」


 一気に。五十人以上の精鋭が、六層を通過して七層に直行する。立ち止まらず、探索もせず、ただ突き抜ける。大胆な作戦だった。けれどアーサーの声に迷いはなかった。


「各パーティーの役割分担を伝える」


 アーサーが各英雄の名を呼び、担当区域と行動方針を告げていった。アイリスのパーティーが先頭で道を切り開く。リーファのパーティーが遊撃で側面を守る。クールとナーバスのパーティーが後方と退路を確保しながら追随する。アーサー自身のパーティーが本隊の中核。


「アスたちの八人は——本隊に帯同する。俺の横に」


 八人が顔を見合わせた。本隊。アーサーの直下。最前線ではないが、最も重要な位置。


「五層を踏破した実績と、バッシュのエンチャントを継承したアスの存在を考慮した配置だ。異論がある者は」


 誰も口を開かなかった。アーサーの判断に異議を唱える人間は、この広場にいなかった。


「明日、夜明けに出発する。各自準備を」


 それだけだった。アーサーが腕を下ろし、集団が解散し始めた。各パーティーが散っていく。装備の最終確認。薬草の補充。仲間との打ち合わせ。


 アスは広場の端に立っていた。


 視線を感じた。振り返ると、ソラがいた。


 十歩ほどの距離。アイリスのパーティーの仲間たちと話をしている——が、その目だけがアスを見ていた。


 何も言わなかった。棘のある言葉も、挑発も、皮肉もない。ただ見ていた。


 アスも見返した。何も言わなかった。


 二人の視線が交差して、外れた。ソラが仲間の方に向き直った。アスも前を向いた。


 この男とは——いつか何かが起きる。けれど今ではない。


 明日、六層を駆け抜ける。その先の七層に、大罪の悪魔が待っている。


 五十人を超える精鋭と、七英雄の力を結集して。人類が持てる全てを注ぎ込んで。世界の底まで突き進む。


 アスは剣の柄に触れた。バッシュの炎がまだ微かに灯っている剣。手の中に、昨日継承した新しい感覚がある。維持の回路。不撓不屈の欠片。まだ未完成だ。けれどここにある。


 空を見上げた。夕暮れが始まっている。明日の夜明けまで、あと半日。


 その半日が、やけに短く感じられた。


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