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弱くて、臆病で、仲間に助けられながら紡ぐ最後の英雄譚  作者: だんご


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届いた一撃



 息が、足りない。


 視界の端が暗く滲んで、膝が笑っている。剣を握る右手はとっくに感覚を失くしていて、それでも離さずにいられるのは、意地なのか、それとも指が硬直しているだけなのか、自分でもわからなかった。


 魔物もまた、無事ではなかった。アスの炎がえぐった左半身は焼け爛れ、動きは明らかに鈍い。だが——まだ立っている。赤黒い眼がこちらを睨み、低い唸り声が洞窟の壁を震わせていた。


 三対一。数の上ではこちらが有利なはずだった。けれど現実は違う。アテネは膝をつき、荒い呼吸を繰り返している。ミルは壁に背中を預けたまま、かろうじて立っているだけだ。


 誰もが限界だった。


 魔物が動いた。


 ずるり、と片足を引きずるように前へ出る。たったそれだけの動作なのに、空気が一変した。追い詰められた獣の圧。先ほどまでとは質が違う。死を覚悟した生き物だけが放つ、剥き出しの殺意。


 アスの背筋に、冷たいものが走った。


 知っている。この感覚を、知っている。


 幼いころ、結界の外で感じたものと同じだ。全身の毛が逆立ち、身体が本能的に逃げろと叫ぶ。足が動かない。動かないのではなく、動けない。身体が拒否している。


 剣を構えようとした。腕が震えて、切っ先が揺れた。情けないほどに。


 ——逃げたい。


 その声は、自分の奥底から湧いてきた。当然だった。怖いものは怖い。強がったところで、身体は正直だ。足は石のように重く、呼吸は浅く速い。構えた剣が、自分の震えをそのまま映していた。


「——これが、最後の勝負」


 声が聞こえた。小さいが、はっきりとした声。ミルだった。


 壁に背を預けたまま、彼女の目だけが異様に冴えていた。汗で額に張りついた髪の奥、冷徹な瞳が魔物を射抜いている。


「あの傷で、長くは動けない。でも私たちも同じ。次はない」


 淡々と、けれど一言も無駄にしない声。戦いの最中、ずっとそうだった。ミルだけが、この地獄の中で思考を止めなかった。


「アス。最後に一撃だけ、全力を出せる?」


 全力。今の自分に、そんなものが残っているのか。足は震え、腕は上がらず、身体中が悲鳴を上げている。けれどミルは問うている。できるか、ではない。出せるか、だ。


「……出す」


 喉から絞り出した声は掠れていた。それでも、嘘ではなかった。


「アテネさん」


 ミルの視線が動いた。地面に膝をついたアテネが、顔を上げる。いつも穏やかに微笑んでいた彼女の表情は蒼白で、唇の色が消えていた。魔力の枯渇が近いことは、素人の目にも明らかだった。


「残りの魔力で、アスに身体強化をかけられますか。回復じゃなくて、強化」


 一瞬の沈黙があった。アテネの瞳が揺れた。回復を捨てるということは、このあと誰が傷ついても治す手段がないということだ。失敗すれば、全員ここで終わる。


「……かけられます」


 アテネは静かに言った。震えてはいなかった。決めたのだ、と思った。優しい人が覚悟を決めたときの声は、誰よりも静かだった。


「お願いします。それとアス——」


 ミルが最後の指示を出した。


「あの魔物は攻撃の直前に一瞬止まる。それは変わってない。私がその瞬間を作る。合図を出すから、迷わず踏み込んで」


 失敗すれば全滅。言わなくても、全員がわかっていた。


 アテネが両手を持ち上げた。掌が淡く光る。回復術しか見たことがなかったその光が、今は違う色を帯びていた。より鋭く、より熱く。彼女の残りすべてを注ぎ込む光。


 その光がアスの身体に触れた瞬間、全身に電流が走ったような感覚が広がった。重かった足が軽くなり、震えていた腕に力が戻る。視界が一段、鮮明になった。


 ただし、それは借り物の力だとすぐにわかった。身体の奥で、何かが軋んでいる。これが切れたとき、自分は立っていられないだろう。


 アテネの手が、力を失って落ちた。彼女はそのまま両手を地面について、ただ荒い息をしている。もう何も出せない。全部をくれたのだ。


「——行くよ」


 ミルが壁から背中を離した。その手には小石が握られていた。大したものじゃない。武器にもならない。けれど彼女が持てば、それは戦術になる。


 ミルが走った。走ったというには遅すぎる。足を引きずるような、よろめきながらの突進。それでも、魔物の正面に向かって。


 石が飛んだ。魔物の顔面に当たり、弾けた。ダメージなどあるはずがない。ただ一瞬——ほんの一瞬だけ、赤黒い眼がミルに向いた。


 魔物が腕を振り上げる。ミルに向かって。


 その動作が、止まった。


 攻撃の直前。一瞬の硬直。ミルが最初に見抜いた、この魔物の唯一の癖。


「——今っ!」


 ミルの声が洞窟に響いた。


 アスの足は、もう動いていた。


 怖い。怖くないわけがない。眼の前の魔物は、まだ自分より遥かに強い。一歩踏み出すごとに、逃げろと叫ぶ声が頭の中で鳴る。身体が覚えている。幼いころ、何もできずに蹲ったあの恐怖を。


 でも。


 後ろにいる。アテネが、全部を使い果たして倒れている。ミルが、身一つで魔物の前に立っている。


 ——守れるくらい、強くなるって決めたんだ。


 あの日の誓いは、遠い理想だった。アイリスのように強くなりたい。守る側に立ちたい。それがどれだけ途方もないことか、魔界に来て思い知った。自分は弱い。怖がりで、非力で、一人では何もできない。


 でも今、一人じゃない。


 背中を預けられる人がいる。自分を信じて、最後の力を託してくれた人がいる。その人たちを——この手で守る。


 恐怖を踏み潰した。比喩ではなく、足で地面を踏み砕く勢いで最後の一歩を踏み込んだ。


 剣に炎が灯った。出し惜しみも加減もない。持てるすべてを、この一振りに。


 赤い炎が洞窟の闇を焼いた。


 刃が魔物の胸を貫いた瞬間、炎が内側から弾けた。魔物の咆哮が途切れ、巨体が大きく仰け反り——そのまま、崩れ落ちた。


 どさり、と重い音が洞窟に響いて、それきり動かなくなった。


 静寂が降りた。


 アスは突き出した姿勢のまま、動けなかった。剣を握った右手が開かない。身体中の力が、一瞬で抜けていく感覚があった。アテネの強化が切れたのだ。膝が折れ、視界が傾き、冷たい地面に倒れ込んだ。頬に触れる岩の感触が、やけに鮮明だった。


 横を見ると、アテネが座り込んでいた。両腕を投げ出し、壁にもたれ、目を閉じている。その顔には疲労の色しかなかったが、口元がわずかに——ほんのわずかに、緩んでいるように見えた。


 ミルは、その場に膝をついていた。いつも冷静な彼女が、両手を地面について、肩で息をしている。前髪の隙間から見えた目元が、少しだけ潤んでいたような気がしたが、アスがそれを確かめる前に、ミルは顔を伏せてしまった。


 誰も口を開かなかった。しばらくの間、三人の荒い呼吸だけが洞窟に響いていた。


 最初に声を出したのは、アスだった。


「……勝った、のか」


 自分で言って、自分で信じられなかった。あの魔物に。危険度3の、本来なら自分たちが挑むべきではなかった相手に。


「勝ったよ」


 ミルの声が返ってきた。地面に手をついたまま、いつもより少しだけ柔らかい声で。


「三人で」


 その一言が、胸の奥に沁みた。


 一人じゃ無理だった。一人で来た初日、第1層の入口で怯えて引き返した自分を思い出す。あのときの自分が、今ここで魔物を倒せたはずがない。ミルがいなければ弱点を見抜けなかった。アテネがいなければ最後の一撃を放つ力が残っていなかった。二人がいたから、恐怖を踏み越えられた。


 仰向けに転がったまま、天井を見上げた。暗い岩肌が、ぼんやりと揺れている。


 嬉しかった。初めて勝てたことが。仲間がいることが。


 けれど同時に、わかっていた。


 これは第1層の、それもたまたま出くわした魔物だ。この先には第2層があり、第3層があり——第7層まで続いている。あの魔物一体にこれほど追い詰められる自分たちが、どこまで行けるのか。


 まだ弱い。


 その自覚が、重く静かに胸に落ちた。嬉しさを否定するわけではない。今日の勝利は本物だ。でも、それだけでは足りない。まだ全然、足りない。


 身体が動かなかった。指一本持ち上げるのも億劫で、このまま眠ってしまいそうだった。それでもアスは、握りしめたままの剣の柄を、もう一度だけ強く握った。


 ——もっと、強くなる。


 この三人で。


おもろいよ

感想、レビュー ブクマ 評価待ってます‼️

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